悪を滅ぼす者 6


 悪友がいそうだと悪い意味での信頼に不安を覚えながらも、ここから脱出する算段を立てる。もっとも、ひたすら移動する以外に出来ることはあまりなさそうだな、とも思う。


「えーと、フラメンコの右手? だっけ? 迷路は右手を壁に付けて歩いたら脱出できるって、ハカセが言ってたようなー」


 そう言いながら、聖技が触るのは壁ではない。自分の身体だ。全身ペタペタと触って、派手に出血していたりはしないかを確認していく。


 細かい擦り傷や打撲傷はいくつも出来ているようだが、明らかに濡れた感触は返ってこない。骨折もしていないように思う。大きな怪我はないはずだ、たぶん。


「……うん? そういえば、サイレンの音が聞こえてない?」


 もう一つ、ものすごく今さらなことに気付く。さっきから聖技の発する声や音は、奇妙な反響音を作り出していた。その一方で、地上での耳をつんざくような大音量で流されていたサイレンの音は全く聞こえてこない。


 一体いつからだろう。目を覚ました時には、もう聞こえていなかったような気がする。


 聖技は少し考えた。避難警報が消えているのであれば別にいい。あとは自分がここから脱出すれば解決だ。


(……問題は、サイレンがまだ鳴っているのに、聞こえていない場合)


 逆に考えると、聖技がここでどれだけ大声を出したとしても、その声は地上にまでは届かない、ということになる。


「あれ?」


 そう思って上を見上げると、聖技はあることに気付いた。


 天井の白い穴が、消えている。聖技が落ちた穴が、気付かない間に閉じていたのだ。


「えっ、うわっ、えー、マジかぁ~~~……」


 全く気付かなかった。なんだかものすごくショックだった。閉じてなくても登るのは無理だろうし、声も届かない可能性が高いとは分かってはいるのだが。


 別にファンでも何でもない、詳しくはないけど有名な芸能人の訃報を聞いた時のような気分だった。


「あ~~~……、はぁ。行く、か。行こう、うん」


 出鼻をくじかれた気になりながらも立ち上がり、指を唾で濡らして風の方向を調べてみる。


「……試しにやってみたけど、なんも分かんないなこれ」


 もうどっちでもいいや、と半分投げやりになって歩き始めた。


 壁に手をついて、曲がり角があれば気付けるように。


 足はすり足で、再び穴に落ちないように。


 ゆっくりと、しかし着実に。暗闇を独り、歩き出した。


   ●


 地上では、第一次ドール・マキナ避難警報を知らせるサイレンが止んでいた。


 しかしそれは、決して警報が取り消されたことを意味するわけではない。地上を闊歩するパッチワーカーたちが、耳障りなサイレンを鳴らすスピーカーを、あるいは送電線を、手当たり次第に破壊して回った結果だった。


 ドール・マキナが歩く音を除いて、地上はすっかり静かになっていた。


 そしてトラウマを呼び起こすサイレンが消え、向日葵ひまわりはようやく、意識が5年前の日から今日この日に戻ってきて、今この瞬間、全身を恐怖で震えさせていた。


 向日葵は、ドールマキナ恐怖症だ。日常的に目にする小型機に耐えられるようになったのもつい最近のことで、普段は見る機会があるはずもない戦闘用ドール・マキナを耐えられるはずもない。警察署に配備されているような純正機ジェニュイナーでも無理だし、それが犯罪の象徴パッチワーカーであればなおさらだ。


 今、自分がどこにいるのかも分からない。


 シェルターがどこにあるのかも分からない。


 下ろしたばかりの真新しい制服を、小便で汚していることにすらも気付いていない。


 地上を闊歩する鋼鉄の巨人たちに見つからないよう、建物の陰に隠れて、ドール・マキナに聞こえるはずもないのに、カチカチと鳴る歯の音が聞こえないようにと必死で自分の口を塞いでいる。



 すぐ近くで、巨人の足音が聞こえた気がした。



   ●


 やっぱり携帯電話を探すのを優先するべきだったと、聖技は後悔の中にあった。


「……ボク、どれくらい歩いたんだろ」


 時間の感覚は、あっという間になくなった。5分しか歩いていない気もするし、もう1時間以上も歩いている気もする。


 かと言って、今から戻るのも難しい。右手をついて移動しているから、今度は左手をついてきた道を戻れば元いた場所に帰れるはずだ。


 はずなのだが、


「何回曲がったかなんて、もう覚えてないよぉ~」


 断言できる。もし今から戻ったとしても、知らないうちに元の場所を通り過ぎる、と。


 それに、せっかくここまで来たのだから、今さら戻るのもなんだかもったいないという気持ちもあった。


「あー、なんか前、ハカセが言ってた気がする。暗闇に閉じ込める拷問があるって」


 頭の中で考えれば済むことを、わざわざ声に出すようにしていた。ほかに誰か人がいた時に気付いてもらうために。


「そう言えば、ボクが保護されたらご飯ってどうなるんだろ? 軍のレーションは不味いって聞くけど。いや、でも、それはそれで食べられるのは貴重じゃない? 連休で帰った時にでも自慢しちゃろ。あ、でもネッケツのやつは軍高行ったから食べてるかも。……?」


 突然、聖技が立ち止まった。


「アー、アー、アー!」


 今度は後ろを振り向き


「アー、アー、アー!」


 暗闇の中を孤り歩き続けるうちに、ついに気がおかしくなってしまったのだ!!! …………という訳では、ない。


「気のせいじゃないよね。なんか音の、反響? 聞こえ方? が違う。出口かな。あ、地下にいるんだから出口じゃなくて登り口?」


 今までよりも、より慎重に足を進め始めた。少しも進まないうちに壁についていた右手は空を切り、



 ―――ダダダダダダダダンッ!



 音を立て、強力なライトがいくつも灯る。暗闇からの落差で視界が明滅し、けれど地上から落ちた時の反省からその場で立ち止まって視力が回復するのを待つ。


「あーもーなんなの今日はもう!? 神様はボクにムスカごっこでもやらせたいの!?」


 愚痴りながら目を瞬かせ、聖技が目にしたものは、



 ―――9Yより数倍は巨大な、漆黒のドール•マキナだった。



 そして、その姿を認識した聖技の行動は、実に迅速だった。


「ぎょあー!? 待って待って撃たないでー!? 道に迷っただけなんですぅーーー!!?」


 半泣きになって頭を抱えて、その場で亀のように丸まったのだ。


 聖技の叫び声は、格納庫の中に幾度となく反響しながら消えていった。不自然なほどの静寂が戻ってきても、聖技は亀の体勢をとったまま、その身体を恐怖で震えさせていた。


 聖技の脳内データベースが自動で検索を始める。該当する結果が1件見つかる。日付は忘れた。多分1年くらい前だったと思う。場所は忘れた。多分アメリカのどこかの大きな都市の名前だったと思う。ニュースキャスターの当時の声がうろ覚え気味に再生される。



『次のニュースです。?月?日にアメリカの???で発生した新型ドール•マキナ奪取未遂事件について、続報が入りました。事件に巻き込まれた中、犯人に先んじて新型機に搭乗し、機体が奪取されるのを防いだ民間人の少年が、軍事裁判にかけられ処刑されたとのことです。現地に繋がっています。???の前園さーん!』



 似たような事件が、以前に起きているのだ。街がドール•マキナに襲われ、その街で開発されていた新型機が奪われようとした、という事件が。その当時、偶然状況に居合わせていた民間人の少年が新型機に乗り込み、さらにはその少年の活躍でドール・マキナを撃退したことで、日本でも大きく話題になった。まるでアニメやドラマみたいな展開だ、と。


 だが、現実はフィクションではない。街の救世主であった少年を待ち受けていたのは、遅れて到着したアメリカ軍の冷たい銃口だった。このことが知られると、さらに大きな話題となった。


 そしてその状況は、今の聖技とも恐ろしいほどに一致している。


 漆黒の巨大なドール•マキナを見た瞬間に、聖技はその考えに至って、亀の体勢になったのだ。


 もうシェルターとか基地への直通路どころの話では無い。きっとここは日本軍の秘密のドール・マキナ開発施設に違いなかった。

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