第22話 永遠の化け物(ヒーロー)


 ――それは、忌むべき記憶の断片。



 7年前。

 当時小学生だった氷牙の心に深く刻まれてしまった、とあるバッドエンドのお話。



 黄昏の教室。

 既に皆は下校し、昼間の喧騒が嘘の様に静まり返ったその空間に、氷牙は居た。

 

 氷牙の目の前には、大量の罵詈雑言で埋め尽くされたひとつの机。


『ゆーとーせいぶるな』『ウザイ消えろ』『機械弄りとかマジきもいオッサンかよ』『ロボット女』


 それは氷牙に向けられたものではない。

 罵詈雑言の標的となっているのは、氷牙の背後に立つ少女――水城栄華だ。

 

  非の打ちどころのない優等生として教師から好かれていたが故の嫉妬か、妙に大人びた性格が気に食わなかったのか、はたまた、小学生ながら並外れて機械に強い点が気味悪がられたのか。どれが虐めのきっかけだったのかを絞る術はない。

 

 ただ、とにかく昔から栄華は敵を作りやすかった。

 上記の要素に加えて、栄華自身がノーリアクションだったのが火に油を注ぎ、虐めを長期化させていた。


「ったく、全然成長しねえなあの馬鹿共」

 

 机を覆う心無い暴言の数々に顔をしかめながら、氷牙は掃除用具入れから雑巾を持ち出して机を拭こうとする。

 が、それを止める手があった。

 栄華だ。

 

「…………もういいわよ。どうせアイツらは理解しない」

「友達が嫌がらせされてるってのに放置する訳にもいかないだろっ……! 俺や久遠がなんとか――」

「あなたと久遠には感謝している。でも、これ以上関わるのはやめた方がいい。氷牙達まで虐められる」

「っ…………」

「私は大丈夫、これくらい耐えられる。だから2人は、もう手を差し伸べなくていいわ」

「ちょっと栄華ッ…………」

 

 冷たく言い放った栄華は、そのまま教室から出ていってしまう。

 後には、氷牙だけが残された。



 それが、水城栄華と小学生時代に交わした最後のやり取りだった。

 


 ――それは、幼い氷牙の中にあった正義の心を折るには充分だった。

 あの時の光景を、今でも氷牙は覚えている。

 

 何度繰り返しても止まらない栄華への嫌がらせ。

 いつまで経っても終わることのないソレに、栄華は抵抗するのをやめ、差し伸べられた手を取ることすら放棄した。


 そして栄華は小学校卒業を機に氷牙の前からいなくなり――氷牙は、手を差し伸べることをあきらめた。

 栄華の虐めを止められなかったという苦い結末は、氷牙の中にあった正義感を腐らせていった。

 どうせ自分が手を差し伸べたところで、誰かを助けられるわけじゃない。その力には限りがあるし、差し伸べた相手が手を取ってくれるとは限らない。

 それならばいっそ何もしない方が気楽なのではないだろうか。

 そう思い込んで、氷牙は何もしなくなった。

 

 久遠や焔児幼馴染み達は変わらずに接してくれてはいたが、時折氷牙を見る目が寂しそうに見えた。

 きっと彼らも、氷牙の変化を察していたのだろう。

 幼い頃に持っていた筈のモノを無くしてひねくれ始めていた氷牙を、彼らはどんな思いで見ていたのだろうか。考えるだけで、今でも少し怖くなる。


 そして、栄華と氷牙は高校で再会した。

 しかし、3年という溝は少年少女にとっては大きすぎた。

 

 栄華はすっかり冷めきった態度だったし、氷牙はうだつのあがらない凡人に成り下がっていた。

 声を掛けようにも、才色兼備の優等生として既に名が通っていた彼女と、なんでもない普通の男子高校生の氷牙とでは関わる機会なんてあるはずもなく、2人の間に繋がりが戻ることは無かった。

 ――氷牙がAMOREに入隊するまで。







 そして今。

 悔やむべき過去と忌まわしき現在が交差する。


 

 

    ◇    ◇    ◇




(俺はもう二度と…………あんな光景は見たく無い)


 足に空いた穴から血を噴き出しながら、氷牙は立ち上がる。


 心の底に巣食い続けたトラウマが、アドレナリン代りになって氷牙の身体を突き動かす。

 氷牙は、栄華が虐められているのを見るたびに、胸が張り裂けそうな思いをしていた。ソレを抱えながら、何度も彼女を掬い上げようとした。

 虐めはされる方も辛いが、見ている方も辛い。

 あんなものがあっていい筈が無い。


――“


 ついこの間。

 星間都市に来た直後にめぐるから言われた言葉が、氷牙の脳裏に響き渡る。

 あの時は反射的に否定したが、今なら分かる。

 

(ああ、俺ってやっぱり――)


 ――どこまでいっても、他人のために怒れずにはいられない、ちっぽけなヒーローだったのだ。

 目を逸らし続けてきた自らのあり方をようやく受け入れた氷牙は、自嘲気味な笑みを浮かべると、傷だらけの足で思いっきり地面を踏み締め――

  

 

「どりゃああああああああああああああああッ‼︎‼︎ 」

「ぬぉおおおおおおおッ‼︎⁉︎ 」


 

 手に持った二振りの刃カッターライフで全力の逆袈裟斬りを繰り出し、“烈火百武ブラフマーストラフ”の腰部キャノンを切り裂いた。

 

 その目にも留まらぬ一撃に完全に反応が遅れた結果、砲身はバラバラの破片になってアリーナの床に散らばってゆく。

 百人は動揺しながら、咄嗟にスラスターを逆噴射させて氷牙から距離を取る。


「なんだっ……催眠は確かに作用してる筈⁉︎ なのに何故動ける⁉︎ それもさっきまでより速く!」

「当たり前だろ…………! 俺は今ッ、他人の為に戦っている! お前みたいな他人の心を壊すことしかっ…………虐めしか出来ないクズなんかに負けてたまるかよ! 」


 氷牙の自由断在カッターライフによる一撃を紙一重で躱しながら、百人は反撃を試みる。

 掠っただけであらゆるものを切断する必断の刃。それはもう、刃というよりも“切断”という概念そのものに等しい。

 当然そんなものがあたれば“烈火百武ブラフマーストラフ”はひとたまりもないので、百人は必死に回避する。


「黙れッ‼︎ 虐めて何が悪いっ、綾一が弱っちいのがいけないんだろーがっ! 虐めってのは虐められる側に原因があるモンなんだよ! 」

「じゃあ俺とは正反対だなッ‼︎‼︎ 」


 鬼の様な気迫と共に迫り来る氷牙の刃。

 それは百人の想定を遥かに上回る速度で迫ってきた。

 百人は咄嗟に左腕のエナジーシールドで防御するが、刃の触れたシールドは、それを保持する左腕の装甲もろとも機体から切り離されてしまう。


「ッ…………だが、まだナノマシンは生きている! その気になればテメェなんぞ微粒子レベルで消し飛ばして――」


 鏡面装甲を持つナノマシンによるビーム反射を再び使おうと、百人は肩のビーム砲を構える。

 出力は最大、当たれば塵さえ残らない過剰威力。

 ビームの当たった氷牙が跡形もなく消し飛ぶ姿を想像した百人は、引き攣った笑みを浮かべながらビームを放とうとする。

 

 

 直後。

 ドドドドドドドドドドドドドドドドドドッ‼︎‼︎ と。

 凄まじい音を立てて、散布したナノマシンが連鎖的に爆発を引き起こした。



「なっ…………何が‼︎⁉︎ 」

  

 突然の出来事に動揺した百人は、思わずビームのチャージを中断してしまう。

 氷牙の方も狼狽えているあたり、彼女が予期したものでは無いことは確か。つまり、これを実行した第三者が居る。

 噴煙を片腕で振り払いながら、百人は爆発の原因を探ろうとする。


 その時。

 どこからともなく風が吹き、噴煙を吹き飛ばした。

 そして、クリアになった百人の視界の先には。


 

「粉塵爆発――異能バトルの基本だよね」



 


 

「めぐる……‼︎⁉︎ 」

「んな馬鹿なぁっ‼︎⁉︎ 」


 氷牙と百人は、揃って驚愕の声をあげる。

 見間違いとか幻とか、そう言った類のものではないことは確かだ。あれは間違いなく、正真正銘の生きた輪道めぐる。

 

 そんな彼女の傍らには、全身からバチバチと静電気を垂れ流している神坂悠希の姿が。


「サンキューな悠希ちゃん、お前の雷撃で一気に点火できた。ナノマシンは大方消し飛んだから、ビーム反射も封じたも同然よ」

「よ……よくわかんないけど、役に立てたんだよね⁉︎ わたし、めぐるちゃんの役に立ったんだよね⁉︎  ヤッタァヒャッホォウッ‼︎ 」


 めぐるに褒められた悠希は、ハイテンションになりながら観客席の方へと下がってゆく。

 だが、そんなものはどうでもいい。

 

 百人にとって何よりも問題なのは、めぐるが生きているという事実。

 確かに四肢と頭を消し飛ばした筈の彼女が、何故無傷で立っているのだ? 

 

「なっ…………テメエ、消し炭になったはずじゃッ⁉︎ 」

「ああそうさ、」 

「なんだと? 」

「言ってなかったっけ? 

「っ――! 」


 その言葉に、百人は激しく動揺する。

 不死身。その言葉が意味するものは考えるまでもない。


「そっ……そんなの反則だろっ!! 命を懸けた戦いだってのに、テメエは不死身って――」

「大勢を洗脳してたった一人の少年を虐めるようなクズ野郎に卑怯だのなんだの言われたくねーよ」


 命のやり取りを全否定する事実を前にした百人は、声を荒げて抗議を入れる。

 不死の怪物と死闘を繰り広げたって死ぬのは此方だけだ。どうあがいてもまともな戦いになるわけがない。こんな不公平なことがあってたまるか。


 百人は自棄になってビームを放つが、それはめぐるの眼前で出鱈目に軌道が捻じ曲がり、彼女の足元に墜落する。

 めぐるは乱射されるビームを指一つ動かすことなく捻じ曲げながら、氷牙の隣へと並び立つ。


「大丈夫か氷牙、ナノマシンはほとんど蹴散らしてやったから、催眠光は途切れてる筈だぜ」

「ああ…………なんとかな。びっくりするくらい頭がスッキリしてるよ」


 光を反射して催眠光を作り上げていたナノマシンが消えたことで、氷牙の頭にかかっていたモヤも消え去った。恐らく、暴走状態にあった生徒達も沈静化しているだろう。

 ともかく、これでナノマシンを使ったビームの反射や催眠術も封じた。後は単純な実力がものをいうことになるだろう。


「…………なんなんだよ」


 ぽつりと、百人がそう口にした。


「なんでお前らは織島綾一なんかを助けようとする⁉︎ 赤の他人だろッ‼︎ こんなに命をかけてまでやることかよッ⁉︎ 」


 その顔には、明確な恐怖があった。

 彼は理解できないのだ。

 めぐるや氷牙が立ち向かってくる理由が。

 織島綾一あかのたにんを救うために躍起になる人間の気持ちが。


 きっと、その時点で勝敗は決まっていた。


「オレが何故AMOREとして戦ってるか教えてやろう」


 ふわりと。

 めぐるの身体が浮かび上がったかの様に見えた。

 実際にはただめぐるが跳躍しただけなのだが、そのあまりにも自然すぎる動きが、そう錯覚させているのだ。


「世の中には“正直ものは馬鹿を見る”という言葉があるだろう? 」


 ジャキリ、と。

 “烈火百武ブラフマーストラフ”の右腕装甲が変形してランチャー砲になり、飛び上がっためぐるへと向けられる。

 その砲身から轟音と共に放たれたミサイルは、真っ直ぐにめぐるへと飛んでゆく。


「オレはあの言葉が大嫌いでね。正直者ほど、真っ当な善人ほど報われてほしい。バッドエンドもデッドエンドも真っ平ごめんなのさ。だから、その為にオレは戦う。お前達みたいなクソ野郎のせいで真っ当に生きてる奴が損をする世界を、オレは否定する! 」

 

 めぐるはそう宣言しながら、両手の指で作った四角窓を捻る様な動作をする。

 その直後、バキョリッ‼︎‼︎‼︎ と激しい音を立てて、彼女の眼前まで迫っていたミサイルが前後に捻じ曲がった。


「それが――不死身の怪物えいえんのヒーローになった、この命の使い道だ」


 すたっ、と。

 めぐるは軽やかに着地する。

 

「クッ………………この異常者共がァッ‼︎ 」


 まともな反論もできずに吠え散らかす百人の目の前に、ガタンッ‼︎‼︎‼︎ と音を立てて捻じ曲がったミサイルが落下する。

 めぐるの裏返りの円環リバーシブル・メビウスに捻じ曲げられたことでミサイルの機構に異常が発生したためたのかはわからないが、爆発はしなかった。


「何故俺たちが遠慮しなくちゃいけない‼︎ せっかくつまらない前世を捨てて転生したんだっ! 誰にも縛られないし見下されない、俺はそんな世界を手に入れてやるんだよォッ‼︎ 」


  百人は“烈火百武ブラフマーストラフ”のスラスターを全力で稼働させると、ビームソードを構えてめぐるに斬りかかろうとする。


 ――しかし、彼は失念していた。

 




「――自由断在カッターライフ

「‼︎‼︎ 」



 ふらり、と。

 百人の目の前に、自由断在カッターライフによる二振りの刃を構えた氷牙が立ちはだかる。

 ここでようやく百人は氷牙に気付くが――手遅れだった。



灸一閃きゅういっせんッ‼︎」


 氷牙が刃を水平に振り抜く。


 直後。

 音と認識を置き去りにして、“烈火百武ブラフマーストラフ”がバラバラに切断された。



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