再会Ⅲ


     ◆


 首都ゴルドバにおけるエル教の象徴的宗教施設であるミューハン聖堂は、半円状の屋根を特徴とする建物の四隅に大きな鐘楼が聳え立っている。鐘楼は聖典において虹の先にいる無銘の神への祈祷として、一定の時刻ごとに鳴らすのが通例である。この都に住む人間たちは、都市中に響き渡る鐘の音を時計代わりにして一日の流れを決めてしまえるほどには、聖堂の鐘の音は人々の生活に馴染んだものとなっていた。

 夜明けから鳴り始めた鐘が、三度目を打ち鳴らしてしばらく……正午を過ぎた頃、西区の工業地帯と亜人居住区を隔てる城門付近に、聖騎士の一人が内側から門番に声を張り上げていた。


「今すぐに跳ね橋を上げろっ! あのイかれた異教徒どもをこの腐れた魔境から生きて帰すな!」


 鼻を押さえながら喋るせいで籠もった怒号に、門番の二人は慌てふためきながらも困惑を隠せないでいた。


「い、一体どうされたんですか……?」

「移住区に犯罪者がいる! 奴らを封じ込めるために、跳ね橋を上げろと言っているのだ!」

「しかし……」そう門番の一人は聖騎士に物申した。

「中には観光客がおります。若い魔術士の男とその妹らしき娘の二人組が、亜人部隊のウォルフに案内されて」

「なんだと……?」


 聖騎士は、鬼の如き凄まじい形相で、申し立てた門番に詰め寄った。


「貴様かぁ……! あのふざけた魔術士どもを通したのは」

「な、なんのことですか!? 私はただ職務を……!」

「黙れ! 犯罪者を擁護するような輩を通したお前たちにも責任があるんだ……! お前たちのせいで私は、異教徒に踏みつけられたんだ! この屈辱をお前が晴らしてくれるというのか!」


 見開いた目を血走らせてわめき散らす聖騎士の男は門番の胸ぐらを掴み掛かり城壁へと打ち据える。相方が苦悶の表情で息を詰まらせている様を、もう1人の門番は手で制して聖騎士を落ち着くようにと懇願するしかない。

 そんな時だった。

 諍いというには一方的すぎる現場に、一人の男が歩み寄ってきた。

 若すぎず老けすぎていない、切れ目が特徴的な細い顔立ちの男だった。その身には部分的に金属で補強された身軽な革鎧を纏っており、口元と腰には布が……教団のトレードマークであり、騒ぎ立てている聖騎士たちと同じスカーフと腰布が巻かれている。彼らと違うのは、腰は帯剣しておらず、かといってその代わりには槍が握られているわけでもなく……その二つの代替であるかのように、拳と脚を保護する手甲と足甲が取り付けられていた。

 今にも殴りかからんとする聖騎士の腕を掴もうとして突き飛ばされた門番が、その男に気付くと、その背筋を凍らせたように身を竦ませた。


「あなた様は……」

「これは一体何の騒ぎだ。使徒の僕たる聖騎士が、何を取り乱している?」


 冷淡な声が、今にも殴り殴られんとする一人と一人に投げかける。

 男に振り向いたその二人もまた、驚愕した様を見せた。しかし鼻に蹴り跡を付けたほうの聖騎士は、門番から手を離して気まずそうに顔を逸らした。


「……プルト、隊長」

「何故黙っている? 何を取り乱しているんだと、聞いているんだ」


 氷を形成してしまえるほどの底冷えする声が、聖騎士の体を突き刺す。やがて覚悟を決めた聖騎士は、胸に手を当てて敬礼し、足を揃えて背筋を伸ばした。


「ご報告します! 二等級民からの通報により、犯罪者組織『王の葉』の構成員の二名の逮捕を決行しましたところ、旅行者を偽る二人の男女の妨害により犯人は逃亡! 今は確実な犯人逮捕のため、跳ね橋を上げ居住区の封鎖を依頼した所存であります!」


 はっきりとした声音の声量で報告する聖騎士に対して、プルトと呼ばれた男は顎に手を当て、眉を寄せて、蔑むように聖騎士を見下していた。


「通報からの即時逮捕は、特例で無い限り認められない」

「はっ!」男のこめかみに一滴の汗が流れる。

「急を要する事態につき、事後報告となり申し訳ございません!」

「急だと? ほぅ」プルトはニヒルに唇を持ち上げて、大仰に驚いて見せる。

「構成員たった二人を捕まえるだけのことがか?」

「そ、それは……」

「跳ね橋の封鎖だって帝国議会への事後報告がいる。事を大きくしたおかげで、アジトの存在すらもみ消される可能性が出てきた。それらを考慮した上での緊急事態だと、誰が判断した?」


 真っ直ぐプルトを見据えていた聖騎士の視線が、徐々に下がっていく。胸に当てられた右腕も、段々と力を失い萎むように垂れ下がっていった。


「俺か?」

「いえ……」

「では誰だ? そんな無能な指示をしたのは?」


 荒い息を上げた聖騎士が、弾かれたように後ろへ下がった。そのまま許しを請うように腕を広げると、顔を歪めてプルトを見つめた。


「わ、私は! ただ無銘の神に応えることを信条に、事に及んだだけであります! 決して、決してやましいことは……!」


 聖騎士の涙声が、城壁を打つ。二人の門番が、それを唖然とした表情で眺めていた。

 プルトもまたそれをしばらく無感動的に見つめた後、腰に手を回し、後ろのポケットから手のひらサイズの小さな本を取り出し、無造作に開いた。


「――汝、神の後継者たる使徒は、道の真中に立つ者である。故に使徒の言葉は正しく、これを受け取る僕もまた真中の道を歩く者である」


 現れた一文に目を落とし、淀みなく読み上げると、訝しげにプルトの朗読に耳を傾ける聖騎士を睨み付けた。


「神は後継者たる我々使徒を、正しき道の真中へと置いた。故に、使徒の過ちは神の過ち……」


 本を閉じて、プルトは静かに一歩前へと進むと、そっと握った手甲を、聖騎士の甲冑の腹へとあてがう。

 瞬間、拳の先に青い閃光と衝撃が走った。


「がっ……! っ……!」


 衝撃を受けた聖騎士の体はくの字に折れ、口腔から全ての息を吐き出させると、そのまま地面へと崩れ落ちていった。


「無銘の神と、その使徒の品位を下げる愚行を、しばらく省みてみるといい」


 倒れ伏した聖騎士に、最後にそれだけ言うと、プルトは門番に向き直る。二人の体が、びくりと跳ね上がった。


「二人の旅行者に心当たりは?」


 脈絡のないプルトの質問に、あ、は、はい! と身構えていた門番の一人が答えた


「亜人部隊のウォルフが案内していた二人組でして……一人は緑のローブに結晶杖とグリモアを持った魔術士。もう一人は銀髪に、獣の耳をあしらったフードを被った娘です」

「……緑のローブに結晶杖?」


 プルトは眉を顰めると門番は、何か粗相をしたのかと恐々になりながら、自信なさげに続けた。


「それと娘のほうですが……フードをせいで見間違えたかもしれませんが、ちらっと瞳の色が変わっていた、ような……」

「おい! 不確定な報告は控えろ!」

「す、すみません隊長! 余計なことを口走りました!」


 二人揃って叩頭する門番に、しかしプルトは見向きもせずに城壁の先を見やる。


「まさか……」


 確信めいた呟きを零すと、


「お前たち、跳ね橋はこのままでいい。だが一等級民以外は誰も通すな。何かあれば、プルト・エル・ミヌクスが責任を持つと伝えろ!」


 そう門番に言い残して、移住区の城門をくぐり抜けていった。


     ◆


 亜人居住区で酒場を経営する白髪混じりのウォルフは、軍へと入った彼の友人が突如四人の男女を連れてきたことに驚きを隠せないでいた。しかし、友人の……ジェリドの必死な頼みと、少女の陰惨な痣によって、額を押さえながら溜息を吐くと、何も言わずにカウンターの奥の事務室まで案内した。

 事務所は酒蔵も兼ねているのか、スペースの大半をワイン樽で埋められていた。追いやられるように隅に置かれた机の脇には、青白い光を放つ小さな結晶樹を生やした植木鉢が置いてあった。


「首都のウォルフは、ああやって結晶樹信仰を保っているんですよ。……あれ自体は魔術士が作った模造品なので、祖先の魂はありませんが」


 腰を落としてドリドの少女……道中でサゼンと名乗った彼女を治療するジェリドが、そう解説する。飲み物を淹れてくると言って部屋を出た店主を脇目で見送った後、アルは椅子に座り氷嚢で顔を押さえている少女と、部屋の隅で膝を抱えているアリシアというシーマの女性を見比べた。

 ここに来るまでの二人の反応は疑問符が付くような対照さを表しており、一番ひどく暴力を受けたサゼンが無表情でアル・ローラン・ジェリドとの三人を見返している。対するアリシアは現在椅子にも座らずにブツブツと床に向けて、道中と同じようにとりとめの無い後悔と怨嗟を呟いていた。


「もうダメ、もうおわりよ。何もかも全部……ここまでうまくいっていたのに……」


 そんな様子のアリシアを見て、ジェリドは立ち上がって申し訳なさそうに頭を下げた。


「すみません、こんな乱暴な手段を……。本来は軍属である私が、穏便に事を収めなければならなかったのに」

「おしまいだわ、首都で聖騎士団に目を付けられて、無事でいられるわけないじゃない。なんてことしてくれたのよ」


 膝に顔を埋めて、髪をかき乱すアリシアを見るジェリドの瞳が揺れる。脇から覗く彼女の腫れ上がった顔には、苦痛と無力感が混濁していた。


「あのまま痛めつけられたほうがマシだった、とでも言いたいんですか? 神のご意志と言って、こんな子供にまで暴力を振るう相手に」


 アルは壁に背を預けながらサゼンを見やると、サゼンは興味深そうにローランの結晶杖を眺めていた。こちらはアリシアと打って変わって、事の次第を理解していないような、無関心さと純粋さが同居しているようだった。


「アリシアを、いじめないでくだしゃい」


 しかし結晶杖を眺めたまま、ふいにサゼンはそう言うと、三人の視線が少女へと集まった。


「あ、ごめんなしゃい。したをきったみらいで、しゃべりずらくて……」

「……ずいぶんと冷静なんだね。驚いたよ」


 痣によって青くなった頬を掻いて恥ずかしがるサゼンに、ローランは感心したように声を漏らすとアリシアに前に立って座り込んだ。


「今回のことは、俺が先にやったことです。非難なら俺が受けます」

「アンタを責めたってどうなるのよ。アンタが、この状況をどうにかしてくれるっていうの?」

「軍に知り合いがいます。彼自身、というよりはその家の権力を頼ることになりますが、そこに保護を求めればあるいは」

「しょれは、あたしたちがけっぱくにゃら、のはなしでしゅよね?」


 声を掛けられて、ローランとアルは再びサゼンに視点を戻すと、椅子から降りたサゼンが、短い結晶尾を左右に揺らしてローランへと近づいていた。


「軍が冤罪を証明すれば、あなたたちも解放されます。それまでの間、伯爵様のお屋敷で匿えば……」

「ああ、ちがいましゅ。しょういうことれはなくて……」


 ジェリドの言葉を遮って、サゼンはアリシアを見やって頷くと、アルとローランを見渡す。


「あのしぇーきしがいっれたことは、ほんとうれす。あたしたちは、おうのはなんれす」


 三人全員、その場から固まって目を剥いた。


「……なんて?」

「おうのは、れす。じつどうぶたいとはべつの、れんらくいんれすみないなものれすけど」

「なら、その結晶樹の葉は……?」

「こうしぇいいんのあかしれはないれすよ? なかまからもらっらものらのは、ほんとうれす」


 首から吊した広葉状の結晶を見せて、事も無げに喋るサゼンから、アルは菫色の瞳を逸らして顔を押さえる。アリシアもまた歯噛みしたまま、だから言ったでしょと誰に聞かせるわけでもなく言った。


「もうここにはいられない。軍にだって頼れないし、教団に出頭するなんてもっての外! 聖騎士団に勘付かれた時点でおしまいなのよ!」

「なら、どうしてそんなことをしているんですか!」


 半狂乱で怒鳴るアリシアに、ローランは頭を振って尋ねた。


「セターニルで、彼らの蛮行を見ました。関係ない人間たちの家々を燃やして、人々に亜人の恐怖を植え付けるような真似をして! こんなことをしているから、聖騎士団の過激な行動を容認してしまうというのがわからないんですか?」

「じゃあどうすればよかったのよ! 私たちが、何も考えないでこんなことしてると思ってるの!」


 声を張ったローランに怯むことなく、アリシアはローランを睨み付ける。


「亜人と人間との共存だとか言って、結局は今政権を握っているのは人間だけ! 軍属になれば少しは変わるんでしょうけど、そいつらだって人間と対等だなんて言えない!」


 アリシアはおもむろに立ち上がると、結晶樹の枝を乱暴に掴み、それを鉢ごとアルたちの前へと転がすと、ジェリドを睨み付ける。流れてくる土から逃げるように、サゼンはローランの後ろへと回り込む。


「この都市に蔓延ってる身分制だって、私たち一族の信仰を奪うための方便に過ぎないじゃない! わざわざ魔術士に秘密裏に頼んで、コソコソしながらこんなのに頼らないと、私たちは自分の文化を守ることもできない……!」

「それでも、今この瞬間に共存を願う者たちはいます。そんな者たちまで傷つけるやり方で、人間の理解を得られるわけがありません!」

「だから何よ? いったいどこの誰が、わかり合え、共存し合えなんて言ったのよ……!」

「え……?」


 肩で息するアリシアの言葉が胸を打ったように、アルは手を当てる。当惑の吐息しかしか漏らすことしかできない彼女を守るように、ローランはアルの前に割って入った。


「君たちの指導者だった魔王ロードレクは、亜人と人間が共存して、お互いを認め合う世界を作るために犠牲になったんだ! それを――!」

「そんなの私たちには関係ない! いつか叶うかもしれない夢物語のために、どうして今の私たちが犠牲にならなくちゃいけないのよ!」


 いっそ清々しいほどに利己的で、わがままなアリシアの怒号を……しかし、アルは何も返すことはできず、ローランもまた二の句を繋げられずにいた。

 ローランの後ろから見ていたサゼンは、そんなやりとりから視線を逸らして、そっとひとりごちる。


「……だれもがみんな、まおうしゃまみたいな『えいゆう』にはなれにゃいんだよ、ローラン」


 その言葉にローランが振り返るのと同時、部屋の入り口から「ジェリド……」と重苦しい声が響いた。

 扉の前には、人数分のカップを以て、台詞と同じく重たい表情でジェリドを見やる店主の姿があった。


「そこの二人、王の葉だって本当か……?」


 ジェリドは気まずそうに視線を下げると、それを肯定と受け取った店主は首を振って、各人にカップを手渡していった。


「おれぁお前たちのやってることに口出しはしねぇさ。でもな、俺にも生活がある。テロリスタを匿ったなんて知れちゃあ俺だっておしまいなんだ……」


 サゼンに渡そうとするカップの水面が、波紋を起こしていた。


「それを飲んだら、出て行ってくれ。聖騎士たちには黙っておいてやるから……」


 静かにそう言うと、これ以上は聞きたくないと言わんばかりにそそくさと店主は立ち去っていく。小さく見えた背中を眺め、ジェリドは深く溜息を吐いた。


「今出て行けば、聖騎士と鉢合わせるのは明白でしょう……」


 どうすれば……、と口元を押さえて思案するジェリド。アルとローランもまた、床を見つめたまま手元に置いたカップの湯気を揺らすことしかできずにいた。

 そんな時、パッとサゼンが手を上げて提案した。


「あの、かんちがいさせてしまっらおわび、れはないれすけど」そう言って、サゼンは口火を切る。

「ひとまず、ゴルドバのそとへひなんすることはれきましゅよ」

「……どういうことだい?」

「あたしたちが、そとのメンバーにれんらくしゅるためにつかっれいる、ふるいはんにゅーろが、ちかにあるんれす」

「搬入路?」ローランが眉を寄せてサゼンに問いかけると、代わりにジェリドが答えた。

「過去にゴルドバは、居住区の拡張のために水道などの生活基盤を延長する工事をしていたはずです。おそらく、そのために掘られた搬入路が残っているんでしょう」

「しぇーきしたちはとちのせいびじじょうにはうといので、きづいていましぇんけど、しょこからちかのすいどうをとおっれしょとのかわぞいにでれましゅ」


 舌足らずで感情の起伏に乏しいサゼンの言葉を、なんとか噛み砕こうと頷くローラン。しかし横からアリシアが言葉を挟んだ。


「待って! 軍の連中に、隠し通路を教えるつもり?」

「もともとは、むかんけいなひとたちれす。しょれに、ぐんじんしゃんはつれていかない」

「ちょっと待ってください、それは――!」

「しょのかわり、アリシアをれんこうしてほしい」


 同時に声を上げて詰め寄ったジェリドとアリシアに、サゼンはその小さい身を全く怯ませることなく、規則的に結晶尾を揺らしていた。


「とりひき。このひとらちをたすけるとおもっれ、ここはひとつのっれくれましぇんか?」

「ふざけないで! なんで私が捕まらなきゃいけないのよ!」

「このまましぇーきしにつかまるなら、そこのぐんじんしゃんのほうが、まだましらよ」


 ぐっと言葉に詰まるアリシアを尻目に、サゼンはアルとローランを交互に見て逡巡するジェリドに追い打ちを掛けるように言葉を重ねる。


「このままらと、このひとらちもはんざいしゃになる。それはあたしものぞまにゃいし、ほとぼりがしゃめて、ぐんがかいしゅうできるようになったら、あたしもじしゅしゅる」


 淀みなく交渉の言葉を紡ぐサゼンに、ジェリドはいささか畏敬じみた奇妙な表情を浮かべながら思案する。


「……今回の件、ローラン様とアル様は勘違いで君たちを擁護したと、彼女が証言してくれるなら」


 苦し紛れに出した交換条件と共に、ジェリドはアリシアを見つめる。サゼンもまたアリシアを顎で促すと、憮然とした表情のままではあるが、アリシアを頷いた。

 ローランは一息つくと、アルに目を向けた。


「アルも、それでいいかい……?」


 アルは何も答えず、ただ胸元に収められていた円環を強く握っていた。

 片手で覆われたカップは、静かに波打っていた。

 

     ◆


 酒場の裏口から出たアルたちはそこで二手に分かれた。表の通りでジェリドがアリシアを連行して聖騎士たちの注目を浴びている最中、アルとローランはサゼンの案内で裏路地を進んでいた。

 丘の整地がおざなりになっている最西端の地区では、盛り上がった地面がオブジェの一つとなっていた。依然として人通りも少なく、たまに通りすがる亜人にも覇気が見られない。そんな中でローランは聖騎士たちを警戒しながら歩くも、薄く霧がかかり暗がりとなっている居住区内では人を見つけるのも避けるのも難しく、どこか上の空のアルを気に掛けながら、終始遠目で辺りを見回していた。

 道中、3人が話をすることはなかった。沈黙に耐えかねたローランが一言二言町並みを言及するが、それに対してサゼンも短く返すだけ会話が続かず、アルもまた押し黙ったまま遠くを眺めているだけであった。それぞれの関係による沈黙ではないため居心地の悪さや気まずさが思いの外感じられないのが、ローランにとっては幸いであったと言える。

 しばらく状態のまま歩いていると、サゼンがオブジェの前で立ち止まると、その岩陰へと入っていく。アルたちは追いかけると、オブジェの影の下に、平石で枠をとっただけの最低限の装飾によって成り立つ搬入口を見つける。入り口は緩い傾斜の階段となっており、真っ直ぐ降りた先には坑道のような四角い通路がさらに西側に延びていた。搬入路はかなり広く、足下には魔素灯によくした八面体の柱が線路のように横たわって行く道を示していた。


「ここはよく使うのかい?」グリモアに伸びた手を肩まで持ち上げて、ローランはサゼンに問う。

「うん」未だに喋りにくそうなサゼンはそれだけ言って頷くと、後には沈黙が流れ始める。

「えーっと……」


 ローランは時間稼ぎのようにわざとらしく声を上げて、搬入路を見渡すも、話題にできそうなものがないと諦めて嘆息を吐いた。

 その間もアルは、見かねたローランによって握られている手をじっと眺めていた。


「このしゃき、ちかすいどう。しょこをぬければ、ゴルドバのしょとにいけるよ」


 しばらく搬入路を歩いていると目の前に水音を伴って白い光が差し込んでいるのが見えた。


「ぐんじんしゃんがどううごいているかによるけろ、こんやはやろにかえれないとおもっらほうがいいよ」

「やろ? ああ、宿ね。構わないよ」ローランは一度苦笑すると、その場で腰を下ろしてサゼンに目線を合わせた。

「そこまで気に掛けてくれてありがとう。君は子供の割にはとてもしっかりしてるね」

「ううん。おもしろいものみれらし、おれい」サゼンは首を横に振ると、ローランの結晶杖を指さした。


 アルは空色の瞳で、地下水道から反射する光を見つめていると……その光が翳りを見せた。


「っ、ローラン……」


 そっと呟くように、アルはローランに呼びかける。

 ローランは立ち上がってアルの視線の先を追いかけると、そこには一人の男の姿があった。


「ヤマは当たったようだな。三等級民以下が、首都を自由に出入りするためには、水路しかないと思っていたが……」


 男は金属を減らして軽量化した革鎧と、剣の代わりに手足を武装した聖騎士だった。その顔立ちは細く、その髪には聖痕を授かった聖騎士の特徴である青色が混じっている。

 アルは彼の腰布とスカーフを捉えると、ローランから手を離して腕を突き出した。

 しかし男はそれに目もくれず、ローランを切れ目から覗いた鋭い眼光で射貫いていた。


「……ローラン・エル・ネクロマンテ」


 名前を呼ばれたローランの表情に、困惑の色が見え始める。「知り合いですか?」とアルは尋ねるが、ローランは首を傾げた。


「聖騎士の知り合いは、いな、かっ、たは、ず……?」


 何かを思い出しながら喋るローランの言葉は、ポツポツと途切れて紡がれる。

 サゼンは上体だけを振り向かせて、その男を無感動的に見つめていた。


「……おこちゃまプルト」


 サゼンの小さな口から淡々とその名が唱えられると、ローランは信じられないといった表情でサゼンを見た。


「よくも今更……俺の……フレイの前に、その姿を現せたなぁ! ローランッ!」


 拳を構えた聖騎士は、煮えたぎる怒りを込めて、死霊術士の名を叫んだ。

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