記録2:薄雲の旅路

碧霧葬送Ⅰ

 

     ◆


 緑のカンバスに東西に線を描いたような、はっきりとした街道の傍に、二頭立ての馬車が停まっていた。馬車には御者おらず、手持ち無沙汰の馬が草を草を食んで暇を持て余している。

 馬車の左手には二日前の大雨で嵩をました川が未だに大蛇のように緩やかにうねっており……しかし空は素知らぬ顔で太陽を晒していた。

 大陸暦七八〇年。アルとローランの姿はここで確認されている。


「どういうことだか、説明して貰いてぇんだが?」


 停められた馬車のすぐ横に、木製の折りたたみ式スツールに腰掛けたシッド・ロドリーゴが、たき火を挟んだ先の二人に問うていた。日に焼けた浅黒い肌に筋肉のついたがっしりとし腕を固く組んだ男からは、呆れと怒りと困惑が混濁した様子が垣間見える。


「えーっと、ですねぇ……シッド、さん。これには、ですね……」


 ローランは深緑のローブの袖と、腰に吊されたグリモアを揺らして、しどろもどろになりながら、シッドの質問に答えを窮していた。

 数分前の観測では、結晶薪の箱の影に隠れるように身を潜めていたアルの姿をsッ度が目撃するという光景が見られ、今はそれについて問い詰められているようだった。


「別によぉ、密航しようとしたことそのものを咎める気は、こっちにはねぇんだよ。ウォルフの里ってぇのも一枚岩じゃねえだろうし、前に比べてピリピリしてるってのは、よそもんでもなんとなく察せるところはあるしな。……最初からそのお嬢さんを、連れて行く目的だったかもしれねぇしな」


 シッドは答えあぐねているローランに対して、どこか諭すような口調で言う。その視線は、ローランの横で座るアルへと向けられていた。

 アルは困窮するローランの隣で、我関せずいった表情で遠くの丘に目を輝かせていた。

 見た目は観測された二十年前を変わらず、齢八から九の少女で、服装は仕立てのいいシャツの上に狼の耳を模した、フード付きのジャケット……ウォルフが儀礼用に着る服装を外出用に改造したもので、ピンと背筋を伸ばして展望しようとするその姿は、四足動物の立ち姿を連想させた。


「ただな、商人としちゃあ契約に嘘があったことは見逃せねぇわけよ。お前たちだけの話じゃない、これから取引する里の連中との信頼関係にだって影響するんだ。あそこの連中は平気で嘘をついて、俺たちを騙すなんて印象が残ったら最悪だろう?」

「そんなことは――!」

「わぁってるよ、事情があるんだろ? ずっと馬車に隠れていたのを見るに、コロラドの里にも知られちゃいけないことだろうしな」


 だから、な。そう言ってシッドは鼻を鳴らして腕を組み、アルを睨んだ。


「俺が知りてぇのは、ローラン……そこのお嬢さんはいったいなにもんで、どういう目的で俺の馬車に乗り込んで密航しようとしたのかってことなんだよ」


 辟易したシッドの問いかけに、ローランはもう何度目かのアルへの目配せをしたあと、観念したようにため息を吐いた。


「わかりました、お話ししましょう」

「おう、最初からそうしてくれ」


 待ちかねたように、シッドはふんぞり返る。

 ローランは手先でアルを指し、真剣な表情で言った。


「彼女……アルは、俺の助手です。研究の一環で、その……急遽、連れて行くことが決まりまして……」

「違います」


 信じられないといった顔を、ローランはアルに向けた。アルは、煩わしそうに半目になりながらローランに視線を交わした。

 フードの端からこぼれ落ちた銀髪は、晴天を受けて一際輝きを放き、反面その瞳は、凍えるような青色に染まっていた。


「ねぇアル……、せめて話を合わせてくれないかなぁ、君に関わることなんだよ!」

「だからといって立場的にあなたの下に着くのは不愉快です。だいたいあなた嘘が下手くそなんですよ」

「本当のことを言ったらどうなるかわかるだろう! 君だって首都に行くまでの余計な面倒ごとは避けたいだろうにちょっとくらい協力してくれないかなぁ!」


 シッドの目を憚らず明け透けに口論するアルとローラン。

 そんな様にシッドは「あーあ」と短く刈り上げた頭を掻いて呆れ始めた。


「喋れねぇってんなら、ここで契約はおしまいだ。事情もわからねぇ、話せねぇなんて連中乗せてやるほどお人好しじゃねぇんだよ」

「待ちなさい」


 スツールから腰を持ち上げたシッドを、その細い腕を突き出してアルは制した。


「ローランとの契約は、馬車の護衛でしたね? 道中盗賊の心配があるでは?」

「そりゃあそうだけどよ、だからって使えるかわかんねぇひょろい魔術士に子供……そんなお前たち乗せたってなんになるってんだ」


 その言葉を聞いて、アルは意地の悪そうに頬を持ち上げる。その眼光が、黄金を放っていた。


「なら契約を結び直しましょう」

「はぁ?」

「私とローランがこの馬車を護衛します。その間、私たちの事情にあなたを関与させないと約束しましょう。一人分の護衛の値段で、二人手に入った……。そういう儲けだけ考えられるようこちらで尽力します」


 軽快に言葉を走らせるアルに、シッドは不愉快そうに眉を顰ませた。


「あのなぁ、お嬢ちゃん。こっちは遊びじゃねぇんだ。俺が今運んでいる結晶薪だって、お前たちを運ぶためにいくつか妥協してるんだよ」


 シッドはドスの利いた低い声音で、アルを正面に据えて見下ろす。

 アルのは微笑みのまま、そんなシッドを見返した。


「つまり、積み損ねた荷物分の働きができるなら、商人であるあなたは最低限の納得ができる……そう考えても、よろしいですね?」

「はっ! やってみろってんだ! 野犬を相手にするのがせいぜいだろうがな!」


 憤慨し、勢いのまま言ったシッドの言葉に、アルは満足したように頷く。ローランはなんとも言えない表情で二人のやりとりを眺めていた。

 アルはスツールから立ち上がり、薪の一つを手に取る。アルの小さな手が回らないほどの、太めの木材であった。その様子を、シッドは胡散臭そうに見ている。

 次の瞬間、大気がザワザワと震え始めた。

 アルは無感情に木材の底を持って目の前に掲げ、何かに集中するように凝視する。

 そうして間もなく、木材から気持ちのよい甲高い音が響いた。


「あ?」


 音が鳴り響いた木材を見て、シッドは素っ頓狂な声を上げた。

 まっすぐ伸ばしたアルの腕の先には、未だに木材があった。木材は縦に三つに割れており、各個の隙間からアルの瞳がシッドを覗いている。

 その三つの木材は、破砕した衝撃で彼女の手から離れ……そしてそのまま、凍り付いたように制止していた。

 錯覚を疑うほどの奇怪な光景に、困惑するような、唖然としているような……どっちともつかない表情を浮かべ、シッドは目の前の現象を眺めていた。


「少なくとも、私はローランより使えますよ」


 得意げに、アルは笑って見せる。

 目の前の獲物を狙うように、黄金の瞳が鋭く光った。


     ◆


 アルとローランを乗せたシッドの馬車は、クリスタロボ大森林を東に抜けて川沿いの街道を走っていた。進路はアンダリュス帝国の首都であるゴルドバに向かっている。馬車の速度から計算して、半月以上を要する旅路であった。

 馬車の傍にはローランが見回りとして召喚した、ウィスプの一種である青くぼんやりした印象の狼が、風に乗るように併走していた。


「今回は仕方ないとはいえ……ああいうことは感心できないね、アル?」


 馬車の荷車の中……結晶薪を詰め込んだ大きな木箱に囲まれた空間に開いた小窓からローランは、ウィプスを観察しながらアルに問いかけた。

 

「ああいうこと、とは?」


 木箱に腰掛けたアルは、反対側の小窓から外の景色を眺め、とぼけたようにオウム返しする。小窓に差し込まれた陽光がアルの真白な肌を照らし、床につかない足がプラプラと陽気に揺れていた。


「さっきの護衛の話だよ。君、暗に彼のことを脅していただろう?」


 この大陸における魔術とは、記述した術式を聖質とし、そこに純粋なエネルギーである魔素を流すことで、現象を『再現』する技術の総称を指す。

 魔術士はこの大陸に起こる現象を調査し、分析し、考察することで現象への理解を深め、その理解度によって術式の精度を高める。故に魔術士は『賢人』または『超能力者』と称される側面があるのだが、彼らが再現するのはあくまで現実で観測され、原理を解明した現象に過ぎない。神代に作られたと思われる魔術の一端には、現代の魔術士が解明できず、グリモアに写本したまま封印されているものも多く存在しているし、一説では『我々が解明できない自然現象は神と呼ばれる俯瞰的な第三者が行使する魔術』とまで言われている。

 アルの魔術は、そんな神代の……空間や生物進化の自由化、物資の質量保存を無視した変形などなど……現代魔術士の理解が及ばないあらゆる現象を感覚的に行使しているのだ。

 当然、魔術士への理解に乏しいシッドには得体の知れない超能力にしか見えない上に、それが自分にどのような影響を与えるかも想像できないだろう。

 だからこそ、シッドはアルの提案を呑まざるをえなかった。次に三つ叉になるのは、馬車かはたまた自分の頭蓋か、わかったものではなかったからだ。


「立派に交渉してみせたでしょう? 口下手なあなたに代わって」

「脅かす必要はあったかい? ただでさえ魔術士は教団の影響で肩身が狭かったのに、あんなこと平然とされたらまた奇人扱いだよ」

「そんなの、私の知ったことではありません」


 文句を言うローランに対して、アルは瞳の明度を下げながら唇を尖らせた。


「それに、二十年も森で引きこもっていたあなたに、現代の魔術士のいったい何がわかっているというんですか」

「君のやっていることが断片でも理論化できている世の中なら、きっと今俺たちを運んでいるのは馬車なんかじゃないと思うよ」


 ふて腐れたように呟いたローランの言葉に「ほう……」とアルは視線を向けた。

 その色味は未だ暗がりであったが、やや黄色く染まっているように見えた。


「よくもまぁそんな戯言が言えたものですね。馬車を牽引する動力はいったいどうするんですか?」

「君のよく使う魔術の中には、対象の『重さ』や『力の向き』に作用するものがあるだろう? 君はあれを当たり前のように使用しているけど、あの魔術がもたらしている運動エネルギーというのは凄まじいんだ。それを魔術として体系化できているのなら、馬に荷台を牽引させる必要なんてない」小刻みに揺れる馬車の中で、ローランは饒舌に語り続ける。

「例えば荷台そのものに推進力を与える魔術を書き込んで作動すれば、周辺の魔素を吸収して自動で走る荷車、なんてものも不可能ではないだろうね」


 すると正面に垂れ下がった幌から、くぐもった声がアルたちに届いた。


「そんな話、聞いたことあるぜ。魔動機関まどうきかんって呼ばれてるやつだろ?」


 ローランは、信じられないという顔で立ち上がった。


「なんだって?」

「つい最近、フェリーペ工房で開発されていたものに、実用化の目処が立ったって噂を聞いたぜ。なんでも魔素滞留地由来の結晶をエネルギー貯蔵庫にして、馬の代わりに内燃機関を車内に載せて自動で走る車だとか……近々一部の流行り物好きな貴族に提供するんだとか言ってたなぁ」


 まぁ俺にはさっぱりわからねぇがな、と幌越しで笑うシッドとは対照的に、ローランは目を見開いて、揺れる車内で一切動かない瞳を床に向けた。


「いったいどういう理屈なんだ、風か? 風を起こして車体を押しているのか? いや、馬車を押すほどのエネルギーを獲得するには車内の面積じゃ足りないし術式が複雑化しすぎてしまうはず……いや、待て……車体を押すよりも車輪を回す方がエネルギーの効率が良いのか? 中央で生成した魔力を四輪に繋いで……いや、後輪二つさえ回れば良いからそこは直列化してエネルギーを……いやどちらにしても術式を書き込む面積を確保するには足りない……面積を確保するために車体を大きくすればその分要求するエネルギーも比例するし形だって歪に……いったいどういうことなんだ……?」


 にやけ始めている口元を押さえながらブツブツとその場で回り出したローランに、アルは暗い青色の視線を送っていた。

 その時、馬車が急に止まり、荷台が大きく揺れた。


「うわ……!」

「きゃ……っ!」


 馬が左へ大きく旋回したのか、荷台が大きな揺れに加えて右側に傾き始めた。骨組みに吊されたランタンが狂ったように踊る中で、崩れてきそうな木箱をローランはなんとか押さえる。

 少しして揺れが落ち着くと、ローランは安堵の息を一息ついて、アルに声を掛けた。


「アル! 大、じょう、ぶ……?」


 ローランの心配の声は、アルの姿を見るなり怪訝を纏って尻すぼみになっていった。

 アルの小さな体は、馬車の揺れを受けて荷車の隅の、幌を支える柱にまで追いやられていた。揺れている間に転げ回ったのか床に背を付けて、ショートパンツから伸びる細くしなやかな脚をローランに向けた間抜けな格好を晒していた。


「なん、ですかっ! 何か文句でも!」


 あまりに惚けた様子のローランに何を察したのか、アルは珍妙な体勢のまま瞳に紅蓮を宿してローランを睨み付ける。ローランは慌てて手を振り、いや、大丈夫ならいいんだ、うん、うん! あぁ、よかったなぁ無事で! とわざとらしく声を上擦らせた。


「まったく! シッドはいったい何をやっているんですか!」


 なんとか立ち上がったアルは、憤慨をそのままに前側の帆を捲る。

 馬車は街道を外れたらしく、アルの目の前にはなだらかな丘の続く草原が馬越しに広がっていた。


「あぁ、わりぃな急に止まっちまって」


 馬の傍らで、シッドは軽い調子でアルに言う。荷車から顔を出し、それだけかとシッドを射殺さんばかりに睨み付けるアルだったが、ある光景にふと目を留まらせた。


「橋が……」


 後ろから馬車を降りたローランが、同じく声を上げる。その横では、陽炎のような青白の狼が行儀よく座り待機していた。

 街道の先には、川を渡るための架けられていた巨大な木橋が、ウワバミに噛み千切られたように崩壊していた。断面は荒々しく削り取られ、橋だった名残は各岸側に残る欄干が少しばかりあり、そのすぐ真下を走る濁流は、まるで満腹であるかを表すように穏やかで、大きなうねりを見せていた。

 

「おそらく前の大雨でやられちまったのかな。まいったなぁ……」


 後頭部に手を回し、俯くシッド。両岸までの距離がかなり空いており、川の流れもあってとても泳いでいけるようなものではなかった。


「他に道はないんですか?」ローランが尋ねると。

「いや、ある。あるには、あるんだがなぁ……」


 煮え切らない態度を取るシッドに、今度はアルが眉を顰めながら訊いた。


「何か問題でも?」

「魔素滞留地……所謂、魔境を通る羽目になっちまうんだよなぁ」


 魔素滞留地。通称・魔境。

 魔素とはこの世界の物質や現象を構成する純粋なエネルギーである。この魔素に聖質と呼ばれる情報が合わさることで、この世界を構成する魔力が完成する。聖質を読み込まれていない魔素は大気中を漂っていると言われており、その濃度は各地域によって差がある。

 土地柄、魔素が滞留する地域では濃度の高い魔素が常に蔓延しており、それは人体に毒となるだけでなく、与えられた聖質を過剰に読み込むせいでその土地に異様な特性を付与することがある。そうしてできた魔境は、エル教では流刑の地と謳われるほどの過酷な環境へと成り果てるのだ。


「たしか……浮雨湖ふうこっつったかな。水がシャボン玉みてぇに浮かび上がって……それが上空で無数に弾けるのを繰り返すせいで、そこら一帯は常に霧雨が降ってるんだとか」


 思い出しながら、ポツポツと語ったその言葉に、アルとローランは首を傾げた。


「浮雨湖って、シーマ族のテリトリー……ネブラズール浮雨湖のことですか?」

「あり得ません」きっぱりそう断じたのはアルだった。

「クリスタロボは大陸の北側で……あれは南西部の湖のはずですよ? こんな近くにあるはずが……」

「いや、それが数年前に急に出てきたのを山間部にある村が見つけたらしくてさ……そこで採取される浮水うきみずで村の生計を支えてるんだって、前に親父が言ってたんだよ」


 シッドの話を聞いても、二人の眉間からは皺が取れないでいた。


「突発的な魔素災害は確かに珍しくないけど、でもそれがそのまま魔境化するなんて聞いたこともない……」

「もしかして、二十年前の戦争のせいでしょうか? 各地で放った魔術が魔素化して、偶然山地に滞留したとか……?」

「それにしたって浮雨湖と同じ特性を持った土地が、全く条件の違う二つの土地に現れるのを偶然で片付けるのは難しくないかい?」

「そうですけど……」

「あーっ、とにかくっ! 今はそっちのあぶねぇ道をどう通ろうかって話だろ?」


 静かに交わされる議論を打ち切ろうと、シッドは呆れた表情で声を上げた。

 そこでハッとなった二人は彼に向き直って……しばらく思案したあと声を揃えて言った。


「そのくらいならなんとかなります」

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