意志を継ぐⅤ


     ◆


「白銀の髪のきめ細かさ……煌めく虹の瞳……凜々しく無駄のないその体躯」アルの目の前で、男は片手で顔を覆い、星の瞬く天を仰いだ。

「あぁ、なんという、美しいお姿……。まさに、次代の魔王にふさわしい……パラ、君もそう思うだろう?」

「気味が悪いな、コラソン。いい加減でその信仰心をどうにかできないのか」


 コラソンと呼ばれた男は口元を覆っていたスカーフを剥ぎ取り、恍惚な笑顔でアルの瞳を眺めている。対してパラと呼ばれた女はベール越しに蔑んだ目を、アルの背後へと向けていた。二人はアルを挟んで直線上に立ち、パラの傍らに控えていた晶狼は音もなくアルの側面に……パラとアルを結んで、L字の形を取る位置で体を前に傾けていた。


「今更魔王の子供に何ができるというのだ。二十年間亜人のために動いていたのは、他でもない我々だろう?」

「それを統率していたのは、今なお続く魔王の威光ではないかっ! そのご息女が、目の前に姿を現したことを、興奮せずにいられるものかっ!」


 熱に浮かされたコラソンと、冷淡なパラに挟まれ、アルは神妙な面持ちで体をわずかに左へ回旋させる。アルの視界に、白い体毛の晶狼とベールを纏うパラを捉えた。


「遺志……と、言いましたか」瞳を左右に動かし二人を警戒しながら、アルは静かに、明瞭に問う。

「町でのあの行いは、我が父ロードレクの遺志であると、本当に思っているのですか?」

「当然ではありませんか!」先に答えたのは、コラソンであった。

「先の戦争で果たせなかった大願……ウォルフやシーマ、そのほか人間に虐げられた亜人族を解放する! その遺志の下に、我々『王の葉』は集っているのですよ!」


 王の葉。

 その言葉を聞いたアルの瞳に、暗い青が宿る。


「あの町の人間たちは、私たちの起こした戦争により家族や家を失い、それでも寄り添い合い、今を逞しく生きようとしている。それを害する権利が、今のあなたたちにはあるというんですか!」

「わからないだろうさ。森から一度も出ずに引きこもっていたお前には」


 パラは喉の奥から重く震わせた声でアルを糾弾し、腰の短刀を引き抜く。

 アルは星明かりを反射する刃を注視し、押し黙る。無知を自覚していたアルに、その責め苦を否定することはできなかった。

 しかしコラソンはパラに向けて手のひらを向けて睨みつける。


「待て、パラ。そのような台詞は誤解を招く」

「何を言っている? こいつが我々に何をした? ただ森でぬくぬくと、世情から目を背けていただけではないか!」

「アル様は捕らわれていたのだ。あの忌まわしき教団の勇者が率いた、卑しき魔術士にな」


 コラソンのその言葉に、アルの体はピタリと止まる。


「ああ忌まわしい。彼の魔術士がアル様を縛り付けてなどいなければ、アル様はこの世界を憂い、我々の活動にもご助力いただいたというのに」様子を変わったアルを気に留めずにコラソンは続けた。

「いいえ、今からでも遅くはないでしょう! さぁ、我々と来ましょうアル様! ちょうど近くに我々が潜伏する洞窟があります、そこへ案内しましょう!」


 そう言って嘆かわしく頭を振って、しかし次の瞬間には腕を広げてアルを迎え入れようとする。

 アルはその姿を、烈火を灯した瞳で睨めつけた。

 瞬間、パラは地面を蹴ってアルに詰め寄り、逆手に持った短刀を胸に突き立てようとする。

 アルは一歩後ろへ飛び下がり凶刃から離れ、真白な腕を晒して前に突き出す。大気は震えると、瞬く間にアルの視界で煌めく短刀は弾けるように砕け、パラの手から離れる。息つく間もなく、正面の晶狼が左右に蛇行しながらアルに向かって突進するのを察知したアルはパラの背面を取るように左へ走ると、それを追って後方に晶狼がついてくる。


「っそっ!」


 息と共に悪態を吐き出したパラは教服の懐からピンの取り付けられた筒を取り出すと、ピンに犬歯を掛けて引き抜き投げつける。空中で踊りながらアルへ向かう筒はピンによって遮断されていた魔素を筒の内部へ流し込み、格納されていた結晶に記述された術式と反応し急速に加熱される。

 アルは筒の軌跡を目で追い、何かを察したように目を見開き、腕を交差させて前に置く。

 筒は彼女の目の前で瞬時に弾けて爆散し、周囲に衝撃と火炎を巻き起こした。


「やめないかパラ! アル様になんてことを……!」


 爆炎と煙を上げる中、ようやくコラソンはパラに向かって声を上げる。パラはコラソンには目もくれず、耳元に光条を走らせて晶狼を呼び戻す。


「これで終わるようなら、どのみち我々を導くなど到底無理だろう」


 それに、とパラは口の端を歪ませる。


「気に入らないんだよ。魔王の子供と言いながら何もしなかったくせに、我々の行いを否定するなど」

「――ええ、そうですね」


 煙の中から、アルの声が響く。二人と二体は身構えていると、煙を振り払いながらアルは現れる。炎によって焼け焦げ、煤けた腕には透き通った無色の結晶が硬質な音を立てて纏わり付いている。それが甲高い音を上げて砕け散ると、傷一つない真白な腕が二人のウォルフの前に晒された。


「たしかに、私はあなた方のことなど何も知り得ない。亜人のことで私が知っているのは、森のウォルフたちや山間の村に住むシーマのことぐらいです」


 ジャケットの袖が、ツタ伸ばすように再生されていく中で、アルは語る。

 パラは歯噛みしながら耳元の魔力器官を手で押さえ、起動しようとする。しかし、ふいにその目は見開かれ辺りを探すように視線が揺れ動いていく。そんな様子を訝しんでいたコラソンもまた、目の前に炎と煙を指さして動揺していた。


「アル様の姿が……!」

「どこだ! どこへ消えた!」


 前方のアルに焦点が定まらないままに、二人は周囲を回って彼女を捜す。

 彼らの視界には、アルの姿は映っていなかった。

 浮雨湖で見せたローランの技を……、ローランがシーマという人種の魔力光を透析し、理論化させた上で発動したものを、彼女はウォルフを相手に己のイメージだけでやってのけたのである。


「彼らは、村の人間たちによって間引かれ、自身を狂わさんばかりの怒りを抱えていた。それでも復讐が自身を慰めるだけの地獄だと語った彼らは、その復讐心を抱えて生きることを選んだ」


 パラはアルの声だけを頼りに晶狼をけしかけてようとするも、同じく視覚を奪われた晶狼の攻撃はひどく単調で、アルはそれをわずかに体を反らして躱していく。


「そしてここセターニルの人間たちは、亜人に憂さ晴らしのように滅ぼされた村の人間たちです。……それを許そうと、必死に今を生きようとしている人たちなんです」


 アルは目を伏せて、大きく息を吐く。震える肩を落ち着かせ、再び目を開けると、そこには穏やかに燃える瞳があった。


「それを、ありもしない遺志で傷つけたあなたたちを……、この町を、復讐の地獄に落さんとしたあなたたちを、私は許さない」


 アルは言い切ると、パチンを指を鳴らす。すると二人のウォルフと二体の晶狼は、まるで糸が切れたようにその場で崩れ落ちる。


「ならば、それならば……」意識を失う直前、コロラドは呻く。

「我々は……、どうすれば、良かったのですか……? 教団や帝国に……、緩やかに、支配されていく我々は、いっ、た、い……」


 悲痛な糾問を最後に、コロラドは倒れる。

 アルはしばらく呆然と立ち尽くした後、パラの傍で膝を曲げてその顔をのぞき込む。


「どうすれば、ですか……」


 苦悶の表情を浮かべて眠るパラを見つめるアルは、口を固く引き結んで目を伏せる。呟いた言葉は続かず、そのまま無言で立ち上がり、遠くを見つめる。

 岩壁たちに遮られた地平線との間で、地表が吹き飛ばされ、礫が夜空を舞い上がったのは、その時だった。


     ◆


 結晶杖の光を受けて、ローランに傍らで待機していたロボ・ウィスプは起き上がり、座り込むプランチャの前に立つ。それを視界の端で確認して頷いたローランは、入り口を塞ぐ二人のウォルフと二体の晶狼に静かに歩み寄っていく。


「相手は魔術士だ! 殺し方はわかってるね、トレボ!」

「わかっているディアマ、確実に仕留める」


 トレボと呼ばれた男と、ディアマと呼ばれた女は互いの晶狼と共に左右へ展開する。ローランは腰のホルダーからグリモアを取り出し、左手に持って体を斜めに向ける。

 体を盾にしながらグリモアを片手で開こうとするローランは、しかし一呼吸のうちに距離を詰めたトレボの短刀を、身を捻って避ける。そうして体勢を崩したところに、反対側からトレボの晶狼が襲いかかる。地面に転がりこれを躱すローランだが、身を起こすや否や今度はディアマが短刀を振りかぶってこちらに向かう。


「おらぁっ!」

「ぐっ!」


 勢いよく振り下ろされた短刀を、ローランはグリモアから手を離し、両手で構えた結晶杖で受け止める。そのままディアマを押し出すと、その隙を突いて側面からディアマの晶狼が強襲する。

 身を屈め、晶狼を頭上へやり過ごすローランのこめかみに冷や汗が流れる。気付けば、四方八方を二人のウォルフと二体の晶狼が囲んでいた。



「魔術士用の対応戦術。戦争も終わってしばらく経つのに、こうも手慣れているとはねぇ」


 左右の晶狼に目配せしながら、ローランは感心する。左手が再びグリモアに伸びるが、ローランはそれを開こうとはしなかった。

 魔術士のグリモアには魔術の起動に必要な術式が記載されている。魔術士は必要に応じてフィルムで保護されたページを触媒杖に読み込ませることで魔術を起動させることができる。近代化改修の施されたローランの結晶杖であれば、あらかじめ杖に搭載された記述装置を用いることで術式を起動させることも可能ではあるが、どの術式を使用するかはグリモアのページを参照する必要がある。

 どちらにしてもグリモアを開けなければ、魔術士は魔術を行使することはできないのである。


「所詮魔術士なんて、術が使えなきゃただの人間さ!」


 ディアマはせせら笑い、ローランへ向かって飛び上がる。その身軽さで上から攻めるウォルフに対して、晶狼は下からローランに襲いかかる。洗練された三次元的な連携を、ローランはローブを翻してなんとかいなす。各方位から繰り出される多角的な攻撃に対して、ローランの動きはお世辞にも俊敏とは言えず、その体に次々と裂傷が増えていく。そんな様子を、壁に寄りかかったプランチャは固唾を呑んで見守っていた。


「お、おいお前! オレのことはいいから、ローランにいちゃんを助けてやってくれよ!」


 傍らで威嚇をするロボ・ウィスプに呼びかけるも、ウィスプは主人の命令を準じて動こうとはしない。その鼻先は、常にこちらを狙う機会をうかがっているディアマに向けられていた。


「ダメ押しだよトレボ!」

「おう」


 ディアマの合図に、トレボが淡々と応える。二人はウォルフがローランに向かう間に教服の懐からピンのついた筒を取り出す。ピンを引き抜きながらローランに突撃すると見せかけて、すれ違い様に筒をローランの足下へと落とす。飛び跳ねて猛襲する二体の晶狼を対応していたローランは、足下の筒に一瞬反応が遅れた。

 とっさに距離の取った晶狼に訝しげな表情をするローランは、しかし足下の発火筒に気付くとその目が見開かれる。

 瞬間、爆音が洞窟内を揺らした。巻き起こる火炎から逃れるように転がったローランを、晶狼たちは間髪入れずに飛びかかる。


「とどめだぁ!」

「はぁ!」


 地面を転がりながら立ち上がったローランに、晶狼の牙が肩と首に突き立てられる。続けて前後から、トレボとディアマの短刀がローランの胸を貫く。首と胸から吹き出した鮮血が、二人のスカーフとベールを赤色に濡らせた。

 程なくして、短刀を引き抜かれたローランの体が、力なく崩れ落ちた。

 ローランの体から魔力光が拡散する。プランチャは叫んでローランに駆け寄ろうとするがしかし、間にウィプスが割って入ってそれを阻んだ。


「どけ! どけよ! にーちゃんが、ローランにーちゃんが……!」


 ウィプスに小さな体躯を押されながら、プランチャは再び叫ぶ。血だまりの生みながら物言わぬローランの遺体を瞳に映して、涙を流しながら。


「どうして……、どうしてこんなことするんだよ!? にーちゃんが、お前たちに何したっていうんだよ!?」


 プランチャに問い詰められたディアマは、短刀についた血を振り払って「どうしてだって?」答える。


「お前みたいなドリドにはわからないだろうねぇ、私たちが戦争で負けて、人間たちにどれだけの屈辱を与えられたなんてさぁ!」

「そんなの、どっちもおんなじじゃないか!」プランチャは歯を噛みしめてディアマを涙に濡れた瞳で睨み付ける。

「じーちゃんだって、じーちゃんの子供だって、お前たちみたいなのがいなかったら……!」

「知ったこっちゃないねぇ! こっちには大義があるんだ、人間から亜人を解放してやるっていうね!」


 両手を広げがなるディアマに、トレボが小さく頷く。そのまま短刀を前に突き出して、静かに歩み寄った。


「俺は、お前個人に恨みはない。お前が我らの協力を望むなら、命は助けてやろう」

「はっ! 無駄なこと言うんじゃないよトレボ。腰抜けのドリドにそんな度胸はないよ。さっさと殺しちまいな」


 血に濡れた刃が眼前に迫る中、しかしプランチャはひるまずにローランの魔力光を反射する刃と視線を結び続ける。

 その刃の血が、ふいに浮かび上がった。


「……?」


 最初に気付いたのは、プランチャであった。泡沫となった血は、気流に乗るにしては不自然な軌道で渦を巻いて、ローランの肉体へ収束する。

 無残に投げ出されていた左手が、ピクリと痙攣を始め――すぐさま腰のグリモアを掴む。

 二人のウォルフが違和感に気付く頃には、ローランのグリモアは開かれ青白の光を放っていた。


「――まったくいい戦術だよ。狼に殺されたのはこれで二回目だ」


 グリモアの放つ光に合わせて、結晶杖の先端は輝きを増す。グリモアに記載された情報を下に、三次元記述器は半円の側面からリブを展開する。リブから投写された光は周囲に空間を記述の領域と規定し、ローランの周りに光の円環を作り出す。そこから滲み出すように文字列が生み出され、円環を赤道に文字列は回転して球状を成していく。


「何故、生きている……? たしかに殺したはず……」


 トレボの目は見開かれていた。ディアマは「狼狽えるじゃあない!」とトレボに発破を掛ける。


「今なら間に合う! あいつが魔術を発動する前に――!」


 ディアマは短刀を逆手に持ち替え、晶狼と共に飛び出す。

 しかし、


「――レコルダ・カリグラ。『死を恐るるなかれ』」


 凜然と、ローランは解放の呪文を唱える。高速でローランの体を取り巻く術式の効果帯がほどけ、実体を象る。

 本来、魔力光で構成されたローランの死霊術には自己保存境界が存在しない。そのため死霊術によって顕現したウィスプには実体がなく、物質に直接的に干渉することはできない。しかし三次元記述によって密度を増した聖質は、素子加速器によって一時的に増大した魔素によってその細部を極めて精緻に再現することで、一時的に実体を得ることを可能にした。

 光の束が青い輝きを以て具現化させたのは、甲冑の腕部分であった。腕の上部を覆うプレートメイルであるが、厚みがなく、鎧の隙間から陽炎のような揺らめく青い炎が吹き出している。そこから伸びる手に握られているのは、片刃で反りのある長剣だった。

 ローランは結晶杖の石突きを叩く。剣を携えた鎧が、刃を水平に構える。

 ディアマが、ふいに立ち止まり、冷や汗を吹き出しながら横へ回避しようとする。後を追う晶狼とトレボは、鎧が放とうとする一撃に反応が数瞬遅れる。

 そして音もなく、鎧は剣を振り抜く。

 衝撃が、トレボと二体の晶狼を襲う。彼らは後方へ吹き飛ばされ壁に激突し、横へ逸れたディアマも、半身でその衝撃を受けて転がった。洞窟内に鉄の滑る静謐な高音が響き渡ったのは、その全てが終わった後であった。

 それはかつてのローランと旅を共にした英雄……義剣士カリグラの、音を凌駕する居合いであった。


「ぐ、ああ……。なんだ、それは……?」


 体を捩りながら、ディアマは呻く。両脇に腕鎧を携えながら、ローランは淡々とディアマを見下ろした。


「古い友人の技さ。……まぁ、これが本物なら、君は切られたことにも気付かないまま死んでいただろうけどね」


 ローランはそう言いながら、岩壁に打ち付けられたトレボを見やる。トレボと二体の晶狼は気絶しているらしく、地面にぐったりと伏していた。

 ディアマは地面に頭をつけ、クククと喉を鳴らす。怪訝そうにローランが眉を顰めると、


「そうかい。あんた、ただもんじゃないってこと……かぁ!!」


 歯を食いしばりながら、ディアマは体を起こして、手に持った五つの発火筒を部屋の入り口へ投げつける。ローランはハッとなりながらも結晶杖を叩き、カリグラのウィプスに命令を下す。音を置き去りにする居合いによって放たれた斬撃は発火筒の四つまで打ち落とし無力化するも、一つだけは斬撃を逃れて入り口へ着地する。

 爆炎が迸る。それに合わせるように、ディアマは天井を仰ぎ狂ったように笑い声を上げた。

 煙幕が晴れると、入り口は崩れ落ちた岩によって完全に塞がれていた。ローランはディアマに詰め寄り、その肩を掴む。


「なんのつもりだ!? 君たちまで生き埋めになるんだぞ!」

「それでお前と心中できるんなら、本望さ! お前みたいな奴は、私たちの目的を果たすには邪魔だからねぇ!」


 クククと、おかしいように笑みを漏らすディアマに、ローランは息を詰まらせる。その後ろでプランチャは、何が起きたのかわからないまま呆然としていた。


「そこのドリドは岩でも食えるんだろうけど、あんたはどうだろうねぇ! 餓死でも死なないのかい? 我慢比べをしようじゃないか、寿命ならこっちのほうが長いよぉ?」


 気が触れた様子のディアマに、プランチャはその身を竦ませる。ローランは頭を振ってディアマを突き放すと、プランチャのほうに駆け寄った。


「大丈夫かい?」

「お、オレは平気……でも、ローランにーちゃん……」


 震える瞳が、ローランを突き刺す。ローランはあははと、愛想笑いを返した。


「うん、まぁ……人には言いづらいんだけど、こういう体質なんだ。俺と、プランチャの秘密ってことでいいかな?」

「う、うん……。それよりもどうしよう……出られなくなっちゃって」プランチャの結晶の尻尾が、忙しなく左右に揺れる。

「オレのせいだ……。オレが、こんなところに来ちゃったから……」

「プランチャ、それは違うよ」

「違わないよ!」


 そう言って、プランチャはローランから離れて背を背けた。


「オレ、アルねーちゃんやローランにーちゃんに会ってから、迷惑ばっか掛けて……結局、お礼もなんもできなくて、またこんなことになって……」

「プランチャ……」

「ごめん、本当にごめんなさい……」

 

 細い体を抱いて、肩を震わせながら、プランチャは呟く。

 ローランは、一度大きく息を吸い……目を閉じて、吐き出す。


「……お礼なら、もう貰っているよ」

「え?」

「この結晶杖に取り付けた装置……元は君が考えたんだよね?」


 プランチャが、キョトンとした表情でローランに向き直る。


「グィエルさんは、魔術についての知識はないけど……プランチャにはドリドが発達させてきた冶金技術と魔術の知識がある。それをグィエルさんは学び取っていたんだよ、独学でね」


 ドリドはラガルトラホ獄界の洞窟に住む種族である。その種族は地中の鉱石を食すことで魔素を摂取している。また、摂取した鉱石や結晶は尻尾や角の形で体外に排出することで落石から身を守っており、ドリドの特異な姿の原因でもある。このように鉱石と密接な関係を持つドリドは鉱石に関する独自の知識を有しており、また魔素滞留地という特性上魔術の触媒となる魔素結晶への理解も深い。ドリドが作る触媒杖は結晶の純度や魔術精度が高く、魔術士のあいだでは高い評価を得ている。神代の魔術はドリドが祖ではないかと考察するものもいるほどである。


「……グィエルさんは、君と出会って亜人の文化を学んだ。未知の技術が、職人の魂を震わせて……、君の無邪気さが、グィエルさんを悟らせたんだよ。憎しみが心を腐らせることを」


 ローランは膝を落として、プランチャを真っ直ぐと見上げる。

 プランチャの潤んだ瞳に、真摯なローランが映り込んだ。


「君が亜人で、ドリドで……プランチャだからこそ、グィエルさんは救われたんだ」

「オレが、じーちゃんを……?」


 ローランは頷く。その背後で、ディアマは依然狂ったような笑いを上げている。


「あっはははっ! 亜人が人間を救う? 大嘘も大概にするんだねぇ!」


 目を伏せながら静かに立ち上がったローランは、ゆっくりとディアマを振り向く。

 その瞳には、珍しく冷淡さが籠もっていた。


「君にはわからないよ。魔王の……英雄の願いを履き違えた、君たちにはね」


 最後にローランはそう吐き捨てて、グリモアを開く。輝く結晶杖を斜め上に突き出して、周囲に術式を展開させる。


「レコルダ・ルキウス。『死を恐るるなかれ』」


 呪文が号令となり光条は解け、ここに本来いるはずのない実体を再生させる。ローランの背後には斑模様の革服に身を包んだ青い長身の幻影が、陽炎を携えて巨大なボウガンを構えていた。

 ボウガンは杖が指さす方向と同じく斜め上の岩肌に向けられていた。


「プランチャ、掴まっていて」


 短く、ローランはそう言うと、プランチャは頷いて彼の背後に張り付く。

 ボウガン……トライデントの弦が、浮水によって引き絞られる。弦の中央が線引きするように燃え上がったかと思えば、そこには杭が装填されていた。

 ローランは狙いを定めた結晶杖の先端を真上に振り上げ……、勢いよく石突きを叩きつけた。


「――撃てっ!」


 発射されたトライデントの杭は、轟音を上げて岩壁に飛び込み、目の前の石を全て礫に変え、破砕していきながら掘り進む。

 一射目の結果を確認する前に、ローランはトライデントを装填し直して再び撃ち込む。撃ち出されるごとに腹の底から響くような重低音を断続的に響せながら、洞窟は振動する。途中何度も崩れた岩がローランの頭上へ落下するが、トライデントの発射の余波で起こる浮水の反重力が、全てを後方へ跳ね飛ばし、そのたびにローランのローブは激しく波打った。

 プランチャはきつく目を閉じながら、ローランの腰に手を回す。ディアマは離れた所から、目の前で起こる超常的な破壊を、頭上に降りかかる砂が気に掛からないほど呆然と見つめていた。

 その暴力的な砲撃が、二桁を超えるか否か……。

 土煙の先に、星の儚い光が覗いた所で、洞窟には静寂が蘇った。

 ルキウスの幻影が朧と消えたと同時にローランにしがみついていたプランチャは、腰を抜かしてその場にへたり込んだ。


「ローランにーちゃん……?」


 半ば放心状態のまま、プランチャは呟く。目の前には既に壁はなく、半円状にえぐり取られたなだらかな丘だけがあった。

 その丘の先で、こちらをのぞき込む影が現れた。


「あ、アルねーちゃん!」


 我を取り戻したプランチャは、フード姿の彼女を見つけて明るい声を上げる。アルは丘を滑るように器用に降りて、ローランのもとへ駆け寄った。


「これは、あなたが……?」


 明るい紫色が灯った瞳がローランを怪訝そうに見やると、ローランは気まずそうに笑った。


「ちょっと、いろいろあって、ねぇ……」


 視線を逸らしたローランの先には、膝立ちのまま固まったディアマが茫然自失と丘から臨む星空を眺めていた。

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