悪を滅ぼす者 11
本当に逃げた。
たしかに死ぬ覚悟は決めた。
だが、それは目的のためなら死んでもいいというだけであって、目的を果たしたから『よし、じゃあ死ぬかぁ!!!』となるわけではないのだ。
ルインキャンサーを四つん這いの姿勢にする。それでもなお地上までは結構な高さがあったが、なぜか乗降ロープは無かったので飛び降りる。
両の足で着地成功。じん、と痺れが全身に伝わったが、その感覚が完全に消えるのを待たずに、聖技はその場から走り出した。
がむしゃらに、けれどもルインキャンサーからは離れるように。
角を曲がる。直進する。曲がっては直進してまた曲がってを繰り返す。ジグザグ走りの途中で犬に吠えらえること3回、乗り捨てられたバイクを見つけたので拝借した。ガス欠になるまでジグザグに走って、乗り捨ててからもなお走り、走り、走り、
突然、聖技は立ち止まった。
「……めっちゃ、トイレに行きたい」
意識したらもうダメだった。限界が近い。というかもう限界を超えている。
「トイレ、トイレ、トイレ……あ!!」
公園を見つけた。公園ならトイレがあるはずだ。飛び込んでみたら結構大きいようで、バカにデカい遊具がいくつもある。体育館のようなドーム型の建物の前には、2人の男が銃を手に立っている。視界の端には車が何台も止まっていたから駐車場もあるらしい。
そして、トイレを見つけた。
「動くな! そこで止まれ!」
「あ、え?」
そして、ドームの前にいる男たちから銃を突きつけられた。
こんなところで何をしている。両手を組んでその場に座れ。身分証明出来るものを持っているか。早く座れ。どこから来た。早く座れって銃が見えないのか。日本語は通じるか。Do you use Japanese? 早く座れって。スタンダップ! 立たせてどうする馬鹿!
そんなことを立て続けに言われて、けれども聖技はそれどころじゃない。決壊の瞬間はすぐそこまで迫っている。だからトイレに進もうとして、その瞬間に鋭い音と同時に目の前で地面が弾けた。発砲されたのだ。
そして、それが最後の引きがねとなった。
「あ、」
「あ? なんだ、言ってみろ!?」
「もう、無理ぃ……」
そして聖技は、乙女の尊厳を失った―――。
●
自分の部屋のベッドの上で、聖技は眠れない夜を過ごしていた。
―――おねーちゃんおしっこもらしたのー?
―――ほらっ、あっちに行ってなさい! あ、あまり気にしないでくださいね。よくあることなんですよ、急な避難警報に驚いて、シェルターに着いて安心したら失禁しちゃうのって。だからほら、このシェルターにも替えの下着も常備されていてですね。うわこんなところにも怪我ある。どうやったらこんな場所まで怪我するんです? あー、ガーゼもう無かったか。ワタナベェ! ガーゼ持ってこいガーゼェ! あとヤマモトも連れてこい!! アァ!? 口答えしてんじゃねえぞドサンピンがぁ!!
シェルターに保護された後、シェルター出入り口を見張っていた若い男2人から謝罪された。土下座なんて初めて見た。
不審者を見る態度から一転して丁寧に扱われるようになったのは、聖技が花山院学園の生徒手帳を持っていると判明した瞬間だったように思う。
パーティションで区切られた空間の中、若い女兵士たちが交代で常に聖技に付き添う。何かが必要になれば他の兵士を使いっ走りにする。シェルターの中、数時間が経過して再度の尿意に襲われた時は、シェルター内のトイレに着いてきて、個室の扉の前で用が済むまで待機された。
シェルターに避難している住民は他にも数十人がいたが、こんな扱いをされていたのは聖技だけのようだった。
さらには警報が取り消された後もこのサービスは続いた。何台もの護衛車両を引き連れて、自宅まで送迎されたのだ。
(花山院学園、か……)
ドール・マキナ・マーシャルアーツ公式大会中学生の部344戦342勝2敗。中学1年時全国大会ベスト8。同2年で準優勝。3年生時にはついに優勝。聖技の戦績だった。
DMMAは優れたパイロットを見つけるための競技であり、イコール好成績を残した選手は軍からのスカウトを受ける。普通に軍学校に進学するよりも好条件だったり、軍に入隊した場合にも給与や搭乗機などでも好遇される。
DMMA選手の多くは、この優遇措置を目当てに、将来は軍人になることを目指して日々練習に励むのだ。無論、聖技もその例外では無い。
特に聖技の戦績は凄まじく、誰がどう考えても軍に誘われること間違いなし。聖技も友人も両親も教師も、誰一人としてそれを疑う者はいなかった。
そこに、横槍を入れたのが花山院学園だった。
軍からの連絡は、来なかった。
代わりに、花山院学園と政府から人が来た。
『
進路指導の大森に言われた言葉を思い出す。三者面談ならぬ五者面談。聖技と父親と大森と、花山院から来たという幽霊みたいな風貌の男と、連日テレビに出ていたので聖技ですら顔と名前を知っている防衛大臣と。
『お前も聞いたことくらいあるだろ? 総理大臣より偉いジョシコーセーって。そいつがそこの理事長なんだよ。俺もな下野、教師として生徒の力になりたいと常々思ってんだ。けれども今回ばかりは相手が悪い。そうは思わんか? なぁ頼むよ下野。お前が変なとこに願書出したら目を付けられるのは俺なんだよ。マイホーム買ったばかりなんだよ。まだローン残ってるんだよ。変な島に飛ばされたりとか嫌なんだよ。だから、な? 下野。先生を助けると思ってな? な? な?』
なす術は、無かったと思う。
(……ハカセも来れたらよかったのに)
ハカセの家は政治家一族だ。じいさんは町長だし、親戚には県議員や国会議員もいるらしい。そして花山院学園は政治家や大金持ちの子供が多く通う学校であり、だったらハカセも入学できるのではないか。そう思っての考えだったが、
『ハハハハハ! それは無理というものだ聖技! 俺も少し調べたのだがな、花山院の学費は一般的な私立の軽く数百倍! たしかに俺の家は田舎にしては中々の金持ちだが、流石にそれだけの額は出せん! それに花山院に入るのに必要なのは学力ではなくコネ! 卒業生から”こいつは入学に値する”と紹介して貰う必要があるわけだな。傍系の我が家にそんなコネは無い!!』
聖技は特待生なので学費無料、宿場も無料、オマケに月にウン十万もの生活補助金までもらえる。だからこそ余計に、1人で行くのが寂しいからなんて理由で、ハカセの家に数千万もの学費を負担させるわけにはいかない、というのは聖技でも分かった。
もう何十回目かになる寝返りをうつ。
秒針の音が、妙にうるさい。
閉じていた目を開き、耳障りな時計を確認する。午前3時を回っていた。
全く眠れなかった。帰ってから食欲もなく、夕飯も食べていない。昼食を盛大に吐き出してしまったというのに、けれども未だに空腹感はやってこない。
明日は、いや、あと6時間と経たないうちに、
―――高校の、入学式だ。
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