哨戒巡礼Ⅴ
◆
「魔力光が聖質に内包している情報っていうのは膨大でね、指先の光一つだけでも具体性の高い情報が得られたりもするんだ」
落ち葉に埋もれた斜面を注意深く歩きながら、ローランは後方のアルに解説をしていた。
「なおかつ大気中を漂う魔力光自体も流動性の高いものだから、魔力光が生物を透過するに当たっては、透過した生物の聖質を読み取ることだってできる」ここまで話したあと、ローランは苦笑を漏らす。「まぁ、これは本当に結果論だったんだけど、あの時晶狼が俺を『自分たちを狙う侵入者』だと思って本気で襲ってきたのが幸いしたのかな」
それを聞くアルは半目になりながらも、その瞳は黄に染まっていた。
「あの晶狼の襲撃と侵入者の居所と、いったい何が繋がるんですか?」
「あの時俺が一回死んで、拡散した魔力光が収束した際に、偶然晶狼の体を透過したおかげで、晶狼の記憶の一部とそれに伴う悟性的な感情刺激を貰うことができたんだ」
「悟性的?」
「簡単に言うと、ある事柄に対して自分がどう感じたのかってこと。それで、俺は晶狼の、侵入者に対する憎しみや殺意を、情報として受け取ることができた」
ローランの正面には、青白い光を纏った狼が、地面に鼻先を近づけながら歩いていた。
その狼の輪郭はぼやけており、時折陽炎のように左右に揺らめきながらも迷わずアルたちを先導し、道を示していた。
「俺たちが今追ってるのは、そんな晶狼の感情と対侵入者の記憶をミキシングさせた専用の追跡魔術なんだ。精度は晶狼の探知能力に依存しているけど、そこはさすがだね」
目の前の狼が迷うことなく先導しているのも見て、ローランは満足げに頷く。
魔力は全ての生命に宿り、生命の全てを内包している。
すなわち、魔力を知れば命の法を知ることができる。そして魔力によって、生命の基盤たる魔力光……魂を作り出すことも可能とする。
死霊術とは、全ての魂を解析し、模倣し、再現する魔術研究の総称である。
そしてローラン・エル・ネクロマンテ……『死霊術士のローラン』の所以でもあった。
「そろそろ、かな」
途中で休息を挟みながら白夜の森林を歩くアルたちだが、先導者の狼が顔を上げるのを見て、その場で立ち止まった。
現在アルたちが向かっている場所は哨戒巡礼のルートとは大きく外れる場所であったが、森全体を把握できるようになったアルの力もあって、迷うことなく目的地に到達することができた。
アルたちの目の前にあるのは、やはりこの夜に光を放つ神木の1つだった。根元に洞窟のような大きな洞が空いており、中は外の輝きと打って変わって暗がりとなっている。
ローランは手にした杖を軽く突き出してウィスプを呼び出し、光を強めて洞に放つ。洞全体が輝き、中の様子を明るみにする。
洞の奥には、二人の男がいた。
「誰だ……!」
「にん、げん……? いや、まさか……」
男たちは困惑の声を上げて立ち上がり、アルたちを見つめている。精神的な疲弊からか呼吸が浅く、二人を見る目も血走っていた。
男の格好は両者とも統一されたものだった。皮を下地に金属製のプレートを縫い合わせた軽装の鎧に、革製のブーツを履いて、洞の中で両腕に抱えるようにして同じ規格の長剣を携えており、アルとローランに男たちが兵士が類いであることを容易に想像させる。
しかし、烈火に染まったアルの瞳には、男の腰に巻き付けられた、血のこびりついた紋章が映し出されていた。
「翼と、虹の紋章……」
アルの呟きが、洞に反響する。ローランも驚愕の表情で同じく紋章も見やった。
「ウォルフ……神に仇なした獣人ども……!」
絞り出すように、男の一人がローランとアルの見てそう比喩する。そのまま長剣の両手で構えた。
ローランは視線を男に向けながら、アルの肩を引いて下がらせようとする。
「ちょっと待って。落ち着いて話を……」
その言葉が終わる前に、神木を取り巻く空気が嘶いた。それはローランが幾度となく感じたであろう、魔術の震えだった。
ローランが顔を向けると、煌々と瞳を揺らめかせながら左手を男たちに突き出すアルの姿があった。
「アル、まっ――」
ローランの制止も間に合わず、アルは開いた手のひらを、グッと握りしめる。
木の洞に撃音が響き渡り、次いで男の絶叫が鳴り響いた。
「あっ、……がっ、ああああああっ!!」
地面の長剣が落ち、男の膝もまた落ちる。長剣を構えた右腕は肘の先から手首にかけて『く』の字に何度も曲がり、屈折に耐えられなかった骨は皮膚を突き破って枝葉のように伸びている。
そんな光景を、アルは無感動に眺めていた。
「う、うあああっ……!」
一方の男は恐怖に震えた声を上げながら、後ろに下がろうと壁により掛かる。
「ばけ、もの……」
腕をひしゃげられた男は怨嗟を込めた瞳でアルを見返す。恐怖か痛みか荒い息を何度も吐きながら、奥歯がかち合って音を鳴らしている。
アルはもう一度手のひらを広げ、戦意を失わないその男に向けた。
「アルッ!」
その声を上げたのはローランだった。男とアルの間に入って、アルの両肩を両肩を強く掴んだ。
「この人らを殺す気か!? 早まった真似はするんじゃない!」
「早まる?」アルはローランを上目で鋭く睨む。
「目の前にいるのがどういう人間か、わかっていますかローラン?」
「ああ、わかってる。さっきの言葉に、腰のタリスマン……エル教団が抱えてる、聖騎士団だ」
ローランは横目で男たちを気にしながら、アルに言い聞かせる。アルは口の端を持ち上げて、吐き捨てるように言う。
「ええ。虹の彼方へ去った無銘の神々を信奉し、亜人たちを罪人と弾圧し、二十年前の戦争で矢面に立って私たちを殺した、あの教団が組織している騎士団ですよ? そんな騎士団が、斥候用の軽装でこの森をうろついている」ここまで言い切り、アルは大きく息を吸った。
「これが何を意味しているのか、わからないんですか?」
「わかるよ。戦争が終わった今、教団の軍事組織がここに居るのは、明らかな問題行動だ」
「そうでしょう? しかも彼らはウォルフの信仰物である神木を傷つけて、盟友である晶狼も殺している。里に連れて行ったところで嬲り殺しにされるならまだ優しい処置です」淡々とした言葉とは裏腹に、昂ぶりを抑えられない息が徐々に上がっていく。
「それなら、ここで殺したって文句はないでしょう?」
「だめだ」
「どうして?」
「目的がわからないだろう? なぜ聖騎士団が今になってこの森を偵察している? 侵略するなら、その規模は? 指揮官は?」釣られて語気が上がるのをなんとか抑えて、ローランは聖騎士の二人に向き直った。
「それを聞く必要がある。だから今は殺せないよ」
ふざけるな。と、一人が息も絶え絶えに声を荒げる。
「我々を拷問しようというのか、野蛮なウォルフ風情が! 神の尖兵たる我々が口を割るとでも思っているのか……!」獣のように体を折り、唸りながら男は吠える。
「死ねっ……! 死ねっ! 呪われてしまえ! 貴様らがいなければ、神は我々を見放さなかったのだ……!」
もう一方の男は涙を流し、腰の紋章を手に取り祈りを捧げている。
「一人いれば、十分では」
冷淡なアルの声が、低く男たちの耳を通る。ローランは「だめだ!」と言い、アルの手を取り、自身の胸に当てさせた。
「君が、そんなことをする必要はないよ。お願いだから、無闇に人を傷つけるのはやめるんだ」
ローランはまっすぐと、アルを見据える。激情と慈しみを含んだその瞳を見て、アルの目つきから鋭さが消える。
「あなたはそれでいいんでしょうけど」
「ごめん」
「ああもうっ、いいです。白けました」
ふんっ、と鼻を鳴らしながらアルはローランの手を振り払い、再び男たちに言った。
「あなたたちをジルバの里に連行します」
その言葉に、怒りを隠せない男は、ギラついた目をアルへ向ける。ふらついた足取りで、空いた左手で長剣を掴み、アルに向けた。
「無駄ですよ」
瞬間、男の前で長剣が砕け散る。その後を追うように、魔力の震えが沸き起こる。さすがの男も目を見開いて驚愕していた。
「その腕を見ても理解できませんか? 蛮勇を奮って立ち向かえばその様ですよ。おとなしくしていてください」
驚愕の表情を崩せないまま、男の視線はアルに向く。
「まさか……」
震える声で、男は呟く。
それはどこか、確信めいたような口ぶりだった。
「本当だったのか? 魔王に、娘がいたというのは……?」
しん、と。
アルとローランの顔に、底冷えした緊張が走る。
「どうして……?」
その声は、アルのものか、ローランのものか。
「は、ははは……」
痛みも忘れて愉快そうに男は、しかし乾ききった笑い声を上げた。
「ならば、我がすべきことは1つ……」
そう言って男は、折れた長剣を自身の喉元に向ける。
アルと、ローランは、その男の発した言葉の衝撃に動揺し、その行いを止めることはできなかった。
「主よ……、自らの手で、生命の環を巡ることをお許しください」
それはあり得ないほどに、偏執的な狂気を孕んでいた。
男は自身の首に、折れた長剣を突き入れた。
切っ先を失い、金属の断面でしかないそれを、片腕の力のみで喉元にねじ込み、無理矢理貫いていく。
零れた鮮血が地面を濡らし、その体が血だまりに飛び込むまで、その場の誰一人として言葉を発する者はなかった。
「は……」
ようやく息を呑むようにして、残された男が声を漏らす。その声で我に返ったように、ローランは男に駆け寄り両腕を押さえつけた。
「君までふざけたことはしてくれるなよ」
「あ、ああ……」
取り押さえられながらも男の視線は、自害し青い魔力光を飛散させる同胞に向けられていた。
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