遺志を継ぐⅢ
◆
領主館を離れて数里……放棄された村の一角。その小高い丘には、もとは見張り塔のような背の高い民家の瓦礫がそこにあった。
壁は他の村々同様に焼け焦げ、朽ち果て、暴力の爪痕を色濃く残しており……、その全てを隠匿するように、崩れ落ちた煙突によって押し潰された影を落とす。
そんな廃墟の周りには、大きな体躯の狼が群れを成してうろついていた。狼の一団は、五頭で構成されており、そのうちの二頭は民家の周りを全く同じ歩幅で綺麗に円を描いて巡回しており、残りの三頭は丘を下った先で散開し、一頭は民家跡の裏側、一頭は村の入り口があった残骸……そしてもう一頭は、領主館をじっと見つめ、石像のように微動だにしなかった。
まるでその身に宿した結晶と同化してるような、無機質な機械を思わせるほどに、群れの行動はひどく機能的であった。しかし、その目に灯す生気は衰えてはおらず……、悠久を生きる彼ら晶狼にとってはこの立ち往生は全くの苦ではないというのが窺い知れた。
システマティックな晶狼たちに変化が生じたのは、空を照らす陽光が西に沈み始めた頃だった。入り口を眺めていた晶狼の鼻がピクリと跳ね上がると、そこには真っ黒なスカーフやベールで耳ごと鼻先から下を覆った五人の男女が、晶狼たちのもとへ足早に向かってきて来た。一団の服装はゆったりとした長袖のドレスを思わせるような格好を……エル教団の服装を模したものを着ていた。民家跡へ着いた男たちは膝を落として、労いに来た晶狼たちの頭を撫でる。先ほどまで不気味なほど無生物的であった晶狼は、自らと契約を交わした者たちの前でのみその人間性と呼べるものを取り戻すのだろう。
「三日か……人間というのは、あまりにも短絡的すぎる」
一人の男が棘のある口調で、ここに居ない誰かを侮蔑する。空に雲が泳ぎ始め、陽を翳らせる。
薄明かりの中、男たちの耳元に赤い光条が走った。
◆
面長な形状をとるセターニルの両端には、多層構造の区画を繋げるための昇降機がある。宿場町として整備された上層と比べ下層は現地民の生活区と併合されており、上層よりもさらに日が当たりにくいというのもあって、一見すると無秩序で雑多な雰囲気を放っていた。
鉄の擦れ合う甲高い音と歯車が駆動する重低音をその身に受けながらも、アルとローランは柔らかい面持ちで、ゆっくりと口を開いた昇降機から降り立つ。結晶の尻尾を忙しなく左右に揺らし先導したプランチャは、ニコニコと二人の顔を見比べ、意外そうに眉を持ち上げた。
「もしかして、二人ともここに来たことある?」
「いえ、何故?」
「最初下層に来る人って、結構ここの暗い雰囲気を怖がったりするからさ。なーんか、二人とも変に落ち着いてるなぁって……」
「俺とアルは、前までずっとこういう所にいたからね」
「ええ、まぁ……。それに、ただただ陰気な場所だというわけではなさそうですしね」
ランプに照らされた街道を歩きながら、アルは町を見渡す。暗がりではあるものの陰鬱というわけではなく、道行く人間たちの顔は晴れやかで活気に満ちている。プランチャは向かいの老婆に手を振りながら声を掛け、老婆を穏やかにそれに応じていた。
「良いところですね」
「でしょ? さぁ、じーちゃんの工房に案内するね」
プランチャに案内されたのは、下層の外れにある岩壁からやや前面に押し出された横長の建物だった。
扉の前で一度深呼吸すると、プランチャは一度大きく頷いてから扉を開けた。
工房の中は生活のスペースが小上がりで区切られた大部屋になっていた。工房側には長剣や組み立てる前のボウガン・結晶の取り付けられていない触媒杖が吊り下げられた壁が煌々と赤熱する炉を囲んでいる。
「すいませんじーちゃん! 遅れましたぁ!」
威勢のよい気迫が、工房内を駆け巡る。煤けた床を鳴らし、プランチャは炉で彼に振り向いた老人に近づいた。後退した白髪に上を脱いだつなぎから屈強な肉体を晒した、逞しい雰囲気の眉雪だった。
老人は皺の少ない顔を一瞬だけ緩ませた後、
「おそぉい!」
先ほどのプランチャとは比べものにならない怒声を、工房にビリビリと響かせた。それを至近距離で受けたプランチャは体を縮こまらせ、尻尾を緊張で逆立たせた。
「いや、あの……じーちゃん……」
「ここでは師匠と呼べと言ったろうがプランチャぁ! 言い訳する前にさっさと準備しやがれぇ!」
「は、はぃい! すいません師匠!」
半ば悲鳴じみた声を上げ、プランチャ奥の部屋へ走って行く。取り残されたローランは、嵐のような猛々しいやりとりに目を見開いて膠着し、アルは今まで被り続けていたフードの端を固く握りしめていた。
「元気なおじいちゃん、だね。は、はは……」
ローランは乾いた笑いを上げる。その声に老人は、ようやく二人の存在に気がついた。
「あ、師匠! そういえばお客さん連れてきたんだった! アルねーちゃんローランにーちゃん! その人がオレの師匠の、グィエルじーちゃんだよっ!」
部屋の奥から籠もったプランチャの声を聞いて、グィエルと紹介された老人は眉を顰める。
「客ぅ?」
グィエルは、多少もたつきながら立ち上がり、怪訝そうにアルとローランは交互に睨む。
「おめぇさんたち、プランチャのダチか?」
「え、ええそうです。俺はローラン、彼女はアル」
狼狽えながらも自己紹介をするローラン。アルは無言のままなんとかフードを剥がして会釈する。その時、アルの視線がグィエルの右足を注視した。
グィエルの右足は腿から先がなく、代わりに金属の義足が履かれていた。その視線に気付いていないグィエルはそうかいと快活に笑って見せた。
「ワシはグィエル、この通り鍛冶工でさぁ。大方プランチャに連れてこられたんだろう、まぁ茶しか出せんがゆっくりしていってくれ。まったくプランチャの野郎、修行サボってダチと遊んでやがったか……」
「ああいや、プランチャは別に遊んでいたわけじゃなくてですね……」
手に持った工具で肩を叩きながらしかめ面で奥の部屋を睨み付けたグィエルに対して、ローランは手で制して事情を説明する。最初はプランチャに対して苛立ちを隠さなかったグィエルであったが、ことの顛末を知るとポカンと口を開けて驚愕し、最後には首に手を回して頭を下げた。
「ってこたぁあんたら、プランチャのダチじゃなくて恩人ってぇわけか。こりゃ、うちの馬鹿弟子が迷惑掛けちまって申し訳ねぇ」
「い、いや……。結局俺たち、何もできなかったわけですし、そんな畏まらなくても……」
「いいや! 何かお礼をしねぇとワシの気が済まん。といっても、おめぇさんたちみてぇな若いもんが満足できそうなもんは……」
キョロキョロと、辺りを見回すグィエルは、ふとローランが担ぎ直した結晶杖を目に留めた。
「ローラン、つったか。おめぇさん、魔術士かい?」
そう尋ねるグィエルは、しかしそれ自体が信じられないといったように、片眉を上げながら首を傾げる。ローランが一度結晶杖に目をやった後おずおずと頷くのを見ると、おもむろに手を差し伸ばした。
ローランは訝りながらも結晶杖をグィエルに差し出す。グィエルは結晶杖を作業台へ置くと、固い革手袋で表面をなぞり始める。表情は真剣そのもので、細められた双眸からは憐憫が籠もっているようであった。
しばらく結晶杖を観察したグィエルは、ため息を吐いてローランに返すと、苦々しく言った。
「こいつ、よく手入れされてるみてぇだが」視線を逸らしながら、腰に手を当てる。
「長いこと使い込んだせいで触媒である結晶の魔素伝導率が落ちてんな。構造が単純なのが不幸中の幸いというか、これじゃ碌な魔術が使えんだろ?」
返された結晶杖を見つめながら、ローランは表情を曇らせた。
「いやぁ、そんなことは……」
「思い入れがあるんだろう? じゃなきゃそんな五十年来はありそうな骨董品の触媒杖は使わねぇ」
確信めいた視線が、ローランを射貫く。ローランは逃げるように愛想笑いを返すと、アルはそんなローランに冷ややかな青い瞳を宿した。
「ワシは仕事柄、触媒杖の製作や改造も任されることもある。……お礼といっちゃあなんだが、この杖を強化させちゃあくれねぇか?」
「へ? いや、お気持ちは嬉しいですけど……」
「もちろん、こいつへの改造は最小限にすると約束する。今の触媒杖の技術なら、内部の機構だけそのままに部品を外付けするだけなら今日中にどうとでもできる」
一瞬だけ目を輝かせたローランであったが、頭を振って雑念を払う。
「そ、そもそも、俺だけお礼を貰うなんて……。ほら、最初に彼を助けようとしたのはアルなわけだし……」
「私は構いませんよ」
はっきりとそう言ったアルに、ローランは目を剥いた。アルは横目で、しかしローランを真っ直ぐと見据えていた。
「今度また知識欲に駆られて、馬鹿なミスをされても困りますからね」
その黄の瞳は、炉に照らされたおかげで白んでいた。
◆
魔術士は、記述した術式を聖質の代替とし、そこに魔素を流すことで現象の再現を行う。しかし術式の記述に用いるインクや紙は、それ自体が物質であり、既に多くの聖質によって構成された魔力の産物であるため、そこに大量の魔素を流し込み術式を起動した際にはそれらの聖質を巻き込んで多くのノイズが発生してしまう。そこで魔術士は一度起動した術式を種火とし、内包する聖質の少ない純粋なエネルギーの塊である魔境由来の結晶や、再現する術式の聖質と似通った物質に移してから増幅させるという作業を行う。それは人によって詠唱による音であったり、舞踏であったりする。共通しているのは、それらの行動全ては魔術を行使する上で必要な触媒であるということだ。
故に、魔術士は魔術の行使する上で触媒というのは、魔術士が術の精度を高める重要な要素の一つであるとされている。
グィエルはそんなローランの結晶杖をもう一度作業台へ寝かせ、つなぎに着替え終えたプランチャと一緒に先端の結晶部周辺を弄っていた。
「何をしているんですか?」
横で見学しているローランが尋ねると、目の前で集中しているグィエルの代わりにプランチャが答える。
「今回、結晶部を弄らず最小限の改造でやるっていうからさ……。だからもとの結晶部を核にして周辺に増幅器と三次元展開器を組み込むんだって。ちょっと先端部分が重くなっちゃうけど、術の精度はかなり上がるはず――」
「プランチャぁ! 口の前に手を動かせぇ! 原始的な仕組みだが貴重な資料だぞ、ちゃんと構造を理解しておけよ!」
「お、おす!」
「それとローラン! グリモアを貸してくれ! 展開器の調整をしなくちゃなんねぇからなぁ!」
「は、はい……!」
そこからは、覇気に溢れる作業現場を、アルとローランは眺めていることしかできなかった。稼働している炉は容赦なく室温を上げ、作業をする1人の鍛冶工と鍛冶工見習いの顔からは汗が滴る。眺めていることが気まずくなってきたアルとローランは、部屋の奥にあったキッチンや井戸から水を汲んだり、四苦八苦しながらも簡単な軽食を作ったり……そうしている間に、陽は落ちて夜になっていた。
町の昇降機は安全のために夜は稼働しないことになっているため、二人は工房で泊まることになった。
一旦作業を休憩していたグィエルと一緒に小上がりに備え付けられたテーブルを囲みながら、ローランは新しい結晶杖の説明を受けていた。
「――だから、今度からは術式を触媒杖に読み込ませる必要はねぇ。代わりに展開器が記録している術式を選択しなきゃいけねぇけどな」
「なるほど、今では術式を空間に直接投写することが可能なんですね。そうか、術式の相対作用距離を三次元的に置き直す必要があるけど、たしかに内包する情報量は二次元の記述よりも多くできるし、なにより空間的な展開効率ははるかに上昇する……あぁなるほど、前に言ってた魔動機関はこういう仕組みで……」
説明を聞き終わり、ブツブツと思案の世界へ没入したローランを尻目に、奥の寝室から出てきたアルが声を掛ける。
「プランチャ、寝てしまいましたけどいいでんしょうか?」
「ん? まぁ、あとは仕上げにちょいと微調整する程度だしなぁ。今日はいろいろあっただろうし、そのまま寝かせてやってくれ」
「わかりました。……少し、外の空気を吸ってきます」
そう言って、欠伸をしながらアルは工房の外へ出る。これを見送ったグィエルはよしと片膝を叩いた後、右足を押さえながら立ち上がった。
思索に耽るローランは、ここでハッと立ち上がる。
「もう少し休んだほうが良いんじゃないんですか?」
「聞いてなかったのか? もう一踏ん張りなんだから、集中が途切れねぇうちにやっとかねぇといいもんにならねぇんだよ」
それに、とグィエルは作業台に目を向けて、ニヤリと口の端を持ち上げる。
「あんなものを見せられちゃあ、職人魂が燻っちまうってモンよ」
「あんなもの?」
「おめぇさんの、グリモアだよ」
結晶杖の隣に置かれたグリモアを手に取り、広げるグィエルの瞳は、爛々とした好奇心と、微かな畏敬にも似た感情が混ざっていた。
「俺ぁたしかに触媒杖の製作や整備はできるが、魔術がどういう構造をしていて、どういう仕組みで動いてんのかなんざさっぱりだ」乾いた太い指が、グリモアのページをなぞる。
「だが、すげぇ魔術ってのぁ術式の精巧さにも表れるってのはわかる。……この術式はな、ローラン。ワシがこれまで調整を任されたもののなかでも特に、どこまでも精緻に思えんだ。ちゃんと見たところでこれが記号の羅列だってことしかわかんねぇのによ……俺ぁ見たこともねぇが、宮廷画家なんかが描く芸術品ってのはこういうものなんじゃねぇのかって思うくらい、一切の無駄が感じられねぇ」
そう言いながら、グィエルはグリモアをローランに手渡す。
「そうじゃなかったら、あんな古い結晶杖で、魔術なんてまともに発動できるわけねぇ。おめぇさん、とんでもねぇ才能だぜ」
「あ、ありがとうございます。……そう言ってくれれば、先代たちも喜びますよ」
グリモアを受け取ったローランは、照れくさそうに愛想笑いしたあと……表紙を撫でながら視線を落とした。
「やっぱり、悪いことしちまったか?」
「ああいえ、違うんです」両手を振り回し、ローランはグィエルの言葉を否定する。
「あの結晶杖も、ずっとあのまま使い続けたわけじゃない。当代の死霊術士たちが、その時代に合わせて新しくしてきたものを、こんなに言われるくらいに停滞させてしまったのが、申し訳ないと思って……」
「なるほど、形見みてぇなもんなんだな」
グィエルは作業台に戻り、結晶杖を先端に取り付けた扇状の部品を指で摘まむように持ち上げる。それを機器に接続し、目盛りを確認しながら、
「いいじゃねぇか」と、笑い飛ばした。
「え……?」
「親から子へ、子から孫へ……受け継いで、続いて……そういうのがいてくれるだけよぉ。それが実の息子なら、ワシぁ感無量だね」
黙々と作業を続けながら、グィエルは続ける。ローランは思わず、プランチャのいる部屋を見つめていた。
「グィエルさん。あなたのお子さんは……」
「死んだよ、戦争でな。ワシが仕立てた鎧と剣を持って、兵士になって村やじーちゃんを守るんだって首都へ行ってそれっきり……。村が崩壊しても帰ってきやしねぇ……」
「……」
「とんだ親不孝者さ。それに比べりゃあ、おめぇさんはまだマシだよ、誇って良いくらいさ」
戒めるように、声を震わせながら、グィエルは義足の着いた足を叩く。
ローランは何も言えず、ただテーブルの上で手を組んで俯いた。
「最初は亜人の奴らを恨んださ。おめぇたちさえいなければ、息子が死ぬこともなかった。戦争さえなければ、ワシが人生を懸けて作り上げた技を教えてやれた……。奴らの憂さ晴らしで、なんで生まれ故郷が滅ぼされなきゃならねぇんだって、理不尽にだって思ってたさ」
「…………」
「でもなぁ、わかっちまったんだ……。憎む力は毒さ、ただ体を蝕んで、心を腐らせる……」
ローランは顔を上げ、グィエルを見やる。グリエルもまた天井を見上げていた。
郷愁のように、あるいは――、
「だからワシは――」
その時、低く鈍い音が工房に響き渡った。
「っ!」
「……!」
グィエルとローランは、反射的に音の方角を振り向く。
そこには棚から落ちて転がる木皿と……、
「プランチャ……」
今にも泣き出しそうに顔を歪めたプランチャが、柱に寄りかかるようにいた。
「じーちゃん、オ、オレ……」
息を浅く吐きながら、震える声を小さく上げて、プランチャはグィエルを見やる。
「待て、プランチャ……、落ち着け、何を勘違いしてやがる……?」
「ちが、オレ……、知らなくて……。でも、オレ、でも……!」
プランチャは目を伏せ、フルフルと頭を横に震わせ、体を竦ませる。その瞳には今にも溢れんばかりに涙が溜まり、ランプに照らされた角は黒光りする。
「プランチャッ!」
「……っ!」
グィエルの怒号で、何かが切れたように……、プランチャは扉を破らんばかりに開け放ち外へ出て行った。
「ま、待てプランチャ!」
「ローランっ!」
入れ替わりで、外からアルが飛び出す。アルは息を切らしながら、飛び出していったプランチャを気にかけ外を眺めている。その表情はやや紅潮しており、瞳も赤に染まっていた。
「いったいどうしたんですか!? さっきプランチャが……?」
「いや、ちょっといろいろあって……。アルも、血相変えてどうしたの……?」
それが、と言い淀みながらアルは、ローランとプランチャの走り去った方向を交互に見やりながら逡巡する。
「緊急事態です、ローランさん」
その迷いを断ち切るように、アルの後ろからもう一人の影が現れる。
栗毛に可憐な顔つきに柔和な表情……ネーロンであった。
その姿に、ローランは思わず言葉を失った。
「はっ……? あなたは……」
「時間がありませんので、簡潔に申し上げます」
口早にそう話すネーロンは、一度大きく深呼吸した後に、その大きな瞳でローランを真っ直ぐ見つめる。
混沌としたこの空間のなかで、彼女は唯一と言っていいほどに冷静さを保っていた。
「領主館が、燃えています。亜人たちの仕業です」
東の夜空は、夕焼けのように染まっていた。
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