悪を滅ぼす者 9



 ―――目があったと、そう思った。



 恐怖で体が突き動かされる。


 隠れていた建物の影から飛び出して、がむしゃらになって走り出す。


 足音が、迫って来る気がする。恐怖でとても後ろを振り返る気になれない。


 足音が激しくなる。急に数が増えた気がする。もうすぐ後ろにいる気がする。



 そして、向日葵は、身体が軽くなったと感じた。



 飛ぶ。飛んでいる。くるくると身体が回りながら、両手はまるで飛行機のローター羽根だ。


 体が熱いと、そう思った。


 お腹が冷たいと、そう感じた。


 地面にぶつかる。ゴロゴロと転がりまわるが痛みは感じない。痛みよりも体の熱さの方が上回っている。お腹の冷たさの方が上回っている。


(お姉、ちゃん……)


 空を見上げた姿勢で、まぶたを動かすだけの力も出ない。


 会いたいな、と思いながら、向日葵は、息絶えた。



 ―――そして、その一部始終を、聖技は見ていた。


 脳の処理が追いついていない。


 ドクリと心臓がひときわ強くなる。青くなった頭に再び血が巡る。


 あれはきっと、よく似た服を着た、よく似た誰かであるはずだ。きっと、そうに違いない。


 再起動した脳が導き出したのは、そんな答えだった。


 巨大な銃痕が道路を舐め走り、アスファルト片を撒き散らしながら、向日葵の胴体を吹き飛ばしたなんて、そんなことがあるはずが、



 ―――目があったと、そう思った。



「うぷっ」


 ―――今日からまた、おねえちゃんと一緒に暮らせるの!


 ―――この制服? うん、おねえちゃんに早く見せたくって。えへへっ、向こうで着替えてから来ちゃったんだ。


「う゛ぉ、うえええええっ!!!」


 気付けば、胃の中のものを吐き出していた。


 疑うまでもない。その目で見たものこそが真実だ。


 向日葵は、死んだのだ。


 思う。


 もし、すぐに発進していたら、向日葵は死ななくてすんだんじゃないのか。


 思う。


 もし、我が身可愛さに立ち止まらなければ、向日葵は死ななくてすんだんじゃないのか。


 思う。


 もし携帯電話を探したりしていなければ。もし地下に落ちていなければ。もし好奇心で暴れるドール・マキナの姿を見ようと振り返っていなければ。


 もし。もし。もし。もし。もし。いくつものIFもしもが頭の中を駆けめぐり、その全てが同じ結論に帰結する。



 ―――向日葵が死んだのは、自分のせいだ。



 責任を、取ろう。


 勝手に動かしたら死刑になる、という可能性が頭から飛んだわけではない。ただ、そんなことはもはやどうでもいいことだった。


 友達を、殺されたのだ。


 なら、命を懸けてでも仇を討つのは、当たり前のことなのだ。


 顔を上げて、呼吸を整える。


 目元を擦り、涙を拭う。


 てのひらに付いたゲロを服で拭うと、無意識に自嘲するような笑みが浮かぶ。


「……お父さん、お母さん。死刑になったらゴメン」


 HOTAS型操縦桿。触るな危険と自ら戒めた左右二本のそれに、聖技は手を伸ばす。


 掴む寸前、戦術情報表示器TIDに表示されていた文字が消え、新たな文字に変わる。


 ―――Let’s Fight.

 ―――Let’s Fight.

 ―――Let’s Fight.

 ―――I am 


 そこまで表示されたあと、文末でカーソルが明滅している。


 そして、聖技が操縦桿を握りしめた瞬間に、その一文は表示された。



 ―――I am RuinCancer.



   ●


 周辺を警戒していたパッチワーカー乗りの男は、仲間の1人が地面に向かってライフルを発砲したのに気付いた。きっと逃げ遅れたやつでも見つけたのだろう。昔のことを思い出す。ガキの頃から蟻を踏み潰すのが好きな奴だった、と。


 高価な実弾で無駄ダマを撃つな、と言いたくなったが、タマ代はアイツ持ちだし、ジャミングのせいで通信も繋がらない。おかげで火事場泥棒中の仲間とも連絡が取れない。耳障りなサイレンは手分けして潰したが、外部音声で難癖を付けるのも面倒くさい。


 突然、モニターから甲高い音が鳴った。至近距離から急激な熱源反応を探知。男は機体ごと振り向かせて反応が出た方を確認する。が、メインモニターに映っているのは、一軒の廃墟だけだ。


 壁や天井が崩れている。家具の一つも残っていない。の空間が、約8メートルの高さにあるメインカメラ越しに見えていた。かろうじて残っている門には、男には読めない日本語で、『野亜研究所』の表札がある。


 どこからどう見ても、熱源探知機が反応するような物があるはずがない。


 オンボロめ。機器の不具合だと考えた男は、すぐに目を離した。背を向けて、先ほどと同じように、周辺の警戒にあたった。


 そう。目を、離してしまった。


 瞬間、廃墟の地下から細い光が幾度となく走った。赤と黒で構成されたその光は、上下左右に振られながら、廃墟の基礎部に切れ目を入れていく。そして、男がその異常に気付くより先に―――



「ル、イ、ン、キャンッサァアアアアーーー!!!」



 地面を砕き廃墟を砕き、聖技が操る漆黒のドール・マキナ―――ルインキャンサーが、地下から姿を現した。


 空高く飛び上がる。眼下には3機のパッチワーカー。敵味方識別装置IFFは当然ながら未登録で、メインモニターに表示されたマーキングは全てオレンジ識別不明だ。だが、


「全員、敵だっ!!」


 聖技がそう叫ぶと、なんの操作も無しにマーキングが勝手にレッド敵判定に変わった。


 跳躍の勢いが失われる。自由落下が始まる。モニターの一つが耳障りなアラートを鳴らす。浮力発生器フライハイトを使って落下速度を軽減しろと警告してくる。だが聖技はアラートも警告表示もすべて無視し、


「おおおおおりゃああああ!」


 そのまま一番近くにいた機体に、飛び蹴りを放った。全長30メートルの機体が、8メートルしかない機体に向かって。


 蹴り飛ばされた敵は各部を脱落させながら転がっていく。建物や電信柱を巻き込みながらも勢いは止まることなく、最後には大きく空に跳ね上がり、折りよくそのタイミングで爆発した。


「まず一つっ! 次ィ!」


 聖技は二機目、次に近い敵機のいる方へと自機を振り向かせると、


「ルイン・ビームッ!」


 目から放ったビームが空を横薙ぎし、接近飛来するドールマキナ誘導ミサイルを撃ち落とす。空に黒煙が広がり、その下に隠れながらADMGミサイルを発射したパッチワーカーが接近してくる。


 煙の隙間から、ライフルの銃口をこちらに向けたのが見えた。聖技はほとんど反射的に回避しようとして、


「うっ!?」


 避けることは、出来る。けれども、避けるわけにはいかなかった。


 足元。


 別に、誰か人がいたわけではない。ルインキャンサーの足は道路に着地していたが、片方だけで道路の横幅を余裕で越えていて、建物の一部を踏み砕いている。


(やっぱりコイツ、街中ここで戦うにはデカ過ぎる……!)


 回避を中断して防御姿勢に。ルインキャンサーは無手だ。防御のための盾すらなく、けれどもこの体躯であれば9Y程度の実弾なら装甲の分厚さで防げるだろう。ビームの場合は対ビームコーティングABCが弾いてくれるはずだ。


 引き金が引かれる。ライフルから放たれたのは、赤と黒の入り混じった禍々しい光の軌跡―――ビームだ。


 ビームの閃光は、聖技の狙い通りに腕に命中した。予定と違ったのはその瞬間だった。着弾部分を中心に、装甲表面に黄色い波紋を発生させながら、着弾したビームを弾いたのだ。弾かれたビームは白く変色し、粒子状になって空中に消えていった。


「ん!? 今の何!?」


 それは、聖技の知らない現象だった。

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