意志を継ぐⅣ


     ◆


 上層では、夜も更けきったこの時間にもかかわらず、人の声が騒がしくざわめいていた。

 それは恐怖と焦燥が入り交じり、不安を拭うために囁かれる根拠のないハッタリや、状況を正すために繰り出される怒号が折り重なってできた……、混乱の喧噪であった。


「わたくしの失言でした。まさか、本当に亜人が襲来するとは……」


 夕焼けのように燃える東の空を仰ぎ、ネーロンは嘆息する。その様子を、赤の瞳でアルは見ていた。


「領主は無事なんですか?」


 ローランが尋ねる。

 その顔に緊張を走らせながら、隣で作業台に顔を伏せるグィエルを気に掛けていた。


「火が燃え広がる前になんとか避難することができたようです。今は古い洞窟へ身を隠しているそうですが、それよりも……」


 ネーロンが言葉を続けようとした矢先、上層から甲高い悲鳴が上がった。ローランは反射的に工房を出て、上層の岩壁を見上げると、オレンジ色の光が真上の空を照らしているのがわかった。


「もう火の手が……!?」

「いいえ。領主館は町の外れです、こんなに早く回るはずない……」


 アルは、奥歯を噛み締めながら上層を睨み付ける。


「亜人が……ウォルフが、本当にこんなことをしていると言うんですか!?」

「ええ。……先ほど、申し上げたとおりです」


 怒りを露わにするアルに対し、ネーロンはその熱を冷やすように固く静かな表情で返す。その様子にローランの眉が少し跳ねた。


「どういうことだい?」


 ローランの質問には答えず、アルは再びプランチャの走り去った方向を見つめ始める。


「いいえ……、今はそれよりもプランチャを追いかけないと……」

「ですが、上層の騒ぎをそのままにはできません。プランチャ君も巻き込まれる可能性もあります」

「待って、昇降機が動かないんじゃその心配はしなくてもいいんじゃ……」

「いいや、そうもいかねぇ」


 アルたちの議論に、工房から出てきたグィエルが口を挟む。うなだれながら左手を頭に回し、右手にはローランの結晶杖を握っていた。


「下層の奥には、今は使われてねぇ古い洞窟があるんだ。昔はそこから上層を行き来するためにな。暗くって夜じゃあ何も見えねぇが、ドリドのプランチャは夜目が利く……遅くまで修行した日にゃあそこから上層に行くこともあったくらいだ」

「それじゃあ……」

「ローラン」


 グィエルは結晶杖をローランに突き出す。

 元々は杖の先端に結晶が取り付けられただけの簡素な結晶杖であったが、その回りには二股に分かれた半円状の装置が取り付けられていた。装置からは十字の突起が扇のように連なっており……、見方によっては、いくつもの墓標が並び立っているような意匠を感じられる。


「本当に情けねぇ……。こんな足じゃあなかったら、ワシが追いかけてどやしてやるってぇのに」


 空いた拳を震わせ、グィエルはきつく目を閉じる。ローランは一度口を開き……しかしそのまま、目の前の鍛冶工の言葉を待った。


「プランチャを……、ワシの一番弟子を頼む……。あいつは、ワシの希望なんだ」


 ローランは一度目を閉じ、大きく深呼吸する。

 そして、差し出された手に取り、大きく頷く。

 顔を上げたグィエルの表情に、安堵が浮かんだ。


「っ! すまねぇ……! 恩に着るっ!」


 膝に手をついて深々と頭を上げるグィエルに背を向けて、ローランはアルとネーロンに言った。


「二手に分かれよう。アルは兵士を手助けして、俺がプランチャを追う」

「はぁ?」


 その提案に、アルは間髪入れずに素っ頓狂な声を上げた。


「私に! あの兵士たちの支援をしろと!」

「そんなに嫌かい、アル?」

「当然です!」

「わかった、言い方を変えよう。現在進行形で上層に火が上がり始めているということは、犯人がまだ近くにいる可能性がある」


 ローランはネーロンを横目に続ける。


「彼女の言うとおり亜人の仕業なのかどうか、気になっているんじゃないのかい?」

「それは……そうです、けど……もし、違っていたら?」

「違ってたら……そうだなぁ」言いながら、空を仰ぐローランの目には霞む星が映る。

「俺を煮るなり焼くなり、好きにしていいっていうのはどうだい?」


 ははは、と笑ったローランを、青い瞳が鋭く貫いた。


「久しぶりですね、その下手くそな道化笑い」


 そうひとりごちるアルは、わざとらしく大きなため息を吐く。


「わかりました。あくまで、ウォルフたちの真意を、知るため、ですから」


 一語一語はっきりと、念を押すように、自分に言い聞かせるように呟くと、岩壁を注視し始める。それを訝しげに眺めていたネーロンであったが、すぐにグィエルに手を差し伸べた。


「では、グィエルさんはわたくしと。緊急事態なら昇降機も作動しますので、アルさんもご一緒に……」

「そんな悠長にしていられません」


 視線を動かさないまま、淡々とアルは言う。肩を軽く回し、その場で足踏みした後、一歩足を下げて膝を落とすと、フードを目深に被ってその表情を隠す。

 次の瞬間、強く地面を蹴ったアルの小さな体躯が宙へ飛び上がった。


「はっ……?」


 間抜けな声を上げたネーロンを置き去りに、アルはジャケットの裾を翻しながら上層の岩壁に着地し、もう一度飛び上がる。

 それを三度繰り返す頃には、アルの姿を下層から確認することはできなくなっていた。


「まぁ、ああいうことができるっていうのも、二手に分かれる理由だったんだけどねぇ」


 誰に聞かせるわけでもなく、ローランは結晶杖を肩に掛けて呟いた。


     ◆


 風を切り、アルは壁面を走る。今現在、上層で火災から逃げ惑う住民や避難誘導をする兵士たちに対してほぼ直角に体を傾けながら、またその人々から反対方向へ。

 ある程度進んだところで、転落防止の柵を跳び越えて通りへと着地すると、アルはフードの裾を押さえながら辺りを確認する。辺りには人の気配なく、代わりに壁の煤けた建物が夜の黒と溶け合いその様は道中の打ち捨てられた村々を彷彿とさせる。岩壁に掘られた洞窟を住居としている関係上、燃えているのは中に備え付けた調度品がせいぜいだが、窓から覗く部屋の様子はほんの少し間前まで人がいたとは思えないほどに凄惨なものであった。

 アルの瞳に、紅が宿る。彼女の背中には、今でも住民たちの悲鳴や当惑が突き刺さっていた。振り返ると通りはオレンジの輝きを放っており、アルがここに居る真黒な空間とは対照的な印象を与えた。

 輝きのほうへ駆けていくと、革の鎧と腰にランタンを下げた兵士たちが、燃えさかる食堂内から住民を離そうと腕を組み合って壁を作っていた。

 アルは思わず膠着し、目を見開く。そこは昼間、彼女とローランが訪れた食堂であった。


「これ以上近づくな! 早く町の外へ逃げろ!」

「店が……私の店がぁ……!」

「やめろ! 死んじまうぞ!」


 茫然自失のまま、明星のように燃える食堂に手を伸ばし続ける店主を、兵士の1人が押さえている。そんな様子を、何人かの野次馬が興味深そうに眺めては足早に逃げていく。

 その中には、顔の半分を耳ごと覆うスカーフを巻いた、教服姿の男もあった。


「こんな時にこそ、祈ればいいものの」


 口に含ませるように毒づいたアルは、スッと目を閉じて歩き出す。手のひらを広げると、自己保存境界を震わせた大気の揺れが彼女の全身を覆う。それに合わせて、彼女の服装が変質し始める。狼の耳を模したフードが特徴的なジャケットが、ショートパンツと一体化し、パンツの布も伸び始める。崩れた家屋の瓦礫を1つ手に取ると、それは細く長く変形し……いずれ触媒杖の形状を取る。

 その場の全員が目の前の光に釘付けになっている間、暗闇のなかでアルは漆黒のローブを纏う魔術士の姿を模倣していた。

 アルはベールで顔を覆い、絶望する店主の横に通り抜ける。そのあまりにも自然過ぎる所作に、店主を押さえていた兵士も反応が遅れていた。

 時間差でこちらに呼び戻そうとする声にも素知らぬ顔で、アルは炎の前に立ち手にした触媒杖もどきに目をやる。このまま視線を上に追いやり何かを案じていたのか、それが馬鹿馬鹿しいことに気付いたのか、いずれにせよ彼女が無造作に杖を炎に差し出すのに時間はかからなかった。


「えっと……あっ、『死を恐るるなかれ』」


 何かを思い出したように唐突に、一語呟く。それが終わるや否や拍子で食堂を取り囲む大気が振動を始めた。


「な、なに、なんなの……?」

「魔術、なのか……この振動は」


 半狂乱気味に喚く店主と、疑心が拭いきれない兵士や野次馬を余所に、食堂の……ひいては食堂の壁や内装を舐める炎に変化起こる。アルの目の前に起こった火災が、所々が渦を巻くように収束していく。それと同時に、建物壁や周辺の壁に、根や幹が這い出してきた。

 野次馬たちが息を呑む。彼女が一語呟き、杖を適当に振るったかと思えば次の瞬間に生まれた草木は、まるで水を吸うように炎を飲み込み成長し始めたのだ。

 突如生まれ、急速に育っていく樹木は、やがて葉を生い茂らせ壁に彩りを与えると、その隙間から明るい色彩が顔を出した。


「あ、あれは……!」

「オレンジだ……小川の向こうの……」

「オレンジの……魔術士だ!」

 

 オレンジの根は、食堂のみならず他の建物にも伸びていった。そこで火を栄養として吸収し、成長してオレンジを実らせていく。火災を取り込んだその果実は、炎のように煌めくオレンジ色の輝きを放っていた。

 ほどなくして、火災の惨劇は全てオレンジ畑への変じたのだった。


「オレンジの……魔術士……バレシアさまだぁ!」

「バレシア様!」

「バレシアさまぁー!」


 悲鳴と怒号は、いつの間にか魔術士バレシア……アルに対する賞賛と歓声に包まれる。

 アルはえもいわれぬ表情で観衆を眺め、自らを別人として称える人間たちを観察する。

 そこに一人……先ほど、遠巻きから見ていた教服姿の男と目があった。

 アルの目が細まる。対して男は目を剥いて、驚愕しているようであった。そして何かを確認するように頷いた後、そのまま数人の人混みから離れそそくさとこの場から離れようとしていく。

 アルはその男の後ろ姿を見つめる。兵士の一人がランタンを片手に彼女に近づこうとした瞬間、ハッとなって人混みから飛び出した。

 男の耳元が、スカーフ越しに青白い光条を描いたのを、アルは見逃さなかった。


「ああ待って、せめてお名前だけでも……!」

「それよりも建物に取り残された人を探すんだ! 樹木が支えになってるとはいえ、いつ崩れるかわからないぞ!」


 何事かと困惑する人々を路地を外れて振り切った後、元のジャケットとショートパンツの姿に戻ったアルは、善意による町人の猛追をやり過ごすと教服の男を捜すべく町を散策する。騒ぎの途中で誰かが落としたと思われるランタンを拾い、顔の傍に掲げながら淡く灯火のような光を頼りに付近を見渡す。

 先ほどの騒ぎも相まって、セターニルの夜は昼とは打って変わってダウナーな喧噪があった。昼に比べて通りの人間たちは多くはないが、火事が収まった後でも緊迫した面持ちで通りを走ってる。


「発火の原因はなんだったんだ?」

「わからない。領主館の火種が風に流されたんじゃないかって……」

「聞いたことあるぞ、領主様を暗殺しようって奴のこと……。そいつがこんなことしたんだ!」

「変な予告状書いた奴か? まさか本当に暗殺を……?」


 口々に飛び交う推測と罵倒に、アルはフードの端を険しい表情で引っ張る。

 その時、アルは視界の端に教服の男を捉えた。そして男もまた、小川を挟んだ通りでアルを真っ直ぐと見つめていた。男は踵を返した町の外へ走り出すと、アルを追いかける。ランタンの光が、フードから零れる銀髪を怪しく光らせた。

 アルは男を追って、町の外れの丘陵地帯まで来ていた。明かりが一つもない暗闇の中で、星の光だけが陰影をかたどることでかろうじて周りの景色が認識できる。しかし、夜目の利くアルにはたいした不都合はなかった。

 目を凝らしながら警戒していると、正面の岩陰から亡霊のような影が動くのを確認する。


「あぁ、まさか……。まさかこのようなことが……」


 岩陰から聞こえたのは感嘆の声であった。歓喜に喉を振るわせ、陶酔しているような声音の主を、アルは睨めつける。ゆっくりと姿を表したその男は、しっかりとした足取りでアルに歩み寄ろうとする。


「止まりなさい」と、底冷えする声でアルは警告した。

「あなた……いいえ、あなたたちウォルフですね。何故このようなことをしているんですか?」


 アルが声を張り上げながら振り向くと、そこには男と似た教服の女性が、同じく岩陰から現れる。耳元から赤い光条が走ると、どこからともなく晶狼も飛び出して主人たちの傍に控えた。

 女性は怪訝そうな表情でアルを見やり、男には非難がましい視線を向ける。


「何故、魔術士がここを連れてきた?」

「魔術士? 違う、あの奇跡は間違いなく……」


 そんな女性の態度に口元を歪ませながら、男は言った。


「今は亡き魔王の落胤……アル様だ。ああ、まさか……このようなところでお会いできるとは……」


     ◆


 セターニル下層の端には、グィエルの言うとおり古い洞窟がひっそりとあった。町が発展途上の段階で人工的に掘られたものらしく、その内装は洞窟というよりも坑道の印象をローランに与えた。坑木で覆われ支えられた確かな空間が、緩やかに螺旋を描きながら上昇し、上層の外れに繋がっていることがわかる。しかし、使われなくなって久しいのか、内部に点在したランタンは完全に燃料が切れており、夜の暗闇に完全に同化していた。並の人間ならば、その鼻先に遠近感を狂わせるほどの黒い壁しか見当たらないほどであった。

 そんな深淵を、一体の狼が歩いていた。狼の体は青白く輝いており所々は陽炎のように揺らめいている。狼は時々枝分かれする洞窟内を迷いことなく進み、後ろをついていくローランを先導していた。


「たしかにこれは……昼間でも使えるか怪しいもんだねぇ」


 辺りを興味深そうに観察しながら、ローランはのんびりとひとりごちる。しかし、反響する自身の声とどこかで水の滴り落ちる静謐な音響以外にそれに応えるものはいなかった。


「さぁて……この子の調子は大丈夫かな? 本人以外の聖質だけを頼りに追いかけるのは初めてなんだけど」


 正面の狼……ローランがロボ・ウィスプと名付けた霊体に語りかける彼は、しかし余裕の笑顔と迷いない歩調で鬼火のように揺れる尻尾を追いかける。洞窟内は明かりがなく暗がりが目立つが、それ以上に一度脇道に逸れた場合の入り組んだ構造が目をつく。分岐から分岐を挟んで絡まった網の目模様を洞窟は、戦争の時代に避難所として機能していた経緯を彷彿とさせる。その中でロボ・ウィスプは、ローランとグィエルの聖質を透析し、彼らの記憶にあるプランチャの情報のみを頼りにこの迷路を迷いなく進んでいる。

 方向感覚と時間感覚を狂わせる暗闇の中を歩いてしばらく……、ウィプスは洞窟の開けた行き止まりで立ち止まった。


「うん、バッチリだ」


 ローランの目の前には、壁に背を預けて光り輝く結晶の尾を丸め、膝を抱えてうずくまるプランチャの姿があった。


「ローラン、にい、ちゃん……?」


 涙の後の残る顔を上げて、プランチャは呆けた声を出す。


「どうして……、だって、ここ……」

「君のおかげだよ」


 そう言って、ローランは結晶杖を掲げる。そのまま先端をウィプスに向けた。


「本当に精度が上がってる。俺と、グィエルさんの記憶だけで、2人とも来たことのない場所にいた君を見つけ出すことができたんだからね」


 ローランは微笑みながら、腰を落としてプランチャに手を伸ばす。しばらく状況を理解できていないプランチャは、反射的にその手をとろうとする。しかし、その手がピタリと止まり、再び膝を抱え始めた。


「じーちゃん、怒ってるよね?」

「うん、怒ってる。君が急に飛び出すから、心配してるよ。本当は自分が出向いて叱ってやりたいって、言ってた」


 プランチャは俯いたまま、視線を横にずらす。尻尾の先は、ゆっくりなテンポで上下していた。


「オレ、知らなかったんだ。じーちゃんが、亜人のことあんな風に思ってたんだって……。それでも、オレなんかを弟子にしてくれたんだって」

「うん。グィエルさんも言ってた、憎しみは心を腐らせるって。だから、君のことを恨んでいるなんてこと、絶対にない」

「でも、それじゃあ……」視線を彷徨わせながら、プランチャは自身を一層強く抱きしめる。

「じーちゃんは、どうしてオレを弟子にしてくれたんだろう?」

「え……?」

「オレ、家族ももういないし、ひとりぼっちでこの町に来て……じーちゃんがオレを拾ってくれたから、こうして今も生きていける。オレ、じーちゃんのこと、本当の家族だと思ってるよ」

「うん。それはグィエルさんだって……」

「でもオレは、亜人の仲間で、じーちゃんの子供を殺したかもしれない奴の仲間かもしれなくて……。じーちゃんは、オレのこと本当は見てないんじゃないかって……、息子の代わりになるなら、誰でもよかったんじゃないって……そうしたら、頭の中がグチャグチャで、どうしたらいいかわかんなくなって」


 とりとめもなく、プランチャは言葉を並べる。喉は震えており、最後の言葉はもはや涙声で、呻くような声音で体を震わせていた。

 ローランは泣きじゃくるプランチャに視線を合わせるために座り込み、結晶杖を置いてその小さな体を胸に抱いた。

 驚きにで体を強ばらせたプランチャであったが、すぐに顔をローランの胸に押し当てる。ローランは硬質な黒髪を撫でてあやした。

 しばらくすると、プランチャバツが悪そうに顔を逸らしながら、ローランから離れた。


「ごめん、ローランにーちゃん」

「いいよ、慣れているから」そう言ってローランは立ち上がった。

「落ち着いたかい?」

「うん……」


 頷くプランチャの表情は薄暗い洞窟なのと相まって暗い影を落としていた。


「大丈夫。グィエルさんは、君のことを、ちゃんと君として見てる。だって――」


 ローランが声を掛けようとした時、プランチャの顔がバッっと跳ね上がった。その様子に眉を顰めたローランだが、彼もまたハッと息を潜めた。

 

「……そっ…………い……こに……!」

「あ……な……し…………ちにま……!」


 それは洞窟内を木霊し、ローランたちの行き止まりまで届いた人の声の残響であった。その声はだんだんとこちらへ近づいていき、出口に二人の男女が立ちはだかった。

 男女の格好はエル教の教服であるゆったりとしたローブを思わせる服に、男性は口元を耳ごと覆うスカーフを、女性は顔全体を隠すベールを装備していた。

 彼らにとってもここでの邂逅は意外だったらしく二人ともローランたちを目にすると身構えた。

 そして両者の耳には赤い光条が輝き、傍らには晶狼を携えたその姿に、ローランは怪訝そうな表情を浮かべた。


「エル教の信徒……いや、でもあれは……」

「ろ、ローランにいちゃん……あいつ」


 怯えたプランチャの声に反応したのは、女性のほうだった。女性はプランチャを見やると、ベール越しにもわかるほどに顔を歪ませた。


「そうかい。ここはお前の巣穴か……」粘つく口調で、女性はプランチャを蔑む。

「おいどうする? 一般人もいる。ここで始末するか」男性は淡々とローランを睨む。

「ああ、いいね。ちょうど気に入らなかったんだ、裏切り者のドリドがねぇ」


 その言葉に、ローランは結晶杖を手に取り前へ出た。


「あいつ、町でオレのことを睨んできてた人だ……」

「なるほど。ロシュー伯子女の言葉は嘘じゃなかったわけか」


 呟いたローランは、もう一歩前へ出て二人のウォルフに声を張り上げた。


「君たちと争う気はない! そこをどいてくれないか!?」

「寝ぼけたことを言うんじゃあないよ、魔術士」

「俺たちの正体を知られた以上、生きて返すわけにはいかない」

「町の騒ぎは君たちのせいか!? 一体何故こんなことをする!?」

「知れたことだろぉ! ロードレク様の遺志のために、人間たちに罰を与えてやってるんだよ!」


 ウォルフの女性が声を荒げる。二人は腰を落として短刀を引き抜いて構え始めた。


「遺志だって……?」

「そうさ。ロードレク様が亡くなって二十年、私たちは辛酸を舐めて暮らしてきた。あの時の屈辱を、いまここで晴らすために動いてるんじゃあないか」


 そう笑うウォルフに、ローランは溜息を吐いて、結晶杖の石突きを地面に叩く。

 水に溶けるような籠もった高音が響き渡ると、結晶杖の先端が青白の輝きを発した。


「君たちは、自分が何をしているのかわからないんだね」


 だったら、とローランは二人を睨めつける。魔力の奔流に煽られたローブは、忙しなくはためいた。


「悪いけど、君たちのことを許すわけにはいかない。――君たちが、英雄の遺志を語るんじゃない」


 怒気を孕んだローランの言葉は、しかし二人には届かなかった。

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