第16話 水の大聖石はとても機嫌が悪く

 座るとすぐに馬車は走り出す。窓から外を見ると、シェリオさんはもう馬に戻っていて、ゆっくりと進んでいく。

 アグノラ様が使っているのだから、侯爵家のものだろう。馬車はクリフトンさんに見つかった時以来だが、その時乗った馬車よりも内装も凝っていて、座り心地がいい。


「今日向かう西ですが、ミズキさんは西の街道は初めて?」


 場を和ませようと思ってくれたのか、馬車の揺れに慣れてくると、早速尋ねられた。ただ質問の内容に、緊張して肩が震える。相手がアグノラ様でも、外にはシェリオさんや騎士がいるのだ。迂闊に日本や異世界を匂わせるような話はできない。


「わた、僕はクリフトンさんの紹介で工房に勤めていますが、田舎者なので王都近郊には詳しくなくて。西の街道にも初めて出ます」

「まあ、そうなのね」


 実は西どころか、王都の中だってまだ覚えきれていない。そのあたりを誤魔化しつつ答えると、扇で口元を隠したアグノラ様も、実はと眉尻を下げた。


「聖石を癒すようになり、遠出する覚悟はしておりましたが、私も王都の外に出ることは不安です。一緒に頑張りましょうね」

「はい、頑張りましょう!」


 アグノラ様と共通の話題もあまり多くなく、会話が途切れることもあったが、素性を疑われるようなこともなく、馬車の時間を過ごした。

 水の大聖石の影響で、道も泥濘んでいると聞いていたが、馬車は順調に進む。アグノラ様にそんな場所を歩かせるわけには行かないし。ここ数日の天候で運が良かったのもあるだろうが、実に幸運だ。

 ゆっくりと馬車が止まった場所のそばには、大きな湖も見えた。

 馬上のシェリオさんが、中にいる私とアグノラ様に声を掛けてくれる。


「もうあと少しですが、ここから歩きになります」

「わかりました、行きましょう、ミズキさん」

「はい!」


 馬車を降りると、騎士が先導して歩き出す。てっきり湖のほとりに大聖石があり、湖に沿って歩くのかと思っていたが、向かったのは湖とは反対の林だった。

 綺麗な湖に緑豊かな林が広がっている辺りは、癒しの絶景といった雰囲気の場所だったが、人の気配はない。私は先を歩く案内の騎士に何気なく尋ねた。


「とても綺麗な場所ですけれど、人はあまり来ないんですか?」

「大聖石が安定していた頃は、行楽に訪れる者も多くいたと聞きます。ただ最近は特に、突然天候が悪くなることもあり、みなこの辺りを避けます」

「そうですか、なんだか勿体ないですね」

「ですから、大聖石の癒しは必要なのです」


 しっかりとした表情でそう言ったアグノラ様のために、途中何度か休憩する。聖女様といっても、アグノラ様は侯爵家の令嬢だ。やはり訓練をしている騎士や、少年を装って軽装で来ている私のようにはいかない。こんな場所を歩いていることが異例だ。

 あと少しで大聖石です。シェリオさんが励ますように声を掛けてくれ、アグノラ様が頷いた時だった。

 私は思わず足を止めた。なんだかわからないが、ざわざわする。嫌な感じとまではいかないが、これ以上進むならなにかが起きる覚悟をしたほうがいいと感じる。私は咄嗟に、シェリオさん達に向かって言った。


「あのう、アグノラ様を連れて馬車に戻りませんか?」

「ここまで来てなにを言っている」


 あと少し、そう言ったばかりなのに引き返そうと言い出したのだ。シェリオさんも他の騎士と顔を見合わせて戸惑いの表情を浮かべた。


「思ったより機嫌が悪いというか、これ以上進むと雨になると思います」

「空をどう見たって、雨が降りそうな天気ではないだろう」


 確かにこの先に大聖石の力を感じる。ただその力は少し捻れているというべきか、クリフトンさんやユズトくんが言ったように不機嫌という言葉が当たっている。

 このまま行って癒そうとしても、大聖石は癒しを上手く受け取らないかもしれない。


「うーん、上手く説明出来ないんですけれど、聞いていた以上だなって」

「ミズキさん、だったらなおさら、私たちは大聖石の元へ行き、癒す必要があります」


 今の空は雲もわずかしかない快晴だ。そんな状態で雨が降るから帰ろうなんて私が言っても、賛同は得られなかった。


「どうした? なにかあったのか、シェリオ」


 一行の最後尾を歩いていたダリウスさんまでも、不穏な空気を感じ取ったのかやってきた。私としても理解してもらいたいのだが、嫌な予感の説明が上手くできない。


「ここにきてミズキが、行かないほうがいいと言い始めたんだ」

「行かないほうがいいって、大聖石はもうすぐ目の前だぞ」

「そうだろう、これ以上進むと雨が降るそうだ」

「雨……」


 ダリウスさんも、ぽつりと繰り返して空を見上げた。さすがにこの快晴では、引き返そうと頷いてくれるわけがない。そんな雰囲気になっていた時だ。

 ぽつり、またぽつりと雫が顔に当たった。

 その場にいた騎士も、確かめるように快晴の空を見上げる。空はまだ明るく晴れており、気のせいだろうと済ませたいくらいだ。しかし降ってくる雫は徐々に増えていく。


「嘘だろ、こんなに晴れているのにどこから降っている?」

「戻ったほうがいい、ミズキはそう言ったな」


 どうしようか? 騎士達は顔を見合わせた。戻るべきか進むべきか、決まらないといった表情だ。


「ミズキ、アグノラ嬢、お二人の意見をあらためて」


 ダリウスさんがもう一度、私とアグノラ様へと向き直って意見をまとめようと口を開いた。だが私はその時もう別のなにかを感じ取っていて、それどころじゃなかった。

 ここで水の加護を感じるくらいだから、かなり大きな力だ。


「雨が来る! 下がってください、馬車まで走って!」

「え? おいミズキ?」


 私は咄嗟に大きな声をその場に響かせた。ダリウスさんでもシェリオさんでもいい、アグノラ様を連れてここから離れるべきだ。まず反応して動いたのはダリウスさんだった。


「アグノラ様、ここはミズキの言葉を信じましょう」

「わかりました、一度馬車まで戻ります」


 アグノラ様が承知して頷き、この場は引き返すことに決まった。最後尾に付いていたダリウスさんが今度は先頭となり、最後尾がシェリオさん、視線でそう決まった。


「向こうから轟音が聞こえる、まさか?」


 進むはずだった林の先を見ていたシェリオさんが呟くより先に、それは一行にもよく見えた。雨というより水のカーテンのようなものが、向こう側から徐々に迫ってくる。


「戻りましょう、アグノラ嬢、非常時なのでお手を失礼します!」

「は、はい、お願いします」


 ダリウスさんがアグノラ様に手を貸し走り始めた。他の騎士がそれに続き、シェリオさんが私にも声をかけてくれる。


「君は一人で走れるか? ……ミズキ?」

「……」


 確かに大聖石の機嫌は悪い。少し離れた私にも感じるくらいだから相当だ。そんな状態でこんな豪雨を起こしている、それってどれくらい負担がかかっているのだろう。このまま待って雨が落ち着いてからでは、手遅れになってしまうのではないか。

 なんとなくだけど、そんな予感もする。行くなら今しかない。こんなに大きな力を大聖石に使わせている原因は、突然訪れて怖がらせている私達にもある。

 雨はもうすぐそこだ。

 私は、よしっ! と小さな声で気合を入れると、一行と反対方向、大聖石のある雨のカーテンに向かって駆け出した。


「おいミズキ!」

「大聖石の様子を見てきます! アグノラ様を連れて戻っていてください!」

「一人では危険だ、待つんだ!」

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