観測外領域(7):ロールプレイⅠ
◆
「おい、右側の通りで子供が手を振ってる」
「ええ、そうですね」
「そうですね、じゃねぇ。振り返せ、子供のほうを見て、笑顔でだ」
「はい?」
「さっさとしろ、『フレイ』ならそうする。窓から顔を覗かせて、体ごと向けて胸の前で慎ましく振るんだ。ベールはそのままでいいが、ちゃんと笑顔は作れよ」
「……きもちわる」
「なんか言ったか? あ? お前がやるって言ったんだよな?」
明らかに憤慨を込めた問いかけを咳払いで誤魔化し、ついでに飛び出しそうになった言葉も押し込めると、私は言われたとおり窓から右の人通りに体を向けた。野次馬が群がる中で、たしかその先頭に立つ小さな男の子がこちらに向かって手を振っている。肩を大きく上げて、体全体を振り子にするように自分を表現しているその子に向かって、同じく言われたとおりに腕を振る。外から見れば、ベールに覆われた金糸の髪を揺らして、柔らかく微笑む――間近でよく見ると、若干頬の引きつってしまった――美男子とも美女ともつかない見た目の教団員の姿が見えているだろう。その証拠に、窓から見える野次馬はこちらに手を振り替えしたり、歓声を上げてこちらに応えてくれている。
「勇者様だ……!」
「勇者様だぞ!」
「四年前から姿を見せなかったのに……」
「この街の現状を見て、また救いに来てくださったのだ!」
「しかし鉄の箱はいったい……? 馬が引いてないのに、なんで動けているんだ……?」
どこか懐かしい気分だった。何故かと言われると、そう、たしかセターニルでも同じ事があった。火事で燃えていた食堂を、火炎を変質させて樹木に変えてみせると町の住民が思い思いに沸き立つ。皆が私を、ありもしない偉大な魔術士だと褒め称える。
あの、どこか遠くを賞賛されているような感覚。今の状況と大差ないのだから、似通って当然だ。今の私は、『魔術士バレシア』でも『アル』でもなく、『勇者フレイ』としてここに居る。ならそのように演じるべきなのは承知している。
「ですけど、ここまで細かく指摘しますか、普通……?」
向かい合わせの椅子に座った正面のプルトを思わず半目で眺める。軍服を着込んだ亜人たちを鬱陶しそうにしながら、彼は膝と腕を組んで押し黙っていた。口内で濯いだ愚痴は、どうやら聞こえていないようで安心しながら、そのまま流れる外の景色に目をやる。
ハヌクリアにより魔素の毒に侵された一部の市街では、馬車を牽引する馬も調子を崩してしまい使い物にならない。そのため、亜人部隊……というより、ロシュー家がかねがね用意していた魔動駆動式の自動車に、私は乗せられていた。
私とプルト、そして亜人部隊の数名を乗せてなお余裕のあるこの箱は、前方の制御術式から周囲の魔素を取り込んで四つの車輪を回転させることでゆっくりと通りを走っている。馬車に比べると速度はたいしたことないが、同乗しているジェリドの話だと、今自分たちを乗せている車体の大きさを実際に馬が牽引するとなると、十数体は必要な計算らしい。外から見ても異様なこの鉄の箱は、正面に馬の代わりに大型の魔術装置が密集した運転席で制御することで、馬の何倍の力で発揮することができるんだとか。
「ローランが知ったら、またいじけそうですね。自分も乗りたかったって」
「その顔で話しかけるな。苛立ってしょうがないんだ」
無愛想な返事をして、プルトは視線を下ろす。こめかみに血管が浮きそうになるのを自覚しながら、何も言わずに背もたれに体を預ける。事情を知らない部隊員たちは顔を見合わせているが、弁明する気は私にも目の前の聖騎士にもない。
勘違いするなよ、お前たちのことを許したわけじゃない。いいや、この先許されようなんて思うな。俺がお前たちを殺さないのは、フレイがそれを望まないからだ。今すぐにだって、お前の心臓をえぐり取ってフレイを弔ってやりたいんだ。でもあいつはそれを望んでない、自分の精神が擦り切れて自我が霧散するその日まで、あいつはこの世界を見守るつもりなんだ。それが、今の自分にできる贖罪だと思ってる。
自動車に乗り込む前、フレイの居室で変身している間に、プルトはローランにそう言っていたことを思い出す。
私は勇者の成れの果てが詰まった水槽に頭を預けながら、いろいろな話を聞いた。
この世界……フレイは次元と呼ぶものを観測する者たち。目的はわからないが、ここは彼らによって作られ、ここで起こる生命の営みを観察し研究をしているらしい。あくまで自然体のままの私たちを観察しなければいけない規則、というよりも実験の趣旨であるため、彼らからこの世界に何かをするということは原則あり得ない。『魔王』と彼らが称した存在は、それを破るほどの緊急事態だったということだ。
そういえば、と。模倣した勇者の姿を本人に確認させる中、ふとフレイは男なのか女なのか疑問に思い尋ねた。すると私の周囲にそよ風が漂うように停滞した雰囲気をこちらに纏わせながら、フレイは答えに窮しているようだった。というのも、彼(彼女?)自身の意識に性別が実装されているわけではなく、着地した村人の性別を参照しようにも生殖機能は最初期に排除してしまいどちらか忘れてしまったそうだ。
――ほら、男女の区別ってつまるところ生殖……特に多様性のある生命を残すために必要なことだからさ、ボクにはそういうのいらないでしょ?
その話を聞いて、私は以前ローランの話していたことを思い出す。この世界には私たちが肉眼で見ることができないほど小さな生物がいて、それらの大半はつがいを持たずに自身をそのまま複製することで種の個体数を増やしている。今思えば、私もその仲間の一種なのだろう。
人の交わりによって、人間や亜人たちは命に多様性をもたらしている。その煩雑さを個性として、人それぞれが自己保存の境界線を持つ。
なら、たった一つの生命しかない私たちは、この体を自由に分岐することができる私たちは、何を以て自己を保存するんだろうか。
鉄の箱が上下に揺れて、車両が止まったことを私たちに知らせる。こちらに目配せする代わりといわんばかりにプルトが睨み付けるのを受け止めて、私は後部から外へと出た。
熱と衝撃によって焼け焦げ、めくれ上がった石畳。焼け落ちて、先の黒ずんだ街路樹。北から西の区画を繋ぐ道中にある公園。昼間にも関わらず無人の公園がどこか陰鬱な印象を受けるのは、周囲を漂う空気に原因があるんだろう。
公園の中心には、シーマの魂を吸い上げて聳え立つ結晶の柱があった。2日ぶりに相まみえたその紫光は、あの夜と同じように肌を刺す光を放ち続けている。
私は今、どんな表情をしているだろう。
「こういうとき、勇者はどういう表情をするんですか?」
隣で、この光景に憎々しさを表しているプルトに問いかける。その声は、自分でも驚くほど淡々としていて、少し怖かった。
自分が、自分でないような。私が不気味さを覚えた、ネヒンやローランの一面を取り込んでしまったような……そう変貌してしまうのが嫌で、思わず藍の円環を収めた胸のポケットに手を当てていた。
「ああ、とても嫌だろうよ。……今のお前みたいにな」
ぶっきらぼうに言いながら、プルトは片腕を振って亜人部隊たちを動かす。亜人は結晶柱を中心に円形に配置されると、円の外側を警戒している。
偽善、と思われただろうか。私さえ存在しなければ、こんな残酷な景色は存在しないはずなのに、それを慈しむだけ慈しんで知らんぷりをするつもりなのかと。
もちろんそのつもりなんてない。だからこそ今、『勇者フレイ』という私はここにいるんだ。
1度深呼吸して、頭の中の雑念を取り払うと、結晶柱のすぐ傍まで歩み寄り、手を当てる。
遠い後方で野次馬たちがどよめくのを受けながら、目を瞑って集中する。
ジクジクと、手のひらを通して不愉快な感覚が流れ込んでくるのを堰き止めて、そのまま柱の中心まで押し返す。後は昨日と同じように、水を注入するイメージを柱に送り込む。手のひらに包まっていた小さな紫結晶とは違い、眼前にあるだろうそれは抵抗を見せているようで、水がこちらへ押し戻される気配を感じる。人の命を吸って生まれたこの柱に、果たしてシーマの意識があるんだろうか。それはわからないが、今確かなのは、この柱には自己を防衛する機能があるということだ。
これの中身を作り替えてしまえば、きっと私も人殺しになってしまうんだろう。それでも構わないと激流のイメージを柱へとぶつける。泥のようにぬかるんだ光が覆い被さり、みるみるうちに毒性を消し去られていくのがわかる。
シーマが命をかけた執念も、希望も、洗い流していく。もうこの呪いが、どこにも届かないように。
ビキビキとひび割れた音で目を開ける。目の前には透明化した結晶の柱が、いくつもの亀裂を作って崩れかかっていた。
「あぶねぇ!」という鋭い警告と共に、肩を引っ張られる。入れ替わりで、私が立っていた足下に切っ先を伴った欠片が降り注いだ。
振り返ると、プルトはハッとなった表情で……しかしすぐに口の端を歪めて私を睨み付けていた。
「手間を掛けさせるな、くそっ……!」
「あ、ありがとう、プルト」
「話しかけるなって言ってるだろ!」
くそっ、くそっ……と悪態をつきながら、プルトは亜人たちに命令して周囲を警戒させる。帝国軍管轄の亜人部隊が、よりにもよって聖騎士を指揮官に動く光景はなんとも異様だったが、その場にいる全員に不満は感じられない。以前にジェリドが話していたことは、あながち間違いでもないようだった。
この決定が知らされたのは、私が勇者に成り代わるという話をした翌朝。魔動機関車の操作を行える部隊の人間は必然的に首都の浄化を手伝う形になるが、私の正体は極力表沙汰にはしたくない。その上で、プルトから提案される形で上げられたそれに、ローランと私は目を剥いて驚いた。
私が『勇者フレイ』として、魔境を浄化して回ることで首都の活気を少しでも戻すことに繋がる。あの後で、フレイと話し合った上での決断らしい。
先のローランへ言った言葉通りなら、私の事を認めているわけではない。それでも、人々を守るための措置を懸命に思考し、どんなに不満でも、時には自己を殺すことも厭わない。彼も間違いなく、世界を守った勇者の一行なんだろう。
そんな彼は、内心の吹き溜まりを破裂させるように大きく息を吐き出すと、私に向き直った。
「……早く次に行くぞ。明日の聖誕祭の前に、まだ浄化しなきゃいけない土地が残されているんだからな」
コクリと頷いて、駆動車へと戻ろうと足を向けると、その全容が視界に写し出される。
上から塗布する術式を確認しやすくするために全体的に下地が黒く塗装された車体に、専用の塗料で塗りたくられた幾何学模様。前方は御者席の代わりに制御装置を搭載されており、それが金属の骨組みとガラスを合わせた箱形のケースに収まっていた。
とても見慣れない形状をしているこれには、いったい何の意味があるのだろう。隣のプルトに尋ねようと口を開こうとしてやめる。彼はローランのように博識ではないし、勇者の顔で喋ることを嫌っているのは明白だ。
ローラン。今は王の葉の後ろ盾ととなっている貴族の調査に協力している、あの死霊術士はこれを見てどう感じるんだろう。
昨日の夜も、まるで私を避けるようにどこかへ行った彼は、今何をしているんだろう。
無意識のうちに、頬をペチンと叩いた。プルトの言うとおり、今日中に首都内の残り十四ヶ所にある爆心地へ……このお世辞にも早いは言えない、それでも体力の消耗を考慮すると頼らざるおえない駆動車で回らなければならないんだ。ローランの事を考えている場合ではない。
それでも、胸に冷たい風が通るのを、無視できない自分もいた。
◆
亜人部隊とプルト、そして私による首都の浄化作戦は、多くの人間たちにとって就寝を知らせる六つ鐘が響く頃にようやく完了した。
浄化そのものは滞りなく成功し、魔素の影響がなくなった地域では動ける兵士たちとそれぞれの地区住人が復興活動に勤しんでいる。ジェリドたちの話によれば、勇者が再び外へ出てくれたおかげで、人々の心を鼓舞したと噂になっているらしい。実際勇者に同じ事ができるかと聞かれてもわからないが、プルトの考えた作戦の通りに人々の志気は高まってくれているようだった。
一方で不気味なのは、浄化作戦の最中に王の葉の気配がどこにもなかったことだった。事前に察知されるのは問題があるにせよ、こうして勇者が魔境化した首都を浄化して回っているという噂が立てば、何かしらのボロを出してくれるだろうという目論見がないわけではなかったからだ。
「また潜られると面倒だな」
誰に言うまでもなく愚痴るプルトの後ろ姿を思い出す。
プルトたち聖騎士団のこれまでの調べによれば、王の葉たちの拠点は地下に張り巡らされている水路ではないかと言われているらしい。そこは亜人居住区設立のための生活基盤拡張のために無理くりな工事を行った結果、迷宮のような複雑な構造をしているらしい。さらに、そこに迷い込んだ数名の聖騎士たちの行方がわからないままとなっているという報告を合わさっている。王の葉がどれほどの規模なのかははっきりしないが、隠れ家という観点でみれば絶好の場所である。
暗所での調査でかつ、結晶樹の森のような環境幻影を作り出しているという懸念からローランが適任として選ばれているが、未だに報告がなく進捗は不明である。
一度フレイの居室まで戻り変身を解いたあとで、部下の聖騎士たちの報告をまとめたプルトが、フレイにそう話しているのを傍から聞いていた私は、どうしようもなく胸がざわついた気分にさせられていた。
「ローランは、まだ戻っていないということですか?」
「報告を聞く限りだと、そうみたいだな」
胸中のざわめきが、シミのように広がっていく。それを押さえようと手を当てると、緊張で鼓動が跳ねているのがわかった。
「どうして?」
「そんなの俺が知るかよ」鼻で笑うかのように、プルトは手にした報告書を軽く持ち上げて吐き捨てる。
「大方アジトを見つけたはいいが、そこにいた王の葉の連中に感化されて寝返ったのかもな」
――プルト。
「……わかってるよ、冗談だっての」
穏やかな波の音に、顔を横に逸らすプルト。
――ごめんね。彼、どうしても素直になれないみたいで……本当はもう君たちのことを信用してるはずなのに――。
「勝手なことを言うんじゃねぇよフレイ! 誰がお前らなんて信じるか!」
漂う雰囲気を払うように腕を振るプルトをどこか遠くに眺めながら、私は考える。
ローランが遅れを取って捕まっているという可能性を、この二人は考えてないように思える。私もそれには同感だった。不死の体に、勇者一行の過去を記憶から投影して再現する術を持つ彼が、帰還もできないほど追い詰められているというのは現実的な考え方じゃない。
プルトの言った冗談がシミを濃くしている気がして、ジャケットの布を巻き込んで拳に力が入る。
いや、待て。ローラン自身が言っていたじゃないか。今の王の葉は、ロードレクの……過去の私の遺志を暴力への大義名分にして非道を行う集団だと。魔王を信奉していると言っていい彼が、そんな奴らの考えに共感するだろうか。
ここまで考えて、ふと冷静になる。
彼は嘘つきだと思っていたのに、どうして私は彼を信じているんだろう。一度裏切られたはずなのに、また私は、あの死霊術士を信じようとしているんだろうか。
私はローランという人間をどう感じているんだろう。
ローラン。ローラン・エル・ネクロマンテ。私の父を殺した勇者一行の仲間で、父を英雄と信じて止まない死霊術士で、嘘と気遣いが下手くそで……、
認識によって世界は作られる、しかし自己の意識と、観測が作る意識に互換性はない。なら、私から見たローランの印象なんて、彼の本性とはなんの関係ない虚像でしかない。
観測する意識が虚像だというなら……誰も、人の気持ちを完全に推し量るなんてできないじゃないか。
ならば、どうして……、
「ローランは、どうして父を、英雄だと言うんでしょう?」
プルトが怪訝そうにこちらを見てくる。
世間一般としては、英雄と謳われるのは勇者フレイのほうで、一緒に褒め称える事はあっても、あえて魔王を『英雄』と呼ぶ人間はいない。少なくとも、私の知る限りでは、魔王ロードレクは亜人たちにとっての神であり、指導者であり、畏敬の対象だった。
それを英雄だとはっきり言った彼に、今さらながらどこか違和感を覚える。
「それこそ、あいつにしかわかんねぇよ」
――うん。たしかにボクらは、ロードレクが亜人を教圧から解放するために戦ってたことは知ってるけど、確かにローランは、そんな彼を英雄と呼ぶことにこだわってた気がする。
それは、どうしてだろうと考えた時、胸につかえたものが、スッと気持ちよく落ちた。
ローランはきっと、魔王を英雄にしたかった。少なくとも、自分の中では。
そしてそれと同じように、私はあの死霊術士を信じたいんだ。
どんなに裏切られても。
急に、お腹の底から暖かくなるような感覚が襲う。
急に、彼に会いたいと欲求が叫んでいる。
だが現状、彼の居場所もわからないのに、どうやって探せばいいんだろう。
アル。今から言うことを、ちゃんとイメージして欲しい。
「そうか……」
私は一言断りを入れてから、柱同士を繋ぐベールを一枚剥がす。プルトが怒鳴るのも気にせずに、感覚を閉じるために二人と距離をとる。私のやることを察したのはフレイの気配が、肌から遠く離れていった。
手にしたベールを纏って、きつく目を閉じながら、しかし全身を弛緩させるよう、イメージする。セターニルで使った、感覚を遮断させる魔術を応用すれば、意識を保ったまま一時的に自分の感覚を無にすることができる。
足下の感覚が消える。頭が天井を向いているかどうかも定かでない。気がつくと、ベールがジャケット越しに肌をくすぐる感触も、目頭に込めていた力も、必要なくなるほどに目の前に闇が広がっている。
誰かが、こちらを見ている気がする。それは頭か、足か、胸か……、いや違う。それはローランを見ている。その視点は、ローランを見ているはずだ。
観測が世界を作るなら、どこかの誰かは絶対にローランを捉えているはずなんだから。
◆
捕まえた、と思った瞬間、私はバッと目を見開く。足下を見ると、ようやく地面の上に立っていることを自覚して、浮遊感から解放される。
見渡してみると、そこは既にフレイの居室ではなかった。それでもどこかの一室らしく、六角形の間取りが特徴的な部屋だった。壁には窓代わりと言わんばかりにアーチ状の柱が並んでおり、そこから街並みを見ることができた。
高い場所であることはわかったが、ここはいったいどこだろう。まるで心当たりはないが、どこか雰囲気は、さっきまでのフレイの居室に似ている気がする。
「アル……?」
声を掛けられ振り返ると、そこには緑のローブを羽織ったいつものローランが、目を見開いてこちらを見ていた。
「どうして、ここに? いや、どうやって……?」
彼は明らかに困惑しながら、口元に手をおいてブツブツと呟いている。そうするときは、必ず何かしらの確信はあるというのに、考えを整理するためだけにする癖を、私は辟易した目で見つめていた。
ああ、いつもと変わらないローランがいる。ここ最近は、彼の不安そうな表情しか見ていなかったせいで、ほんのそれだけでどこか安堵している自分がいる。それがおくびにも出したくない私は、得意げに鼻を鳴らして言った。
「……あなたにできて、私にできないわけないでしょう」
「そっか。君も転移を……、ってことは俺を追ってきたのか。どうして……いやそれよりも」
合点がいったローランは、しかしそれでも腑に落ちない表情で脇目を振る。わざわざ心配で会いに来たというのに『それより』と蔑ろにされた私の胸中には面白くない感情が渦巻きながら、彼の興味の先を見やる。
そこには、一人の女性がいた。外見の年齢はユリアと同じくらいで、その身には女性用のゆったりとした教服を身に纏っていた。
しかしそれよりも目を引いたのは、彼女の瞳だった。ローランに向かってにこやかに笑顔を向ける彼女の瞳は、結晶樹の光のような青白い輝きを放ち、質素な教服姿のなかで異彩を放っていた。
「ほら、言ったでしょう? 必ず来るって。私の天眼を忘れた?」
私は眉を寄せる。
天眼。物事を見通す目、という意味のその言葉は、彼女の纏っている宗教においては使用されない、古い伝承の言葉だ。
たしか、エル教においてその意味を示すものが、別にあった。あれは――
「丘に立つ者」
呼吸が、一瞬止まりかける。女性の薄氷のような儚い瞳は、いつの間にか私に向けられていた。
「その名前は今のエル教だとただの称号になっていますから、普段使いするにはやや語弊があるのですよ、アル」
文字通り背筋が凍り付くような悪寒を感じながら、それと視線を結ばせながら、ローランに尋ねる。
「誰ですか、彼女は……?」
ローランは緊張した面持ちで結晶杖を握り込む。その間に彼女の瞳に吸い込まれそうになって、その奥の窓から見える街並みに逃れる。
そこには、半円球状の屋根が立ち並んでおり、窓は全てこの部屋と同じようにアーチ状でできた石造りの壁があった。
私の視界に映った全ての景色に、教団の影を落とす場所に心当たりはない。ゴルドバの南区でも、ここまで宗教施設が密集してなどいない。
考えられるのは、この都市全てが、教団に染まった世界だということだ。
「彼女は、アリア。勇者の旅に同行した、教団の聖女だ」
重々しく開かれた口からその名前が唱えられると、アリアは芝居がかった動作で恭しく一礼した。
「ええ、ご紹介預かりました。私はアリア」
そして、と腕を広げて外を促す。
曇り一つない空に爪痕を残すように穿たれた大きな月……それを遮るように、カーテンのような揺らめく虹が、この都市を照らしていた。
「ようこそ、イス・サイラムへ。歓迎するわ、アル」
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