不良少女 2
インタビュワーは動かない。いや、よく見ればピクピクと細かく痙攣している。死んだと思っていたが、どうやら一命は取り留めたらしい。
路上ジャーマンスープレックス殺人事件、もとい暴行事件の犯人が身を起こした。
腰ほどまである長い金髪だった。頭の上の方には黒の色が戻ってきている。いわゆるプリン頭というやつだ。
身に纏っているのは金の龍が背中に刺繡された革ジャンに、その下には花山院学園高等部のブレザー。本来であれば色で学年が分かるリボンやネクタイがあるはずなのだが、首元にはそのどちらも付けていない。
一番の特徴は左耳だ。少なくとも、聖技はそこに一番目を奪われた。右耳にはなにもなく、左耳にだけ、金色に光るピアスを三つも刺している。
突如乱入してきた少女は不機嫌そうに顔を歪ませると、インタビュワーへと唾を投げ捨てた。続けて白目を剥いた顔面を蹴り飛ばし、更に踏みつけようと足を上げたところで、
「テメッ! 何してくれとんじゃこのクソア」
カメラマンだ。憤怒で顔を歪ませ、少女へと掴みかかろうとする。
瞬間、動きが止まった。憤怒で歪んだ顔が、今度は痛みを理由に再び歪む。内股になり、カメラを持たない方の手で腹部を抑える。
金的だった。
突撃の勢いは失われ、代わりに膝が地面に着いた。それでもカメラマンの矜持だろう、
次の瞬間、カメラマンは突然、肩の相棒の重みが消えたのを感じた。
見上げる。
プリン頭の女が、般若の如き形相で、カメラを大きく振り上げていた。
ちょっと待って、と言う間もなかった。静かな東京の朝の空の下、まるで交通事故でも起きたかのような音が響く。プラスチックが砕け、中身の部品が散乱する。
「あ゛ぁ゛!? ギャアギャアるっせえんだよダボカスがぁ!! ぶっ殺すぞテメエゴラァ!!!」
少女は意識を失い倒れたカメラマンに向かって罵声を浴びせながら何度も蹴りつけ踏みつける。その光景を見て、フリーズしていた聖技の頭がようやく再起動した。
「あの~、やりすぎじゃない? ですか?」
「ハァ、ハァ……。あ? いーんだよ。この連中さっきからよぉ~、この辺来たヤツにさっきみてーなクソみてーなことやってっからよぉ~、痛い目みねーとわっかんねぇんだよ、馬鹿だから!!」
さらにもう一発、インタビュワーの顔面をサッカーシュートでもするような勢いで蹴り上げた。血と歯が飛び散って道路が汚れる。
「ふぅ……。オメーも災難だったな、馬鹿な連中に絡まれて」
「どっちかというと今の状況の方が災難かなぁ……」
「あ゛ぁ゛?」
ガンを付けられた。
「せっかく助けてやったっつーのに、文句あんのかゴラァ?」
「コレあとで法外な料金を請求されるヤツ?」
「詐欺じゃねえよ!」
ところでこれは余談なのだが、聖技の好みの女のタイプは金髪ヤンキーである。内心ビビるどころか大層にうれしい。チューしていいかな?
いかん、今はそれどころじゃない。聖技は頭を振って肉欲を追い払った。
「ていうかその、ソレ、そのままでいいんです? 救急車とか呼びます?」
「あ? ほっとけ。そのうち別のマスコミ辺りが回収すんだろ」
「えぇ~」
本当にそれでいいんだろうか、と悩む聖技の前で、プリン頭の女は倒れた男をグリグリと踏みつけた。
「人間っつーのは案外頑丈なんだよ。首から下が無事に動く保証はねえがな」
さらには邪悪な笑みを浮かべ、
「んでヨォ~、こいつらが半身不随にでもなったらヨォ~、病院行ってヨォ~、こう言ってやろうぜぇ~。『今ぁ~、ど~んな気分ですかぁ~?』ってヨォ~」
「ひ、酷過ぎる……」
「ま、」
無造作に、もう一発蹴った。
「んなトコで話すのもなんだな。行こうぜ」
そう言うと、女は聖技の腕を掴んで歩き出した。
「え、行くってドコに!? レディースのアジト!?」
「なんでだよ。すぐそこだよ。だいたい聖技も用があってここに来たんじゃねえのかよ」
「あれ? ボク名前言ったっけ? あ、ひょっとして学園で聞いた?」
「いんや、この一週間登校してねえからな。けどテメーのことはよーっく知ってる。なぁ、”ザ・フィーバー”の、”ジ・インビンジブル”さんよ?」
ザ・フィーバーというのは、聖技が中学の時に所属していたドール・マキナ・マーシャルアーツのチーム名だ。
そしてジ・インビンジブル。聖技が中学一年生の時に全国大会に出場した結果、その戦歴からマスコミが付けたのが、この二つ名だった。
新人戦から始まり、夏の全国大会ベスト8で敗退するまでの戦績、61戦60勝1敗。その61戦すべての試合において、下野聖技は敗北した試合を含めて、ただの一度も被弾しないという異常な偉業を成し遂げたのである。
ゆえにジ・インビンジブル。攻撃が当たらない無敵の怪物。
まぁ実際のところは不正じゃないのかズルじゃないのか不具合じゃないのかバグじゃないのかと物凄くグダグダとした調査や検証が行われたので、聖技本人はあまり気に入った二つ名ではなかったりするのだが。
それにしても、
(……何でこの人、そんなことまで知ってるんだろう)
聖技がそう考えたのは、DMMAはその知名度と比べると、決して人気がある競技ではないことを知っているからだ。地元では悪ガキとして名をはせていたとしても、世間一般的には有名人でもなんでもない。
おかげで青梅の街を素顔で出歩いてもDMMAの下野聖技ではないかと疑われることは無かったし、せっかくネッケツと一緒に考えたサインを書く機会も来なかった。残念だ。一週間くらいかけたのに。
だから逆に、こう考えることが出来る。聖技のチーム名や二つ名まで知っているということは、このプリン頭のヤンキー女は、自分と同じDMMAの選手だったのではないだろうか、と。
(だけどなー)
一般的なスポーツと違い、DMMAは選手の顔を見る機会が少ない。たとえ対戦相手だったとしても顔を知らない、なんてことはざらにあるのだ。表彰式なんてものもない。電光掲示板に名前と得点が書かれるだけで終わりである。
『―――決まったァーーーーーーッ!!!』
ふと、4年前の記憶を思い出した。
もうずっと昔のことのようにも思えるし、昨日のことだったようにも思えてくる。
小学六年生の夏休みだった。大人たちはビールを手にリビングにある当時の聖技の身長より横幅がある馬鹿みたいに巨大なテレビで甲子園野球を見るのに夢中で、聖技たち4人は甲子園野球の裏番組であるDMMA全国大会を、メカマンの部屋にある小さなテレビで食い入るように見ていたのだ。
『―――今年度の全国大会優勝は』
コックピットから出てきて、暑苦しいヘルメットを取り外した優勝者の顔を、左耳に金色のピアスが一つ光っていたのを、聖技は今でも覚えている。
『―――
掴まれた腕を、思わず弾いた。
「豪流伝怒音の、」
プルプルと先端を振るえさせながらも、ゆっくりと目の前の顔を指差して、
「星川葵ィイ!?」
「んだよ、今更気付いたのかよ」
ニンマリと笑う葵を、啞然とした表情で聖技は見つめる。
だって、仕方が無いじゃないか。誰に言い訳するでもなく、聖技は心の中でそう独り言ちる。
2年前の記憶よりも、ずっと大人びていた。たぶん化粧もしている。
以前は、頭の天辺まで一部の隙も無く金髪に染めていた。しばらく染め直していないのだろう、今は随分と黒の自毛が復活してきている。
当時と変わっていないのは、左耳にだけ付けられた、三つの金のピアスだけ。3年連続優勝を記念したインタビューで読んだことがある。あのピアスは、勝利の願掛けにと毎年一つずつ増やしていたのだと。
思考が混乱する中、辛うじて脳が疑問を出力する。
「なんで!? 軍の学校は!?」
「軍の? あ、ボーコー? あそこもう軍施設じゃなくなってんぞタテマエ上は。つかよ、その疑問はテメーもだろ」
「はい?」
「だからよ、テメーが花山院にいるんだからよ、オレも同じトコに入ってるって思わなかったかよ?」
考えたことも無かった。無言で首を横に振ると、葵は「寂しいなぁ~」と言いながら腕を伸ばし、肩を組んできた。
至近距離。
「オレぁよ、聖技もきっと来ると思ってたぜぇ?」
ぶわりと背筋が震える。腰が砕けるかと思った。というかちょっと力が抜けてもたれかかった。葵は意に介さず再び歩き出し、聖技はそのままなんとか付いて行く。
こりゃいかん、と聖技は思う。ひょっとして自分は同性愛者なのではないかと疑っているのだが、それを外に知られるわけにはいかないからだ。
だって、オカマやオナベなんてものは、普通は許されるものではないのだから。そういった存在が許されるのは、劇場版クレヨンしんちゃんで出てくる敵キャラとか、テレビに出てくるそういう芸風の芸人くらいなものなのだ。
だから、封じることに決めたのだ。決して叶わぬのだからと。普段であれば、何事もやってみなければ分からないのだからと一先ず挑戦してみる聖技が、ただ一つだけ、挑む前から諦めた。
人生でただ一度の、初恋だったのに。
それはそれとして今の状況は役得なので素直に愉しもうと思う。うへへ良い匂いがする。昔見たパイロットスーツでは分からなかったがものすごくスレンダーだ。というかスレンダーを通り越して、
「薄っ!? つーか固っ!? なにこれ皮と骨!? アオイ先輩ちゃんとご飯食べてます!?」
「食ってるって。昨日、は、えーっと……一昨日は食パン一枚食ったし」
「それ食べた内に入りませんって! ていうか昨日は!? ひょっとして何も食べてないんですか!?」
「うっせーな忙しかったんだよ。2、3日食わなくても死にゃあ死ねぇよ」
「いや死にますって!!」
空腹のままでいるなど信じられなかった。聖技は三食しっかり食べるし朝からご飯も2回はお代わりしなければ途中で空腹で動けなくなると言うのに。ちなみに今日は朝が早かったので念のために4回お代わりした。
「ていうかご飯食べる暇もないって何してたんですか。それにこんなところで会えるなんてすっごい偶然ですね。この近くに住んでるんです?」
「そーそーすぐ近く。昨日はまぁ、片付けやら手続きやらやっててなぁ」
「片付け? 手続き? こんな朝早くだし何か用事とかあるんじゃ?」
「あぁ、それぁ……」
葵の言葉が止まった。聖技が手に持ったままだった、真新しい花束に視線を落とす。
「ま、見りゃ分かんよ」
そう言うと、角を曲がった。
視線の先には、花があった。お菓子の箱があった。缶ジュースがあった。それらをじっと見て、聖技の方を見ることなく、葵は言った。
「―――ここで、妹が死んだんだ」
きぃんと、耳鳴りがした。
最初、その言葉の意味を、聖技は理解できなかった。
記憶がフラッシュバックする。逃げるブレザーの背中。迫る銃撃。胴体から分断されて道路を転がる二つの肉塊。喉に残る痛みと、ツンとした胃酸の臭い。
姉がいる、と
葵が今、どんな表情をしているのか。分からない。見たくない。怖い。
浮ついた心が、急速に冷えて固まっていく。
聖技は、我が身可愛さに向日葵を見殺しにした張本人だ。
本当は、戦うことになんの問題もなかったのに。あの時、すぐにでも出撃するべきだったのに。
向日葵が殺されてから戦う覚悟を決めたって、何の意味もなかったのに。
息が荒い。視界が酷く狭く見える。
聖技は気付かない。葵が聖技に視線を向けて、手に持つ花を供えるのを待っていることに。酷く顔色が悪くなった聖技を見て、心配する声をかけていることに。
なんて声を掛けたらいいのか分からない。どんな表情をすればいいのか分からない。
だって、葵の目の前にいるのは、向日葵を死なせてしまった張本人だというのに。
頬を掴まれ、まるでこれからキスでもするかのような至近距離にある葵の顔を見て、気付いた。
目の下に、クマがある。
葵の化粧は、このクマを隠すためのものだ。
その理由が分かった瞬間、聖技の心は限界を迎えた。
電源でも引っこ抜いたかのように、意識を失った。
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