旅立ちの朝Ⅱ


     ◆


 クリスタロボ大森林の外周部に位置するコロラドの里は、ジルバの里に比べて規模の大きい里であった。古き慣習を重んじてツリーハウスで暮らしていたジルバの里とは対照的に、外からの来客用の馬小屋が置いていたり、居住区とは独立した場所に宿屋や行商所も設けられており、内向的なウォルフの里としてはかなり社交的で、かなり異端な印象を与える。

 日が暮れる際、ローランは晶狼の案内で滞りなくコロラドの里へ辿り着くと、毛皮のチェニックを纏ったやや恰幅の良い中年の男性が、人の良さそうな笑顔で出迎えてくれていた。


「お久しぶりです、ローラン様。お話は、里長ジルバより伺っております」


 そう言って一礼して差し伸べられた手を、ローランは握り返しした。


「急に無理を言ってすみません」

「いえいえ。ローラン様は数少ない里内でのお得意様ですから」


 ニコニコと、丸々とした顔に笑みを浮かべて、コロラドは言う。

 ローランの家にある小説や資料は、ここからジルバの里へ郵送されているということをここで補足する。そのためローランは、過去ここへ何度か脚を運んだことがあった。


「ここから、商人の馬車に乗ってゴルドバへ向かうように言われているのですが……」

「ええ。ですが今日はもう日が暮れます故、商人はもう動きません。お部屋をご用意しましたので、今晩は宿で一休みしてください」


 にこやかに、恭しく話すコロラドに、ローランはむず痒さを抑えられずに口の端が引きつるように緩んでいた。


「正直、こんなトントン拍子で話が進むと思ってなかったんですが……」

「とんでもない!」コロラドは声を上げて否定する。

「わたくしは常々、ウォルフの鎖国的な民族性をなんとせねばと考えていたのです。それを後押していただいた里長ジルバや、あなた様を邪険にするわけないではありませんか!」

「そ、そうだったんですねぇ……」

「ええ! 奥地のウォルフたちは、クリスタロボの結晶が帝国内でも屈指の魔術触媒となることを知らないんですよ。慣習の影響で生産数が限られていますが、それが希少性を高め、商品価値を上げるのに一役買っており、おかげで貴族からの受けも良く――」

「は、はは。なるほど、そうなんですね……」


 景気良く語るコロラドの圧力に押され、ローランは愛想笑いを浮かべながら視線を逸らしつつも適当に相槌を打っていた。

 視線の先では案内を終えた晶狼がローランの足下で、行儀良く座り込んでいた。手入れの行き届いた白銀の毛並みと、凜としたその佇まいを見て、ローランは目を伏せる。


「あの、いいですかコロラドさん」

「いかがなさいましたか?」

「この晶狼、宿屋に連れて行ってしまって大丈夫でしょうか? ここまで案内してくれましたし、俺と同じように客人としてもてなしていただきたいんですけど」


 コロラドはキョトンと呆けた後、すぐさま、ああ、と納得した。


「そういえばローラン様は、ここの宿泊施設をご利用されたことがありませんでしたね」うんうんと頷いた後で。

「ここでは晶狼も賓客でございますから、そのつもりでもてなさせていただきますよ。ささ、こちらへ」


 案内された宿屋のエントランスには、日焼けした浅黒い肌にがっちりとした体格の男が、端に置かれたテーブル座っていた。男はローランを見つけると、立ち上がってローランに軽く会釈する。


「あんたがローランかい?」

「はい。というと、あなたが……」

「ああ、シッドだ。よろしくな」気さくな調子で、シッドと名乗った男が手を差し出す。しかし、一方で頬が皮肉げに持ち上がっているのがローランには見えた。

「ここの里長からは、腕のいい伝説の魔術士って聞いてたんだけどなぁ……」

「買い被りすぎですよ。ただ研究が好きな引きこもりです」

「一応、あんたは護衛としてうちの馬車に乗り込む契約のはずなんだが……」シッドは値踏みするように、ローランの体を上下に見直した。「あんた使えんのか? いかんせん、魔術士ってのは形だけじゃ判断が難しくってなぁ」


 怪訝そうに首を傾げたシッドに対し、ローランはあはは、と愛想笑いで返す。


「切った張ったはあまり得意ではありませんが、見張りくらいならなんとかなりますよ」

「そうかいそうかい。ま、今回はこっちが金を貰ってあんたを乗せるんだ。結晶薪けっしょうしん一箱分の働きさえしてくれりゃあ文句はないさ」


 シッドは手のひらを泳がせて、やれやれといった素振りを見せていると、ローランの足下に座る晶狼に目が留まった。


「そいつは、あんたのかい?」

「いえ、里で管理している晶狼です。ここまで案内してくれたんですよ」


 へぇ、とシッドは呟きながらしゃがみ込み、晶狼を興味深そうに見つめる。目の前にシッドの顔が現れたことに驚いたのか、晶狼は軽く跳び上がるようにしてローランの後ろに隠れてしまった。


「俺は別に良いですけど、こちらに不遜な態度を取っているとみんなが怒りますよ」

「わぁってるよ。ここで商いを始めたのは最近だがな、こいつらの狼に対する思い入れは半端じゃねぇってことぐらいは承知してるさ」


 ただ……、そう言ってシッドは立ち上がった。その視線は、未だに晶狼に向かっていた。


「こうして見るとずいぶん綺麗な毛並みしてるし、気品に溢れてるもんだからよ……罪人なんて言われてっけど、こいつらとここで生きるウォルフってのも、悪くねぇもんなのかなって思ってさ」


 その言葉に、ローランは自然と顔を綻ばせていた。


「暮らすのは、今はまだ難しいかもしれませんが」言いながらローランは膝をついてしゃがみ、晶狼の頭を撫でた。

「とても良いところなのは、間違いな――っ!」


 ローランの言葉が、不自然に詰まる。

 晶狼が自身の頭を撫でていたローランの手に思いっきり噛みついたのを、本人が知ったのはその数瞬後であった。


     ◆


「アルやウォルフたちに嫌われるのは至極当然だとして……俺、晶狼にも何かしたかなぁ……?」


 宿屋で借りた簡素な部屋の一室で、ローランは既に痛みのない右手をさすりながら呟いた。ベッドに座る彼の目の前には、主犯である白銀の晶狼が体を丸めてローランを上目で睨み付けていた。

 事情を知らないウォルフからは、ローランが晶狼に不義を働いたのかと軽い騒ぎになりかけたものの、その場に居合わせたシッドと駆けつけたコロラドがなんとか擁護しながら事情を説明して貰い、騒ぎが収まる頃には既に夜になっていた。


「不躾に君を撫でたのは謝る、ごめんよ」


 手を組んで前屈みになって、ローランは目の前の晶狼に謝罪する。


「でも不思議だよねぇ、ちゃんと部屋までついてきててさ」


 騒ぎが収まった後、コロラドが晶狼のために別室を手配しようとしたが、晶狼が迷わずローランの部屋へ向かったこともあって杞憂とされた。ここでの晶狼の意図を定める客観的論拠は存在しないため、記録は控えることとする。

 後の記録から照れ隠しが主であると推察されるが、詳細は不明である。


「何はともあれ、今日は案内してくれてありがとう。それと話し相手にもなってくれてさ」


 ローランは笑顔で晶狼に語りかけると、晶狼は目線を余所へと滑らせる。

 その様子にローランは苦笑いを浮かべ……、しかし次の瞬間には目を伏せた。


「実はさ、前に野生の晶狼を見たことがあって。……そいつは、仲間を人間に殺されてひどく怒ってて、仲間を殺した人間のことを復讐したいって言ってて……」

「…………」

「結局、その晶狼とはわかり合えずに別れたんだけど……、憎しみの念っていうのはやっぱり根深いものがあってねぇ……」

「…………」

「だから君にも、何かに対してままならない怒りを燃やすこともあるってことは、考えないといけなかったね」


 ローランの発言の補足のために、ローランたちの捕らえたもう一人の聖騎士に関しての処遇をここに明記する。

 聖騎士は、里の外れにある監視用の鉄塔に括り付けられていた。尋問が終わり、価値がないとされていた男であったため、里のしきたりに則りそのまま餓死させて結晶樹としようという里全体の方針だった。

 しかし男を縛った二日後、彼は晶狼によって凄惨な肉の塊に成り果てていた。

 あちこちに爪や牙で引きちぎられた跡を残し、生きたまま手足を噛み砕かれたのか、残った顔の端にこの世の苦役を詰め合わせたような歪んだ表情を張り付いて絶命していた。

 死体に魔力光を透過させたローランは、その肉にこびり付いたものが、以前自分が知った黒々しく痛みを伴うものであったことを知り、それを行ったのが誰であるかを悟ったのだろう。


「別に、その男が哀れだったとか、いたたまれないとか……そういうわけではないと、思う」


 自身の言葉を顧みるように……、あるいは考察するように、ローランは淡々と言葉を紡ぐ。


「ただ……、あんな憎しみを伝え合って育った魔力光が……、あの晶狼が、これからいったいどうなってしまうんだろうって考えたら……、どこかで誰かが、そんな怪物のような情動を、心の内に納めないといけないんだと思う」

「…………」

「でもそれは、そういう生き物たちから獣らしさや人らしさをも剥奪する、呪いのような気もして……、そうして育った魔力光も、結局は健全ではないんだろうな、と思う」組んだ手を額に当てて、ローランは続ける。

「死霊術的に言うならば……誰かを憎む思いも、それも含めた命の全部を慈しむ心も、その人の魔力光……魂を構成する全てなのだから……どちらが欠けた時点で、生きている者の魂たりえないものなんじゃ、ないかな。本当はどっちもあるはずなんだ。ただ、表に来る感情が違うだけで」

「…………」

「だから俺は、せめて自分に降りかかる憎しみだけは全部受け止めたい。……だから君もさ、俺のことを怒っているなら、我慢する必要はないよ」

「…………」

「まぁ、俺は痛めつけられたり、殺されたりすることには、もう慣れちゃってるからさ……、ドンと来いって感じ」


 顔を上げ、ははは、と笑って、ローランは自分の胸を軽く叩く。

 晶狼は、鼻先を上げてローランを見上げた。


「ごめんね、つまんない話してしまって。ああもしかして……、だから君は機嫌損ねたのかな?」ローランは体を傾け、仰向けに寝転ぶと、今日の疲れを吹き飛ばすように大きく息を吐き、ひとりごちる。

「アルなんかは、結構興味深く聞いてくれるんだろうけど――」


 そこで再び、ローランは言葉を詰まらせる。

 窓から差し込む結晶樹の光が、淡く照らした天井を眺めて……、


「そうか……」そう、小さく呟く。

「あの子、もう一度この世界のことを知りたくて……それで外の世界へ行きたがって……」


 ボソボソと、言葉にならないほどの音が、部屋に小さく鳴る。


「馬鹿野郎だな、ローラン」


 そんな中で、そんな自虐だけが確かに部屋に響いた。


「あの子のことは、ちゃんとアルとして見ようって決めていたのに……」


 悔恨の呟きだけが、暗がりの部屋に広がっていった。


     ◆


 日の光がほとんど差さないクリスタロボ大森林であるが、里の入口側から明朝の日差しを受けるコロラドの里ではこの時間になると、結晶の光である白と朝日の光である白とで絶妙なコントラストで里中を染め上げていた。窓に差し込むその光を合図に宿に住む商人たちは起床し、彼らが起こす朝の喧噪に合わせてウォルフたちが起き上がるのがこの里の通例となっていた。

 その例に漏れず、カーテンの隙間から零れた光によって、ローランは目を開いた。

 そして、そのまま目を見開いた。


「なん、で……?」


 ベッドに横たわったローランの、すぐそば。彼が驚愕のあまり反射的に出たその吐息が、吹きかかってしまいそうなほど近くに、横たわったアルの姿があった。

 アルはローランの顔を、なんとなしに観察するようなぼやけた表情のまま、その無感動な眼差しを……暗く、赤みがかった瞳を向けていた。銀髪は朝日に反射して、後光のようにその輝きを増幅させていた。


「夢、そうだ夢に違いない。いくら何でも一晩のうちにアルが来るなんていやでも他の里長が反対しているのにどうして……」


 ほとんど言語されていない呟きを口の中で咀嚼するローランに、アルは目を細め、意地の悪そうに微笑んだ。


「昨日から相変わらずの独り言……本当にジジくさいですね、ローラン」

「なんで……」


 なんで昨日のことを、と言いかけたであろうローランは、途中でハッとなって目を見開く。しかしそれが信じられないといったように声を震わせた。


「いや、待て……たしかにアルの魔術は物質の状態を容易に変化させてしまうけれど……まさか、そんなことが」


 魔王の権能を受け継いだアルの魔力は、あらゆる物質に干渉してその形状や性質を変化させる。それはアル自身にも有効であることは、哨戒巡礼での行動記録のとおり。

 それならば、自身を晶狼に化けさせることも、難しいことではなかった。


「ジルバにも協力して貰いました。二ヶ月ほどでしたら、他の里長たちも誤魔化せると」


 里を出る前のジルバの態度を思い出したのだろう、ローランはさらに困惑する。哨戒巡礼に用いたフード付きのジャケットにショートパンツを着ているアルが、何故ここへ来たかは明白であった。


「駄目だって言ったじゃないか。君は――」

「わかっています。私は人間を……あなたを含めた、全ての人間を憎んでいます。惨たらしく、生を後悔させてから殺してしまいたいと。そう、思っています」

 

 アルの瞳が、まっすぐとローランを射貫く。


「そんなことは、当然なんです。だって殺されたのは私の父で……、そのくせ父の死を無駄にしようとしている人間を、実際この目で見てしまったんですから」

「アル……」

「でも、だからこそ私は外に出て……、山の色づきや、村ののどかさや、都市で笑い合う人々の営みを、一度でいいから見てみたいんです」


 アルは目を閉じて、潤む声で、ローランに言い聞かせた。


「だって、父が死して守ろうとしたものは、そういうもののはずなんですから」


 斜光が、アルの表情を翳らせる。アルの思いに、帳を下ろすように。

 ローランは目を閉じて、アルの言葉を反芻し……外から喧噪が聞こえるようになってから、意を決してアルに伝えた。


「わかったよ」


 翳りの先から、白い眼光が現れた。


「だけど、二つだけ約束して欲しい」そう言って、ローランは上半身を起こしてアルを見下ろした。

「真実がわかるまでは、人を傷つけないこと。それがままならなくなったら、俺を殺すこと」


 アルが体を起こして、こちらを見やるのを確認してから、ローランはニコリと笑顔を作った。


「あとは……独り言の多い俺の話し相手になってくれること、かな。できるかい? アル」


 ははは、と笑うローランを、アルは咎めるように睨めつけた。


「まったく、しかたないですね」


 そう言ってアルはベッドから飛び降り、カーテンを開いて陽光を浴びた。


「ああ、それと……」ふいに、何かを思い出したようにローランに向き直る。

「ローラン。ローラン・エル・ネクロマンテ」

「なんだい?」


 アルは一度目を逸らし、視線を彷徨わせる。

 幾ばくかの逡巡の後、怪訝そうな顔で次の言葉を待っているローランを置き去りに、アルは何度も頷く。

 やがて、その言葉がローランの耳を叩いた。


「おはようございます。良い朝ですね、ローラン」


 コロラドの里の朝は、飾り気のない晴天であった。

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