第23話 覆水盆に返してやりたい

アリーナ観客席


『…………綾一』


 朦朧としていた織島綾一の聴覚が、懐かしい声を捉えた。


「あ…………ん? 」

 

 ゆっくりと身体を起こす。

 あちこちから伝わる痛みが、綾一の意識を現実へと引き戻す。

 痛む箇所があまりにも多いので、その痛みが心から来ているのか身体から来ているのかの区別すら、当にできなくなっている。


 彼が横たわっていたのは、アリーナの観客席。

 記憶が確かならば、自分は鹿山百人との模擬戦――という名の蹂躙によって意識不明となっていた筈だ。

 百人がこの学園に現れて数カ月、毎日のように殴られたり蹴られたりされていせいで、暴力を受けて気絶するのにもすっかり慣れてしまった。


 ――しかし、今回は今までとは違うところがあった。

 いつもは意識を取り戻しても一人ぼっちで、誰も綾一を気にかけやしない。


 だが今回は、綾一の傍らに他人がいた。

 ウェーブがかった髪を腰辺りまで伸ばした大人びた雰囲気の少女――水城栄華だ。


「…………君は」

「私よりも先に、彼女に声をかけてやるべきだと思うのだけど」

 

 栄華はそう言うと、綾一の左手首のあたりに目を向ける。

 

 綾一の左手首に填められたリストバンド。

 そこから、小さな少女の姿が投影されている。

 

「…………アトラス?」

『はい。お久しぶりです、綾一』

 

 そこに居たのは、苦楽を共にしてきた相棒アトラスだった。

 学園中が敵となる中、百人に没収されるまで唯一の味方であり続けた彼女。

 もう二度と会うことはないだろうと思っていた愛機の姿が、そこにあった。


「お前、どうしてここに…………一カ月以上前に百人に取り上げられて、それっきりだったはずじゃ」

『安心してください、もうすべて終わりました』

「え? 」

『あの人達が綾一を、この学園の皆を地獄から解放してくれたんですよ』

 

 アトラスが指さす先に視線を向ける。

 そこには――


 


    ◇    ◇    ◇



 戦いは終わった。

 “烈火百武ブラフマーストラフ”を破壊された百人は戦意を喪失し、糸の切れた人形のようにその場に崩れ落ちる。

 

「えっと、終わったんだよね? 」

「……………………」


 おろおろしてる悠希を他所に、氷牙は百人の前に立つ。

 そして、手に持ったままの自由断在カッターライフの刃を、百人へと振り下ろそうと――


「やめろ」


 した瞬間。

 めぐるが氷牙の腕を掴み、制止させた。


「コイツが何をしようとしてたのかわかってんだろ」

「だから止めたんだよ。コイツは殺されても文句は言えないほどの悪事を働いたが、だからといって殺したらお前はそれ以上の悪になる」

「でもっ…………」

「それに、こういうクソ野郎は下手に殺すよりもちゃんと罪を裁いてもらった方がいいんだ」


 めぐるはそう言いながら、いつの間にか持っていた手錠を百人の手首へとかける。

 すると、百人の身体が光の粒子となって霧散する。AMORE本部に転送されたのだ。

 

 百人の身体が霧散すると同時に、氷牙はその場に膝をついてうつむく。

 その手からは既に、自由断在カッターライフの刃は消えていた。


「わかんねえよ…………俺は、アイツが改心するとは思えない」

「だろうな」


 あっさりと、めぐるはそう言った。

 氷牙はそれを耳にして虚を突かれたような顔になるが、即座に我に返る。

 

「じゃあなんでっ……捕まえるだけ無駄なら殺した方がいいんじゃないのか⁉ 」

「悪人だからって理由で殺すのってさ、気に食わない奴を殺すのとそう大差ないと思うんだよ。仮にも秩序と平和の守り手であるAMOREオレ達がソレやってしまったら、そこいらの犯罪者と同類になってしまう。だからAMOREは、極力転生者を殺さないことにしている。オレ達は別に新世界の神じゃないんだ」

「…………」

「それに、ただ転生者を倒したからといってすべてが解決するわけじゃないだろ? 」


 めぐるはそう言うと、俯いている氷牙の頭を掴んで無理やり前を向かせる。


 そこには、泣き崩れる大勢の生徒達の姿があった。皆、アリーナにいた生徒達だ。

 その場に蹲り頭を抱える者、人目もはばからず泣き叫ぶ者――誰もかれもが、子供のように嘆き喚いていた。

 眼前に広がっているあまりにも異様な光景に、ひたすら困惑する氷牙と悠希。

 

「これは……」

「生徒たちの催眠が解かれた。それが何を意味するのか、わかっているでしょう? 」

「栄華ちゃん! 」

 

 そこに、栄華がやってきた。


「催眠が…………ああそうか」

 

 栄華に言われて、氷牙は気付いてしまった。

 百人の烈火百武・夢幻自在転ブラフマーストラ・パーピヤスが喪失したことで催眠が解け、正気を取り戻したのだ。


 しかしそれは、彼らにとっては地獄でしかなかった。

 催眠が解けたからといって、その間に自分達が織島綾一にしてきた壮絶な虐めがなかったことにはならない。望んでやったことではないにしろ、彼らが綾一を虐めて心身ともに傷つけてきたのは事実。これから彼らに待ち受けるのは、犯してしまった罪との終わりなき対面なのだ。


「催眠が解けたといっても、だ。転生者のせいで、アイツらは余計な罪を背負って生きなきゃいけなくなった」

「…………でも、一番辛いのは彼だと思う」


 栄華はそう言いながら、アリーナの観客席の方を見上げる。

 そこには、虚ろな表情をして観客席に腰を下ろしている綾一の姿があった。

 

 観客席の綾一は、高校生がしていいものとは思えない程に生気が感じられない顔をしていた。

 当然だ。数カ月にわたる全校生徒からの壮絶な虐めを受け続けていたせいで、綾一は心身ともにデッドラインを飛び越えている。

 少しでも目を離せば死んでしまいそうで、かといって下手に声かけても壊れてしまいそうで。

 あんな状態の人間にどう接してやればいいのか、氷牙には見当もつかない。


「いくら諸悪の根源たる転生者を片付けたからといっても、彼の受けた傷はそう簡単に治らないでしょうね。私達がもっと早く来ていれば、マシな結果にはなったと思うのだけど」

「…………綾一をどうするつもりだ? 」

「ひとまずはAMOREの医療機関に入院させる。心の傷をいやすためにも…………な。しばらくは隔離病棟行きだろう」

 

 氷牙は無言で綾一を見つめる。

 彼は本当に治るのだろうか。

 氷牙の知る”無限軌道機界オーバーヘブンげんさく”のような青年に戻れるのだろうか。

 今はまだ、分からない。


「…………なんでこうなったんだよ」

 

 心身共に傷だらけになった綾一のいたたまれなさと、たった一人の人間をあんな風になるまで痛めつけた百人への怒りで、氷牙は拳を強く握りしめる。

 悠希も目に涙を浮かべながら綾一のことを見つめており、栄華はぱっと見は普段通りに振舞っているように見えるものの、よくよく見ると眉間にしわが寄っている。彼女達も氷牙と同じように、この惨状が許せないのだ。

 元凶を倒したというのに、心は全然すっきりしていない。

 むしろ暗くなる一方だ。

 

「ッ! あのっ……! 」

「ん? 」


 そこに、背後から声をかけられる。


「お前達は……」


 そこに居たのは、色とりどり、国際色豊かな美少女達。

 彼女達は皆、“無限軌道機界オーバーヘブン”における原作ヒロイン――織島綾一と絆を育む筈だった少女達だ。


 催眠が解けたことで、自らが綾一にしてきた所業を正しく認識してしまった彼女達は、その可憐な顔を絶望に染まらせていた。

 その中の一人―― 草楽風倻くさらふうやは、震える両手でめぐるの手を取る。


「……………………私達は許されないことをしました」


 それは、懺悔だった。

 沈黙するめぐるに、少女達は揃って跪いて自らの犯した罪を告白する。


「私達は、催眠に踊らされ大好きだったはずの彼を壊し尽くした、悪逆非道の権化です。好きでもない他人のために大切な人を死の淵にまで追いやりました。許されていいはずがありません。どうか、私達を裁いてほしいのです」

「お願いしますっ…………ボク達はどんな罰でも受け入れます‼ 」

「首を切れと言ったら喜んで切るッ! だから頼むっ、わたし達に裁きを…………! 」

「…………」


 正気を取り戻した少女達の嘆願を、めぐるは無言で聞いていた。

 暫しの間、両者の間に沈黙が走り、だだっぴろいアリーナに他の生徒達の嘆く声だけが木霊する。


 そして。

 


「――駄目だ」



 きっぱりと、めぐるはそう答えた。


 直後、少女達の顔が更なる絶望に染まる。

 

「そんなッ…………!!!! 」

「お願いだからボク達を罰してよッ…………!!!! 」

「…………生きてこの罪を背負い続けることが私達への罰だと? 」

 

 己が罪に耐えきれずに罰を求める少女達の姿は、氷牙にはとても痛々しく見えた。

 鹿山百人がいなければ、彼女達はこんな思いをしなくて済んだはずなのだ。彼がこの世界に転生してこなければ、綾一達は楽しい学園生活を送れていたはずなのだ。

 いたたまれなさに苛まれた氷牙の瞳から、無意識のうちに涙が零れ落ちる。

 こんなの、見ていられるわけがない。


「一思いに殺してくださいッ!!!! 私達を地獄に堕としてッ…………」


 風倻はめぐるに玩具をねだる幼児のようにしがみついて、罰を懇願する。

 彼女達にとってはそれが残された唯一の救いなのだ。

 

 だが、めぐるからの返答は変わらない。

 

「駄目だ」

「お願いだから…………罰してよ…………! 」


 消え入りそうな声で、風倻は懇願する。

 めぐるは自らにしがみついてきた風倻を引き剥がすと、しゃがみこんで彼女と目線の高さを合わせる。。

 そして。

 力強い声で、こう言った。

  

「お前たちには裁かれることよりも――死よりも優先すべきものがあるはずだ」

「優先…………? 」


 瞬間。

 少女たちの動きが止まる。

 

「これから織島綾一はAMOREの医療機関にて療養に入る。精神面を考慮して面会は禁止。いつ完治するのかは分からないし、そもそも治らないかもしれない。それでもお前たちは待ち続けろ」

「待つ…………? 」

「これは罰じゃない、義務だ。オレ達が綾一を絶対に治すから、お前達は逃げずに待っていろ。罰されることを願うならば、これくらいできるはずだろう? というかできないようでは、裁かれる資格はないと思え」

「……………………」

 

 いつ来るかもわからない綾一との再会を、罪を背負いながら待ち続けるか、それとも勝手な自責で命を捨てて綾一と決別するか。

 めぐるから提示された過酷な道を前に、少女達は苦悩する。

 風倻達に拒否権はないも同然だった。

 

 ただひとつだけ、確かなことがある。

 輪道めぐるは、死に逃げを決して許さない。

 死を持った裁きも償いも、彼女は許容しない。


 、と。

 風倻達の目には、めぐるが言外にそう伝えきているように思えた。


 

 そして。

 長い沈黙の果てに、風倻が口を開いた。


「…………私は待つ。この苦しみから決して逃げない。苦しみ続けて、待ち続けて…………そして、綾一に謝るんだ」


 ――その瞬間、氷牙の目には、めぐるが優し気な笑みを浮かべたように見えた。

 

 待つ。それが風倻の答えだった。

 死という罰ではなく、罪を背負って待ち続けるという選択を、彼女は取ったのだ。

  

 風倻が口を開いたのを皮切りに、他の少女達も各々の答えを出す。

 ――といっても、彼女達の答えは風倻と同じだった。

 

「…………当然ネ。あたし達はそれほどのことをしたアル」

「催眠を言い訳になんかしたくない。正気を失っていたとはいえ、私達が綾一を傷つけ続けたのは事実。この学園の全員がそれを罪として背負う。当前のことだ」


 少女達は本気だった。

 償いようがないかもしれない、取り返しなんてとっくのとうにつかなくなっているかもしれない。それでも、自らの罪と傷を一生背負い続けるという覚悟を決めている。

 そこに、催眠にかけられ熱に浮かされていた時の雰囲気は欠片も無かった。

 少なくとも、めぐるの目にはそう映っていた。


 きっと、こちらが本来の彼女達なのだろう。

 他者を気にかけることが、そして自らの過ちを悔い本気で償いたいと思えることができる、優しい少女達。

 それだけに、己の欲望のためだけに彼女達の意思を捻じ曲げ歪めて苦しめた鹿山百人の罪は重い。

 

「…………そうか」


 少女達の覚悟を受け止めためぐるは、そう一言口にしながら微笑む。

 

「約束だからな」

「…………はい」

「“覆水盆に返らず”という言葉があるだろう? オレはあの言葉が大嫌いなんだよね。だからオレは、なにがなんでも綾一の傷を癒してやるつもりだ。鹿山百人クズひとりの為だけに善人が壊れるのも、お前達が自責の末に死に逃げするのもまっぴらごめんだ。覆水盆に返してやるから、首長くして待っとけよ」

「「「「「はい! 」」」」」


 めぐるの言葉に、少女達は涙と決意の入り混じった強い返事をした。


 悪意を持った転生者よそものに絆も何もかもをぶち壊されてそれっきりというのは、あまりにも救われなさすぎる。

 虫のいい話だと思われるかもしれない。彼女達を許すなという声は確実にある。

 それでもめぐるは、元に戻ってほしいと思っている。

 

 この世の中には、覆水盆に返らずという言葉だけではなく、雨降って地固まるという言葉だってあるのだ。

 雨というにはあまりにも激しすぎるものかもしれない。それでも、めぐるは元に戻ることを願わずにはいられない。

 それこそが、鹿山百人への一番の意趣返しになるはずだから。

 

 少女達の決意を見届けためぐるは、風倻達に背を向け歩き出す。

 きっと彼女達は大丈夫だと、そう信じて。

 

「…………酷く無茶苦茶なこと言ってたような気がするんだけど」

「そうでもしないとこいつら全員自殺しかねないからな。荒療治だがこれくらいやっとかねーと」

「分からなくはないけどさぁ。なんかちょっと、めぐるちゃん怖いというか」


 めぐるが歩き出したと同時に、先ほどまでのめぐるの言動について苦言を呈する氷牙達。

 罰を望む風倻達の姿がいたたまれない氷牙にとっては、めぐるの発言は強引に思えるのだ。

 しかし、めぐるはぶつけられた苦言に対して特に反論しなかった。

 

「…………いい奴らだよ、ほんとに」


 贖罪をしながら綾一を待つ覚悟を決めた少女達を思いながら、めぐるは微笑む。

 これほどまでに思ってくれている人がいるなんて、綾一は本当に幸せ者だ。鹿山百人の操り人形にされるには勿体無いくらいに、彼女達は尊い。

 故に、百人の所業は許されない。

 何がなんでも然るべき罰を受けてもらわねばならない。


 と、その時。

 この世界に来てからずっと沈黙を保っていた通信端末が、喧しい音を立て始めた。

 せっかくいい感じに終われたのに何事だ? と思いながら、めぐるはしぶしぶ通信に応じる。


『っ! ようやく通信がつながった! 』


 通信相手は、オペレーターである橋本だった。

 酷く慌てた様子だが、どうしたのだろうか?

 

「あれ、はしもっちゃんどしたの? 」

『めぐるッ、そっちの状況を教えろっ! 先程まで通信妨害を仕掛けられていたんだ、』

「あー通りで沈黙保ってたわけだわ。てっきり仕事サボってるのかと」

『誰がサボりじゃこの野郎‼ 』

「まーまー落ち着いて。とりあえず任務に関しては完了しましたよ。鹿山百人は逮捕、織島綾一現地住民と催眠下にあったAMOREエージェントの子達に関して、AMORE附属の医療機関への移送手続きを頼む」

『はぁ……分かったよ。じゃあ帰還準備進めとくから、帰ったら事後処理班への引継ぎ忘れんじゃねーぞ』


 そう言うと、橋本は通信を切る。

 直後、めぐる達の腕の次元転移装置のディスプレイに、カウントダウンが表示され始める。星間都市ネオスへの帰還準備が始まったのだ。

 このカウントがゼロになった時が、この世界との別れとなる。

  

 

「…………帰るわよ」

「ああ」

「……………………」

 

 

 次元転移装置が作動するまでの間、氷牙は目の前に広がる惨状をひたすら見つめ続けていた。

 

 自分がこれから戦う敵の在り方と、戦うに足る理由が、そこにある。

 ならばそれを、今の内にしっかりと目に焼き付けておかなければならない。



「…………辛いな、AMOREの仕事って」

「ああ。いつまで経っても慣れないもんだぜ、ったく」



 空を見上げながら氷牙のついた悪態に、めぐるはどこか弱弱しい声で返事をする。

 

 視界の先に広がる冬空が、いつも以上に冷たく感じた。

 



    ◇    ◇    ◇



 任務報告ミッションリザルト


 転生者:鹿山百人

       ――逮捕済。監獄次元へと移送

 捜索対象:リテュール・イリナ  リネット・ナイム。

       ――救助完了。現在入院中

 被害者:織島綾一以下宙越学園全生徒教員

       ――現在治療中


 チーム『リンカーネイションズ』   任務完遂ミッションコンプリート

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