第12話 ただいまと言えばおかえりと
道は覚えているから、言われたとおりにまっすぐ工房に帰る。
目立たないように僅かに風の加護を使って歩調を速めていく。風を感じて歩くのは楽しく、すぐに三角の屋根が見えてくる。道も覚えたし、クリフトンさんから注意されなければ、今度からは一人でも買い物くらい行けそうだ。
工房の扉は閉じられており、もちろんクリフトンさんは帰ってしまったようだ。
「そういえば鍵を預かっていたっけ」
少し古めかしい鍵を差し込んで回すと、扉が開く音がした。誰も返事はしないと分かっているのに、扉を開けるときにはその言葉を言ってしまう。
「ただいまー」
「おかえり」
「え?」
「ではない! ハルカ、我を置いてどこに行っておったのか」
まさか返事があるとは思わなかった。声のほうを見ると、ユズトくんが作業台の上で、短いぬいの腕を組んで立っていた。話しかけても返事がないので、奥の棚に飾ったまま置いて出かけたのだが、まさか置いてけぼりを怒っているなんて。
「ユズトくん! 最近話しかけても返事がなかったのに、どうしていたのよ!」
「それより、その髪はなかなか悪くないな。改めて見るとかなり印象が変わる」
「露骨に話を逸らしてきたわね」
じっと見つめてみるが、ぬいは相変わらずふわふわな私の癒しで、睨んでこられてもたいした効果はない。なにしろ置いていったことを怒っているが、自分の事情となると、ユズトくんはいまいちはっきりしない。
それでも気を取り直し、その場でくるりと回ってみせた。
「ユズトくんとお揃いの色にしてみましたー! どうかな?」
「我を崇める気持ちがあるのは、実にいい心掛けだ」
「ユズトくんじゃなければ、綿が出るくらい握るところだわ」
わざとらしく言ってみるが、やはりこれも効果はない。ユズトくんが手を顔へと向けた、本人的には厳かな咳払いの仕草だ。
「それよりハルカ、その聖石は己が身から離すなよ」
「この髪の色を変えている聖石? これがないと変えていられないから、そりゃあずっと持っているけど、どうして?」
他に理由があるのかもしれない。そんな気がして、私はユズトくんに詰め寄った。
「……」
「またか……」
ぬいぐるみは力を無くしてその場に倒れた。揺らしてみても反応はない。しかしもう何度か経験しているからそろそろ察してくる。これは誰かが工房にやってくる展開だ。
案の定、すぐに扉が軋みながら勢いよく開いた。
「なんだ、ダリウスさんか」
「ん? ひょっとして取り込み中だったのか?」
「そうでもないですけど……」
「なーんか、含んだ言い方だな」
ダリウスさんは腕を組んで首を傾げたが、それ以上追求してはこなかった。じっと私を眺めると、すぐに笑顔を浮かべた。
「アグノラ様の我儘があったせいで、一人で帰してしまったからな」
「そんな我儘なんて、だってアグノラ様は」
聖女様でしょう? 言葉は私の喉元まで出ようとしていたが、そこで止まった。シェリオさんは聖女推しだし、二人はでいる姿はお似合いだ。そこまでわかっているのに、なぜか私は言葉を飲み込んだ。
それより、やはりダリウスさんはあの場で一緒にいたのが私だと気が付いていたのだ。それで心配してわざわざ来てくれたのか。
「クリフから聖石の細工が手に入ったと聞いていたこともあったし、見に来た」
見に来たって、シェリオさんといい騎士って暇なのかしらと思わず考えてしまう。先程はクリフトンさんが探してもつかまらなかったり、アグノラ様についていたり、それなりに忙しいはずだが。
「どうですか?」
「いいじゃないか。印象だろうが、こりゃ別人に見えるな。さっき一目で気が付かなかったくらいだ」
「シェリオさんにもバレなかったので、しばらくは大丈夫だと思います」
髪が伸びるまで隠すという約束なので、伸びてくればまた状況は変わるかもしれない。そこはそれ、私としては出たとこ勝負しか出来ない。
「一緒に買い物行ったんだって? そんな話、聞いただけで俺が緊張する」
「はい、おすすめの食堂や雑貨屋さんとか、あと聖女様の像も見ました」
指を折って報告すると、聞いたダリウスさんが頭の後ろを撫でながら息を吐いた。その表情には、またあの語りを繰り広げたのかと現れている。
「シェリオのやつ、ほんとあの場所が好きだよな」
「あはは、お気に入りの場所なんですね」
ダリウスさんは若干引き気味だけど、しかし推しは元気の素だ、私だってシェリオさんの気持ちが全くわからないわけでもない。
しばらく経ってダリウスさんは話題を変えた。どうやら他に話があって来たようだ。
「それより、あの広場の大聖石のことが聞きたい」
「あの大聖石ですか? アグノラ様が、診ていましたよね」
広場の聖女像と共にあった大聖石に、アグノラ様は癒しの加護を与えていた。確かに大きく光ったように見えたし、加護は効いているのだろう。
「そうだ、その前にハルカはなにかしたか?」
「確かに、あの大聖石は少し疲れていたので、力が楽に流れるように調整をしました。ひょっとして余計なことでしたか?」
アグノラ様が来るなら、そこまでしなくとも良かったのかもしれない。しかし私としてもあのまま放ってはおけなかったし、悪いことではないと思う。
ダリウスさんを見上げると、ゆっくりと首を振ってたいしたことじゃないと示す。
「いいや、確かめたかっただけだ。王都としては手が回ってない聖石も多いし、とても助かった。ありがとう」
「それならよかったです」
これからまたクリフトンさんに報告に行くのだろうか。それはいったいどれくらいまでが騎士の仕事なのか、私にはわからないが大変そうだ。
「それからダリウスさん」
「なんだ?」
「シェリオさんにバレないようにっていう約束ですから、できる限り呼びかたはミズキでお願いします」
「わかったよ、ミズキ。成り行きとはいえすまないな」
きょとんと首を傾げてダリウスさんを見上げた。手配から逃れる手助けをしてもらっているのは私のほうなのに、どうして謝られることがあるのか。
「すまないって、なにがでしょうか?」
「いいや、なんでもないさ。俺もそろそろ戻る」
ダリウスさんはゆっくり首を振った。伝えることを探すようにぐるりと視線を巡らせてから、視線を私へと向ける。なにか他に困ったことや伝えたいことはないかと聞かれた。クリフトンさんへ伝言があれば引き受けると言ってくれたので、本当にこれから報告に行くのだろう。
「まあクリフのことだ、忙しいなりに顔を出すとは思うから、なにかあったらその時に伝えればいい」
「そうですね、まだこの工房の使いかたや、依頼の管理などわからないこともあって」
「わかった。近いうちに来るように伝えておく」
大きく頷きそれじゃあなと言うと、ダリウスさんは工房の扉へと向かった。私も見送りのためについていこうとしたが、手のひらを出していいと制されてしまう。その手を今度はひらひらと明るく振って、ダリウスさんは帰っていった。
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