第20話 私は聖女ではありません

「アグノラ様、どうかお願いします」


 私はこの場を譲った。豪雨の中走って、この大聖石を落ち着かせた時点で、私の役目は終わっている。今なら加護の力を受け入れてくれると思うし、それならば私が手を出すより、聖女であるアグノラ様に任せたほうがいい。

 しかしアグノラ様は、ゆっくりと首を振った。


「いいえ、この場は私ではなくミズキ様にお任せしたいのです」

「え? でも、あの」


 私がやるより、聖女様がやったほうが確実だろう。そう思ったけれど、アグノラ様は大聖石を見上げて言った。


「だって、ずっとミズキさんを呼んでらっしゃるではありませんか。あの雨の中、ミズキさんの優しさが届いたのですね」


 美人のアグノラ様に、にっこりと微笑み掛けられるとなんだか照れる。それに、そこまで言われてしまっては、私だって下がれなくなった。

 大聖石を見上げてまず深呼吸をすると、すぐそばまで近づく。あの豪雨のカーテンからの影響か、光がやや弱くなっている大聖石にそっと右手を当て、目を閉じて力を促す。

 この大聖石は水の加護が強い石だ。どちらかというと風が得意な私の力とは少し違う。

 それでもゆっくりと力の流れを感じ取って、心の中で語りかけるように促していると、段々とコツというか息の合わせかたがわかってくる。穏やかな川を流れていく水のように。イメージするのは、豪雨ではなく清流だ。

 そうしてしばらく続けていると、水の大聖石は大きく光り始めた。


「もう大丈夫だね、ありがとう」


 そっと声を掛けると、大きく輝いた聖石はやがて落ち着いた光を取り戻した。水の加護を得ているだけあって、その光は綺麗な青色だ。


「終わりました、もうこれでしばらくは大丈夫だと思います」


 振り返ると、アグノラ様や護衛に控えていた騎士たちに報告する。その場にいた騎士たちは、ぽかんとした表情でこちらを見ていた。シェリオさんもなにか不思議な表情で、こちらを見ている。動かない一同に、私はもう一度宣言して促した。


「ええと、終わりましたし、馬車にもどりませんか?」

「そうですわね。ありがとうございます、ミズキさん」


 ようやく聞こえたらしいアグノラ様が頷き、念のため大聖石に触れて確認してくれたけれど、私の力はじゅうぶん伝わっていて、さらにすることはないらしい。

 来た時のように、また歩いて馬車へと戻る。その間もシェリオさんはなにかを考え込んでいるようで、心ここに在らずといった様子で黙って歩いていた。

 最後尾を歩いていたはずのダリウスさんが、素早く駆け寄って来て、私にこそこそと話をする。


「シェリオとなにかあったのか?」

「ええと、それは……」


 私はシェリオさんを見て黙った。さすがに他の騎士やアグノラ様がいるこの場で、女だとばれてしまったとは報告できない。しかも濡れた服を脱いだからばれたなんて、事情を知っているダリウスさんにも言いにくい。

 私が曖昧な表情を浮かべて、あとで話します、とだけ答えると。ダリウスさんは頷いてまた最後尾へと戻った。


 馬車に乗り込み座ると、ようやくほっと出来た。そんな私に、ダリウスさんだけじゃなくアグノラ様までもが同じ質問をしてきた。


「シェリオ様となにかあったのですか?」

「な、な、なにがでしょうか?」


 アグノラ様は事情を知らないはずなのに、私は思わずどきりとして肩を震わせた。なにもなかったです、と答えたかったが私の表情はしっかり変わってしまっている。

 どう誤魔化そうかと考えていると、アグノラ様は私の答えは聞かずに、話を始めた。


「シェリオ様は、なんというか一途というか、ちょっと変わった考えをお持ちでしょう」

「そう、ですね」


 確かにそれにはとても心当たりがある。私の中では聖女推しと呼んでいるシェリオさんのあの勢いを、アグノラ様なりに言い表しているのだろう。

 アグノラ様はなんとそのまま素直におっしゃった。


「私、シェリオ様が好きでした」


 やっぱり。そうだろうなという気はしていた。二人が並ぶ姿は、とてもお似合いだった。アグノラ様の視線だってずっとシェリオさんを見ていたし。

 でもあれ? 好きでしたって、過去形?

 微妙な言い方が気になって、私が考え込んでいるとさらに話を続く。


「シェリオ様が聖女様を想い一途に焦がれているのには、気が付いておりましたから、私もそうありたいと思っておりました」


 そうか、アグノラ様はシェリオさんのために聖女になったのか、でも、やっぱり過去形なのはどうしてだろう。


「でもなんというか、私は疲れてしまったのです」

「はあ、疲れたとは」


 確かに、あの勢いと熱い語りについていくのは、かなり大変だ。かくいう私だって、理解しているようでしていないし、毎回聞いているようで聞いていないという感じだ。

 そういう意味で、アグノラ様は疲れてしまったのだろうか。こんな美人に想われているのに、推しすぎて結局引かれるとか、聖女推し恐るべし。

 心の中でそっと思っていると、なんだか可憐ともいえるアグノラ様の話は続く。


「私が、本当に聖女だったなら、シェリオ様の心を動かせたかもしれない。ですが、今はもう心の整理が出来ております」


 ん? ちょっと待って、ええとアグノラ様はいま、本当に聖女だったらと言ったろうか。


「ええと、アグノラ様は、聖女様ではないのでしょうか?」

「違います」

「そうなんですか!」


 すごいはっきりと即答されてしまった。ええと、でも商店街の大聖石とか、今回の件とか、いかにも聖女様って感じだった。確かに今回の大聖石を癒したのはアグノラ様じゃないけれど。でも王都の人達だってアグノラ様が聖女、みたいな感じで接していた。

 そんな私の表情から疑問を感じ取ったのだろう、話は続く。


「確かに、一時は聖女のように振る舞おうとしていました。ですが、実際の私にはそこまで加護の素質はありません」

「ありませんって」


 あまりにもはっきりと否定されて、私はどうしたらいいかわからない。聖女推しのシェリオさんも、アグノラ様は聖女ではないと思っているのだろうか。


「今でも街の中では、私を聖女だと思ってくださるかたもいます。ですからそのように振る舞っておりますが、自分のことはわかります」

「そうですか、でも、そうなると聖女様っていうのは?」


 今はいないのだろうか。疑問に思いながら、話の続きを待っていると、アグノラ様は急に表情と話を変えた。どちらかというと自分や聖女の話はついでで、メインはそちら、といわんばかりの表情が見える。


「それよりミズキさん、私ずっとミズキさんのお話を聞きたかったのです」

「え? わた、僕の話ですか?」


 急に話を振られて私は、言い間違えながらも咄嗟さに誤魔化して少し後退った。しかし狭い馬車の中なので、そこまで動ける場所がない。


「はい、ミズキさんは異国の出身でしょう?」

「え! いや、それは……」


 確かにシェリオさんなどには、遠い田舎の出身などと言った。クリフトンさんもきっと、なにか聞かれたらそんな風に答えているだろう。しかしアグノラ様がどうして私の出身などの話を聞きたいのか。


「私、シェリオ様の気を引くために、聖女様について学んだことがあるのです。その時に、異国の書物や演舞なども見ました。民衆向けの演舞などと、お父様や家には良い顔をされなかったのですが、反対を押し切って見に行きました」

「異国の、演舞」


 きっとアグノラ様なりに、シェリオさんの気を引きたくて、理想の聖女になりたくて必死だったのだろう。なんというか罪作りな聖女推しだな、イケメンめ。

 心の中でそっと思う。

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