旅立ちの朝Ⅰ
◆
それから五日の間、ジルバの里は混迷した様子であった。
聖騎士団の侵入者だという報告を受けたジルバは、各里へこの事実を喧伝し、急遽里長同士の会合が開かれた。この間にも里は戦争が始まることを懸念して常に哨戒が森中を見回り、アルとローランもそれに協力していた。
当時の人員の分布を参照するならば、この時点で聖騎士団が軍を動かしていたという記録は存在しない。二十年来の争いの気配にざわめく森は、その事実に気付くとホッと胸を撫で下ろすのと同時に、現れた侵入者の意図を探り始めていた。
「捕らえた聖騎士の話によれば、此度の偵察は森林の調査が目的だということです」
ジルバの里の広場に設えている大きな円卓を、ジルバとアル、そしてローランと他里の里長たちが取り囲んでいた。今の話題は、アルたちが哨戒巡礼の折に捕まえた捕虜についてだった。
「いったい何の目的で……」
「それが……」
質問を受けたジルバは言い淀み、アルに目を配る。それを受けたアルは神妙な面持ちで頷き、言葉の続きを了承した。
「このクリスタロボ大森林に『魔王の娘がいる』という情報を受けた、ゴルドバの司祭による命令だとか」
その言葉に、円卓がザワザワとどよめく。
不穏な雰囲気の中で、ローランは視線を落として沈黙していた。
「どういうことだ?」
「ここにアル様がいるという情報が何故……?」
「このことを知っているのは、ロードレク様を看取った勇者の一行のみではなかったか?」
「なら決まっているだろ! 外の勇者一行が、アル様のことを教団にばらしたんだ!」
「どうしてそんなことを……」
「まやかしだったんだ。魔王様との約定なんて、勇者は最初から守る気なんて無かったんだ!」
最初は困惑が支配していた円卓が、おのずと怒りと悔いが滲み始めてきた。
同胞に怒りを示されたローランは、耐えるように手を組み、目を閉じた。
「皆様、落ち着いてください」ひとしきり感情を吐露したその場を、静かな口調でジルバが治める。
「入り口付近の里の者に偵察をお願いしましたが、今のところ森の外に聖騎士団らしい軍隊が展開しているという情報はありません。情報自体の信憑性が、高くなかったのだと思われます」
「それでも、この森に疑いの目を向けられているのは間違いないだろう?」
「ならアル様のことが明るみに出るのも、時間の問題じゃないか」
「いっそこちらから仕掛けるべきじゃないのか? 包囲されて、森を焼かれでもしたら我々はおしまいだぞ」
「馬鹿を言うな! 我々だけで聖騎士団に太刀打ちできるわけないだろう!」
議論が再び白熱する中、アルはどこか所在なさげに視線を彷徨わせている。小さな肩をさらに縮ませ、少しでも存在感を無くそうとしているようにも見えた。
「こちらにはアル様がいるんだぞ! 魔王ロードレク様の権能を受け継いだお方が! 聖騎士団がなんだっていうんだ!!」
その一言で、円卓の囲む大勢の視線が、アルに向けられた。
一人を除いて。
「それを言うなら、向こうにはまだ勇者フレイがいますよ。魔王を殺した、正真正銘の不死殺しが」
ローランは立ち上がり、アルに向けられた目線を引きつけながら言い放った。
「あれから二十年も経っているんだぞ、以前と変わらず力を振るうことができるものか」
「そんなこと、わからないでしょう? 今、この会合に参加した者の中で、あの戦争の後から一回でも勇者の姿を見た者がいるんですか?」
年長の一人の反論をローランは厳しく問いただす。周りが黙り込んだのを確認して、ローランは続けた。
「今の私たちは、あまりにも外のことを知らなすぎる。教団との禍根をないがしろにするわけではありませんが、戦争という選択肢は、あまりにも断定的過ぎます」
「お前はウォルフでは……元々の亜人族ではないからそんようなことを言えるんじゃないのか?」
男の一人が、ローランを指さす。
「それは……」
「ましてやお前は、ロードレク様を討伐した勇者一行の仲間だったそうじゃないか! 身内贔屓で教団を擁護しようっていう魂胆じゃ――」
「おやめなさい」
ジルバの制止を受けて、男が言葉を詰まらせる。ジルバは大きくため息を吐いた後、ローランに言う。
「たしかにこの里の者たちは、奥地にあるせいで世情に疎く、懐古的なきらいがあります。しかし現状、聖騎士団がアル様の存在を嗅ぎつけいているのは確かです」
そこで提案ですが、とジルバは立ち上がり、ローランに目を向けた。
「ローラン、あなたは外の世界にある程度は精通しているでしょうし、勇者を含めた一行との面識があります」
「ええ、まぁ、本当にある程度ですけど」
「なにより元々人間であるあなたはまだ魔力器官が目立たないですし、衆目に置かれても亜人だと判別するのは難しいでしょう」
事実を確認すると、確信を得たジルバはええ、と頷き、言った。
「ローラン。あなたには私たちの代わりに外の世界へ行き、人間世界が亜人とどこまで共存しているかどうか、確かめていただきたいのです」
その提案は、円卓を一度、氷のように沈黙させた。
ローランは突如告げられた依頼に、ただ口を開けて呆然とするしかなかった
しかしそんなローランを置いて、提案の意図を理解した周りの年長たちは、こぞってジルバを問いただした。
「ジルバ! どういうことだ!」
「言ったとおりです。仮に教団がアル様を認知していたとしても、帝国社会が亜人と人間との共存を図られているのなら、問題はないはずです」
「帝国がそうだとしても、教団はそうだとは限らないだろう!」
「それなら帝国に庇護を求める理由にもなりましょう。結晶樹を提供している私たちにも交渉の余地はあります」
「帝国が教団側についたらどうする! こっちを問答無用に支配することだって、奴らにはできるんだぞ!」
「それができるなら!」ジルバは円卓を両手で強く叩く。
「私たちはもうここにはいません」
語気に圧倒されて、年長者たちはしかし、だがと呟くも、二の句を繋げられずに消沈する。
「あの、里長様」ここで、ローランはようやく我に返った。
「お役目を頂いて、たいへん光栄なんですけども……」
ジルバは一度息を吐いて落ち着き、ローランに応える。
「なんでしょうか」
「俺が行ったところで、この里の者たちに今の帝国社会を見てくれないと、信じてもらえないんじゃないかと」
「そんなことはありません」そう言いながら、ジルバはローランを非難した男を傍目で睨めつける。
「私はこの里で二十年間、あなたを見てきました。この里を統治する長として、あなたが信用に足る者であることは私が保証します」
「そう言ってくれるのは、嬉しいんですけど……」
「いいえ、彼の言い分も理解できます」
言葉を挟んできたのは、これまで口を噤んでいたアルであった。
「アル?」
「たしかにこの男は私の父ロードレクを殺した勇者の一行に属していた元人間です。この二十年間ウォルフと共に暮らしてきた彼であっても、クリスタロボに住む全てのウォルフが納得するような知見を得るのは難しいでしょう」
やや早口気味に、アルはジルバと年長たちにまくし立てる。その姿に、ローランは困惑を覚えながらも、予感したその先に顔を引きつらせていた。
過去の記録から、アルは森への外出を強く希望する傾向にあることを、あらかじめ明記しておく。
「あ、アル……?」
震え声を上げるローラン。
呼ばれたアルの瞳は、好奇と期待の黄に染まっていた。
「ですので、私もついていきます。魔王の娘である私本人が、帝国社会を勉強してきましょう」
◆
「絶対に駄目だ!」
里内の会合が一段落し、ツリーハウスへ帰ったローランは自室にアルを入れて開口一番に怒声を上げた。声に合わせるように、紙の束が揺れて床に落ちる。
「どうしてですか! 会合での話を聞いていたでしょう? あなただけじゃ好戦派のウォルフを黙らせることはできないんですよ!」
「それならウォルフの一人を付き人にすればいい! 君がわざわざ赴く必要はない!」
「今日の今日まで森に引きこもってたウォルフに何がわかるというんです? また戦争が起こるかどうかの瀬戸際で、ウォルフの先入観で人間を語らせたらどうなるか……」
「それは君だって同じだろう!」
「ええそうですよ! あなたのせいでね!」
肩で息をするアルに、ローランは一度言葉を詰まらせる。その瞳は烈火のごとく燃えていた。
しかし、ローランは頭を振って、冷たく言い放つ。
「だとしても、君が外の世界に出ることは許さない」
「ふざけているんですか? 今は個人の意地を優先している場合ではないんですよ」
「君は、俺たちが捕まえた聖騎士のことをどう思っている?」
突然の質問に、アルは眉を顰める。その様子にため息をついて、ローランは言う。
「憎かったんじゃないのかい? 亜人族や君の父親……それに晶狼の群れを殺した聖騎士のことが」
「それが何だというんですか?」
「君の憎しみはもっともだよ。でも、君はそれを抑えず聖騎士を傷つけた。わざと、惨たらしくね。違うかい?」
糾弾するようなローランの言い回しを、しかしアルはまっすぐと視線を返して答える。
「あの時も言ったでしょう? どのみち嬲り殺しになるなら、私が手を下したって……」
「そのせいで、貴重な情報源を無くすところだった」
「それは……」
「何度も言うけど、君やウォルフたちが、俺や人間たちに恨みを持つのはわかるし、そのために俺は殺されたって構わない。非難を浴びさせられるのだって、妥当だと思っている」
ここでローランが腰を落とし、アルと目線を合わせた。
「でも……そこで平静を保てず、ただ凶行に走ることを是とするなら、君だって好戦派のウォルフと変わらないよ」
まっすぐと見据えられた瞳を、アルは顔を伏せて逸らした。
「俺は、また亜人と人間が戦争を起きるかもしれない、なんて思いたくない。外にいるフレイや、カリグラ、プルトにアリア……。みんなが、魔王ロードレクの遺志を継いで、亜人と人間の間を取りなしてくれているはずだって信じている」
ローランは湧き上がる疑念を押さえつけるように、目を閉じて顔を伏せる。
「だから俺は、それを確かめるために、外の世界に行く」
そして再び、ローランの眼差しがアルを捉える。
「君は何のために、この森を出たいんだい?」
アルは顔を伏せ続けたまま、流し目でローランを見る。
その瞳の色は、深い青色に染まっていた。
「もう、いいです」
沈んだ声でアルは言い、そのまま踵を返して部屋を出て行った。
腰を重たく上げたローランは、一度大きく息を吸った後、胸の重苦しさを全て押し出すように、深く、長く息を吐く。
「どうして、あんな子供なんだろうなぁ……」
いや、俺も、か……。
そんな呟きは、座り込んだベッドの小さな軋みに掻き消されていた。
◆
協議の結果、帝都ゴルドバへ赴き現在の帝国社会を学ぶ旅路は、ローランだけが行くこととなった。
理由としては、本来内向的なウォルフたちが、森の外へ出ることに消極的であったことや、森への侵略行為を恐れて準備を進めたいという層が大半を占めていたからだ。結局ウォルフたちの大多数が、教団が亜人共存に協力しているとは考えられなかったのである。同じような理由で、アルが森の外へ出ることも代表たちは否定的であった。もし仮に聖騎士団との戦争に発展した場合、おそらくは本人の意思にほとんど関係なくその力に頼らざるおえないと判断した里長たちが、アルを森に留めることに賛成していた。
その一方でジルバは最後までアルが付いていくことを推奨していたが、最終的にはローランが同伴を拒否したためそれは叶わなかった。
「本当によろしいのですか、ローラン?」
旅立ちの日。里の門前で出迎えていたジルバは、ローランにそう尋ねた。ローランは深緑のローブを纏い、腰には専用のホルダーに格納されたグリモアを格納した魔術士然とする格好に、最低限必要な荷物を詰めた背負い袋を背負っていた。
「何がですか?」
「アル様のことです」どこか寂しげな表情を浮かべ、ジルバは言う。
「これまで二十年間、彼女と離れたことはないでしょうし、それは彼女も同じこと。寂しくはないのですか?」
その問いに、ローランはどこか照れくさそうに頬を掻いた。
「今はまだそんな実感はありませんけど……、おそらくこの森を離れて、一日二日も経てばそうなるでしょうね」
「なら……」
「別にアルがいないからというわけではありませんよ。二十年ずっとお世話になったこの森が、寂しくないわけありませんから」
きっぱりと言い切った後、ローランはジルバから一歩後ずさり、
「旅の間、アルのことをよろしくお願いします」
そう言って、深く頭を下げた。
ジルバは腕を組み、薄く微笑んだ。
「今回は、晶狼の案内は必要ですか?」
◆
「しかし懐かしいなぁ、この装備も……」
相変わらず薄暗さが蔓延する森の中に敷かれた林道を、ローランは歩いていた。手にした結晶杖を掲げて、周りの木々たちに見せつけるように軽く振り回していた。
その先頭には晶狼が歩いていた。ジルバの用意した晶狼で、外周部までの里の位置を把握できるほどの魔力器官を備えており、晶狼と交信できないローランであっても既に晶狼が覚えている単純な道を案内をする分には問題なかったため、次の里まで同伴することになった。
「これを最後に着たのはいつだったかなぁ……戦いが終わって、ジルバの里にお世話になる前だったかなぁ……? うーん……」
顔を上げて、朗らかに独り言を喋るローランの声は、しかし結晶樹に響くことなく空しく鳴っていて……、時折晶狼が何事かと振り向くばかりであった。
「あぁそうだ、思い出した。ジルバの里に入る前に、ウォルフの皆と揉めたんだったっけ。最初は、アルを預けられればそれで良かったんだけど……」
「…………」
「それを話す前に里の人たちに襲われちゃってさぁ……。もう戦いは終わったのに、無闇に亜人たちを傷つけたくないからってなんとか耐えて……」
「…………」
「まぁ、考えてもみればそうもなるよねぇ。彼らの心の拠り所を殺したんだし、今こうして生きているだけでも、命の物種っていうか」
「…………」
「『英雄を殺したお前たちを絶対に許さない』。言われてもしょうがないことなんだけど、最初聞いたときはショックだったなぁ」
「…………」
「今考えれば、きっと俺は逃げたかったんだろうなぁ。フレイたちに混ざってこれからの世界を変えようなんて気概、俺にはなかったし……研究さえできればそれで良かったのに」
「…………」
「きっと、心のどこかで甘えてたんだろうなぁ……。だからこの森で、少しでも罪滅ぼしをしたくて」
「…………」
「いや、何を他人事みたいに言ってるんだろう。まだまだこれからだろう、ローラン」
ははは、と空々しく笑いながら視線を落とすと、晶狼がこちらを向きながら歩いている姿を目の当たりにし、ローランはクスリと微笑んだ。
「ほんとにジジくさくなったなぁ、俺。やっぱり君の言うとおりだったかな、アル――」
その言葉に、ハッとなって足が止まる。信じられないといった面持ちで目を見開くと、口元を押さえて、肩を落としながら重く嘆息した。
「勘弁してくれ」苛立ちを隠せないままに、ローランは髪をかき乱した。
「まだ一日も経ってないじゃないか……」
そんな彼を、晶狼はしかし、気にも掛けず静かに歩き続けていた。
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