異世界で出会った、聖女推し騎士に手配されましたが

芳原シホ

第1話 気が付いたら知らない草原で

 気が付いたら、知らない草原で寝転がっていた。

 瑞樹遥華(みずきはるか)、大学生、とうとう巷で流行りの異世界転移を経験してしまったようです。

 思い浮かんだ冒頭ナレーションは、どう見てもご近所じゃない風景とうまく調和した。

 現実逃避だってことは、自分でもわかっている。ここにくる前ってなにしていた? 大学に行くためにバスに乗っていた気がするけれど、降りたのかどうかも思い出せない。バスに乗って、運良く座れて、それからどうしたのか。

 もしかしてこれは夢なのかな。ふとそんな風に思ったけれど、草の匂いや頬に当たる心地よい風はとてもリアルに感じられる。

 これからどうしよう。

 ぼんやりと考えながら、視線を動かすと、誰かの足元が見えた。いつから立っていたのか。ひょっとして、呑気に寝ている姿を見られてしまったかも。

 視線を上げていった私は、思わず見惚れた。

 その人は、空を眺めていた。青灰色の髪に、綺麗な碧色の瞳は吸い込まれそうなくらいで、顔立ちは絶妙なバランスで成立している。つまりとてもイケメンだ。

 異世界の騎士みたいな格好をして、腰には剣を下げているから、やはりそういう立場の人なんじゃないかな。

 なにを眺めているのだろう。彼の視線を辿って空を見ると、空の一部に亀裂のようなものがあった。あの亀裂なんだろう。

 草を踏む音をさせて、さらに誰かが近付いてきた。話し声は寝転がった私のところまで聞こえてくる。


「他には見つからないな、どうやらあそこから落ちてきたのは彼女だけらしい」

「ここのところ天気が悪かったからな」


 え? ちょっと待って、私はあの亀裂から落ちて来たの? そんな馬鹿な。この世界は天気が悪いと、空に亀裂が出来て人が降ってくる世界なのか。

 なんだかとんでもない世界に来てしまった。そんな風に考えていると、後からやってきた人が、空を眺めていたイケメンに向かって咎めるように言った。


「シェリオ、それじゃまるで天気が悪いと空から人が降ってくるように聞こえる」

「そんなつもりはない」


 どうやらこのイケメンさんは、シェリオさんという名前らしい。

 彼が首を振りながらこちらを向いたところで、寝転んだままの私とちょうど目があった。整った顔立ちは、あらためて見るとやっぱりかっこいい。

 彼は目を瞬かせてから、ふわりと優しい笑顔を浮かべてくれた。


「気がつきましたか?」

「は、はいっ」


 緊張のあまりおかしなところから声が出た。イケメンに笑いかけられるなんて経験は、もちろん初めてだから仕方ない。


「我々はアリオン王国騎士、第二師団の者です」

「ありおん、おうこく」


 もちろん聞き覚えはない国名だ。やっと状況を理解しはじめた私の頭の中で、異世界という言葉がぐるぐると回る。


「起きられるかい?」


 寝転がったままの私に、後からやってきた騎士さんが手を差し伸べてくれた。短い赤茶髪をした背の高い人で、見ればこの人もかっこいい。

 ありがたく手を借りようとすると、横からさらに別の手が出てきた。見ると、赤茶髪の騎士さんの隣で、シェリオさんまでもが私に手を差し伸べてくれている。


「ええと……」


 これは一体どういう状況なのだろう。まさか二人のイケメン騎士のどちらかを選べというのか。そんな馬鹿な、思いながら、差し伸べられた二人の手を交互に見る。

 すると、赤茶髪の騎士さんが手を引いた。シェリオさんの手はその場に残り、私へと差し出されている。


「ありがとうございます」


 私はどきどきと胸を高鳴らせながら、手を掴み引き起こしてもらった。

 しかしまだ混乱していて、すぐには立ち上がれずぺたんとその場に座り込んでしまう。

 すぐに二人の騎士が心配そうにこちらを覗き込んでくれた。イケメンのオーラが眩しすぎるから、もうちょっと離れてください! とは流石に言えない。


「大丈夫ですか? どこか痛むところなどありますか」

「それなら大丈夫です。急な出来事に驚いてしまって……」


 心配そうに見てくれている二人の騎士に向かって、なんとか笑う。表情は少し引き攣っているが、どこも痛みはないし無事であることは伝えたかった。


「貴方の名前を訊ねてもいいですか?」


 人に名前を尋ねるならまず名乗れ。なんて考えは感じさせないから、イケメンは得だ。


「瑞樹遥華といいます、日本人の大学生です」

「すみません、うまく聞き取れなかった。ハルカ、であっていますか?」

「そうです、あっています」


 聞き返され、首を縦に振って肯定した。どうやら異世界で言葉が通じないなんてことはないが、名前などはうまく聞き取れないらしい。

 それよりなにより、イケメンに名前を呼ばれるというシチュエーションに胸が高鳴る。


「ハルカ、アリオンという国に聞き覚えはありますか?」

「聞いたことも行ったことも、ないです」


 ゆっくりと首を振って問いかけに答える。シェリオさんは赤茶髪の騎士と顔を見合わせた。二人も私の名前が聞き取れなかったし、日本という国名に覚えはないのだろう。なんとなく予感はしていたが、これからどうなるのか不安が込み上げる。

 シェリオさんが安心させるように、笑みを浮かべてくれた。

「とりあえず王都に行きましょう。ここからそう離れていません。貴方のように異国から訪れるという状況はかなり珍しいが、前例がないわけではありません」


「はい、わかりました」


 無事に帰れる、そう言われなかったのは気になるが、それでもここに放り出されることはないらしい。それだけはわかり、私はまず彼らについていくことにした。

 周囲の探索にあたっていた他の騎士もやって来て、私を王都に連れて行く準備を始めてくれる。騎士のような人が数人、それから衛兵や従者のような格好の人たち、どの人を見ても服や髪の色など、ザ・異世界である。


「なに?」


 ふと呼ばれているような感覚がして、私は振り返った。

 シェリオさんが他の騎士から、なにかを受け取っている。背が高く精悍な騎士達には不似合いの、黄色く柔らかそうなかたまりだ。

 見覚えしかない。いま私が一番に推しているユズトくんというキャラクターのぬいぐるみだ。少し前に限定発売され、発売時間に必死に通販サイトにアクセスして手に入れた。イメージカラーである黄色は、髪色にも服の色にも使われている。

 手に入れてからは常に持ち歩いていて、食事や景色と一緒に写真を撮ったりもしていた。

 大事な推しぬいにまさか異世界で再会できるなんて。

 取り戻さなければ、その思いで私の頭の中はいっぱいになってしまった。


「それ、返してください」


 叫んだ瞬間、勢いよく風が吹き上がった。突風は渦を作るように舞い、シェリオさんを鋭く吹き飛ばして勢いよく地面に叩きつけた。

「ぐっ」

 呻き声が上がり、その手からユズトくんぬいがこぼれ落ちる。何が起こったのか、私にはまるでわからなかった。


「なんだ、どうした?」

「なにをしている!」


 騒ぎを聞いて騎士達が、慌てたようにこちらへ駆けてきた。私の手がぬいぐるみに届くより先に、駆けてきた騎士の足が触れて、ころりと蹴り飛ばされてしまう。


「なにするんですか!」


 風がまた吹き荒れ、駆け寄って来た数人の騎士を一瞬で吹き飛ばした。背も高く逞しい身体つきの騎士達なのに、風は軽々と持ち上げて地面に叩きつける。

 その場は一気に騒然とした。騎士達の表情が一気に険しくなる。


「シェリオ!」


 その場から離れていた赤茶髪の騎士さんも、慌てた声で叫んで駆け寄ってくる。

 騎士の反応からして私がなにかしてしまったらしいが、まったくわからない。


「あの、わたし……」

「動くなっ!」


 咄嗟にシェリオさんに手を伸ばそうとしたが、騎士達に鋭く制止され、びくりと震えて止まる。さっきまであんなに優しかった騎士は、一気に警戒した表情を浮かべ、腰に下げている剣に手を掛けていた。


「いや、いや、どうしよう」


 どうしよう、怖い。そう考えた瞬間、また突風が騎士を押し退けるように吹き荒れる。さすがに三度目だったからか、騎士達も簡単には吹き飛ばされない。落ちていたユズトくんぬいだけは、私の足元まで飛んできてくれたので咄嗟に拾う。

 ここから逃げなきゃ! 私の頭の中は考えでいっぱいになり、足は自然とその場から離れるように動き始めていた。


「待つんだ! 追え!」


 そう言われても怖くてしかたなかった。騎士が追いつきそうになるたびに、彼らの足を妨害するように突風が吹く。それを私がやっているのかどうかなんて、もうわからない。


「待ってくれ、どうか止まってください! 貴方はッ」


 必死に叫んでいる声が聞こえたが、私はその場から脇目も振らずに走っていた。風は手助けするように吹き続け、私は驚くほどの速さで駆けていた。

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