第15話 西の大聖石へ向かい発つ
早急に侯爵家に書簡を出さねば、こちらの都合が通らなくなる。クリフトンさんはそう言って、話が終わるとすぐに帰ってしまった。ちなみにどこに帰るのか私はいまだに知らない。そろそろ彼のことも怪しんだほうがいいのだろうか。
「そもそもクリフトンさんって、どこでなにしている人だろう」
「嫌な気配はしないぞ、腹が黒いか白いかは知らぬがな」
「うぎゃ!」
クリフトンさんは帰ったはずなのに突然そう聞こえ、変な叫び声が出た。
恐る恐る振り返ると、作業台下の棚に置いていたユズトくんぬいが出てきて、そこに立っていた。そこまで長くない足を踏ん張り、厳しい目で私を見据えている。
「びっくりした。もうユズトくんったら、黙る時も話し出すときも突然なんだから」
「水のところに行くであろう。あれは気難しいぞ」
「ユズトくん、知っているの?」
西の大聖石をユズトくんが知っているとは思わなかった。というかその話を早く聞きたかったのに。思わずぬいをぎゅうと掴み、振ってしまう。
「でもユズトくんにまで気難しいって言われるその大聖石、どれだけ捻くれ者なのよ」
「ハルカお主、我の扱いをもう少し」
そう言うと、ユズトくんは掴んだ手の中でくたりとしてしまった。流石に握りすぎたし振りすぎた。慌ててユズトくんを置いて様子を見ると、ぬいの目はぐるぐると渦巻きを描いてしまっている。申し訳ないが、これもかわいい。
「ごめんね、ユズトくん」
「よいか、すぐに癒せずとも、奴の水を恐れてやるな」
フラフラと足をよろけさせながらも、そう助言してくれた。他にも西の大聖石についての話が聞きたくて、私はユズトくんぬいを座らせてみたりフラフラ動く頭を支えてみたりしたが、たいした効果はなく目を回している。
やっと訪れたまともに話を聞き出せそうな機会だったのに、結局しばらく目を回していたユズトくんからは大した話は聞けなかった。
「水を恐れるなっていってもなあ、どのくらいの水だろう」
クリフトンさんからもう少し詳しく聞くんだった。そう思っても今更である。
ユズトくんから話を聞くことも重要だったのだが、明日出発するとなると、必要なものの買い出しなど準備はしなくてはならない。私はユズトくんのことは一旦諦め、商店街へ出かけることにした。
「日帰りだから、そんなに大袈裟な準備は必要ないわよね」
それでも携帯食になりそうなものなど、最低限持って行きたいものはある。
「服も新調したかったけど、お財布事情を考えると無理よね」
異世界といえば冒険者のような者がいるイメージがあったが、この世界にはそこまで冒険者らしき旅人はいない。野獣や魔獣もいないわけではないが、そこまで多くはない。それでもそれらしき服装は手に入れられる。ただ財布と相談すると私には難しかった。
携帯に向きそうな焼き菓子を買い求め、それを抱えて工房に帰る時だった。商店街の一角に見覚えのある青灰色の髪が見えた。
「あれ? シェリオさん」
騎士服を着て立っているのは、間違いなくシェリオさんだ。買い物の途中なのだろうか、なにかをじっと吟味しているようにも見える。
こういう時に声をかけるかどうか非常に迷う。見つかるリスクを増やさないためには、そっと通り過ぎるべきだろうけれど、挨拶くらいはいいじゃないかとも思える。
なにを見ているのかな。そっと伺ったところで、私は慌てて伸ばしていた首を引っ込めた。シェリオさんは何かのお守りのような飾りを手にしている。
手にしていた飾りは、もしかしなくても見覚えがあった。この国に来たばかりの時に私が売り払った黒髪が編み込まれた飾りである。クリフトンさんに私が見つけられてしまった原因にもなったアレだ。
クリフトンさんも手に入れていたくらいだから、いくつか流通してしまっているのだろうが、よりによってシェリオさんに見つかるとは。
「どうしよう、今は流石に挨拶したらバレるかな」
仮にシェリオさんがあの飾りを持っていても、その髪と金の髪に偽装している私と結びつけられるとは限らない。しかし今の私は、平常を装って会話をする自信がない。
「やっぱり今日はそっと離れよう、かな」
ぼそりと呟き、今日は少し迂回して帰るしかない。そう決めて踏み出した瞬間だった。
シェリオさんがぐっと飾りを持った手を握りしめ、反対の手を勢いよく壁に打ち付けた。そこまで大きな音ではないが、ダンッというはっきりとした打撃音が私の所にまでビリビリと届いたような気がした。ちらりと見えたその表情は、驚くくらい険しかった。
「ひっ!」
出そうな悲鳴を必死に飲み込み、私は息を潜めてそのまま早歩きでその場を離れた。
まずい、非常にまずい。私が騎士から手配されているとわかってはいたが、シェリオさんがあんなふうに衝動的になるほど、ことが大きくなっているとは思わなかった。バレて騎士に捕まってしまったらどうなるのだろうか。
「どうしてこうなっちゃったんだろう」
早歩きで工房に戻りながら、思わず弱音が出てしまう。シェリオさんも工房に依頼に来てくれることが増え、ひょっとして本当のことをきちんと話せばわかってもらえるかもしれない。なんて私は思い始めていたのだ。
しかし髪を見られたくらいであの怒りようである。どうしてあそこまで怒っているのかはわからないが、とてもじゃないが事情は話せない。
「明日の護衛、騎士の中にシェリオさんがいませんように」
シェリオさんに護ってもらう。そんな状況は憧れだが、あの表情を思い出すとそこまで気楽に考えられなかった。
結局、工房に戻ってもシェリオさんのあの反応や、持っていたお護りからなにか悟られないかなど気になることが多すぎた。目を回していたユズトくんぬいのことを確かめることも思いつかず、引き受けていた聖石の作業もあまり進まなかった。
翌朝、工房前まで迎えに来てくれたアグノラ様の馬車の脇には、馬に乗ったシェリオさんがしっかりと付いていた。
「アグノラ様が行かれるなら、そりゃいるわよね」
深く呼吸をして、私は馬車に近付く。勘付かれているならば、アグノラ様の護衛などしてないだろうし、だったら普段通りのミズキでいればいい。
「おはようございます、今日はよろしくお願いします」
「おはよう、ミズキ」
まず気が付いたシェリオさんが、馬から降りて挨拶をしてくれた。昨日は見間違いだったのではないか、と思うくらいの爽やかな笑顔が眩しい。とりあえずバレてはいない、だったらあとは平常心に限る。
馬車の向こう側で馬に乗っていたダリウスさんは、視線だけで挨拶を送ってきた。なにかあればダリウスさんがなんらかフォローしてくれるだろう。昨日の髪のお護りの件も、あとでこっそり相談しよう。ひょっとしたらシェリオさんからなにか聞いているかも。
「おはようございます、ミズキさん」
「アグノラ様、おはようございます。今日はどうぞよろしくお願いします」
馬車の扉が開いて、アグノラ様が中から挨拶をしてくれたので、私も慌てて会釈で返す。
「時間もあまりありません、ミズキ様の準備ができていたら出発しましょう」
「わかりました」
促され、数歩踏み出したところで足が止まった。今日用意されている馬車はアグノラ様の乗ってきたものだけだ。しかしアグノラ様は侯爵令嬢であり、同じ馬車に乗るわけにはいかない。かといって、馬に乗れと言われても一人では乗れない。
風の加護を使えば、駆けることも出来るだろうけれど、どれだけ遠いのかわからないのに力を使うのは避けたい。馬車と騎士を代わる代わる見比べ戸惑っていると、シェリオさんが声を掛けてくれた。
「大丈夫だ、みんなミズキが馬に乗れるとは思っていないよ」
「そうですよねー」
シェリオさんが笑いながら言うと、周りについていた他の騎士も笑顔を見せる。アグノラ様が、扇で口元を隠しながら手招きしてくれた。
「ミズキさん、こちらへどうぞ」
「いいんですか?」
「はい、一緒に参りましょう」
「お、お邪魔します」
恐縮しつつも、私はアグノラ様の馬車に同乗させてもらうことになった。
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