再会Ⅳ
◆
我々が射出した防衛機構は、フレイという名の一介の村人へと着地した。
フレイは大陸に存在する『魔王』を排除するための機能を大陸人の体をベースに構築した結果、エル教団が使用する聖痕の技術を転用することで現在の文明レベルでは計り知れない驚異的な身体能力力と特性を獲得した。エル教団はこれを伝承に準えた『勇者』の誕生であると誤想し、フレイに対して教団への加入を求めると、防衛機構は利害関係の一致からこれを承諾する。
しかし、教団側としては思想的に独立した防衛機構を『教圧解放戦争』終結の中核に据えることには懐疑的であった。そのため教団は『勇者』の身を守り世話をする監督役として旅に同行し、有事の際には防衛機構を無力化できる聖騎士……護士を派遣するに至る。
護士のプルト……プルト・エル・ミヌクスは、当時十三歳で聖騎士となった少年だった。
「何故今更ここへ来た? おとなしく、森に引き籠もっていればいいものの」
物資搬入のために大きく広げられた洞窟内で、アルとローランは目の前の元護士に問われていた。手甲を纏った腕を持ち上げて、拳は固く握りしめられており、切れ目から覗く瞳には暗く鋭い眼光を放っていた。
「何故ですって?」アルはローランの後ろ隣で、群青に染まった瞳を返した。
「先に斥候をけしかけたのは、あなたたち聖騎士団でしょう?」
腕を組んで反論するアルの語気には、不思議と力を感じられない。プルトの眼光はさらに鋭さを増し、アルと視線を結ばせた。
「斥候?」
「惚けないでください。一ヶ月前に、結晶樹の森に聖騎士が入り込んでいたことはわかってるんです」
「知らないな。どうせ狸ジジィの差し金だろう、俺とフレイには関係ないことだ」
むき出しの敵意を吐き捨てるように、プルトは舌打ちをすると、そんなプルトをポカンと眺めているローランに目を向けた。
「君、本当のあのプルトかい? その聖痕……」
「ああ、あのプルトだよ。不器用なローランお兄ちゃん。……まぁ、今は外見的に俺のほうが年上だけど……なっ!」
芝居がかった口調で、プルトはローランの言葉を遮る。青色の混じった灰色の髪が不穏に揺れると、次の瞬間にはローランの間近まで距離を詰めた。
「っ!!」
反射的に後ろへ下がろうとしたローランよりも先に、プルトの拳は腹部へと叩き込む。割って入った結晶杖がそれを受け止めると、ローランの体を後方へと跳ね飛ばした。
「何をするんだ!」と素早く受け身を取ってプルトを見上げるローランに、プルトは拳を解いて虫を払うように横へ凪いだ。
「犯罪者を擁護して聖騎士に攻撃したという話は聞いてる。このまま首都を出て、おとなしく森に帰る気が無いって言うなら、公務執行妨害でお前たちを捕らえる権限が今の俺にはある」
「それは――!」
「なんだ? なんの事情も知らないまま、そのガキを助けるために聖騎士の顔面に蹴りを入れておいて、お咎めがないなんて都合の良いことはないよなぁ!?」
結晶杖と膝を突くローラン。暗い緑の瞳を揺らしながらも右手を構えるアル。そしてそこから少し離れた場所に経緯を無表情で見守るサゼンを順番に見渡して、プルトは怒鳴る。
プルトには本来ここで彼らを逮捕する権限は持たず、アルたちもまた、自身が逮捕される謂れもないことを理解する術は無い。故にローランは地面に視線を落としながら、杖を突いて立ち上がっても何も言うことはできなかった。
「どうせお前らは、目の前で傷ついた亜人を見て衝動的に庇ったんだろ? この二十年間で亜人がどれだけ醜く傲慢になったか、知りもしないで……ただ可哀想だからって理由で、自業自得にはまったんだよ!」
プルトは拳を打ち鳴らすと、灰色に差し入った青色が光を放つ。手甲の内側では、プルトの体内に探針が潜り込み、彼自身の聖質を読み取っているのだろう。
聖騎士は魔術の代わりにその身に聖痕を刻んで戦う。聖痕とは聖典が語る物語を聖質化し、教団の秘法を用いて人体に書き込み、装備に施された探針がそれを読み込むことで武器を強化する技術の総称である。これによって教団の司祭や騎士たちは神と同化しその思想を、『奇跡』という題目で外界へと表象化するとされている。
彼らが信奉するエル教は、その特徴として偶像崇拝を行わない。神は後継者である使徒の言葉……その教えによって現れるものであるとされ、実物を……特に人型を模すことは神を曝く罪であるとして人間亜人問わず重い刑罰が下される。
曰く、神は教えであり、思想であり、文化であり、それらは全て内心に宿る。彼らに許されているのは、自らの立場と地位を証明するために、聖典が語る神話に描かれた、神が過ぎ去った後の虹と神の下へ向かわんとする翼の紋章を装備に施すことだけであり、聖痕と奇跡は自らの神を表現する手法でもあった。
聖光を纏って、プルトはローランに突撃する。常人では目にも留まらぬ速度で接近し、繰り出された拳を、ローランは身を屈めてなんとか躱すと後ろへと飛び下がる。しかしその瞬間にはプルトは既に追い付き、左右に揺れながら拳を振るう。盾代わりの結晶杖と手甲をぶつかり合う激しい撃音が、搬入路に響き渡った。
アルはそれを目でなんとか追いすがって、右腕を掲げて大気を震わす。だがそれを察知したローランは、途端に「やめろアルッ!」と声を上げた。
「プルトは敵じゃない! 約束を忘れたか! 君は――」
「そんな事言ってる場合ですか!」
「いいから! 俺のことなんて心配しなくていい!」
そのやりとりに、相対したプルトの顔が苛立ちに歪んだ。
「あいっかわずだなぁ! 魔術士のくせに、お坊ちゃんみたいな甘い奴!」
「褒めてくれているんだよねぇ、それ! というか、君そんなしゃべり方だったっけ?」
「そのピエロみたいな言い回し、ウザいんだよ!」
額に汗を浮かべながらローランが笑うと、プルトはその場で回旋しながら飛び上がり、ローランの側頭部へ向けて回し蹴りを放つ。風を切りながら迫る健脚を結晶杖と肩で受けたローランであるが、その勢いは止まらず真横へ飛ばされ無骨に晒された岩壁へと激突する。
砂埃を上げて立ち上がったローランの眼前には、すでに拳を構えたプルトが迫っていた。
弓引いた拳の先は、聖痕によって一度液状化し、円錐形の槍の穂先となって再構築されていた。
ローランの表情に、焦燥が浮かんだ。
「――レコルダ・プルト!」
片手でグリモアを開き、結晶杖のリブを展開して、ローランは切迫した声で目の前の聖騎士の名を唱える。青白の魔力光が円環を描き、ローランの前に盾を持った少年の幻影が投影される。
結晶杖を石突きが地面に鳴り響くと、少年の盾は巨大化してローランを守る。かつて護士であったプルトは、盾とメイスを持って勇者の背中を守っていた。
視界に広がる白い大盾に、しかしプルトは奥歯を噛みしめて怒りのままに吠えた。
「亡霊如きがぁっ!」
青の拳と白の盾がぶつかると、反動で搬入路全体が音を立てて揺れた。青と白が拮抗し衝撃が嵐となって周囲の土を巻き上げていたのも束の間……、盾は少年の幻影と共に砕け散り、そのままの勢いでローランの胸を貫いた。
吹きすさぶ土煙に煽られ目を瞑っていたアルは、プルトの拳によって壁に縫い止められたローランの姿に目を見開いた。
「ローランッ!」
瞳に炎を灯したアルは細い腕をしならせて、大気を震えを操る。プルトの足下から岩槍が隆起すると、彼はローランから拳を引き抜いて飛び下がる。胸からおびただしい量の血を吐き出して、糸の切れた人形のように無造作に倒れ伏したローランの姿に、無表情だったサゼンも息を呑んで身を乗り出していた。
プルトは血まみれになった拳を固い表情で見つめ直すと、それを振り払ってアルを睨み付けた。
「解せ、ない、ね……」
呻くような苦しい呟きがプルトの耳に届き、ハッとなって彼は今しがた倒れ伏した亡骸に目を向ける。遺体の周囲には魔力光が回遊し、やがて血の赤と共に渦を巻いて収束すると、そこには胸元を晒したローランが立ち上がっていた。
「戦争もなくなって、これ以上教団が武力を強化する大義名分もなくて……、なのに君は、そこまで聖痕を求めて鍛錬をしている」
愛想笑いを浮かべながら、ローランは解せないといった風に眉を寄せたプルトと離れた位置で向き合う。プルトの灰と青の髪が先ほどまでの攻防で生じた風によって揺られていた。
聖騎士はその身を媒体として無銘の神を表現する。そのために聖質化した神の奇跡や逸話や伝承をその身に刻み込む。聖痕は刻むごとに強化され多様化するものの、1人の人間に内包している魔力光には限界がある。そのため書き込む聖質にもいずれ限界が来る。そうして魔力光として許容しきれなくなった聖質は、体表面の色素を青い入れ墨のように浸食することで一時的に保存される。
プルトの灰髪に入った青の差し色は、彼に刻まれた膨大な聖痕の一部分であった。
「どうして、そこまで自分を追い詰めているんだ? そんな強大な力を持って、君は一体何がしたいんだ?」
「黙れ……! 何も知らないくせに俺に説教するな!」
歯をむき出しにして、プルトは腕を払う。
「森に籠もっていたお前たちは知らないだろう。『亜人侵攻』が終わってすぐ、各地で統率を失った亜人の軍勢どもが蛮族のように何年も村を襲い続けていたことを! あいつらは狡猾に息を潜めて、村人を脅して騎士たちを騙し、こちらの言葉など意も介さず奇襲していたことを!」
アルの表情が沈んだ色を見せる。その瞳には碧の色を宿していた。
「そういう連中をなんとか説得しようと、フレイは必死になって大陸中を回っていた。途中何度も残党に襲われたさそれでも! あの人はこちらから手も出さずに話し合いで決着を付けようと苦心していた!」
言いながら、プルトはローランに近づいて、その顔を殴りつける。ローランはそれを無抵抗で受け入れると、地面へと転がる。
「俺はそこまで利口にはなれなかった。あの人を苦しめる奴を、どうして許さなきゃいけないか、俺には理解できなかった」殴り抜いた拳の感触を確かめるように、プルトは眼前へとやった拳を強く握りしめる。
「だから強くなるしかなかった、誰もあの人のことを守らないなら、近づく奴らを全員、あの人の見えないところで!」
「プルト……」
「フレイもアリアもカリグラもネヒンも! そしてローランお前も! 魔王の願いなんてものを聞き入れたから、みんながおかしくなっているんだ!」
「父の、せいだって言うんですか……?」
震える声で、アルは問う。気丈にプルトを睨み付けながらも、胸元を……そこに収まった藍の円環を押さえる手は声同様に震えていた。
「そうだ! お前が、魔王がフレイを狂わせた! 叶えられるはずもない約束に苦慮して、教団の中にすら敵を作って、仕舞いには人外だと自虐して聖堂に閉じこもった。全部魔王のせいでだ!」
「っ! ふざけないでください!」
潤む瞳が、プルトを睨めつける。
「それでも約束したんでしょう!? 来たるべき亜人の安寧のためと……。その踏み台になると言って父は死んだのでしょう!? それなのに、結局約束は果たせず、共存どできないと言うなら……」
ブンブンと、アルは頭を振る。それから先の事実を認めたくないように。
「なら、私の父は、どうしてあなたたちに殺されたんですか!?」
プルトの切れ目から、瞳が覗く。
そこには煩わしさを伴い、翳りを生み……翳りが、目の前の少女を写した。
「簡単だよ。お前の父も、お前も……、この世界に生まれてくるべきじゃなかったからだ」
アルの体が、ピタリと止まった。
何を言われたのか理解できていないように……、理解していても、体の反応が追い付いていないかのように、目を剥いたまま膠着していた。
「……違う。だって、私……」
「せめて、お前さえ生まれていなければ……」そう言って、しかしプルトはいいやと首を振る。
「あの時、魔王の腹から生まれたお前を、さっさと殺しておくべきだったんだ。ローラン……お前の言うことを聞かずにな」
言われて、アルはローランを見やる。プルトに殴られ、地面に伏していたローランは、感情を押し殺した表情でプルトを睨み付けていた。
「プルト」
据わった目で立ち上がり、ローランはプルトに近づく。その淡々とした調子にふいを突かれ、プルトの反応は一瞬遅れる。
その間隙を逃さず――その意図が本人にあったかはわからないが――ローランは結晶杖の穂先でプルトの側頭部を殴りつけた。
プルトは片手で頭部を押さえ、横へ仰け反る。
「今の言葉を取り消せ、プルト」
努めて静かな口調で……しかし普段の彼からは想像も付かないほどに底冷えした声音でローランは言い放つと、結晶杖の石突きを叩いて術式を呼び起こした。
「レコルダ・カリグラ。『死を恐るるなかれ』」
淡々と、目の前の聖騎士をただ害そうとローランはグリモアを開き、親友の名前を口にする。鎧に覆われた腕に握られた片刃の剣が、粛々と光の中から陽炎を伴って顕現する。
「早く取り消すんだ。……今、アルに言ったことを!」
水の中に響くような、籠もった高音が響き渡る。上段に構えられた剣がプルトに振り下ろされると、プルトは聖光を纏わせた両の手甲で挟み込むように、その刃を受け止めた。
「アル?」手甲と刃、二つの力から生じる余波によって腰布をはためかせながら、片眉を持ち上げる。
「あの娘の名前か?」
「君は! ロードレクの死を、英雄の死をなんだと思っているんだ!」
声を張り上げながら、ローランは結晶杖を振り回すと、それに連動して剣はプルトの両手を弾き、その体を大きく後ろへと仰け反らせる。
ローランの繰り出す斬撃はお世辞にも洗練された太刀筋ではないが、大きく振りかぶった剣先は大きく砂塵が巻き起こし、そのままプルトへ向かってがむしゃらに振られる。
これに対してプルトもすぐさま立て直し、目の前にたゆたう剣に一切怯むことなくその拳を打ち付けた。
撃音一発。両者が繰り出し、拮抗した力は行き場を求めて拡散に、搬入路に衝撃を轟かせる。
撃音二発。断続的に続く衝撃によって、岩壁が震え上がる。
撃音三発。繰り広げられる絶え間ない剣戟が空間に響き合い反響すると、ビリビリと空気が悲鳴を上げる。
「なんとも思っちゃいないさ! 言っただろう、生まれてくるべき命じゃないってな!」
「違う! この世界の命は、生まれるべくして生まれてくる! それを勝手な理屈で君は彼女を傷つけた!」
「そのせいで今の惨状があるんだろうが! 他人事みたいに話すお前にだって、アイツを生かした責任があるんだぞ! あの娘さえいなかったら王の葉はこんなに活発になっていない! 首都の亜人が奴隷同然なのも、元を辿れば全部お前とそこの娘のせいなんだよローラン!」
「ああ知らなかった! それでも俺は何も変わっていない! 英雄の遺志が、『なんでもなかった』なんてことはない! 俺はどうだっていいでも! 英雄の遺志を踏みにじるようなことは許さない!」
「勝手なことを言うな! 何も知らずに、のうのうと生きてきた奴が!」
「君こそ! アルの何がわかるって言うんだ!」
平行線の罵声と共に、剣戟は激化する。打ち合った手甲と剣によって生まれる余波が最終的に行き着くのは、彼らがぶつかり合うこの空間そのものだった。
「……まじゅい」
搬入路の天井を見上げて、サゼンは呟く。痣を残った青い肌に、パラパラと土の滴が落ちる。そんな彼女を余所に、アルは呆然とその様子を眺め……二人の衝突は依然やまない。
二人の戦闘は終わりを見せないように、搬入路を構成する洞窟もまた鳴動をやめない。
「このままじゃくじゅれる……」
お互いが息継ぎをするように一旦打ち合いが終わり、真後ろへ距離をとる。地鳴りのような洞窟の震えがその余韻を残し、ローランはグリモアを開いた。
「レコルダ・ルキウス!」
巨大な孥砲を携えたを出現させたその幻影を見つめて、ようやくアルは我に返る。震える搬入路を当惑しながら見渡した後、孥砲を発見したアルの瞳には明るい青色を宿した。
「ダメッ! ローランッ!」
ローランを止めようと叫ぶも、それが聞こえていないのかローランは孥砲を構えたまま正面のプルトに狙いを定めている。対城壁用の戦術兵器を、目の前に人間に向けるその表情は鬼気迫るものですらあり、目の前の聖騎士を打ち倒す以外の全ての情報を拒絶していた。
対するプルトは腰を落とし、再び手甲を聖痕によって巨大な突撃槍へ変じさせると、ローランを真っ直ぐ見据えて拳を弓引いた。頬に一筋、汗を垂らすも口元の笑みからは余裕が窺える。しかし目の前の死霊術士に釘付けになっているその視線は、彼の虚勢を物語っている。
詰まるところ、彼らの戦いのよって起こる周囲の影響を考えてはいられないほどに、両者の状況は緊迫していた。
「っの、おばかたち……!」
サゼンはうんざりした様子で愚痴ると、一度自分の小さな左腕を眺め……決意するように一度頷いて、争いの駆け寄る。
それを合図にしたように、ローランは結晶杖を勢いよく叩きつけ、プルトは突貫する。
搬入路に、轟音鳴り響いた。
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