第14話 不機嫌で気難しい大聖石

「わかりました、どのくらい力になれるかわからないけれど、一緒に行きます」

「ありがとうございます、よろしくね、ミズキ様」


 アグノラ様にふわりと笑顔を浮かべられ、私もつられて笑った。クリフトンさんに説明する前に承諾してしまったが、会えた時に伝えればいいだろう。


「第一、いつ来るか知らないし」

「どうされたのですか? ミズキ様?」


 不思議そうに首を傾げたアグノラ様に、なんでもないとさらに手を振って返す。


「それよりアグノラ様、ひとつお願いというか、気になっているのですが」

「なんでしょうか、ミズキ様」

「その、呼ぶならミズキと呼んでください。様付けなんて、わた、僕には慣れなくて」


 なんだか慣れなくてくすぐったい。そう伝えると、アグノラ様は目をわずかに見開いてから、クスクス笑った。


「ではミズキさんと呼びますわ。どうぞよろしくお願いします、ミズキさん」

「はい、よろしくお願いします」


 どのくらい時間がかかるのかはわからないけれど、工房は閉めなければならなくなる。クリフトンさんに説明して、準備はあと何が必要だろう。

 そう考えたら、どんどん考えに夢中になってしまっていた。カタンッと僅かな椅子の音がしたので、ようやく私は顔を上げた。

 アグノラ様は立ち上がっていた。話が終わったので帰られるのだろう。


「他に必要なことはまた改めて。今日のところは私も失礼致します」

「わかりました」


 アグノラ様が椅子から立ち上がると、どうやって察したのか外側から工房の木の扉が開かれた。もう一度優雅に礼をすると、工房から出て停まっていた馬車へと向かう。どこまでどう見送ればいいのだろう。手を振るのも違うなと思いながら、私がぼんやりしている間に、アグノラ様が乗った馬車は動き出した。

 私は日本式かなと思いながら、もう一度ぺこりと頭を下げた。


「はあー、なんかとっても緊張して疲れた」


 この金の髪のミズキが何才の設定なのかは、私にもよく分かっていない。けれどアグノラ様は少し年下だと思う。それなのに、侯爵令嬢だからか、もしくは聖女様だからなのか、その佇まいは凛としていて緊張してしまう。


「そうだ! ユズトくん、お喋りできないかな」


 西の大聖石とは聞いたが、アグノラ様からもそれ以上詳しくは聞けなかった。ユズトくんから、なにかアドバイスが貰えないだろうか。知らぬと言われそうだけど、少し話せれば不安も減る。


「ユズトくん、ユーズートーくーん! 返事してくれない?」


 工房の作業台の陰に、ユズトくん用の小さな布を敷いた居場所を作っている。私はそこから取り出すと、ぬいぐるみをブンブンと振った。もちろん、手荒に振るな! というツッコミを期待しつつそうしたのだ。


「駄目だわ、全っ然、反応がない」


 ユズトくんぬいは、本当に動いたことがあったのかと言わんばかりの静かさで、まったく動かなかった。


「いつも見守ってくれているわけじゃないのかしら」


 応えないものは仕方ない。私はまたいつもの置き場所にユズトくんをそっと戻した。


 アグノラ様の従者が、出発の連絡に来たのはそれから数日後だった。明日朝に馬車で王都を出る、日帰りで帰って来られる距離だ。そう聞いたので、私はたまたまその日に顔を見せたクリフトンさんにそのまま説明をした。


「何故アグノラ嬢が来た時点で報告しないんだ」

「そんなこと言われても、クリフトンさん忙しそうで来ないし、居場所分からないし」


 工房の帳簿をすごい速さで確認していくクリフトンさんに、ついでとばかりに話をしたのだが、話を聞くなり眉を寄せられた。どうやら勝手に引き受けたのがまずかったらしい。


「やっぱり勝手に引き受けたのはまずかったですか?」

「そうじゃない、西にある大聖石はかねてより疲労が高くて問題になっていた。だがアグノラ嬢がこちらにも通さずに、ミズキを引っ張り込んだというのがまた」


 こちらってどちらだろう。立ったままの私はぼんやりと考える。どうもこの人もわからないことが多すぎる。

 帳簿は確認が終わり閉じられたが、クリフトンさんの眉は寄せられたままだ。


「心配しなくても、騎士も同行してくれるって聞きました。あっ、私のことならちゃんとバレないようにしますから!」

「そうではない」


 クリフトンさんはゆっくりと首を振ったが、そこまで渋る理由が私にはわからない。首を傾げていると、言葉を選びながらさらに答えてくれた。


「ミズキ、実は西の大聖石はかなり状況が良くない」

「以前案内してもらった、王都の神殿の大聖石ぐらいですか?」


 あの大聖石は、規模も大きく今も必死に堪えているような状態だ。それに近い状態なのか、もっと悪いのか。

 しかしクリフトンさんはゆっくりと首を振った。


「少し違う、君のような言い例えをすると、まだ余力はあるが、疲れがありとても機嫌が悪い、といったところだ」

「機嫌が悪いですか、となるとやはり診てあげたほうかいいと思います」

「しかしな、水の加護を主な力としているが、君やアグノラ嬢の力は受け入れないかもしれない、それくらい気難しい聖石だ」

「不機嫌で気難しい、大聖石ですか」


 私はクリフトンさんの言葉を覚えるように繰り返した。気難しいと言われても、依頼は引き受けてしまったし、難しいからこそアグノラ様は一人ではなく同行を求めたのだ。


「クリフトンさんは、行かないほうがいいって思いますか?」


 真っ直ぐに見上げて尋ねるなんて行動が、常に冷静なクリフトンさんの考えに影響するとは思えない。ただしばらく向かい合っていると、折れたのはクリフトンさんのほうだった。


「西の大聖石の件は、君がもう少しこの国に慣れてから出そうと思っていた案件だというだけだ。行ってくれるなら、できる限り支援しよう。準備は入念にしてくれ」

「わかりました、行ってきます!」


 アグノラ様からは、同行を求めるという依頼しか聞いてはいない。

 そもそも依頼料や行程についての相談がしたいが、クリフトンさんを頼っているのが出発の前日である今日という状態だ。


「そういえば、西の大聖石って、王都からどのくらい離れていますか?」

「早朝に馬車で出れば、その日のうちに帰って来られるだろう。聖石が落ち着けば水が引くからな」

「成功すれば、帰りは早く帰って来られるのね」


 日帰りだとしても、王都の外に出るのは初めてだ。ここに来た時は王都郊外の平原に落ちてきたが、そこにはあまりいい覚えがない。

 準備はなにが必要なのだろう。この国は食事を持ち帰る習慣はあるが、お弁当はあまり聞いたことも見たこともない。


「お弁当、作っちゃおうかな。それからいざという時のお泊まりセットも欲しいよね」

「オベントー? よくわからないが、聖石がどうにもならなくとも、ミズキの場合、泊まりは控えるべきだ」

「どうしてですか?」


 知らない環境で寝泊まりするということなら、異世界に来ている時点でもうしっかり経験している。護衛も付くと聞いているし、真面目に工房の仕事もしているので、宿代くらいはある。令嬢のアグノラ様がいるのに、野宿をするなんてことはないだろう。


「宿をとるにしても、男として部屋割りされる可能性がある。アグノラ嬢に秘密は話せないし、こちらから配慮を求めるにはそれなりの理由が必要だ」

「あ、そっか、そうでした。確かに知らない人と同じ部屋に泊まるのは、ちょっと」


 うきうきとしていた心がやや萎む。しかしクリフトンさんの言うことは正論だから仕方ない。


「では、こちらで細かな交渉もしておく。ここのところ雨も少ないし、行くならば降り出す前に片付けよう」

「あとは、アグノラ様も色々決めてくれているだろうから」


 どうかよろしくお願いします! 私が勢いよく言うと、クリフトンさんは冷ややかにも感じられる視線を、そっと窓の向こうに逸らした。それは冷たくも感じられる表情をする、クリフトンさんなりの、心遣いだろう。

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