悪を滅ぼす者 20


「うぅ……お尻に穴が開いた……」


「元から空いてるでしょ尻に穴は」


 突然の悲鳴に、一騒動も二騒動もあった。


 最終的にトイレから無事に救出された聖技の嘆きに、石川は呆れた声でそう返す。


 麒麟は聖技の背中をバンバンと叩きながらカラカラと笑い「気持ちは分かるぞ下野! 私も初めて食らった時は驚いたものだ! まぁ今ではすっかり癖になってしまったがな!」と慰めている。ちなみに水流が最強になっていたのはこの女が原因である。


「シュン、それセクハラじゃない?」


「やかましいよ。事実を言っただけでセクハラになるか」


 くぐもったボマーズの誰かの声。下段のオペレーター席から出てきて、今は聖技達と同じ階にいた。ボマーズの声が不明瞭な理由は簡単だ。4人全員が、顔にガスマスクをしているからだ。服装は全員同じツナギ服で、髪も全員同じくらいの長さの金髪だった。


 ちなみにガスマスクをしたツナギ女がトイレの扉を蹴り破って侵入してきたので、聖技はその時にも悲鳴を上げることになった。出し切ったはずのオシッコがまた漏れた。軽くどころかガチめにホラーだった。しばらくオムツ無しでホラー映画は見れないと思う。


「あのー、、外さないんです?」


「あー、このガスマスク? 外せないんだなぁーこれが。ウチらボマーズ全員訳アリってやつでさー、素性を隠さなきゃーならないのよ。それがたーとえ地下基地アガルタでもさー」


「地下ですので、有毒ガス発生に対する万一の備えという側面もあります。それと、わたくしたちを呼ぶときは個人の区別は不要です。顔を隠している意味が無くなりますので。まとめてボマーズとお呼びください」


「別にー、イギイギのウンコが臭そうだからー、付けてるってわけじゃーないよー」


「ウンコは、してないです……! あ、あとイギイギは止めてください」


「じゃあセイセイにすっかー」


「それなら、まぁ」


 なんだか、ひどく既視感のあるやり取りをした気がする。


「えーと、あのキツネのお面の人も、ボマーズさんなんです?」


「いや、リセちゃんは違う。……失語症と対人恐怖症でね。顔を隠していれば人前には出れるから、ああして仮面を付けているのさ。アガルタの炊事担当でもあるから、何か食べたい時はあの子に声を掛けるといいよ」


「リセちーのはご飯もお菓子も絶品だよ。私ら顔隠さなきゃだから一緒には食べれないけどさ」


「はぁ、分かりました……」


「さて」


 パンパンと、石川が両手を叩きながら注目を集めた。


「何度か中断しちゃったけど、そろそろ締めよう。ああ、そうだ。下野さん、あと一つ、伝え忘れていたことがあったんだった」


「あ、はい。なんですか?」


 もう腹は決まっているのだ。何が来ようとどんとこいだ。


「昨日の戦闘で、」


「おおっとちょっと待ったイッシー! そこから先は我々ボマーズにお任せあれ!」


「は?」


 突然だった。石川の言葉を途中でさえぎったボマーズは、4人ともコンソールへと跳ぶように移動する。というか足からジェット推進みたいなものを噴き出しながら実際に飛んでいた。


「チェエエンジお宝鑑定モード! スイッチオン!!!」


「は?」


 何それ知らないんだけど、という石川を余所に、四つん這いルインキャンサーが表示されているモニターの上に並んでいる複数のモニターが連動して、一枚の細長いインターフェースを表示する。インターフェースには数字のゼロが大量に並んでいて、そこから数字がすごい勢いで回転しながら切り替わる。一! 十! 百! 千! 万! とどこかの鑑定団のような音と共に右端から数字が並んでいく。


「……あの、なんです、これ?」


「……僕が知るわけないだろう」


 心の底から疲れたような石川の声だった。その目に聖技は見覚えがあった。地元で聖技たち悪ガキ四人組が悪さをした時の、またお前らかと言わんばかりの教師たちの目にそっくりだった。


 最終的に表示された数字はとんでもない値で、聖技は指折り数えていく。


「ええと、いち、じゅう、ひゃく、せん、……万の次って億で合ってましたっけ?」


「そうだね。ちなみに億の次は兆だよ」


 で、なにこれ? 聖技のその疑問に、ボマーズがすぐに答えてくれた。



「昨日聖技ちゃんが戦ったことで発生した、だよーん!!」



「……………………は?」


 もう一度指を折りながら、1の桁から数えていく。10桁を超えて、両の指を折るだけでは足りなくなった。一度折った指を今度は伸ばしていく。


 目ん玉が飛び出るような額だった。


 ギ、ギ、ギ、と、油が切れたブリキ人形みたいな動きで、聖技は石川を見た。石川は聖技から目を逸らし、


「……こういうのは、普通は税金とかでまかなわれるんだけどね。ただ、一般人が無断で軍用機に乗り込んで勝手に戦った、ってことが公になると、ちょっと、いや、うん、ものすご~く、大変なことになるだろうね。君も、僕も」


 開いた口が塞がらない。パクパクと、まるで餌をねだる鯉みたいに、言葉が喉から出てこない。


「安心していいよ。シナリオは用意しているから。『下野聖技がルインキャンサーを操縦できることが偶発的に判明。調査実験中に東京都同時多発テロが発生。緊急事態につきアストラが出撃を許可した』という内容だ。ルインドライブを解析できるとなれば、多少のあらは誤魔化せる」


 石川はボリボリと苛立たし気に頭を掻く。辺りにフケが盛大に飛び散る。


「もっとも、君が協力してくれるなら、という前提になるけれど」


 石川は煙草の箱を手に取ったが、中身は既に空だった。ぐしゃりと握りつぶして机の上に放り投げ、椅子に深く座って、ものすごく疲れがこもった溜め息をついた。


 死んだ魚のような目だった。聖技とは目を合わせなかった。虚空を見つめたまま、絞り出すような声でこう言った。


「……アストラに入隊して、ルインキャンサーの解析に協力してもらいたい」


 笑い声が上がる。それが自分が出しているのだと聖技は遅れて気付く。本当にどうしようもなくなった時、人間って笑うんだな、と聖技は思う。


 覚悟なんて何の意味も無かった。最初から、選択肢は一つしか残されていなかったのだ。



 高校生とドール・マキナ部隊の隊員、下野聖技の二重生活は、こうして幕を開けた。





 ――――――第1話   悪を滅ぼす者ルインキャンサー   -完-


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