第2話 騎士は聖女推しである

「ミズキ、急ですまないが聖石の調子を見て欲しい」

「おはようございます、シェリオさん。どうしましたか?」


 重い木の扉が開かれ、聞き慣れた声が響く。私は変装のために変えた金色の髪を揺らして振り返った。

 私はあれから、騎士の追跡を掻い潜るために髪型と色を変えている。最初のうちは騎士にバレやしないかと冷や冷やしたが、そんな様子はないし、この世界で過ごすことにも慣れてきた。

 長い黒髪ではない姿は、まるでコスプレのように感じるけれど、やって来る人に不審に思われることはない。ユズトくんぬいに影響を受けて選んだ金の髪は、思った以上に馴染んでいるようだ。


「急ぎの依頼なら、ミズキの所に持ち込むのが一番だと思ってね」

「シェリオさんは僕を買い被りすぎですよ」

「そんなことはないよ」


 誤魔化すためなのか嬉しいのかもわからないまま、私は笑顔を浮かべた。

 遥華という名前は、シェリオさんにしっかり聞き取られてしまった。けれど苗字の瑞樹のほうは聞き取られなかったため、今はそれを名前に使って過ごしている。

 コトリと音をさせて道具がひとつ作業台に置かれる。その道具は、小さめの聖石を二つ組み合わせ、少し複雑な作業をするように細工がしてある物のようだ。


「水を流していた聖石なのだが、動かなくなってしまったんだ」

「うーん、随分高い負荷が掛かったみたいですね」


 聖石というのは、加護の力と呼ばれる魔力のようなものを帯びた石のことだ。聖石なんて呼んでいる割には、あちこちで見かける。

 聖石とそれに秘められている加護の力は、この国の重要な資源でもある。ただ聖石は使い続ければ疲労していく。そして、人やこの国を拒絶した聖石は、もう力を貸してくれなくなってしまう。

 持ち込まれた聖石は、すぐに動かなくなった原因がわかった。わかってしまうとなんだか可笑しくて、思わずクスクスと笑う。


「ミズキ? どうしたんだ」

「いえ、この聖石たち、いつも仲良しなのにちょっと喧嘩をしてしまったようです」

「喧嘩……」


 石だろう。シェリオさんの顔にはそう描かれている。確かに聖石はちょっと光る石程度にしか見えない。けれど私にはなんとなくわかる、喧嘩というのは比喩だけどまあそれに近い状態だと。

 この道具は二つの聖石を使っているので、聖石同士の相性がある。その相性が悪くなるなんてことはあまりないけれど、絶対あり得ないことではない。

 私はまず聖石のひとつにそっと触れた。石の中でゆっくりと加護の力を循環させて、落ち着くように促した。そしてもうひとつの石も同じようにする。最後にそれを繋いでいる細工もしっかりと締め直すと、聖石は淡く光って力を取り戻した。


「はい、これでよしと。もうこのまま使えば動くと思いますよ」

「もう終わったのか! いつもながら見事だな」


 作業台を覗き込んでいたシェリオさんは、感心した様子で褒めてくれた。


「どうもありがとう。クリフの遠縁だと聞いたが、ミズキは腕が良くて助かるよ」

「はは、そうでしょうか、ありがとうございます」


 預かった道具を返すと、シェリオさんは目を細めてさらにお礼を言う。そんな表情を見せてくれるのも、私があの空から落ちてきた女だと気が付いていないからだ。

 髪色を変えている通り、私はまだ騎士たちから逃げている。

 最初のうちはあの時の女! と誰かに言われるかもしれないとひやひやしていたけれど、あの時近くにいたシェリオさんですら疑う様子が全くない。それはそれで私としては少し複雑なのだけど、まあ仕方がない。

 疑われないためにも、さりげなくすり込んでおかねばならない。ようやく慣れてきた一人称をもう一度持ち出して、私は印象付けるように言った。


「僕なんてまだまだですよ」

「そう謙遜することもないさ」


 私が偽っているのは、髪と目の色だけではない。ここでは私はミズキという名の少年だと周囲に思わせて過ごしている。これが案外うまく誤魔化せているから不思議だ。


「なにしろクリフは、手配しておく、ばかりだからな」

「そんなこと言っていると、クリフトンさんがどこかで聞きつけますよ」

「確かにあいつの把握は、怖いくらいだ」


 シェリオさんがそう言って笑った。笑顔は眩しいくらいかっこ良すぎてまだ慣れない。

 クリフトンさんというのは、私にこの工房を貸してくれたり、髪色を変える聖石を手配してくれたりしたいわば上司だ。普段は忙しいらしく、ここにもたまにしか来ない。影響力のある身分らしいけれど、実際のところ私も何者なのかわかっていない。

 一応いまの私は、田舎から出てきた聖石師見習い、ということになっている。もちろん設定を考えて王都で暮らす手続きをしてくれたのはそのクリフトンさんだ。

 クリフトンさんってどんな人ですか? なんて今更誰かに聞くこともできず、細かな会話からコツコツ情報を得ている。

 修理はあっという間に終わったし、シェリオさんはもう帰るのだろう。そう思っていたのに、すぐには帰らずまた道具を作業台に置いた。


「実はミズキに差し入れがあるんだ」

「差し入れですか?」


 首を傾げて見上げると、なにか大きな果実が作業台に置かれた。それはいい感じに熟れていて、出された途端甘酸っぱくていい香りが漂う。


「わあ、いい匂いがする!」

「昨日の風でかなり落ちてしまってね、騎士詰所への差し入れで貰ったものだ」

「騎士のみなさんへの差し入れなんじゃないですか?」


 首を傾げて尋ねると、シェリオさんは真面目な表情で答えた。


「だからこそだ。ここ最近は聖石の重要性も高まるばかり、聖石師のミズキにはこれからも世話になる」

「ありがとうございます」


 私個人というより、聖石師への心遣いらしい。気持ちは嬉しいので、果実は有り難く食べさせて貰う。


「この果実はだな、かの聖女も好んで食べたと言われているんだ」

「はあ、なるほど。それくらい美味しいんですね、楽しみです」


 ああ、始まってしまった。果実だからと気を抜いていたのに、まさか好物だったらしいというところから結びつけてくるとは思わなかった。

 この国には、聖女様の伝説というものがあるらしい。まだよく知らないけれど、強い加護の力で聖石や人々を癒す存在なのだとか。

 熱狂的な聖女信仰者であるシェリオさんから聞いた話だ。


「品種は変わっているが、瑞々しい味は変わらずにある。この季節になると、同じものを口にできることに感謝を感じるのさ」

「はい、ええ、では僕も感謝しつつ食べます」


 つまりなんというか、シェリオさんはすさまじい聖女推しだ。

 この聖女推しのおかげで、彼は騎士のなかでもちょっと変わり者扱いらしい。イケメンなのに勿体ないなどとは言ってはいけないが、なんとなく残念感はある。

 私がそんな風に思っている間も、シェリオさんの聖女語りは続いていく。

 私だってユズトくんという推しがいるから、推しに対する想いはわかってあげたい。そんなふうに考えて、まめに相槌を打っていたら、いまやすっかり彼に理解者として認識されてしまった。うーん、それにしても話が熱く、終わらない。

 聖女と呼ばれる人は、今まで何人か現れたらしいけれど、特に推しているのは初代聖女様らしい。あと三代目も結構な確率で話題に出てくるから、きっと三代目様も推している。

 しばらく話を聞いていると、ようやくシェリオさんが推しの世界から戻ってきた。


「騎士ではないとはいえ、ミズキは育ち盛りなのに細すぎる」

「そんなことないですけど、まあ」


 ひとしきり語って満足したのか、話題は私へ向いた。急に見つめられるとドキッとするのでやめて欲しい。

 実は育ち盛りはもう終えているし、食べるとそのまま太ってしまうのではないかと気になってくる年頃だ。そうとも言えず、見つめられたドキドキを隠すためにも私は曖昧に笑って誤魔化した。


「王都に来てまだ二ヶ月だろう? なにか困ったことがあれば相談を受けるよ。ここに来る騎士は皆そう思っているし、兄貴分くらいに思ってくれればいい」

「それもちょっと複雑ですけど……」


 騎士の規範のような言葉に、私は小さな声でそっと呟いた。確かにここに来る騎士の人たちは、基本的に私を年下だと思っているらしく、弟のように接してくれている。実際に年下の騎士もたまにいるけれど、それは気にしたら負けだ。

 美形の騎士に恋するなんておこがましくてできないし、弟扱いだって破格の待遇だとわかっているが、それでもなんだか複雑に感じる。

 そう、私がアリオン王国に落ちてきてから、もうかれこれ二ヶ月が経っている……。

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