不良少女 10
暗闇の中から、声が聞こえた。
―――聖技、お前だったんだな。
違う、という声は喉から出なかった。うっすらと腕の形をした輪郭が見える。その両手は、聖技の首を締め上げていた。
―――どうして、もっと早く助けてくれなかったの?
ごめんという声も、やはり喉から出ることはなかった。葵だと思っていたその姿は、いつの間にか向日葵の姿に置き換わっている。やはりその両手が、聖技の首を締め上げている。
―――あと少しで、オレたちはまた一緒に暮らせるはずだったのに。
―――あと少しで、お姉ちゃんと一緒の学校に行けたのに。
葵の姿が増えていく。
向日葵の姿が増えていく。
―――お前のせいだ。
―――君のせいだよ。
増えた葵と向日葵が、腕を聖技の首へと伸ばしてくる。
―――お前のせいだ。
―――君のせいだよ。
息が、苦しい。
呼吸が、できない。
視界は涙でにじむこともなく、まぶたを閉じることもなく、何人もの、何十人もの葵と向日葵に首を絞め続けられる。
そして―――ゴキリ、と首の骨が折れた音が聞こえた。
「うわああああああああああああああ!!!!!」
飛び起きた。息は荒く、全身が不快感のある汗でびっしょりと濡れていた。
「ゆ、め…………?」
聖技の部屋だった。弱々しく部屋を照らす常夜灯のナツメ球。カーテンの隙間からは何の光も漏れてこない。カチカチと時計の秒針が鳴っている。蛍光塗料の短針と長針は、三時半を少しばかり過ぎたころだった。
「そう、だよね。夢だよね……」
ゆっくりと部屋の中を見渡すが、他に誰もいなかった。葵はもちろん、死んだ向日葵の姿も見えない。
「だけど……」
首に手をやる。ゆっくりと、撫でさする。
今のは夢だ。夢で間違いない。
けれどもその首には、絞められた痛みと感触が、いまだにはっきりと残っていた。
●
聖技がマンションを出たのは、昨日よりもさらに1時間ほど早い時間だった。
いやにべたつく汗を流したくてシャワーを浴びたら、すっかり眠気は飛んでしまった。眠気が残っていたとしても、二度寝する気分にはならなかっただろう。
服をどうするかは少し悩んだ。制服を選んだのは、私服だと夜遊びに間違えられるかもしれないからだ。それに、朝練に向かう途中だと言い訳することも出来る。
昨日家を出た時は、夜と朝が交じり合った境目のような世界だった。けれども今はまだ夜の時間帯だ。昨日は聞こえていた鳥の鳴き声すら聞こえない。けれども、こんな時間からでも活動している人間はいるらしい。どこか遠くからバイクらしき排気音が聞こえていた。
歩き出す。目的地は、最寄りのコンビニエンスストア。
別にコンビニじゃなくても良かった。けれども聖技の知識では、24時間営業のコンビニくらいしか思い至らなかった。
人がいるところに行きたかった。一人でいるのが怖かった。
東京でよかったと、聖技はそう思う。これがもし地元だったら、町内唯一のコンビニが開くのは午前7時からだからだ。駅前のパン屋なら5時にはもう開いているのに。
いや、と聖技は苦笑した。そもそも地元にいるのなら、コンビニだとかパン屋だとかに行く選択肢なんて出てこない。ネッケツ、ハカセ、メカマン。UFOストラップでつながった三人の悪友たち。たとえ午前4時に突然訪ねたとしても、あいつらなら文句を言いつつ快く迎え入れてくれるに違いない。だって、もしあいつらがそんなことをして来たら、聖技だってそうするのだから。
(ていうか、家ならお父さんとお母さんがいるか)
バイクの排気音が聞こえる。クラクションが鳴る。
最寄りのコンビニまでは徒歩5分。全く買う気はないのだが、店内をぶらぶらと歩きまわって時間を潰そう。読む気もないのに適当に立ち読みでもしよう。もし誰かがたむろしているならちょうどいいから混ぜてもらおう。そういえば今週のジャンプをまだ買っていない。
バイクの排気音が聞こえる。クラクションが連続で鳴る。
懐かしい音だな、と聖技は思った。学校の近くには山の管理者用のプレハブ小屋があり、その中には2台のカブが置いてある。そのカブが鳴らすクラクションの音にそっくりだった。
ドール・マキナ・マーシャルアーツの練習には、結構広い土地が必要になる。それこそ、学校のグラウンド程度の規模であれば、その全体を丸々使わなければならない程度には、だ。他の運動部とはもちろん取り合いになる。けれども聖技たちのチーム、ザ・フィーバーは、その辺りの事情が他所とは違った。
メカマンの家が、町面積の半分を占める山の地主だからだ。使っていない土地、その一部を借りて練習場として使えることになった。
そして、そこに向かうまでの足として、その2台のカブを使っていたのだった。4人で2台のカブを使うのだから当然2ケツで、免許なんてもちろん持っちゃいない。私有地なんだから問題ない。仮に問題視する教師がいたとしたら、その教師が責任を持って毎日聖技達を運ぶことになるのが目に見えている。だから誰もが見て見ぬふりをしていた。
バイクの排気音が聞こえる。クラクションがけたたましく鳴る。
そして、
「おい! 無視してんじゃねーぞ聖技ィ!!」
隣につけた葵が、排気音に負けない大声でそう叫んだ。
「うわビックリしたぁ!? え、アオイ先輩!? 何してるんですかこんなトコで?」
ジロジロと、聖技は葵の姿を観察した。安っぽくてチャチなヘルメット。微妙にダサい芋ジャージは、校章のワッペンを見るに葵の出身中学のものだろう。割と年季が入っているカブには、フロントや後輪サイドにカゴが増設されている。何故か後部席のシートだけが真新しく、そこだけが全体の雰囲気から浮いていた。
「バイトだよバイト、配達のバイト」
「アルバイト、ですか……?」
早朝四時にバイクで配達と聞いて、聖技が真っ先に思い付いたのは新聞配達のアルバイトだ。というか、他には何も思いつかなかった。
ふと、聖技は無意識に葵の手を見ていた。その手が聖技の方に向けられて、首をつかんでくるのではないか。そんな不安に襲われたのだ。もちろんそんなことは起きず、葵の手はブレーキをかけるためにしっかりとハンドルを握っている。
「そういうテメーこそこんな時間に何して、あ、いや、分かった」
ドキリとした。もしかして悪夢を見て飛び起きて人寂しさに当てもなく歩いているのだと、この天才はそんなことまで分かってしまうのだろうか。
「腹が減り過ぎて目ェ覚ましたんだろ。そんでもって家になんも食うもんがなかったっつーオチだ!」
「あ……アハハハハー! いやー実はそうなんですよ! よく分かりましたねアオイ先輩!」
笑っていると、葵は聖技にヘルメットを放り投げた。葵が今付けているのとは違う、割としっかりしたつくりの、真新しいヘルメットだ。続けて葵は乗れよ、と後部シートを親指で指す。
「いいパン屋知ってんだ。奢ってやるよ」
●
青梅の早朝を2人乗りのカブが走る。聖技は目の前の背中に顔を押し付けた。いい匂いがした。どことなく安心する匂いだった。なんとなく土の臭いが混じっているような気がした。
「お前誕生日何月~?」
「8月です~!」
「じゃあ夏休み免許取れ免許~! ツーリング行こうぜ~!」
「いいですね~!」
「あとよ~! 実はオレよぉ~~~!」
「なんです~?」
「まだ2ケツ駄目なんだよ~! 免許取ったの5月だからさぁ~!
匂いを堪能している場合じゃなかった。そうだった、ここは私有地ではなく公道なのだ。誰もが見て見ぬふりをしていた昔とは違うのだ。
顔を上げた聖技は、周囲を全力で警戒しだした。
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