第1話 典型的ボーイミーツガール
普通という割には白髪だったり眼鏡掛けてたりするが、充分普通のカテゴリに該当するような人種だろう。
別に異能力者でもないし、魔王や勇者の生まれ変わりだったり末裔だったりはしないし、裏社会に生きる暗殺者一族の出身だったりもしない。現代日本に暮らす普通の少年だ。
そんな彼は今——殺されかけていた。
「……………」
下り階段途中で腰を抜かしている氷牙の目の前には、酷く顔の整ったブレザー姿の少年が一人、階段の下を塞ぐ様にして立っている。
少年の傍らには、ドロドロに溶けた人間だったモノが、廊下の床から窓にかけて散らばっている。
(何がおきてんだよこれ……‼︎ なんでこうなってんだよ……⁉︎ )
必死に、自身の置かれた状況について罵倒しまくるが、そんなことをしても事態は好転しない。
目の前の少年は、氷牙の方を凝視している。
今の氷牙は、殺人現場に居合わせてしまった哀れな一般人。
そして、殺人犯が目撃者を生かす道理はない。
一歩、少年が足を踏み出す。
(なんで……何がおきて……どうして⁉︎ )
氷牙は震える手で、階段の手すりを掴む。
——ことの始まりは、今朝まで遡る。
◆ ◆ ◆
「……………はあ」
ある冬の日の放課後。
氷牙は一人、屋上で黄昏ていた。
身体に吹き付ける冬の冷たい風も、本来ならば屋上は生徒立ち入り禁止だということも、今の氷牙にはどうでもいいことだった。
何か大事なことを先延ばしにいているような居心地の悪さが、氷牙にしかめっ面を強要する。世間一般では所謂陰キャのカテゴリに該当する氷牙だったが、今の彼はいつも以上に陰気な雰囲気を漂わせていた。
「なんであんな事言っちまったんだろうなぁ……つーか、もうすぐ高3だってのに何やってんだろうなあ……」
そんな感じにひとり黄昏ていた氷牙だったが、彼1人だった屋上に、1人の来訪者が姿を現す。
「あ、いたいた」
「久遠か……生憎俺は今はひとりになりたい気分なんだ」
それは、赤髪に2つの黒リボン、耳には何だかよくわからないイヤリングをつけた少女だった。
彼女は
氷牙は久遠を追い返そうとしたが、氷牙がアクションを起こすよりも早く、久遠が氷牙の隣までやってきては、そこに腰を下ろす。この遠慮のなさは、彼らからすればいつものことである。
「聞いたよ、またアイツと喧嘩したんだって? 男子ってなんでああもくっだらないことで喧嘩するかなぁ。あたしゃ全然わかんないよ」
「うるせえほっとけ! 」
そう。
氷牙は絶賛喧嘩中だった。
相手は十年来の男友達・
詳しい経緯を語ろうにも、あまりにもしょうもなさすぎて語ることができない。謝ろうと思えば簡単に謝れるのだが、氷牙みたいな年頃の少年というのは変にプライドが高いので、自分から謝ろうとすることができない。氷牙のくだらない意地が、現状を停滞させていた。
これまでも似たようなことは何度もあった。くだらないことで喧嘩して、仲直りして、それを繰り返す。軽口混じりの友情。それが氷牙と焔児の関係だった。
それを久遠はずっと見てきた。だからこそ、いつものように氷牙の背中を押すのだ。
「何意地張ってんの? 仲直りしたいなら早う謝りに行かんかい! いい加減わたしに頼らずに仲良くして欲しいもんだよ〜あー疲れた」
「わかってるよ。ちと言いすぎた」
氷牙は立ち上がり、屋上からグラウンドを見下ろす。グラウンドの端にある部室棟の辺りで、サッカー部のユニフォームを着た生徒達が教師の周りに集まっている。おそらく部活終わりの連絡事項かなんかを聞かされているのだろう。今から行けばまだ間に合う。
氷牙がなんとかなったのを確認すると、久遠も続いて立ち上がり、屋上を出て行こうとする。
「じゃあ私は帰るよ。ちゃっちゃと仲直りしなよ、見ているこっちもなんか居心地悪くなるから」
氷牙の背中に久遠の声がかけられた後、バタンと音を立てて屋上階段へと通じる扉が閉ざされる。
久遠がいなくなった後も、氷河はひとり、屋上から眼下に広がるグラウンドを見下ろしていた。夕日に照らされ黄金色に輝くグラウンドの端を、サッカーユニフォームを着た一団がそぞろ歩いているのが目に入る。きっとあの中に焔児もいるのだろう。
「……よし」
意を決し、氷河は屋上を後にする。
その辺に放り捨てていた鞄を手に持ち、階段へと通じる扉のドアノブに手をかける。
ただ、この時彼は知らなかった。
この先で待ち受ける、非日常の存在を。
――呪いは、これより始まる。
◆ ◆ ◆
久遠に背中を押された氷牙は、茜色に照らされた校舎の階段を下っていた。
「にしても、夕暮れの校舎って不気味さパねえなぁ……」
階段を下りながらぼやく氷牙。
「……いや何考えてんだ。こんなことしてる場合じゃないだろ俺っ」
と、柄にもなく感傷的になってしまった。
早くしなければ焔児が帰ってしまう。我に返ると同時に焦った氷牙は、足早になって階段を駆け下りてゆく。
その途中だった。
階段の下の方から、誰かが言い争っているのが聞こえてきた。氷牙はそれを聞いて、階段の踊り場のあたりで足を止める。位置的には、言い争いをしている人物らは階段を下った先にいる。このままだと言い争いしている中を突っ切ることになる。それはなんか気まずい。
「はあ? お前それ本気で言ってんのか?俺を
「その言葉そのまま返すぞ。本気でやったら俺にかなうわけねえってのに何?命知らずなわけ?」
それに、今日の焔児との喧嘩を思い出してしまって、いやな気持になる。まあ、今階下で繰り広げられている口論と比べたら、かなりほほえましい内容なのだろうが。
いや、そんなことで立ち止まっている場合ではない。この程度のことで
「あれ……? 」
言い争いをしている2人の生徒。氷牙の現在位置からは、彼らの首から上は天井に遮られ見えないのだが、一方は学ランで、もう一方はブレザー。そして、氷牙の学校の制服は学ランだ。では、ブレザーを着た奴の方はいったい何者なのだ?他校の生徒だろうか?いや、仮にそうだとしても、それならば何故校舎内にいるのか?
一抹の不信感を抱きながらも、早くこの場を通り抜けようと氷牙は階段を駆け下りようとする。その時だった。
「いいよ、お前がそう言うなら容赦しねえぞ! 見ろ、これが俺の転生特典・
「
学ランの少年の方が、得意げになって自らの胸のあたりに自信の拳を叩きつける。すると、少年の身体全体が黄金の光を放ち始めた。氷牙はただならぬものを感じ、思わず後ずさる。しかしその直後、事態は氷牙の思いもしなかった方向に捻じ曲がる。
学ランの少年が光りだしたその瞬間、ブレザーの少年の方が素早く手刀を振り下ろした。別段速さが優れているわけではない、普通の手刀。それが学ランの少年の首元に直撃した瞬間、学ランの少年の首は、いとも容易く切断されてしまった。
「は、え、まじ……? 」
まるではさみで紙を切るかのような、それほどにあっさりとしたものだった。あまりのあっけなさと衝撃に、氷牙は声を出すのも忘れて、ただただその場に立ちすくむ。
胴体から離れた頭部は、くるくると回りながら廊下の窓ガラスに激突すると、べちゃりと音を立てて、まるで溶けたアイスクリームのように窓ガラスに広がっていった。
そして、胴体のほうも、重力に従って倒れるとともに、べちゃりと音を立てて原型を失った。
人が一人死んで、アイスクリームみたいに溶けていった。その異様な光景に、氷牙は息をするのを忘れるほどに恐れおののいた。
ガタンと、動揺の果てに階段を踏み外しそうになる氷牙。
故に、気づかれてしまった。
「で、お前そこで何してんだよ」
「!!!! 」
ギュルリと。
氷牙が階段を踏み外しかけた際の音に反応して、ブレザーの少年が氷牙の方を向いた。
少年はゆくっりと、氷牙のいる階段に向かって歩いてくる。そして、露わとなった彼の顔を見て、氷牙は戦慄した。
別に、わかりやすく異形の顔をしていたわけではない。少年の顔は、普通だった。いや、普通というには語弊があるだろう。どちらかと言うと、イケメンの部類に入るだろう。
しかし、そこにあったのは麗しさとか、爽やかさとかいう言葉で表せるようなものではない。
氷牙が感じたのは、底知れない恐怖。
目の前の存在は確かに自身と同じ
氷牙がその場に腰を抜かしていると、少年が再び口を開く。
「何見てんだよって意味だよ。ほんと頭悪いな」
(何、この人⁉︎ なんだってんだよこいつ⁉︎ 今の何⁉︎ )
氷牙は、震える手で階段の手摺を強く握りしめると、それを使って身体を無理矢理階段の上の方へと引っ張り上げる。
何だかよくわからないが、目の前に少年に近づかれてはいけない。本能的にそう察知した氷牙は、全身をガタガタ振るわせながら、逃げるようにして階段を登ってゆく。
が、
「逃さねえよ! 見られたからにはお前には死んでもらわなきゃ困るんだよねえっ! 」
少年が、ダンッ‼︎ と床を強く蹴る。
それだけだった。
次の瞬間、彼の身体はまるでスーパーボールのように勢いよく飛び上がり、廊下の天井を突き抜け、氷牙の登っている階段の先に回り込んでいた。
「なっ……天井やぶって……」
階下は瓦礫で塞がれ、階上は少年に通せんぼ。氷牙は見事なまでに、階段の踊り場に閉じ込められてしまっていた。
逃げ場はない。
絶望の表情を浮かべる氷牙に向かって、少年の姿をしたバケモノがゆくっくりと近づいてくる。
「なんなんだよ……お前なんなんだよ⁉︎ 」
「お前みたいなモブ野朗に答える義理なんかねーよ。てか喋んなよ、俺の口は野郎と話すためについてるんじゃない。美女を堕とすためのものなんだからよ」
言っている意味がわからなかった。
「運がなかったな。今楽にしてやんよ」
少年が、腕を振り上げる。
氷牙はその瞬間、理解してしまった。
これから自分は殺されるのだ。先程殺された学ランの少年のように、あんな意味不明な死を迎えてしまうのだ。
氷牙は、恐怖のあまり目を閉じる。
死が、来る。
◆ ◆ ◆
その直前、救いは現れた。
「そこを退けよ少年! 」
「ぬぶっ⁉︎ 」
突然、そんな声がしたかと思えば、氷牙の身体が横に突き飛ばされた。
当然よろける氷牙。そして、その横を誰かが走り去り、跳んでゆく。
「何が……え? 」
背中を押されて階段から落ちそうになる氷牙だが、何とか手摺にしがみつき、それを回避する。
そして。
体勢を整え終わった氷牙が見たのは、ブレザーの少年の顔面にローファーで跳び蹴りをぶっ刺した少女の姿だった。顔面を蹴られた少年は、鼻血をまき散らしながら後方にぶっ飛び、冷たい廊下に背中からぶっ倒れた。
ブレザーの少年に飛び蹴りを入れた少女は、階段の最上段にふわりと着地する。
風に揺れる紫髪。背中になんらかのロゴマークが描かれた白い制服のようなものを着た、中性的な顔立ちの少女。
その佇まいは、さながら天使のようだった。
突如として現れ、命の危機を救った少女の姿を、呆然としながら見つめていた氷牙。
しかしここで、氷牙はある事に気づく。
(コイツ……どこから現れた⁉︎ )
そう。
氷牙の後ろは壁。階段の下はブレザーの少年が天井をぶち破ったせいで瓦礫まみれになっていて、到底通行できそうにない。
だというのに、目の前の少女は氷牙の背後から現れたのだ。これは一体、どういうことなのだろうか?
氷牙は、震える声で少女にたずねる。
「キミは一体何……? 」
「オレか? オレは――」
少女は、氷牙の方を振り返りながら、ニヤリと小悪魔めいた笑みを浮かべ――名乗った。
「
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