不良少女 3
急速に意識が浮上する。目覚めのトリガーとなったのは嗅覚だ。女の子特有の、柔らかくて良い香りがする。
嗅覚の次に働いたのは聴覚だった。カチコチと鳴る時計の音。もうすっかり活動が始まっている街の音。
目を、開けた。
至近距離に、葵の顔があった。
「どわっ、お……!?」
飛び起きた。そのまま尻を滑らせ後退し、突然の浮遊感が尻を襲う。視界は眠る葵から壁へと移る。壁から天井へと移る。
「あいっ、だぁ!?」
そして、後頭部を床にぶつけた。
「ッ~~~!」
その体勢のまま、頭を両手で挟みこむ。歯を食いしばり痛みをこらえる。
痛みが治まり目を開ければ、見覚えのない天井だった。
「あ~、え~、……なにこの状況」
両足がベッドに乗った状態のまま、肘を付いて体を起こす。制服のスカートがひっくり返っているが、中には短パンを履いているから問題ない。両足の先、一人用にしては大き過ぎるベッドの上には、革ジャンだけは脱いだ制服姿の葵が、いまだにスヤスヤと寝息を立てている。
肘から力を抜いて、床に背中を付けた。室内を見渡す。金の龍が背中に刺繡された革ジャン。大量に並ぶ多種多様なぬいぐるみ。窓棚に置かれた観葉植物。
「アオイ先輩の、家?」
そうとしか思えなかった。
(密室に、女と女。何も起きないはずもなく……)
いや何も起きねーわ、と聖技は首を振って馬鹿な考えを振り払った。鉄の仮面を被るのだ、と自分に言い聞かせる。この気持ちは、誰にも知られてはならない。特に葵本人には。気持ち悪がられて避けられるくらいなら、ずっと隠し通した方がはるかにマシだ。
「すぅー、ふぅー、よし」
深呼吸をして落ち着いて、
(アオイ先輩の部屋、いい匂いだなぁ)
全然落ち着いていなかった。心臓がバックンバックン鳴り始めた。
(ぐぉおおおおおおボクは何を考えているんだぁあああああ! アオイ先輩は向日葵ちゃんを喪ったばっかりだっていうのにぃいいいいい!!)
自己嫌悪を介して、無理矢理に自分に言い聞かせることにする。そうだ、いい匂いだって思うからいけないんだ。落ち着く匂いだって思えばいいんだ。
「すぅー、はぁー、すぅー、はぁー、すごくおちついた」
落ち着いたところであらためて、どうしようかと再び身を起こした。
ひっくり返ったスカートの中身。
眠ったままの葵。
そう言えば、とその光景を見た聖技は思う。
花山院学園の女子生徒は、スカートの中に短パンとか履かない。
誰かに直接聞いてみたわけではない。が、たぶん間違いない。体育の着替えの時もそうだったし、同性だからガードが緩いのか、たまに聖技はスカートの中を目にする機会があったからだ。見間違えたか履き忘れたのだろう。最初はそう思ったのだが、観察するうちに、どうやらそうではないのではないかと気付いた。
なかなか考えられないことだった。聖技の通っていた中学校では、スカートの下は誰しもが短パンかジャージという強化パーツで装甲を増やしていたというのに。
(たまにエグいの履いてる子いるよね。露出癖?)
立ち上がった。眠ったままの葵の姿を確認する。上半身の方はリボンを付けてないことを除けば普通だが、おそらく改造したであろうスカートは、膝を余裕で通り越して足首の辺りまでの長さがある。
ふと思う。星川葵はスカートの下に短パンを履いているのだろうか、と。
葵は聖技と同じ庶民の生まれのはずだ。花山院学園に通う上流階級の生徒たちとは違う。だからスカートの下には短パンを履いているようにも思うし、逆に一年も通っていたのだから、もうすっかり学園の風習に染まってしまっていて、はしたなくもパンツ一枚という可能性もあるように思う。
そう思ってからは早かった。ベッドの下側に移動する。抜き足差し足忍び足、疾風迅雷だね、と静かに指を伸ばしスカートを摘まむ。
手を、上へと上げていく。
白いソックス。脛の半ば程の長さで、花山院学園の学章がワンポイントで入っている。
さらに、腕を伸ばす。
膝が見える。膝の裏が見える。
さらに、腕が伸びる。ついでに鼻の下も伸びる。
太ももがその姿を現し、ゆっくりと、ゆっくりと、その面積を広げ、
「何してんだ?」
「うわぁっ!!!」
スカートの中身を覗き見るのに夢中になっている間に、葵が目を覚ましていた。スカートから指を離し飛び跳ねてシェーのポーズになった。
「えっと、これはね、違うんですよ」
どう考えても弁護不可能であった。が、焦る聖技は身振り手振りと共に頭の中で作ったクソを口から垂れ流す。
ほらうちの女子ってスカートの下に何も履かないじゃないですかいやノーパンって意味じゃなくって短パンとか履いてないって意味でちゃんとパンツは履いてるんですけどねまー中にはこれ履いて無くねってくらいキワドイの履いてる子もいるんですけどねいや今はそれはどうでもよくてそれでアオイ先輩が上流階級に染まってしまってパンツ履いてない
ここで聖技は自分で自分の頬を張った。快音が鳴り、突然の聖技の行動に葵が体を一瞬震わせる。
短パン! 短パン履いてないんじゃないかって気になってですねちょっと魔が差したわけなんですよえへへごめんなさい
「…………まぁ、履いてっからいーんだけどよ」
あぐらをかいた葵は、無造作にスケバンスカートを持ち上げる。言葉の通り短パンを履いていた。
短パンを履いていたからセーフ。聖技はそう思った。
「お前もういいのか?」
「え、何がです?」
「いやだって急に倒れたし。マジ焦ったぜ。……いや、やっぱ今からでも救急車呼ぶか」
そう言うと、葵はベッド側に置かれた電話の子機へと伸ばす。
「あーいや、たぶん大丈夫です、ダイジョウブ」
「……そうかぁ? つか今何時だ?」
葵はあくびを噛み殺しながら壁掛け時計に目を向け、聖技は自分の腕時計を確認した。9時を半分ほど過ぎていた。ちなみに花山院学園高等部の始業時間は午前9時である。
「あー、カンッペキ遅刻ですねー」
「だなぁ」
高等部のスケジュールは午前中に3コマと午後に1コマ、計4コマの必修科目があり、それさえ終われば事実上の自由時間、つまり放課後だ。
そして青梅駅から学園までは、諸々含めて2時間弱。今から向かったところで、到着する頃には3コマ目の真っ最中だ。すぐに昼休みを迎え、後は授業を一つ受けたら本日の授業は全て終了である。
当然、こう思う。
「サボりません?」
「あー……いや、オレぁ行かねえとダメだわ」
「そうなんです?」
「色々と手続きがなぁ。そろそろツラ出さねえとヤベェし」
「あ……」
その言葉で、聖技はようやく気付いた。
「聖技、オメーどうするよ? まだチョーシわりぃんならこのまま寝とくか?」
「あ、いえ、大丈夫です。一緒に行きます」
「そっか。まーガクビョーで診てもらった方が確実か。寝かせといてなんかあった方が怖えし。あ、そうだ、知ってっか? 学園の敷地ン中によ、バカみてーにデッケー病院があんだよ。特待生なら診察も薬も全部タダだからよ、念のため病院行っとけよ」
「えー? 大丈夫ですよー?」
「素人判断すんなって。それが一番コエーんだからよ。それともいい年して病院嫌いかぁ?」
「いやー嫌いじゃあないんですけどー。だいたいボクんちだって病院ですしぃ」
葵と聖技はベッドから降り、出かける準備を整えていく。そうしながら聖技はこう思う。たぶん勝手に病院に行ったりでもしたら、あの金髪ツインテール爆乳美女風グラマラス中等部一年生が、「なんでプラムに診せてくれなかったのよー!?」と烈火のごとく怒り出すに違いない、と。
二人して寝室を出る。葵の後ろを追って廊下を歩く。開いたままになっているドアから別の部屋が目に入り、
「あ」
「ん?」
「あの、少し、時間貰ってもいいですか?」
「あー、トイレなら玄関前な」
「いえ、そうじゃなくって」
ブルリと身体が一瞬震えた。
「……スイマセン、やっぱり後でお借りします。今はそうじゃなくって」
足を戻し、先ほど中を見た部屋の手前まで戻る。それを見て、葵も「あぁ……」と納得の声を上げる。
「お線香、あげてもいいですか?」
遺影の向日葵は、花山院学園のとは、違う制服を着ていた。
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