第3話 始まりはいつも突然~enter the other world~
最初に感じたのは、少しひんやりとした風の感触だった。
なんとなく肌寒いが、それでいて心地よい風が、氷牙の肌をそっと撫でている。
(何が…………おきたんだ? ここは一体…………? )
目を開けると、綺麗な青空が広がっていた。草が風に靡く音が耳に入る。
起き上がってあたりを見渡すと、そこはだだっ広い草原が広がっていた。どうやら現在地は小高い丘のようで、川が流れているのか、そう遠くない所から水の流れる音が聞こえる。
しかし、何故自分はここにいるのだろう?
ここに至るまでの記憶があやふやになっている。
(変な気分だ……身体が怠い……)
身体を起こしたはいいものの、全身に妙な怠さを感じる。まるで自分の身体じゃないかのような感じだ。
ズキズキと痛む頭を抱えながら、氷牙は立ち上がる。
そこで、気づいた。
(あれ?俺の手……なんかおかしくないか?)
痛む頭を抑えるべく伸ばした左手。
その手は白く、細かった。
いくら氷牙が運動が不得意な陰キャ男子といえども、一応男子高校生。この手の白さと細さはおかしい。
氷牙は困惑の表情で自身の右手を見つめながら、無意識のうちにもう片方の手で頭を掻く。
そこで、二つ目の異変に気づいた。
(なん、だ…………この髪の毛)
肩に白い髪の毛がかかっていた。
氷牙は鬱陶しがってそれを払い除けようとするが、髪の毛をどかせない。
(いや、乗っかってるんじゃなくて……俺の頭から生えてるのか?)
それだけてはない。
なぜこうもはっきりと周りが見えている? 氷牙は眼鏡なしではろくに周りが見えないど近眼だというのに?
明らかに普通じゃないことが起きている。
おそるおそる、目線を下ろしてゆく。
そこには、整った形状の双丘がぶら下がっていた。
「んひゅうっ⁉︎ 」
胸の膨らみに恐る恐る触れてみると、柔らかい感触とむず痒い感覚が同時に襲いかかってきた。
思わず声を上げてしまった氷牙だが、ここで気づいてしまった。
「んー、あー…………なんだこの声⁉︎ 俺の声ってこんなに高かったか⁉︎ 」
声が高い。
どう見ても二次性徴を経た成人間際の男性が出せるような声ではない。
見事なまでのソプラノボイス。それが氷牙の喉から出ている。
(なんだ? 髪の毛といい胸の膨らみといい声といい———まるで女みたいじゃないか⁉︎ )
震える身体を無理矢理動かしてから足を下ろす。
入院着から覗く足は、男ではまず作り出せないような肉付きをしていた。
「なんだコレは……俺は今、どうなっている……⁉︎ 」
氷牙はふらふらとした足取りで、一歩足を踏み出す。
声や胸の異変に加え、さっきから服の胸や尻のあたりに感じている妙なきつさ。今までの異変から否が応でも導き出されるあるひとつの予想を頭に浮かべながらも、それを否定したいがために、氷牙はあたりを見渡す。
すでになんとなく、氷牙は自分の身に降りかかっていることを認識し始めていたが、それでも認めるわけにはいかなかった。これを認めてしまったら、自分の中の常識とか尊厳など、そう言った類の大切な何かが粉々に砕かれてしまう。もしそうならば、せめてこの目で確かめなければならない。
焦燥感に突き動かされるように丘を駆け下り、麓を流れる小川を覗き込む。
どうか、これが勘違いであってほしいと願いながら。
しかし。
現実は非情だった。
「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………何これ」
必死に絞り出した言葉が、それだった。
水面に映っていたのは、白い髪の女の子だった。
見慣れた自分の姿ではない。
腰あたりまで伸びた、透き通るように白い髪。世の女性達が軒並み羨むような美肌。赤く輝く虹彩。入院着の下からその存在を主張している胸の双丘。
———そして、あるべきものの感触が全くない股間。
「…………なにこれ」
もう一度、氷牙はそう口にした。
それと同時に、水面に映った少女も口を動かす。
———これは夢ではない。
何処をどう切り取っても、南氷牙という人間の要素は見当たらない。強いて言えば身長だけは変わっていないのだが、ここまで外見が変わってしまっている以上、それはもはやどうでもよかった。
結論から言うと、世の男性達が思わずぞっこんになってしまいそうな美少女が、そこには映っていた。
「な、なにがどうなってるんだよ⁉︎ なんで俺、女の子に……⁉︎ 」
わなわなと震えながら、頬に手を当てる。
一体何がどうなったらこんなことになるのだ?
ペタペタと身体のあちこちを触ってみたり、頰をつねってみたりするが、やはり夢ではない。
完全に女の子になっている。
「訳わかんねえ…………つーか落ち着かねえ…………」
頭を抱えながら、氷牙はぽつりとそう呟いた。
そりゃそうだ。
思春期の少年がいきなり女の子になったのだ。平然としていられるわけがない。困惑と羞恥と煽情のトリプルコンボが、少年もとい少女の精神をもみくちゃにしてきやがる。
頬を軽くつねってみるが、確かな痛みが伝わってくる。夢ならばどれほどよかっただろう。
「ほっぺたつねったけどちゃんと痛い…………つまりこれは夢じゃない。じゃあなんだ⁉︎ こんなことがあって———」
その時だった。
「――オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――」
「⁉︎ 」
突如として、氷牙の背後から凄まじい轟音が鳴り響いた。
まるで何かの雄たけびのような、途轍もない威圧感を感じさせる音。これほどまでに恐ろしいものを、氷牙は聞いたことがない。
咄嗟に振り返った氷牙だったが、それを目にした瞬間、彼女は固まった。
「…………あ? 」
そこに居たのは、巨大なドラゴンだった。
何かの見間違いかと思ったが、全身を覆う黒い鱗に背中に生えた大きな翼、鋭い爪に長い尻尾。そして完全なまでの爬虫類面。これをドラゴンと言わずして何というのか。
氷牙にとっては空想上の存在であった筈のその生き物が、今目の前で息をしている。
「な、なんだアレッ…………⁉︎ 」
「ゴアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! 」
呆然としている氷牙に、ドラゴンが二度目の咆哮を浴びせてきた。
耳がイかれてしまいそうになるほどの爆音が、ビリつく空気と一緒になって氷牙の全身に容赦なく飛んでくる。それだけで、氷牙はすっかり立ちすくんでしまっていた。
マズいとわかっているのに、足が動かない。
ドラゴンが両手の爪を勢いよく振り上げる。あんな鋭い爪に切り裂かれたり刺されたりしたら、間違いなく死ぬ。それもかなりグロテスクに。
立ちすくんでいる氷牙に、ドラゴンの爪が迫る。
(あ、俺死んだ――)
その時だった。
「ちょっとどいてろよ氷牙ちゃんっ‼︎ 」
「な――」
聞き覚えのある声が、氷牙の後方から聞こえてきた。
そして、
「竜殺しパアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアンチッ‼︎ 」
「ギュアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! 」
そう叫びながら飛び上がった何者かが、ドラゴンの鼻頭に渾身のパンチを叩き込んだ。
自分よりもはるかに小さいはずの人間の拳だというのに、その威力は絶大。パンチをくらったドラゴンは、先ほどの咆哮以上のボリュームの断末魔の叫びを上げながら、その巨体を草原へと沈ませてゆく。
目まぐるしく変わる状況についていけない氷牙は、ただ茫然とその様子を見ていることしかできなかった。
(なんだ? いきなりドラゴンが現れたと思ったら、こんどは殴り倒された⁉︎ なんなんだよコレ、なにがどうなってんだよ…………⁉︎ )
「ちょっと失礼」
「ひうっ⁉︎ 」
と、その時、背後から伸びてきた二本の腕が、氷牙の胸を思いっきり揉んできやがった。
胸を揉まれたことで、再び男らしからぬ恥ずかしさ全開の声が漏れてしまい、氷牙の顔を恥辱で赤く染め上げる。
抵抗しようとする氷牙だが、胸にあてられている二本の手はそれよりも素早く動き回り、氷牙の胸を堪能せんと暴れまわる。それと同時に、ぬるりと氷牙の真横にひとつの顔が伸びてきた。
「ほうほう、これは……オレと同等かそれ以上の……とにかくいくらでも揉m」
「こっ……おまっ……いきなりなにしてくれとんのじゃこのド痴女がッ!! 」
「べぎゅるっ⁉︎ 」
氷牙は容赦しなかった。
真横に顔を出してきた
顔面を思いきり殴られたその人物は、鼻血を噴き散らしながら草原に背中からぶっ倒れる。やったことがやったことなので、これでも全然甘いくらいだ。
胸を揉んできた変質者に対して、殴り倒してもなお怒りと恥ずかしさが収まらない氷牙は、倒れた変態を何度も何度も蹴とばしながら心の限り怒鳴り散らす。
「ほんとに失礼なことする奴があるかッ!! 何なんだお前ッ、新手の変質者か⁉︎ 」
「いや別に新手じゃない」
「変質者というのは認めるのか……って、お前はッ⁉︎ 」
むくりと起き上がったその変態の顔を見て、氷牙は固まった。
そこにいたのは、中性的な顔立ちの少女――輪道めぐるだった。あの緑色の瞳も紫色のショートヘアーも、見間違るはずがない。あの時氷牙を助けた少女そのものだ。
――だとして、だ。
何故彼女がここにいて、いきなり女体化してしまった氷牙の胸を揉んできたのだろうか?
「どーも、お目覚めのようだね氷牙ちゃん。おっぱいの触り心地、最高だったぜ」
「嬉しくねーんだよこの変態女っ!! なんでいきなりおっぱい揉んできたッ⁉︎ そしてお前は何者で、ここはどこで、なんで俺は女の子になってるんだよっ⁉︎ 全部納得のいく説明をしてもらおうじゃねえかっ‼︎ 」
「うおうおうおうおうおうおうおうおうおうおうおおおおっ⁉︎ 」
キリっとした顔でおっぱい批評を述べてくるめぐるにブチ切れた氷牙は、めぐるの方を握りつぶす勢いで掴んでがんがんぐわんぐわんと揺さぶる。こんな変態女に命を救われたという事実が恥ずかしくて仕方がない。このまま両肩粉々にしてやって死んでしまいたい気分だ。
で、めぐるを揺さぶること数分。
氷牙のパニックと怒りがひと段落してようやく解放されためぐるは、ふらふらと目を回しながら川辺に腰を下ろすと、一呼吸おいて話し始める。
「まあなんだ、お前の疑問に答えてしんぜようではありませんか。オレはめちゃくちゃ優しいんでな」
「優しい奴はそんないやらしい目つきしてねーよ。次触ったら両目と両手潰すからな」
「お~怖可愛い」
「………………よし両目両腕潰す」
「早まるな氷牙ちゃんっ‼︎ 」
めぐるのいやらしい目つきに反応してさっと拳を振り上げた氷牙だったが、こうしていると一向に話が進まなくなりそうなので、ここは一旦脅す程度に抑えておくことにする。
なんとか氷牙が落ち着いたのを確認しためぐるは、どーんと胸を張りながら改めて自己紹介を始める。
「じゃあまずはオレは俺の素性からだな。オレは輪道めぐる。ワケあっていろんな異世界を行ったり来たりしてる……異世界人だ」
「ハァッ⁉︎ 異世界人だあっ⁉︎ 」
めぐるの発言を聞いて、初っ端から素っ頓狂な声をあげる氷牙。
ほぼ初対面の人間から、”自分は異世界人だ”と言われてはいそうですか、なんて軽い言葉で納得できるわけがないし、大真面目にそんなことをほざく人間が現実にいるとは到底思えない。
しかし、校舎でのあの非現実的な能力バトルを目の当たりにしてしまったあとでは、どこか納得もできてしまう。めぐるが別の世界から来たと言うならば、あの意味不明な超能力じみた力や戦闘能力にも、なんとなく説得力があるように感じられる。現実味のないあの出来事が、逆にめぐるの発言の信憑性を高める結果になってしまっているのだ。
「信じられない気持ちは分かる。逆にどうやったら信じさせられるのかオレが知りたいね」
「いやお前がそれ言うのかよ」
「続いての質問に答えよう」
「え、今の話もう終わり⁉︎ 」
「いやぁ、こう見えて自分、少々複雑な立場ゆえに素性を完全に明かすのはちょっとばかしマズいんで……それに、長ったらしい説明はするほうもされるほうも嫌なもんだよ。ほらネクストッ」
「だからって説明ぶん投げるんじゃねーよ! 」
もうその話は済んだだろ? と言わんばかりに次の話題に映ろうとするめぐるだが、氷牙からすれば全然納得のいく答えが返ってきていない。ぶん投げているどころじゃない。
結局めぐるの素性については全く分からずじまい。なにやら話せない事情があるようだが、氷牙からすれば変態不審者女という認識から全く変化していない。
「えーと次はねえ、ここがどこなのかについて説明してあげようっ!! ……といいたいところだが、オレも正確にはよくわかんない」
「ハァッ⁉︎ 」
意気揚々と2つ目の質問への対処に入りやがっためぐるだが、今度は速攻で回答放棄してきた。さっきの質問の時点からそうだったが、どうやらこれが輪道めぐるという人間のテンションのようだ。はっきり言って疲れることこの上ない。
が、当然こんな回答を返されても氷牙は困るので、半ばあきらめ気味になりながらも、めぐるに真面目な返答を要求する。
「お前真面目に答える気ないだろ。ちゃんとしてくれ」
「いや、これに関してはマジで分からん。だってオレも気づいたらここに居たんだもん。多分どっかの異世界なんだろーけどなー、生憎座標が分からんし」
「役にたたねぇ……」
駄目だ。
なんというか、これ以上コイツと話してても何も進展しないのが目に見えてる。
――異世界?
「異世界だぁ? 能力者に異世界人ときて次は異世界? 一体幾つジャンル重ねりゃ気が済むんだよ? 」
「じゃあ聞くけど、お前の住んでた世界にドラゴンなんて存在したか? しないよな? 」
「それはそうだけどさ」
氷牙はちらりと、めぐるの後方に目をやる。
そこには、めぐるが先ほど殴り倒したドラゴンの遺体が転がっている。
でかでかと鎮座するそれが、今この瞬間がまぎれもない現実であることを熱烈に主張している。氷牙がいくら否定しようが、お構いなしに。
(一体俺はどうなってしまったんだ……これからどうなる……? )
殺され、生き返り、性別が変わり、異世界らしき場所に迷い込み。
氷牙の心の中で膨らみ続ける不安は尽きることを知らないが、だからといって悩んでも答えは出ない。
というか、先ほどから冷たい風が吹きつけてきている為、思考を巡らそうにも寒さで集中できない。
めぐるもそう感じていたのか、自らの肩を抱きながら軽く身体を震わせる。
「…………にしてもちょっと寒いな。流石に草原のど真ん中に座り込み続けるのもアレだし、続きの話は移動しながらにしないか? 」
「移動って…………どこにだよ」
「人の居そうなところ」
「わかるのかよ? 」
「適当にごーっ‼ もしかしたら元に戻る手段とか見つかったりするかもだし、とにかく冒険スタートだーいっ!! 」
「その根拠と自信はどっから来てるんだよ…………」
そうぼやいた氷牙だが、確かにちょっと肌寒い。
くしゃみをしながら立ち上がっためぐるに続いて、氷牙もたちあがる。
「よーしっ、美少女2人のぶらり旅の始まりだーっ‼ 」
「なんでそんなに元気なんだか……つーか勝手に美少女扱いすんな」
呑気すぎるめぐるの言動に呆れながら、何気なしに見上げた空。
そこには、4つの月がうっすらと昇っていた。
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