第2話 不良少女
不良少女 1
『決まったァーーーーーーッ!!!』
小さなブラウン管テレビを、四人の子供が食い入るように見ていた。
『前代未聞ッ!!! DMMA歴わずか四ヶ月の女子中学生が! 全試合! パーフェクトォオーーー!!!』
テレビの中に映っているのは、卵に手足が生えてランドセルを背負ったような姿のドール・マキナだ。ランドセルが開き、内部のコックピットから出てきたのは、宇宙服にも似たパイロットスーツだった。
『文句なしッ! 採点を待つまでもありません!!』
宇宙服モドキが無造作にヘルメットを外す。長い金髪が風になびく。獰猛な笑みを浮かべた少女の、左耳に一つだけ付けられた金のピアスが光を反射している。
『今年度の全国大会優勝は、
一目惚れだった。
初恋だった。
会いに行こう。
いや、それじゃあだめだ。印象が弱い。きっとすぐに忘れられてしまうだろう。
忘れられないためにはどうすればいい。
簡単だ。
忘れられないためには、忘れられないようになればいい。
だから、
『
会いに行こう。
全国大会で。
星川葵に、会うために。
星川葵の、最大の障害となるために。
星川葵を、この手で倒すために。
星川葵に、自分の存在を刻むために。
小学六年生の夏休み、
人生でただ一度の、初恋のために。
●
いつもより、2時間も早くマンションを出た。
出てきたばかりの太陽が目に眩しい。4月の朝はまだ肌寒くて、聖技はぶるりと体を震わせた。パーカーを取りに一度部屋に戻ろうかと考えて、やっぱりいいやと思い直した。学校が山の中にあるからなのか、少し歩くだけでもこの真新しい制服は割と暖かくなりやすいのだ。
ついでに言えば、洗っていないパーカーを着るわけにもいかなかった。
(……しまった、洗濯機回すの忘れてた)
一人暮らしを始めて約二週間、はやくも聖技のズボラな性格が顔を出していた。今日、いや、明日中には洗濯をしなければならない。さもなくば替えの下着にも困ることになる。
近くからは鳥の鳴き声。遠くからはバイクらしき排気音。日中の賑やかさと比べると実に静かだが、それでも既に人の活動が始まっている音が聞こえてくる。
左腕につけたゴツイ男物の腕時計で時間を確認すれば、デジタル表示の数字は04:58と表示されていた。
東京の朝は早いんだな、と聖技は思う。
聖技の故郷でこの時間に活動しているのは、対して強くもないくせに顧問のやる気だけは全国大会常連校並みにある運動部の朝練だとか、寝るのが早過ぎて起きるのも早過ぎるジジババの朝の散歩だとか、あとは新聞の配達くらいなものだった。町内で唯一の、隣町との町境ギリギリにあるせいで名前に反して全然便利じゃないコンビニエンスストアですら開店するのは七時になってからである。
エントランスを出てすぐの自販機でコーンポタージュを買う。静寂な朝に似つかわしくない落下音は、聖技の予想よりも大きかった。
「うわっちちち」
数度のお手玉の後、制服の上着越しに確保する。
飲みながら、歩き始めた。
向かう先は
足を進める。目的地までの道は一応下調べはしているのだが、自分の足で歩くのは初めてだった。
道中、たまに人とすれ違う。地元で昼間に出歩く時よりも、その頻度は明らかに多い。東京ってすごい。聖技はそう思う。
(……いや、これは逆にボクの田舎の方が悪い意味で凄いのでは……?)
聖技が小学一年生のころは同級生はギリギリ100人程度はいたが、今の小学一年生はその半分程度しかいないと聞いている。このペースで行けば9年後には小学一年生は0人で、18年後にはマイナス50人だ。生徒の数がマイナスになるってどうなるんだろう。定年退職した爺さん婆さんたちが入学するんだろうか。
そんなことを考えながら、建物にも目を向けた。天下の東京と言えども、さすがに全ての店が早朝5時過ぎから開いているわけではないようだ。
コンビニは当然の責務のような顔で開店していた。いや、正確には閉店自体をしていないのだということに遅れて気付く。空になったコーンポタージュの缶をオーバースローで投げ込めば、ゴミ箱の小さな穴にすっぽりド真ん中ストラックアウト。
バターの香ばしい香り、これはきっとパン屋に違いない。ちょっと寄っていこう。いや待て待て違う違う。何のために早起きしたと思ってるんだ。帰りに寄って登校中の電車の中で食べようと心に誓う。
喫茶店は開いていたりしまっていたり。流石にコンビニと違って24時間営業ではないだろう。きっと寝るのが早過ぎて起きるのも早過ぎるジジババがやっているに違いない。
居酒屋っぽい店から顔を赤らめた男たちがふらつきながら出てきた。どう見ても酔っ払いだ。もしかして、東京は朝が早いだけじゃなくて、夜も遅いのではないだろうか。
そして、
「あ」
花屋だった。
色とりどりの花が植えられた大きな植木鉢が、いくつも表に並んでいる。エプロンを付けた金髪男が、追加の植木鉢を店の中から運び出しているところだった。
買っていこう。そう思った。
「すいませーん、もうお店って開いてますかー?」
近付いて、店員の背中に声をかける。
振り返った男の顔を見て、気付いた。
白人だ。肌が白いせいか、そばかすが随分と目立っている。
年格好は、聖技の見立てでは自分と同じくらいだと思う。一週間も白黒合わせた多くの外国人同級生と接してきたのだ。他の世代については正直よく分からないが、同年代かどうか程度は流石に分かる。
そして、
「ヘイラッシャイ!!!」
その第一声に、思わず「なんでやねん」と突っ込みそうになった。朝の清涼な空気に似つかわしくない、豚骨スープの香りが似合いそうな、実に馬鹿でかい声だった。
「……おや? 花山院の生徒なんて珍しい」
そして見た目に反して流暢な日本語だった。最初のラーメン屋みたいな挨拶は一体何だったんだろう。
「駅ならあっちだよ」
「あー、道に迷ってるわけじゃないです。えーっと、なんていうのかな? 交通事故とかの現場にお供えするお花って」
「ああ、献花のこと?」
「あ、はい。たぶんそれ。あります?」
「Of course! 何にする?」
そう言いながら、店員の青年は店の中へと入っていく。後を追い店の中へと入ると、濃厚な花の香りに迎えられる。
「えっと、どういうのがいいんです? そういうのって何にも知らなくて」
「白い花が多いかな。逆に赤は避けた方がいいね。よく知らないけど血を連想させるからじゃないかな。あ、親しい間柄なら生前その人が好きだった花って選び方もあるよ。それならそれなら赤い花でもNo problem」
残念ながら、そこまで親しくなる前だった。どんな花が好きか、なんて
(あ)
「
何も考えずに、ふと思ったことが口から出ていた。
「献花に使われないわけではないけれど―――、」
店員は店の中をぐるりと見渡し、
「Sorry.早めに言ってもらえていたならともかく、急には用意出来ないね」
今は四月の半ばだ。そりゃそうだ。馬鹿なことを聞いたな、と聖技は思った。
「じゃあ、適当に用意してもらっていいですか? 一般的な感じで」
「Okay! 予算はどうする? 何個か種類が……」
その後も店員から二つ三つと質問される。聖技の答えを聞いた店員は、じつに手慣れた様子で花を用意していく。
5分とかからなかった。花って意外と高いんだなと思いながらも、ケチることなく料金を払った。
そして手に入れたばかりの
●
聖技が花屋を去った後、そばかす白人の店員は仕事を再開した。
残りの鉢植えを表に並べていく。
在庫花の水を変え、明らかに今日一日持ちそうにない花は見栄えが悪くなるので取り除いていく。
無心で一通りの作業を行い終え、流石に慣れてきたな、と店員は思う。
(違うか。慣れてきたんじゃなくって、もともとがこうだったんだっけ)
ちょうど一年前、この花屋にはバイトが一人入ってきた。そしてそのバイトは、一週間前から諸事情で休みを取っている。そんな今さらなことに気付き、
「Oh......」
ついでにもう一つ、さらに今さらなことに気付いた。店から表に出て、今日最初の客が去った方向へと目を向ける。
「そうだった、花山院じゃん。さっきの子、アオイに会いに来てたのかも」
当然ながら、聖技の後ろ姿はもう見えなかった。
●
入学式から、ちょうど一週間が経過していた。
この一週間、聖技はどうしても行きたいと、否、どうしても行かなければならない、と考えていた場所があった。
どうしてこれまで行かなかったのかというと簡単な理由で、ずっと立ち入り禁止地域に指定されていたからだ。立ち入り禁止がようやく解除されたのは、ついつい昨夜のことだった。
歩く。
金属、コンクリート、レンガに瓦屋根。様々な種類の破片が、未だいたるところに散乱していた。
さらに、歩く。
地面には大蛇の如く電線が横たわり、電信柱が何本もへし折れていた。
さらに、歩く。
いくつもの建物が倒壊していた。倒壊していない建物に掛けられたブルーシートが目立っている。
さらに、歩く。
地面には、10センチ超の穴が走るように続いていた。
視線を、上げた。
道路の一角には、献花やお菓子の箱、ジュース缶が並べられている。
―――
立ちくらみ。
脳裏に浮かぶのは向日葵の、ほんの数時間一緒にいただけの、そして東京に来て出来た一番最初の友達の、様々な表情だ。
お姉ちゃんとまた一緒に暮らせると言った時の、嬉しそうな笑顔。
予定より早く着き過ぎたと言った時の、ばつの悪い顔。
喫茶店で財布をコインロッカーの中に入れてしまったことに気付いた時の、失敗したなという顔。
そして、避難警報が鳴り響く中の、感情が抜け落ちた時の顔。
ふと思う。果たして自分は、本当に、あの場所に足を踏み入れる資格があるのだろうか、と。
だって、向日葵が死んだのは、自分のせいなのに。
気分はまるでアリバイ作りをしている殺人事件の真犯人だ。自分は悪くないのだと、一人の少女が死んだ責任は、下野聖技には一切存在しないのだと、周りに認識させるための偽装工作活動の真っ最中。
思う。この一週間、この場所に行こうと思っていたのは、単なる現実逃避でしか無かったのではないかと。
だって、あの学園に、向日葵はいないのだ。
自分が向日葵を助けてさえいれば、きっと毎朝一緒に登校して、一緒に勉強して、一緒に昼食を食べて。そんなごくごく普通の平凡な日常を、向日葵は送ることが出来ないのに、自分だけはのうのうと生きて、何食わぬ顔で過ごしているのだ。
だから、思う。献花というのは、人の死を悼むための行為のはずなのだ。なのに、今から自分がしようと思っていた行為は、その神聖さを酷く邪悪に貶める行動なのではないのかと。
「…………」
やっぱり、止めよう。
花は、どうしようか。そばかすの目立つ少年の、カーネーションをラッピングしている時の丁寧な手つきを思い出す。せっかく綺麗に作ってくれたのに、捨てるのはなんだか申し訳なく思う。
(……部屋、戻るかな)
朝早くに出たので、時間は十分に余裕がある。今からマンションに戻って、カーネーションを適当な容器に入れたとしても始業時間には十分に間に合うはずだ。洗濯は帰ってからにしよう。
そして、聖技はその場から立ち去ろうと
「さっせぇ~んインタビュゥいいっすかぁ~? その制服ってぇ~花山院学園のぉ~生徒っすよねぇ~?」
する直前、いつの間にか近付いてきていた軽薄そうな男にマイクを向けられていた。
「あ、え?」
その隣には、体格のいい男が
「亡くなられた方もぉ~花山院の学生らしいっすけどぉ~、お友達だったりぃ~?」
ニタニタと笑いながら、男はインタビューを続けている。
「あの、えっと……」
「お友達が殺されたって聞いてぇ~、どんな気持ちだったりぃ~?」
急になんなんだこの男は、と、聖技はなんだかむかっ腹が立ってきた。どんな気持ちかだって? アンタの顔面を画用紙の代わりにして、血と青タンで気持ちを表現してやろうか。拳を握り締める。まずは顎を打ち抜いて、脳震盪で足腰が立たなくなったところでマウントを取って、後は変形するまでそのいやらしい笑みを浮かべた顔面を殴り続けてやる。そうして聖技が思考を行動に移す1秒前、
「オイ、そんなにどんな気持ちか知りてーんなら、オレが教えてやるよ」
その声が聞こえた直後、男の腰に後ろから腕が回された。
「それはな、」
男の身体が浮かび上がる。
「こういう、」
身体は宙で弧を書きながら推進する。男の身体の代わりに見えてきたのは、足首まで届くほど長い、紺色のプリーツスカートだ。
「気持ちだよ!!!」
そして、聖技は見た。固いアスファルトの上、男がジャーマン・スープレックスを叩き込まれた瞬間を―――!
急に冷静になった聖技は、うん、と、眼前の光景を改めて確認する。
言った。
「……オイオイオイ、死んだわコイツ」
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