不良少女 6


 葵が、男の胸ぐらを掴み上げていた。


 やや薄暗く、広い部屋だった。壁一面には大小様々な大きさのモニターが無数に並んでいる。ここは花山院学園の地下深くに存在する秘密基地、アガルタだ。そこの指令室だった。


 葵に胸ぐらを掴まれているのは石川いしかわ春光しゅんこう。アガルタの総司令を務める人物だ。いつも通りのボサボサの髪に無精ひげ。顔色は悪く、目の下にはクマが見える。にも関わらずスーツだけはピリッとノリが効いているのも変わりない。


 カチャリと、硬質な音を聖技は聞いた。すぐ隣に立つ麒麟が、腰の日本刀、その鯉口を切った音だった。ひゅ、と思わず変な音が聖技の喉から漏れた。


 花山院学園生徒会長、東郷麒麟。そのうわさ話の一つを、聖技は思い出していた。


 3年前に起きた中国人虐殺事件、通称、神の怒り事件。その発端は、中国人が花山院学園の理事長、獅子王麗奈を暗殺しようとしたことだ。暗殺は未遂に終わり、その暗殺者は現場で斬殺された。



 その暗殺者を切り殺したのは、他ならぬ東郷麒麟その人である―――。



 噂を鵜吞みにすればだが、この女は躊躇なく人を切り殺せる類の人間だ。普通なら聖技もそんな噂話を真に受けたりはしない。しないのだが、


(副隊長なんだよなーこの人)


 花山院学園は、富裕層や特権階級御用達の教育機関だ。そこの生徒会長ともなればとんでもなく偉いんじゃないかと聖技は思う。特権階級オブ特権階級くらいはあるんじゃないだろうか、と。そう思う一方で、同時にこうも思う。それでも所詮は、一介の学生に過ぎないのではないか、と。


 疑問。一介の学生が、特殊部隊の副隊長なんて地位を得られるだろうか?


 ありえない。それが聖技の率直な感想だ。だからこそ、逆に説得力があるのだ。この『ありえないこと』を可能にするくらいには、東郷麒麟には大きな功績があるのだと。それこそ噂の通りに、暗殺者を切り殺し、総帥閣下の御身を守ったとか。


 脂汗を流しながら葵と麒麟の間で視線が忙しなく移る。が、麒麟は抜きかけていた刀身を鞘に戻した。聖技が葵の方を見れば、石川が掌を向けている。静止のジェスチャー。麒麟が刀から完全に手を離したのを見て、聖技はようやく人心地ついた。


 そうして落ち着いたところで、改めて葵と石川、二人の様子を見る。葵がガンを付け、石川は穏やかな笑顔で受け流している。


 ちょっと動けば、唇同士が触れ合いそうな距離だった。ズガンと脳が破壊されそうな衝撃が聖技を襲う。思わずふらりとよろめく。膝が崩れ、床に手を付いて体を支え、


(ボクが……)



「ボクが先に、好きだったのに……!」



「……いや、何言ってんだお前?」


 顔を上げれば、葵が呆れた様子で聖技を見ていた。


「どうした下野しもつけ? 腹が膨れて眠くなったのか?」


「血糖値スパイクかぁ? お前さっき7,8人前くらい食ってたからな」


「いえ、違います。何でもないです。お話の続きをどうぞ」


 麒麟の手を借りて起き上がりながら聖技がそう言うと、葵は石川の胸ぐらを改めて強く掴んだ。


「おぅ、そうだったな。んで、オレらが軍に出向するのは、いつだ?」


 そう言われた石川が、初めて葵のガン付けから視線を外した。まず麒麟を見て、次に聖技を見て、


「ひょっとして、星川さんにもう話した?」


 二人は同時に首を横に振る。


「いや、何も。だいたい、こういう説明については前から春光先輩の役割だっただろう?」


「そもそもボク、なんでアオイ先輩がここに連れてこられたのかすら知らないです」


 石川が視線を戻すと、葵はつまらなそうにフン、と息を吐いた。ようやく石川を解放する。


「星川さん、誰かに話を聞いていたのかな?」


「つーか学校の地下にンなアホみてーなもんあったら分かんだろ」


「その割に驚いてないね」


「ここの歴史は知ってっからな。以前はドール・マキナ用の軍学校で、その前もドール・マキナ用の研究施設だ。地下に秘密基地くらいあったっておかしくねえ」


「どう認識しているか確認しておきたいねぇ。……簡潔に説明してもらえる?」


「……第三次世界大戦にいつ日本が巻き込まれてもいいように即戦力が欲しい。ところが条約で少年兵を禁止しちまったからさぁ大変。防高で3年も塩漬けにするわけにゃあいかねぇ。つーわけで特例まみれの花山院にまず入れて、あとは特例でどうにかぶっこ抜こうっつー魂胆だろ。ラプソディ・ガーディアンズみてーな前例もあるしな。……ンの割に1年間ナンも音沙汰なかったのは、聖技が本命だったから」


「え、ボク?」


「おうよ、オメーだよ。オメーとオレじゃ戦い方が全く違うからな。馬鹿みてーな操縦出来るお前は即戦力になるが、オレはヘタクソがヘタクソなりに頭使って戦うタイプだ。戦力になるにゃあ5年か10年か、それなりに時間をかけて頭も腕も育てる必要がある。あとはそう、ぶっこ抜きの説得力を増すためにタイミングを合わせたってところか?」


 パチパチと、小さな音が聞こえた。石川の拍手だ。


「正解だ。流石だね。”無敗の黄金”や”パーフェクト・ゴールド”と呼ばれていただけはある」


「オイやめろ、その小っ恥ずかしい呼び方」


 石川はタバコに火を付けた。広がった紫煙越しに葵と聖技の両名を見る。そして、胡散臭いニヤニヤ笑いをしながらこう言った。


「それじゃあ、授業を始めよう」


   ●


 生徒会長の仕事があるらしい麒麟と分かれると、聖技と葵は石川の案内で応接室へと移動した。


 部屋の中には既にリセが待機していた。狐の面で顔を隠した和服姿の少女だ。頭の三角型デバイスがまるで狐の耳のようにも見える。石川の正面、テーブルを挟む形で二人が座ると、リセがティーカップを並べていく。一礼の後に退室した。最後まで無言のままだった。


 テーブルの中央に置かれたアフタヌーンティースタンドには、3人分とは思えない量の食品が綺麗に並んでいる。ティーカップの中身は紅茶だ。


「……あの格好なら、出すのは緑茶と和菓子じゃねえのか?」


「言われてみると、リセちゃんが用意するのっていつも洋菓子と紅茶ですね」


 聖技はさっそくお菓子を口に放り込む。


「さっき昼飯食ったばかりだろ……」


「甘いものは別腹って言いません?」


 そううそぶく聖技は、今度は両手にミニサンドイッチ。


「言うけどよ、オメェひょっとして炭水化物も甘いもの扱いしてねぇ? ……で?」


 早くも二本目の吸い殻を灰皿に捨てた石川を、葵は睨みつける。


「そうだね、始めようか。とりあえずさっきの回答を、今度は詳しい内容も交えて、もう一度説明してもらえるかな?」


「あ゛ぁ゛?」


「足りない部分があればその分は補足するさ。必要無いかもしれないけどね。ちなみに下野さんへの説明も兼ねているよ」


 葵は隣に座ってアホ面でケーキを食う聖技を見た。


「お前なんも話聞いてねぇのか?」


「え、あ、はい。なんか色々流れで」


 葵は石川を睨みつけると、小さく舌打ちした。


「まず前提として、防高……防衛高等工科学校の学生は軍人じゃあねえ」


「え? そうなんですか?」


「そんな気はしてたが、やっぱ勘違いしてたなお前……。つっても、知らねえやつは割といるんだけどよ」


「えへへ……」


「仮にも防高が進路希望だってヤツが勘違いしてんなよ」


「あだだだだだ!?」


 葵の握り拳が聖技の頭頂部をイジメていた。


「2000年だったか。長ったらしい名前の国際条約で少年兵が禁止されてよー、そんでその翌年に神の怒り事件だろ。オレが1年の時の、全国大会の直前くれえだったな、日本も大慌てでその国際条約を批准してよ、2002年度からは防高の新入生は非軍人扱いになったんだよ。直接説明されたからよ~く覚えてらぁ」


「へぇー。言われてみると、そんな説明を受けたような、受けてないような……」


 聖技たち悪ガキ4人組の中で話を聞くのはいつもハカセの役割だったから、ぶっちゃけ聖技は全然覚えていなかったりする。


「だからよ、オレらは仮に防高に進学してたとしても、実戦に出ることが出来ねぇ。タロスの公道運転免許は取れたとしても、間違っても軍用機になんか乗せちゃもらえねえ」


 タロスというのは民間でも広く利用されている多目的作業用ドール・マキナだ。座席に手足が付いたような形状の、およそ3メートル前後の小型機である。


「『上』の連中はさぞ泡食っただろうよ。あの条約を批准したのはよ、防高に入ったらいきなり学徒兵っつー状況を防ぐためだったんだろうよ。馬鹿が馬鹿をする前に規制しちまおうって腹だ。ところがどっこい、途端に聖技みてえな軍人プロ顔負けの即戦力が出やがった」


 そこまで言うと葵はティーカップを掴み、一気に中身を飲み干した。


「で、聖技を花山院に無理矢理入学させることにしたってワケだ。それじゃあからってよ。オレぁ別に防高に放り込んでも良かったんだろうが、大会成績は聖技よりオレの方が上だったからな。聖技だけ例外ってんじゃあスジが通し難ぇ。どうよ?」


「正解だ。ここまでは100点満点だよ星川さん。君の扱いも含めてね」


 はー、と聖技はボケッとした表情で葵の説明を聞いていた。


「……ん? ……あのー、一個分かんないところがあったんですけど」


「なんだい?」


「ンだよ?」


「その、ぼーこー? に入っても、卒業するまでは戦えないんですよね?」


「ああ。そんで卒業して入隊しても、しばらくは生身か軍用タロス止まり。ダースみてえな真っ当な戦闘用に乗りてえんなら、最低でも准尉階級が必要だったはずだ」


「准尉って、えーっと……?」


「防高を卒業たら士長、順に3曹、2曹、1曹、曹長で、その上がようやく准尉だな」


「補足しておくと、士官学校を出てない軍人の場合の最高階級だね」


「どれくらいのペースで昇級するのかは知らねえが、年1だと仮定すると、操縦れるようになるまで5年かかる」


「5年!? そんなに!? ということは3足す5で……8年後ぉ!?」


「その頃にゃあとっくに戦争はおっ始まってるか、逆に終戦を迎えてるだろうよ」


「あ、さっきのにゃあってやつ可愛かったです。もう一回言ってもらっていいですか?」


「なんでだよ? つーか何取り出してんだよ? ケータイかそれ?」


「ボイスレコーダーです!」


「だからなんでだよ!? つーかなんでボイスレコーダーとか持ってんだよお前!?」


 聖技はボイスレコーダーのスイッチを入れた。葵はボイスレコーダーのスイッチを切った。


「……で、聞きてえことってそれかよ?」


「あ、いえ、違います。えーっとですねー、……なんというか、花山院学園に入ったら軍にも入れるって、すごく当たり前みたいに話してません? 入れるんです? 裏口入学、じゃなくて裏口入隊? 的な? 特権的な?」


「あぁ、なるほどね……。それじゃあ星川さん、引き続き」


「パス。つーかアンタの方が詳しいだろ、なぁ、『元』隊長さんよ?」


 元隊長、と言われた石川は肩をすくめた。


「なんだい、知ってるじゃん」


「そりゃあアンタは有名人だからなぁ。なんつったっけ? 『世界を二度救った男ダブル・メサイア』だったかぁ?」


 溜息。


「マスコミはこういう名前つけるの好きだよねぇ……」


「オレらだって被害者だよ。で、今度はテメェが説明しろよ。そっちの話はオレにゃあ分かんねぇんだからよ」


 石川は口を開き、説明を始める代わりに3本目のタバコを咥えた。火をつけ、しばしの静寂が広がる。聖技はにゃあ・・・の録音に成功したので、こっそりつけていたボイスレコーダーを切った。


「アオイ先輩も紅茶おかわりします?」


「おう」


 いつの間にやら、ティースタンドは聖技一人で半分以上が攻略されていた。


 そして、


「……念のため、確認しておこうかなぁ。下野さん、『ラプソディ・ガーディアンズ』って名前に、聞き覚えはあるかい?」

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