第3話 生きるために髪を切ることにした

 あの空から落ちてきた日、私は風のように駆けて騎士から逃げた。

 寝転んでいたのは王都の郊外だったらしく、見える景色が草原から街並みと変わっていたあたりでようやく足を止めた。

 知らない街の中で独り。そこで私は困り果てて座り込んでしまった。どうやって風を起こしたのかわからないし、お腹も空いて動けない。こんなことなら、大人しく騎士に捕まったほうが良かったのかもしれないとさえ思った。

 空腹のまま王都の片隅にいた私に声を掛けてくれたのは、近くで雑貨店の店番をしていたおばさんだ。


「店で残った物だからお食べ」

「私、お金持っていません……」

「いいから、誰かに見られる前に、ほら」


 怪しまなければと思う気持ちもあったけれど、私はおばさんの行為を信じた。貰って食べたパンは、日本のものとは味が少し違うだけで、美味しかった。

 食べながらたわいのない話をすることができ、そこから私はこの国のことを少しだけ知った。どうやら私はこの世界に来た拍子に、この国の人でも滅多に持たない、加護の力にというものに目覚めてしまったらしい。

 知らないうちに身につけた力のコントロールが出来ず、騎士を攻撃してしまったのだ。

 ただ、それがわかったところで、騎士達の前にまた出て行って、理由を話して保護してくださいと言う勇気はない。

 パンでお腹がいっぱいになったら、考えられる余裕も少しは出てきた。騎士は咄嗟に吹き飛ばしてしまったけれど、慣れれば力も使いこなせるかもしれない。

 騎士に出会ってしまったらそれはその時だ。そこまで考えられるようになると、おばさんに向き直った。


「ありがとうございました、おばさん」

「少しはましな表情になったね、事情はわからないけど元気をお出し」

「あの、私に出来るお礼はありませんか?」


 心からお礼を言い、パンをくれたおばさんにお願いした。お金を請求されても持っていない。しかし店番や仕事の手伝い、それからこの不思議な力だって、なにかの役に立てるかもしれない。使いこなせないけど。


「別にお礼目当てで声を掛けたんじゃないよ」

「それでも、お手伝い出来ませんか?」


 この後どうしたらいいのかわからない私は、なにかきっかけになればと、必死だったのだろう。おばさんは少し考えてから、私の揺れる黒髪を指し示して言った。


「そうかね、じゃあ髪をほんの一房くれないかい?」

「髪、ですか?」

「ああ、ほんの少しでいいよ。大事な髪だからね」


 どうやら私の髪は、加護の力と呼ばれる不思議な力を帯びているらしい。

 加護の力は、通常であったら聖石と呼ばれる石に蓄積して、取引される。聖石は、普段の生活でも部屋を明るくしたり火を起こしたり、水を流すことにも使ったりする。電気とは違うけれど、この国の貴重なエネルギー源らしい。

 といっても私の中でその説明と、髪の価値がいまいち結びつかない。少しくらいなら全く構わないと、おばさんにもう一度お礼を言って、髪を一房渡した。

 それからしばらく王都をウロウロしたが、戻る手段もわからないし、これから過ごすあてもない。親とは疎遠になっていた私は、そこまで日本に執着がない。それでも知らない世界で不安なまま夜を過ごしたくなかった。

 夕刻に向かって傾く陽を眺めてようやく決めた。


「もうこうなったら、髪を切って売るしかない」


 加護の力を帯びている髪には、それなりの価値がある。

 だから私は生きるために、長かった髪を切ることにした。王都をあちこち巡り、なんらか聖石を扱っている店を見つけては、髪が売れるかどうか交渉する。長かった髪を短く切ることなんて幼い頃以来だったが、髪はまた伸びるし生きるためには仕方ない。


「はあ、ショートボブなんていつぶりだろう」


 火が落ちて暗くなる前には、肩甲骨より少し長いくらいだった髪は、肩につかないほど短くしてしまった。だけどそのおかげで、知らない国でも、ある程度の期間は暮らせるくらいのお金を手に入れることが出来た。

 商店街は、夜になっても聖石を使った明かりが灯っていて、ほんのり明るい。

 王国騎士が誰かを捜索している。そんな話を聞いたのは、私が短くなった髪を揺らし、出店で食事を物色している時だった。


「大通りでちょっと物々しい雰囲気だったな」

「誰かを探しているようだったけれど、手配かねえ」


 そんな会話が聞こえてきて、ぎくりと首をすくめた。ひょっとしてシェリオさん達騎士は、あれからずっと私を探しているのだろうか。

 騎士に手配されているかもしれない。そんな可能性に、私の指は震えそうになる。

 手に入れたお金は、髪をきちんと代価として提供して得たものだが、所詮は髪だ。きちんと交渉して手に入れたお金だけど、それさえも悪いことのような気持ちになってしまう。

 なんだか悪い方へ考えてしまい。私は騎士に見つからないように行動し始めた。


 そうしてかれこれ数日経ち、私はまだこのアリオンという国の王都にいる。日本に帰れる気配は、ない。


「王国騎士が、長い黒髪をした女を探しているってよ」

「まだ見つかってないのか、一体なにをしたのかねえ」

「その女を探して連れて行けば、報酬が出るらしいぞ」


 立ち寄った食堂でもそんな噂話が聞こえ、涼しくなった首をすくめた。シェリオさんや騎士を吹き飛ばして倒してしまっただけなのに、なんだか大事になってしまっている。

 私は急いで食事をして、噂をしている人たちから逃れるように店から出た。髪を短く切ったことは、お金以外にも手配から隠れるのに役立っている。

 そんな風に過ごしていくことも段々限界に近づいてきた。お金はまだあるが有限だ。身につけてしまった加護の力も、使いこなしたいけれど、にわかの知識では限界がある。

 私はそっと路地裏に入り込むと、大事にしているユズトくんぬいを取り出した。このぬいは、何も持たずにこの世界に落ちてきて、騎士に手配されてしまっている状況に唯一の癒しを与えてくれる心の支えだ。

 そして、知り合いもいない状況で、ぬいに向かって話しかけることは、すっかり私の習慣になっている。話しかけているだけで元気が出てきるからだ。


「困ったなあ、これからどうしようかユズトくん」

「そう言われても我には答えかねる」

「ゆ、ユズトくん!」


 返事が聞こえた気がした。話しかけるのは習慣になっていたが、もちろんただのぬいぐるみであって返事をするわけがない。ぎくりと肩を震わせて、恐る恐る後ろを振り返ってみたが誰もいない。


「どうしよう、いよいよ幻聴が聞こえるようになってきた」


 思わずユズトくんぬいを強く握りしめると、ぬいぐるみはあろうことかパチパチと数回激しく瞬きをし、口を三角にして私に向かって怒った。


「痛いであろう!」

「ごめんなさい!」


 咎められてつい反射的に謝ると、ユズトくんぬいはするりと手をすり抜け、空中でくるりと一回転した。

 布で作られた黄色い髪と目は、きらきらと加護の力を纏っている、ように見える。

 しばらくふよふよと空中を泳いでいたユズトくんは、呆然としている私の前まで戻ってくると、もう一度パチパチと瞬きをした。

 かわいい、推しがあまりにもかわいすぎる。


「おかしな顔をしてどうした? 我に気が付いて話しかけたのだろう」

「は? え? いやいやいやそんなわけないじゃない!」


 動いて喋っているユズトくんはとてもかわいらしいが、私が想定していた喋り方とだいぶ違っている。そのちょっと武士みたいな、偉そうな喋りかたはどうなのかと思う。


「そうか、すると感知にはまだ慣れていないな」

「感知? 確かに風の加護の力は感じるけれど」


 確かにフワフワと浮いている力は風の加護だ。なにしろぬいは風色に光っている。

 どうやら加護の力には様々な属性があるらしい。使えるようになってきて知ったけれど、私はどちらかというと風の加護がいちばん得意だ。ひょっとしたらそれとなにか関係があるのかもしれない。

 あくまで推測だけど。

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