哨戒巡礼Ⅲ


     ◆


「いやぁ、あの……、本当に悪気はなかったん、だけどさ…?」

「うるさい、死ね」

「俺だって少しは悩んだよ? でもそこは君を心配して駆けつけなきゃいけないなと思って」

「うるさい」

「だから、その……。どうにか、許してくれないかい? アル」

「死ね」


 断固たる態度を崩さず、怒り肩になりながら大股で歩くアルの背中を、ローランは重い息を吐きながらトボトボをついて行く。

 簡素で効率化されたローランの儀装束とは対照的に、以前の儀装束に作り直したアルのそれは、袖口とスカートが大きく広がったドレスに、各部に毛皮と弔辞が施されており、この地の狼への信仰心を伺い知れる。襟には狼の頭を模したフードが取り付けられており、ローランとのコミュニケーションを拒むアルがそれを被っていると、小さな頭に結晶を纏った大きな耳が生えているようにも見えた。

 里の入り口で出迎えたジルバは、まぁ、と手を合わせ明るい声を上げた。


「とてもお似合いですよ、アル様」

「ありがとうジルバ、世辞でも嬉しいわ。それすら言えないバカよりは」


 明らかに不機嫌そうなアルを目の当たりにして、怪訝そうにローランを見やるジルバ。ローランを落ち込んだ素振りを見て何を察したのか、その視線が冷ややかなものに推移していく。


「ローラン、またあなたはアル様のお心を乱して……」


 その言葉にローランは何も反論できず、はははと愛想笑いを漏らす。それを見たアルがさらに眉を顰めたのに気付いて、慌てて咳払いをした。


「哨戒巡礼は、クリスタロボの治安を維持する大切な行事なのですから、くれぐれも注意してくださいね?」

「えぇ、気をつけます。ほら、アルも、とりあえず今は許してくれなくてもいいから、さ……?」


 低頭平身で目配せするローランを見て、ようやく仕方ないですね、とフードを被ったまま答えた。

 ジルバはほっとしながら「では、案内用の晶狼を紹介します」と手のひらで先を示す。

 しかし、それをローランは制した。


「あぁ、晶狼は要りませんよ、必要なものはこれに記録したんで」と、杖の先を掲げて、鋭く地面を叩く。


 すると先端の結晶が一瞬輝き、そこから一対の小さな羽を生やした球体が飛び出した。いまいち要領を得ないジルバは、目の前を漂う手のひらほどの大きさしかないその球体を見て、首を傾げる。


「こちらはいったい……?」

「純粋な魔力光の集積体で、ウィル・オ・ウィスプって名付けてます」ローランが手のひらを上げると、ウィスプはそこに着地した。「渡された道順のメモ、森の中でも方向を見失わないようにグリモア式の術式が施されていたでしょう? あれを解析して、複製したものをこの杖に転写したので、この巡礼ではこのウィスプが道案内をしてくれますよ」


 その言葉にふむふむと頷くものの、ジルバの首を傾げたままであった。


「本当は、あれを読んだウォルフと情報を共有した晶狼に案内してもらう必要があるんでしょうけど……」そう言いながら、ローランは髪を上げて耳の魔力器官をジルバに見せる。

「俺もアルも、まだ発達しきっててなくて……巡礼の形式には、ちょっとそぐわないかもしれないんですけど……」


 ここでようやく納得したジルバがなるほどと呟く。

 ウォルフはこの森林の統率している晶狼と共存することで、生活を保っている。暗く、方向感覚を見失いやすい上に結晶樹の魔力が幻覚を見せてくるこの森では、晶狼と意思を通い合わすことのできない人間が無事に暮らしていける所ではないのだ。


「いえ、そういう事情でしたら構いません。あなたを信用しましょう、ローラン」

「ありがとうございます」


 ふぅ、と胸を撫で下ろしたローランは、背負い鞄を担ぎ直す。


「ですが、気をつけてください。最近、野生の晶狼の気性が荒くなっていると噂を聞いておりますから」


     ◆


 昼間に里を出てしばらく。出発地点から螺旋を描くように、アルとローランの二人は森を巡回していた。

 森の中は昼といえども日が差さないため薄暗く、似たような結晶樹が立ち並ぶ道中を、ローランが生み出した羽根つきのウィスプを辿りながら進んでいく。

 哨戒巡礼は各里を出発地点としてその順路は決められているが、経由する神木の地点は里の位置する区画によって異なる。そしてジルバの里は森の比較的奥地にあるため、必然的に道中を通して整備が行き届いていない順路が多く存在する。また林道の敵を一方的に発見するために、獣道じみた専用の順路を通ることも珍しくない。

 故に、儀礼的に装飾されたアルの着たドレスが、見るも無惨な姿になることは自明の理であり、しばらく進んだアルの瞳には、結晶樹の固い枝によって擦り切られた袖やスカートの裾を映し出して暗く沈んでいた。


「まぁ、なんとなくそうなるんじゃないかとは思っていたけれども……」

「うるさいですよあなたはそうやって事後にさも予見していたような口ぶりをしますが本当にそんな予測をしていたか甚だ疑問ですねなんなら私に精神的な優位を取りたいがために適当なことを言ってるんじゃないのですか知っていたんなら最初から言ってくれれば私だって対策のしようがあったのに――」

「あーもうごめん! ごめんってば!」


 呪詛じみた愚痴を垂らしながらも、アルはボロボロになっていく装束を魔力で繕いながら慣れない道のりを歩く。やがて観念したのか広がった袖口はだんだんと狭まっていき、ふんわりとした大きいスカートはパンツスタイルになるまで収束していき……もはや耳の付いたフードにしか以前の面影を思い出せなくないほどに……渡されたままの姿に戻されていった。


「だいたい、戦闘訓練もしていない私たちにまともな哨戒をしろというのが無茶苦茶な話なんです」


 時間感覚のなくなる暗林の中で、開けた空間に座している二つ目の神木にたどり着いたアルは、ふと不満を漏らす。大木の落とす影の濃さだけが、もうすぐ訪れる夜をわずかながらに伝えていた。


「でも、みんなやっていることだろう? 俺たちだってここで暮らす以上、慣習には最低限従うべきじゃないか」

「その慣習を、無理矢理軍事行動に結びつけている短絡さを嘆いているんです」


 アルは腰に携えた短刀を抜き、樹の根元に突き立てる。 

 ローランとアルが二人がかりでも半周も満たないほどの巨大な結晶樹の根元を、アルは何度も刻みつける。


「未だに里では、会ったこともない人間たちのことを、信用してはいけないと、言葉だけで教える、ばかり……! 入り口付近の里では、交易だって、始まっているという噂も、あるのに……! 前時代的なんですよ、あそこは、いつまで経っても……!」


 真白の肌に玉汗を浮かべ、弔辞の刻み、立ち上がって、息を整えてから手を合わせ、深く一礼する。そんなアルにローランも倣う。

 クリスタロボ大森林。

 通称・結晶樹の森、または白夜森林とも呼ばれているこの場所は、アンダリュス帝国領の北側に位置する巨大な森林地帯である。また人体に有害な高濃度魔素の滞留地でもあり、ここでは結晶樹と呼ばれる結晶状の広葉樹が群生している。

 ここではあらゆる生命が長い時間を掛けて結晶化し、最終的には結晶樹となって森の一部となる。また結晶樹には幻覚を発生させる作用があり、環境に適応し森の支配する晶狼を含めた森の生物たちや、結晶化した耳の魔力器官を持つウォルフ族以外は、この森に迷い込めば、あえなく森に飲み込まれ生きては帰れないと言われている。

 今、ローランたちが目の前で黙祷している大樹は、悠久の時を生きると言われているウォルフや晶狼たちの成れの果てであり、このようにして生まれた巨大な結晶樹を敬う文化がウォルフ族にはあった。


「無粋なんですよ。死者を弔う気持ちに、そういったものを持ち込むなんて」


 口に含ませるように、黙祷を終えたアルが小さく呟く。

 ローランは視線を横に泳がせ思案し、結晶杖を肩に担ぎ直してアルに言う。


「死霊術士の観点から言わせて貰うなら」

「言わないでください」

「うん?」

「聞きたくありません、それにわかって貰いたいわけじゃありませんから」


 はっきりと言い放ったアルは神木に背を預け、そのまま膝を抱えて座り込む。

 それと同時に、神木を含めたあたり一帯の結晶樹が、青白い光を放ち、森全体を照らし始める。

 結晶樹には日中に日光を受けた結晶樹の先端が、夜になると幹を伝って森を発光させる特性があり、これによって背の低い樹木にも光が渡るようになっている。これが白夜森林たる所以である。


「もう疲れたので寝ます。寝ずの番は任せます」


 ローランの言葉には相変わらず答えず、アルは目を閉じる。小さく肩を竦めたローランは、アルの隣で同じように座り込む。


「わかった。お休み、アル」


 しばらくすると、ささやかな寝息が白む森に小さく上がった。


     ◆


 森が再び暗闇に帰る手前で起きたアルが、ローランと辺りを警戒しながら最後の神木を目指す道中のこと。


「ローラン」

「ん?」


 先行するローランの後を追っていたアルが、その背中に小さく声を掛ける。昨日の夕暮れからこれまでほとんど言葉を交わさなかった二人が、一旦立ち止まって目を合わせる。


「あれを」フードを被ったまま暗い黄の瞳を覗かせながら、抑えた声で真横を指さすアル。


 昼夜の逆転した森。その暗がりの木々を縫うように、ローランは指さす方向を凝視し、やがてそれを見つける。

 おそらくは四~五頭で構成されている狼の群れだった。狼はみな足先や耳が鋭く結晶化しており、何かの拍子でぼやけた光を放っている。アルたちとは距離が離れており、まだ気付かれていないようだった。


「……野生の晶狼だね」

「見ればわかります」

「うん。でも様子がおかしい、そうだね?」


 ローランを見上げ、わずかに頷くアル。

 晶狼の群れはゆっくりと歩いており、結晶化した耳を立てながら、辺りを見渡している。

 すらりと整った体毛は気品に溢れているが、立ち位置もリーダ格であろう大きな個体を中心に後方へ放射上に展開しており、その陣形は明らかに、目的を持って統率されていた。


「こちらには気付いていない……、ですが何かには警戒しているようですね」

「そういえば、ジルバも晶狼の気性が荒くなっているって言ってたっけ」


 無意識のうちに声を潜めていた二人は、そのまま木の陰に隠れながら腰を落とす。遠く離れた晶狼の群れは、彼女らに気付くことなく、アルたちの順路とは逆方向へ過ぎ去っていった。

 晶狼が十分に離れたことを確認して、ローランは安堵の息を吐いて立ち上がる。

 野生の晶狼は、ウォルフと断定できない生物に対して容赦なく牙を剥く。ウォルフたちは自身の魔力器官を用いて晶狼と交信することで意思の疎通を図れるが、アルたちはそうはいかないし、そのためのローランの死霊術がある。


「なんだったんだ、あれ……?」


 アルも無言のまま立ち上がり、しかし視線は晶狼が消えていった方角を向いていた。瞳は深い黄のままであった。


「気になるかい?」


 無言を貫くアルに、ローランは中空に漂わせたウィスプを呼び戻し、指で触れる。目を伏せてしばらくした後、指を離してアルに向き直った。


「ここまで速いペースで来られてるから、帰りの道中で様子を見に行くくらいの余裕はあると思うよ」

「そうですか」


 それだけ言って、アルは向いた方向に踵を返す。その姿に怪訝そうに見つめながら、ローランもまた歩き出した。


 最後の神木へ到着すると、アルは青い瞳を見開いて驚愕した。


「ここは……」


 それは森の最奥に、隠れるようにひっそりとある、小さな城砦だった。根付いた樹木を編み上げて作られた分厚い城門は所々に結晶が屹立しており、神秘的にも合理的にも思える造形をしている。門をくぐると大きな中庭が広がり、正面にある屋敷を大きく巻き込む形で、今までに無いほどの巨大な結晶樹が目の前に現れた。見方によっては、崩れつつある石造りの屋敷を、この神木が支えているようにも見える。

 魔王ロードレクは、自らの魔力を用いて、ここにゼロから自身の城を築き、反乱軍の最終防衛地点とした。

 そしてここは、二十年前の戦争の終結点でもあった。


「ロードレク城の跡地で、亜人の反乱軍をまとめた魔王の死地……」


 城壁からも見えた二つの尖塔の屋根を眺め、ローランは言う。

 二つの塔の間には玉座の間があり、彼の王が座していたことを彼は知っている。

 その王が、今目の前にいることも、知っていた。

 

「ええ……。あなたたち勇者の一行が、私の父を殺した場所」


 目の前に景色に視線を釘付けにして、アルは言う。その瞳は暗く……しかし、青と赤が入り交じり混沌とした色合いを見せていた。

 ローランは何も言わず、神木の麓へ歩み寄る。あまりにも強大な神木は、圧倒的な威圧感を以てローランを睥睨する。


「死霊術士の観点から言わせて貰うなら、さ」


 誰に聞かせるわけでもなく、ローランは言う。山を臨むように、その顔は結晶樹の枝葉に向けられていて、枝葉を取り囲むようにウィスプは飛び回っていた。


「人とか物の死っていうのは、状態の変化に過ぎない。死んだ後も生物個人の情報は魔力光として残り、霧散した魔素と聖質は循環し、巡り巡って新たな生物に還元される。エル教だと『生命の環』って呼ばれてる循環形態なんだけど」

「知っていますよ。嫌というほど、聞かされましたから」


 同じく枝葉を見上げ、アルはローランの隣に立つ。


「生きているうちでも情報は魔力を通して生物内に浸透する。そうすることで生物は成長し、いずれその情報量に肉の器は耐えきれず自壊する。これが死霊術における、死の観念」

「うん、そうだね」

「だから死を特別視することは間違っていると、そう言いたいのでしょう? だから聞きたくないんですよ、あなたのその講釈は」


 アルは今までと同じように短刀を取り出し、根元に屈み込んで弔辞を刻む。その様子を、ローランは静かに見守っていた。


「死に特別な意味が無いというなら、もしここで魔王が死んでいなかったとしても、亜人と人間はわかり合えていたということではありませんか?」

「うん、俺たちもそうしたかった」

「それなら魔王は……私の父は、どうして死ななければならなかったのですか?」


 神木に対し、あまりにも小さな弔辞を刻みつけたアルは、立ち上がってローランを睨む。その瞳は青く、深みを持って爛々としていた。

 ローランは神妙な面持ちでその視線を受け止める。


「死、そのものはさっき言ったとおりだよ。でも、昨日も言ったろう? 人の一挙一投足……その全ての行いに、魔力は宿る。だからこそ、『魔王ロードレクの死』は、あの戦争を終わらせるのに不可欠なことだったんだよ」


 アンダリュス帝国の信教であるエル教の経典には、この地に住んでいた神が、いかにして人々の前から姿を消したかが書かれている。

 曰く、かつて神代に神の力を分け与えられた王たちは、神の啓示のもとで各々の国を統治していた。しかし王の一人が、決して入ってはならない神の居城へ忍び込んだことで怒りを買い、神は地上の人々を見捨てて赤き虹にその姿を隠した。忍び込んだ王は激しく糾弾され、一族は散り散りにとなり、それぞれ魔境と呼ばれる魔素の滞留地へと居場所を追いやられることになったという。

 クリスタロボ大森林のように、帝国領内には人が住めないほどの魔素が滞留する地域が多数存在する。しかし、ここで生きていくことを余儀なくされた古代の人間は、この環境に適応するために体の器官を結晶化させることで独自の進化を遂げ、特殊な能力を会得することでこれを克服した。

 エル・バース大陸における亜人とは、魔素滞留地に適応した特異な人種全般を指す言葉である。

 二十年前、亜人たちは反乱軍を結成し、帝国に対して反乱を起こす。それを統率していたのが『魔王』と呼ばれた亜人の一人、ロードレクであった。

 ロードレクはその強大すぎる力で人間たちから魔王として畏れられ、亜人たちからは英雄として崇められていた。


「だから、殺されることも仕方がなかったと?」


 アルの瞳が潤み、しかしなおもローランをまっすぐ睨み付ける。


「そうだよ、アル。俺たちは、取り返しのつかないことをした」ローランは一度目を閉じて、大きく息を吸い、アルの瞳を見つめた。


「だから俺は、君の気が済むまで、君に何度殺されたって構わない」


 ローランは穏やかな眼差しでアルを見返す。


「ま、死なない俺を殺して君の溜飲がどれだけ下がるかは、わからないけどね」


 ははは、と笑うローランを咎めるように、アルの視線が赤く研ぎ澄まされる。


「いつにも増して、下手くそな道化」そう言って、行き場のない怒りの振り払うように、アルは頭を振った。

「ほら、弔辞を書き終わったらちゃんと礼拝しないと」

「言われなくてもわかってます。あなたこそ、父の墓前なんですからちゃんとしてください」


 わかってる、わかってるよ。そう言ってローランとアルは、神木の前で横並びになる。


「ローラン。ローラン・エル・ネクロマンテ」

「なんだい?」

「もし、このまま世界が変わらないのであれば」アルは静かに、手を合わせて目を閉じる。


「私はあなたたちを、絶対に、許しませんから」

「うん、わかってる」


 ローランは答えながら、王に一礼する。


「英雄の死が、『何でも無かった』なんて、絶対無い。勇者が、きっと魔王の遺志を継いでくれてる」

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