第35話 何度だって君のために走るさ

「やったあ、ありがとうございます!」


 クリフトンさんは、すぐに指示を出すべく立ち上がった。


「ではここではなく、神殿へ向かいましょう。儀式の準備をします」


 儀式、と言われて私は緊張し始めた。前にクリフトンさんと話して想像していた調律は、強い加護の力で大聖石を再起動させるようなものだ。儀式なんて緊張しかしない。


「我は風の加護を司りし意志、その必要はない」


 ユズトくんが手を横いっぱいに開くと、ぬいぐるみの全身から、加護の力がキラキラと溢れてきた。その光は強い力を持っているとわかるが、とても温かい。


「凄い、力で満ちてくる気がする、これならいける!」


 キラキラと光るそれは、ユズトくんから私に貸し出される。強い力の中に優しさを含んだ加護の力だ。ちらりとぬいぐるみを見ると、どうだと言わんばかりの表情をしていてなんだか頼もしい。

 身体中つま先まで力が満ちて、フワリと体が浮くような感覚がした。

 ふと誰かに呼ばれたような気がして振り返ると、そばにいたシェリオさんと目が合う。彼の手がこちらに伸びたが、私に届く手前で止まった。指先が躊躇うように揺れている。

 心配してくれているのだろう。でもこれだけ温かい力なのだから、きっと大丈夫だ。


「ハルカ……」

「大丈夫ですよシェリオさん、だから見ていてください」


 はっきり答えると、風の加護に包まれてキラキラと光る手を自分のほうから伸ばした。躊躇ったまま宙にいた指先に触れると、加護の光が舞い伝わっていく。


「待っている、君に伝えたいことがもっとあるんだ」

「はい、私も聞きたいです」


 笑顔で答えると、シェリオさんの指がゆっくり離れていく。私は笑顔で行って来ますと彼に伝えた。

 身体を包む加護の光が強くなる。胸に下げている髪色変えの聖石に反応すると、身体を包むようにさらに輝き広がった。風に押し上げられるように、体がふわりと浮く。

 変えていたはずの髪が、黒に戻ったと気が付いたのは、長くなびいた髪が見えたからだ。髪が伸びている? おそらくユズトくんから借りた力が一時的にそう見せているのだろう。

 言葉は自然に口から出てきた。


「風と共に、伝えし癒し手は加護の力を以って願います」


 言葉を紡いだ瞬間、いろんな人の笑顔が見えた気がした。この国に来たとき、髪が長かった時よりもずっと強くて温かい力だ。

 その場にいなくても、王都にある大聖石が反応して輝いていく。

 気が付くと、私は王都の上空から街や人々、沢山の聖石たちを眺めていた。怖さは感じない、王都は小さく見えるのに、なぜかよくわかる。


「すごい、聖石の光が見える」

「ここは良き眺めであろう? 我はここから王都を眺めるのが好きだ」

「うん、とてもいい眺め。人の喜びが、よく見える」

「そうだろう」


 満足そうなユズトくんの声に、私も笑顔で答えた。

 でもどうしてだろう。私は前にもここから景色を眺めたことがある気がする。いつだったろう? 思い出せそうだけれど、わからない。


「本来ならば、ここから故郷に帰してやれるのだが、媒体が足りぬためそれは叶わぬ」

「いいよ。それは髪を伸ばしながら、ゆっくり考えます」


 帰りたいかと聞かれても、すぐ答えられないくらい迷っている。

 あんなに熱く告白してくれたシェリオさんのこともあるし、私はこの国が嫌いじゃない。すぐに答えが出ないほうが、今はありがたい。


「それならよい。聖女よ、その務め大義であったな」

「たいしたことしてないよ、ユズトくんはこれからもここで王都を眺めるの? たまには遊びに来てよ」

「……」


 返事はなかったけれど、ユズトくんのことだから、また唐突にやってくる気がする。

 また強く風が吹いた。これはきっと私を王都の街に降ろしてくれる風だ。

 やはり私はこの風を知っている。


「我の力もそろそろ限界だな」

「うん、またね、ユズトくん」


 そう答えると、私の身体は地上に向かってゆっくりと降り始めた。

 というより、思ったより降りる速度が速い。降りるというより落ちている気がする。


「ちょ、ちょっと待って!」


 叫んだけれど、そこからさらに速度は落下は増した。落ちているから徐々に加速しているのかもしれない。浮くのってどうやるっけ? そもそも浮いていたのは私の力なの?


「落ちてるってばー!」


 こういうのってきちんと地上まで見送ってくれて、フワッと着地してキラリッて光が名残惜しそうに瞬くものでしょう。そのまま落ちるってなんなのよ。

 靡く髪は元の短さに戻っている。借りていたユズトくんの力は、髪を伸ばす力ではないので、それは仕方ない。でも落下はどうにかしたい。


「ブレーキ! どどどどうしよう」


 下を見たら絶対怖いが、見なければどうにもならない。まだ地面まで高さはある。

 その時私にも見えた。王都の街中、人混みを掻き分けるようにして誰かが駆けている。


「シェリオさん?」


 間違いない。シェリオさんは、青灰色の髪を振って何度も空を見上げ、落ちる私を確かめながら走ってくれている。

 こんな光景、前にも見た。いつだったろう。

 そうだ思い出した。この世界に初めて来た時、王都郊外の草原で、同じように落ちる私を追ってシェリオさんは必死に走っていたの。

 そうだ、そうだった。


「シェリオさーんッ!」


 呼んだ瞬間、私の風の加護の力は、強い風となって押し上げてくれた。

 落ちる速度が緩やかになり、懸命にシェリオさんへと手を伸ばす。


「ハルカッ!」


 呼ぶ声ははっきりと聞こえ、私は風の加護を纏ったまま、勢いよくシェリオさんの元に帰ってきた。走り込んできたシェリオさんのタイミングはぴったりで、私の身体はしっかり受け止められる。

 衝撃でシェリオさんの身体はぐらりと揺れたが、そこは騎士、倒れずにしっかりと受け止めてくれた。

 まさか戻りが落下だと思わなかったけれど、合わせて受け止めてくれるなんて。


「無事か、ハルカ?」

「なんとか。びっくりしたー!」

「その様子じゃあ怪我もなさそうだな」


 シェリオさんは心配そうに見たが、興奮している私を見てすぐに安堵の表情が浮かぶ。

 遊園地のジェットコースターなんて目じゃないくらい凄い体験をした。バンジージャンプとも少し違う。それにしても落下も衝撃だったが、シェリオさんにも驚きだった。


「落ちてくる私を受け止めるなんて、シェリオさんイケメンすぎます」

「いけめん……?」


 聞き返されて思い出す。そうだ、この世界でイケメンは通じない。なんでもないですと誤魔化そうとしたら、シェリオさんは私の顔を覗き込んだ。

 碧色の瞳は真剣に、私だけを見ている。


「確かそれはハルカが恋人に求める条件だったな」

「そそそれはっ」


 水の大聖石の傍にある小屋で、そんな話をした。まさか覚えているなんて思わない。どうしてそんなことまで覚えているのか。

 受け止めてくれたままの体勢は、シェリオさんの腕の中にガッチリと抱き込まれている。そんな状況で、真剣な表情のイケメンの顔がすぐ近く。私の顔はどんどん熱っていき、慌てて横を向いた。

 それでもシェリオさんの追及は止まらない。


「つまり俺は、ハルカの求める条件に適っているのか?」

「ノーコメントです」

「のーこめんと?」


 シェリオさんは首を傾げた。照れた私は視線を逸らしてから、ちらっと彼を見て尋ねた。


「シェリオさんが恋人に求める条件ってなんですか?」


 話を誤魔化すために、同じ質問を返してみた。

 シェリオさんは私の問いを聞くと、真剣な表情ではっきり答えた。


「そうだな、まずは聖女……」


 まだこだわっているのか、聖女推しめ。

 私は何を期待していたのだろう。

 シェリオさんにではなく、聞いた私自身に呆れたい。これは聞いた私が悪いと思って、視線を逸らしていると、シェリオさんの楽しそう笑い声が響いてきた。


「かどうかは、この際どうでもいいな」

「えっ」


 笑っているシェリオさんの気配がわかる。どうやら揶揄われたらしい。流石の私も気が付き、思わず頬を膨らませながら、ますます視線を逸らす。

 すると、笑うのをやめたシェリオさんの声が聞こえてきた。


「ハルカ、こちらを向いてくれ」

「わっ、ちょっと!」


 答える間もなかった。頬に手を添えられ、顔がシェリオさんへと向く。

 さらに真剣さを帯びた瞳に、私が写っている。真っ直ぐに私を捕らえようとする。


「俺はずっとハルカを護り愛しみ、共に在りたい。君の話を聞き、俺のことを話し、これから先の様々なことを二人の思い出としたい」

「シェリオさん」

「落ちてくる君くらい、何度でも受け止めてみせる、聖女であろうとなかろうと、誰にも譲れない。君と過ごすうちにそう感じた」


 シェリオさんは照れることもなく言う。

 答えるまで地面に下ろしてくれないつもりだろうか。足を揺らしたけれど、しっかりと抱きとめている腕はビクともしない。

 だから私は聞いてみた。


「それってつまり、なんて言うか知っていますか?」

「知っているよ、ハルカが好きだ」


 異世界で出会った聖女推しのイケメンは、はっきりと告げ私を抱き抱えたまま笑った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る