哨戒巡礼Ⅱ


    ◆


「おはようアル様、ローランも」


 高床式のツリーハウスから降りたローランとアルを迎える一人の女性がいた。簡素なチェニックの上に印字を……ウォルフ族に伝わる弔辞を記した毛皮のショールを纏い、凜々しい顔つきにほんの少し優しさを滲ませた表情を浮かべ挨拶をする女性に、ローランは気まずそうに頭を下げる。


「おはようございます、里長様」


 ローランの挨拶に、女性は微笑む。

 その後ろ隣には、女性の倍の丈はある灰色の大狼が、彼女に付き従い頭を垂れていた。


「うんうん、リンデもおはよう」

「わかった気で挨拶しないでください。どうせ伝わりませんよ」


 嫌みを吐くアルに「気持ちが伝わればいいんだよ、さっきも言っただろう?」と再び講釈を垂れようとするローラン。


「それにジルバ、いい加減私に『様』を付けるのはやめてくれと言いましたよね」


 そんなローランを無視し不機嫌そうに唇を尖らせたアルは、ジルバと呼ばれた女性にそう言い睨み付ける。


「いえいえ。我らウォルフの民の……亜人たちの希望であった魔王ロードレク様のご息女を、おいそれと呼び捨てにするわけにはいきません」

「今の私に民を率いるカリスマはありません。偶像として敬われるのは屈辱です」

「そんなことはありません。みな二十年前の戦いを忘れてはいないのです、いまだに」


 そう言ってジルバは目を伏せる。耳に張り付き、鋭く尖った結晶が、青白くきらめいた。


「あなたがその気にさえなれば、私が指導者としての地位をお譲りすることに、反論する者はいません」


 それなのに……。そうジルバは一息つく心地で嘆息する。


「この二十年、里娘であることをお望みだなんて……。いい加減私も、責務から解放されたいのですが」


 頬に手を当て、およよとリンデの肩にわざとらしくもたれかかるジルバに、アルはため息交じりに群青に染まった目を逸らす。


「二十年か……、ここに来て、もうそんなに経ったんですね」


 ローランの呟きに、ええ、と頷きジルバは辺りを見渡す。

 辺りには青白く光る結晶樹の上に建てられたツリーハウスがあり、少し先の広場には大結晶樹が傘を広げ、根元には子供たちやその家族と思われるウォルフたちが寛いでいるのが見える。そういったウォルフたちとほぼ同じ数だけの晶狼しょうろうたちが付き添い、ある晶狼は倉庫に運ぶための加工した結晶樹の薪を積んで歩き、ある晶狼は広場で、訓練用の短い木刀を持った子供たちと連携して走り回っている。

 結晶樹の森と言われているウォルフの集落は、周りを結晶樹に囲まれた小さな里だ。この神聖アンダリュス帝国の首都ゴルドバをも軽く凌駕するほどの広大な森の中に二百から三百人ほどの里がいくつも点在しており、それぞれが独立したコミュニティを築いている。

 各里の名称はそこを統率する里長の名前を冠する。今ここはジルバの里と呼ばれていた。


「勇者がロードレク様を討伐し、亜人と人間たちの共存を図ると宣言して早二十年。今もここが安寧と静寂を保って暮らしていけるのも、お二方の努力と犠牲があってこそです」


 そう語るジルバの表情は薄暗く、それをのぞき込むようにリンデは首をもたげる。


「里長様……というかウォルフ族はみんな超長寿なせいで、あんまり年月がたった気はしないですねぇ」

「あなたがそれを言いますか。不老不死のネクロマンテ」


 無表情のまま脇目を振って毒づくアルに、ローランは反論する。


「そういう君だって、ここに来たときから変わらずちいさいままじゃないか」

「なっ……! 私はこれで完成されているんです!」


 焦るアルは自身の肩を抱いて、ローランから離れるように後ずさる。その様子を、柔和な笑みを固着させたジルバが眺めていた。


「かんせい? 本当かい? それはちょっと無理があるんじゃないかなぁ?」


 首を傾げ、訝るローランに対し、アルの瞳が赤白く揺らめく。


「あなたという人は見た目に騙されているからそんな偏見を持つんです。逆に聞きますがね、あなた一体どうしてどういう了見で完璧な肉体というものを定義してるっていうんですか!」

「そんなの決まっているじゃないか! この里長様みたいな豊満な――」


「お二方」


 ピタリ、と。

 二人の怒声が凍る。ジルバはその大きな実りの前で腕を組み、にこやかに言った。


「あなた方は、我々にとって大切なお客人です。それは二十年たった今でも変わりません。百を悠に超えた寿命を持ち、結晶樹となって森と共にある我々にとって、たかが数十年など些末な時間と言えます」

「ぞ、存じてます……」

「それ故に、ウォルフは悠久の時の中で平穏と静寂を望み、これを乱す者には容赦しません」


 ジルバは、ウォルフ族特有の濡羽の髪をかき上げ、耳元を露わにする。

「例えそれが客人であっても、例外ではないのです」


 耳元の結晶に赤い一条の光が走る。それを合図にしてリンデの鼻先が、恐怖で硬直する二人に向けられた。


「あなた方の毎朝の諍いは、この里では聞き慣れたものですが、この森に喧噪は不要」ジルバはリンデの顎を撫で、一語一語を刻ませるようゆっくりと喋る。「そう、何度も、申し上げて、おりますよね?」

「そう、ですね……。すみません、いつも騒がしくて……」

「謝罪は結構です、それもまた聞き慣れていますから」


 しどろもどろになりながら答えるローランに、ジルバは慈悲なく言葉を断ち切らせる。


「であるなら、要らぬ里長としての面目を保つために、心を鬼にしなければならない時があることも、ご存じでしょう? アル様」


 返しの刃で問い詰められたアルは、我関せずといった表情のまま、しかし冷や汗を一筋垂らしてジルバからの視線を必死に逸らす。


「ちょうど今、森の哨戒巡礼しょうかいじゅんれいの番がこの里に回ってきております。客人に不躾なお願いかと思いますが、聞いてくれますね、ローラン?」


 大狼リンデが唸りを上げる中、ローランはただひたすら頷くことしかできない。

 しかしその隣で、確かにアルは目には輝きが宿っていた。



     ◆



 哨戒巡礼。

 ウォルフの住む結晶樹の森はこちらの時刻換算で一ヶ月に一度、里ごとに持ち回りで決められたルートを巡回し、要所要所に定められていた『神木』と呼ばれる大結晶樹を礼拝するしきたりがある。これは本来、結晶樹や晶狼と共にあるウォルフたちの神事的な慣習であるが、外からの侵入者を警戒する意味合いがこの二十年の間に浸透していた。

 すなわち、ただ順路を辿るだけでなく常に周囲に気を配り続け、外から人が入った形跡がないかを調べ上げ、侵入者あるいは森で迷った者を保護あるいは排除を行い、里長へ報告するある種の軍事偵察的な義務が生じる。


「っといっても元は巡礼のために行くもんだからさ、よそ者を行かせるわけにはいかねぇって言われてたんだけど、二十年ここにいちゃあそろそろって話があったんだよ」

「まぁ、俺たちだっていつまでも客人扱いは申し訳ないとは思っていたけれどもねぇ……」

「喜べよ。お前も、俺含めみんなから里の一員なんだって認められてんだからさ」


 細身の青年が調子の良さそうにローランの肩を叩いた後、そのまま陽気に立ち去っていくのを見送ってから、ローランは受け取った巡礼用の装束と保存食を自室へ持ち帰った。

 装束という聞こえはオリエンタルであるが、この近年で哨戒のため効率化したのもあってある程度の装飾は省かれており、男性用のそれは各部にポケットが取り付けられたシンプルなデザインのジャケットとズボンを思わせる形状をしていた。


「さて……」


 自室で着替え終わったローランは、受け取った荷物の中から地図を取り出し、部屋の隅に置かれた小さな作業机に広げる。

 地図にはここクリスタロボ大森林の大まかな地形が描かれており、各所の赤い×印をなぞるように渦巻き状の同じく赤い線が引かれていた。端には紐で留められた紙片が束になっており、それぞれに粒子が散りばめられたようなインクで巡礼の道順が細かに記されているのがわかる。


「なるほど……簡易的なグリモア式魔術……でも、こんな口語調で書かれた術式が動くのは……」


 紙片を素早くめくりながら、視線を固定し、怪しくブツブツと呟くローランの耳元が……結晶化した小さな結晶器官が瞬く。


「ウォルフの耳、かぁ……。たしかに、『客人』には無理な相談だねぇ」


 一旦顔を上げてひとりごちたローランは、そばの本棚に雑に平置きされたグリモアを取り出す。

 現地の魔術士が『グリモア』と称するそれは、術式の書き込まれたページを保管するバインダーだ。ローランの手より二回りほどの大きさで、表紙・裏表紙に当たる面には幾何学的な模様と呪文が組み合わさった奇怪な図形が描かれている。題名すら判別できないそれをローランは真ん中から開くと、中央に等間隔で置かれた円環に留められたページたちが左右に分かれる。ページたちは一枚一枚、膜のような薄く透明な袋に包装されており、そのどれにも表紙と同じような図形の群れがびっしりと……しかしその一字一句や図形の一つ一つが判別できるように明瞭に書き込まれていた。

 さらにローランはベッドに置きっぱなしになっていた結晶杖を手に取り、もう片方の手で器用にページを捲る。やがて目的のページを見つけたのか、それを開いたまま作業机に起き、その上に紙片が留められた地図を置いた。

 さて、と……。と軽く一息吐いた後、ローランからして腰ほどの高さしかない結晶杖の先端を地図の上に置き、


「解析、複製、転写……。『死を恐るるなかれ』」


 慣れた口ぶりで……下手をすれば適当にすら聞こえる語気で三語と一語、唱える。

 すると敷かれたグリモアのページが青白く光り輝き始める。グリモアから発した光は上に置かれた地図と紙片を透過して突き抜け……さらに上の結晶杖に吸い込まれる。

 音はない。ただ大気の震える気配が、それによってはためく紙の揺らめきだけが、部屋に小さな波を起こす。

 やがて光は収束し、最後の結晶杖がボゥと光を灯して、儀式が終了した。

 ローランは淡い光を放つそれを指の背で軽く叩く。


「うん、これで安心だな」


 満足げに頷いたローランは残りの荷物とグリモアをまとめて部屋を出る。地図は置いたままだった。

 一度外へ出て梯子を使い、二階へ登ってアルの部屋の前に赴いたローランは、扉越しに声を掛ける。


「おーい、アル。そっちの準備はできたかい?」

 

 二日三日かけて巡礼を行う関係上、野営用の道具や食料、地図や望遠鏡に、結晶樹に弔辞を記すための清め刀などが詰め込まれ、大きく膨らんだ背負い鞄に足を預けながら待つも、アルから返事は帰ってこなかった。


「まさか、逃げられた?」


 額に手を当てて最悪な想像をするローランだったが、「いや、待て」と思い直したようにすぐ手を離す。


「出かける時だけはちょっとだけ素直だしなぁ、あの子……」

「聞こえてますよ」扉越しから籠もったアルの声が響いた。「独り言なんて、いよいよジジくさくなりましたね」

「ハハハ、こちとらまだ四十だよ。っていうか、いるなら返事してよね」

「返答する必要がなかったので。それに……」


 言葉を濁し始めたアルに対し「なんだい?」とローランは尋ねる。だが少し間が空いた後、「いいえ、なんでもありません」と呟くような答えを聞いて肩を竦めた。


「夕暮れ前には出発するよう言われてるんだけど、わかってるかい?」


 その言葉に対しても無言で返され、おどけて鼻を鳴らす。時間がかかると判断したのか、そのまま扉のすぐ側に背中を預けて座り込んだ。

 壁越しから、わずかな衣擦れの音が耳に届く。そして時々聞こえる空気の震えに、ローランは眉を顰める。

 それが三回続いた頃、ふいにローランは話しかけた。


「効率化したとはいえ、一応儀礼用の装束なんだから、あまり手を加えないほうがいいんじゃないかい?」

「わかってますよ。ただ造形を、元のそれに寄せてるだけです」


 大気の振動は、この扉の先で魔術が行使されている証拠であると、ローランは察していた。魔王ロードレクから受け継いだアルの魔術は、対象の魔力に干渉して好きなように変質させることができる。おそらく今朝方、周囲の重力をも操ってローランを潰したのと同じ要領で、哨戒巡礼の装束を改造しているのだろう、と。

 壁一枚を隔てた先で、魔王の権能を軽々しく振るうアルにローランは苦笑する。

 それからしばらくした後、またもローランから、神妙に口火が切られた。


「あのさ」

「なんです? これから着替えるんですからさっさとどこかに――」

「やっぱり、もっと外の世界を見てみたいかい?」


 苛ついた雰囲気と衣擦れと、空気の震えがさっと止む。静寂からややあって、衣擦れと共にアルは答えた。


「見たいと言ったら、そうしてくれるのですか?」

「いやいや、質問に質問で返さないでよ」

「どうせ、行かせてはくれないのでしょう?」


 アルの声は、どこか遠くに置いていくように、空しい響きがあった。


「ならその質問に何の意味があるんです? この森に私を軟禁しているのは、他でもないあなたでしょう? ローラン・エル・ネクロマンテ」


 その問い掛けにローランは反論できず、


「ごめん」


 ただそれだけ言い、うなだれるように肩を落とした。


「まだ四十、だなんて言いましたね」そんなローランの気もよそに、アルは畳みかけるように言葉を重ねた。

「私に関わるなら、数えるのも忘れるほど、ここで生きていくことになりますよ。これから先、ずっと、ずぅっと……、結晶樹に囲まれた空ばかりを見つめて、子供も作れないまま石像みたいに時を流すだけの存在になるんです」


 ここまで言い切って、アルは吐き捨てる。

 自嘲気味に、ざまぁないですね、と。

 ローランは、やや逡巡した後、そうだねと言ってうなだれた頭を起こした。


「まぁそれも仕方のないことだよ。フレイに……勇者に無理言ったツケさ」


 軽い口調でローランは言う。口元は皮肉げに曲がっていた。


「後悔はしてないよ。死霊術士として、魂の研究をするのにも支障はないし、幸いどれだけ見た目が変わらなかろうが、ここの人らは気にしないからね」


 ははは、と空々しく笑うローランの声を聞いて、壁越しのアルは再び苛立った声を上げた。


「そのわざとらしい笑い方、やめてください。下手くそな道化なんて腹が立つだけです」

「あぁ、ごめんごめん……」ローランは苦笑気味に謝る。

「でもさっき言ったことは本当だよ、後悔はしてない。それに……」

「それに?」

「ここは里長様が綺麗だからね。あーあ、君もあれくらい気品良くなってくれればねぇ……」


 明るく言葉を続けようとしたローランであったが、アルからの怒声が聞こえないのに訝り、「どうした?」と呼びかける。

 そしてしばらくの沈黙の後、


「あなたこそ……」


 消え入りそうな声が、壁越しにかろうじてローランの耳を打つ。


「うん?」とローランが聞き返すと、途端にアルは声を張り上げた。

「なんでもありません! 着替えの邪魔ですからさっさと黙ってて――きゃんっ!」


 反射的に耳を押さえたローランは、アルが途端に起こした悲鳴に数瞬反応が遅れる。

 それから少しすると、部屋がバタバタと転げ落ちたような慌ただしい音を立てた。


「ア、アル!?」


 困惑混じりにローランが声を掛けるも、アルからの返事はない。数瞬の躊躇いの後、ローランは扉を開け放ち部屋の中へ入る。

 部屋の中は整然とした図書室を思わせるように、壁一面を改造して作られた本棚に大小様々な書籍が所狭しと詰め込まれている。その一部がぽっかりと空いて、麓の床には布を下地に大量の本が山を作っていた。

 山の中心が、もぞもぞと蠢き崩れると、そこからアルの姿が現れた。


「いっつ……、あぁもうあなたが余計なことを言うか、ら――」


 ここで悪態を吐きながら顔を上げたアルと、アルを心配して駆けつけたローランの視線が結ばれる。

 アルの瞳は焦りと怒りで若干潤み、その色は光度を上げた赤色に点っていた。頬は当然朱に染まり、息もやや上がっているようだった。

 その下では着替える途中の装束がはだけ、日差しを知らない無垢で淡い色味の素肌と晒している。興奮で汗ばみ、緩やかな曲線を描く肢体を、ベッド側のランタンが妖しく照らしていた。

 赤の瞳と、固まった瞳が結び合って、膠着する。

 お互い無限に続くと思われた静寂の後、何かに閃いたローランは「ああっ!」と上擦った声を上げた。


「やっぱりそれを完璧っていうのは無理がないかい――!?」


 瞬間、憤怒を灯したアルの魔力の一撃が、ローランの上半身を抉り、このツリーハウスに、里に、森に、轟音が響き渡った。

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