遺志を継ぐⅥ


     ◆


 領主館及びセターニルの大通りの襲った火災から一晩明けた朝、町の通りには太陽が顔を覗かせたばかりにも関わらず、ガヤガヤと慌ただしい喧噪に包まれている。人々は崩れ落ちた瓦礫を集めたり、穴の空いた壁を粘土でなんとか補修しようと奮闘し、その様を兵士や女性たちが見回り、各々のできる手伝いをしていた。彼らは災害から避難したあと、夜明け前には町へ帰って復興の作業を始めていた。

 後にネーロンから町の人間たちが廃棄された洞窟を避難所として一晩を過ごしていたという話を、ローランは頬を引きつらせ青ざめた表情で聞いた。幸い避難に使った洞窟はローランが地上に大穴を開けた洞窟とは反対方向に掘られていたのもので、先に避難していた領主やその護衛を含め怪我人はいなかった。また宿屋で今回の騒ぎに巻き込まれたシッドは、未だ戻っていなったアルとローランを心配し、一晩中人気のなくなったセターニルを駆けずり回っていたのだと、ふて腐れた本人が嫌みがましく話していた。


「ネーロンお嬢様に協力してたんならそう言えってんだ、まったく……。どんな大捕物を演じたか知らねぇが、俺ぁぜってぇ許さねぇからな」

「どう伝えろっていうんですかあんな状況で。私たちの事情に関与する必要はないと言ったのに無駄な心配をしたのはあなたじゃないですか」

「ま、まぁまぁまぁアル……シッドさんだって俺たちのことを思ってくれたんだから、そんな邪険にしなくても……」


 シッドの愚痴に口早に反論するアルと、それをなんとか宥めようとするローラン。そしてプランチャの四人は、焼け落ちた領主館の門の前で、馬車に乗り込むネーロンの見送りをしていた。

 馬車はシッドの持つ二頭立てのそれであったが、後方に取り付けられた荷台は彼のものに比べ二回りほど大きく、木と金属でできた頑丈な直方体となっている。側面に窓はなく、正面に取り付けられた狼と獅子と鷹が三方向を向く家紋……ロシュー家の紋章と相まって、荘厳で威圧的な雰囲気を醸し出していた。それを背に、栗毛の少女は優雅に微笑む。


「この度は、事件の解決にご協力いただきありがとうございます。おかげで被害を最小限に抑えることができたと、領主から感謝の言葉をいただきました」


 ネーロンはそう言って、ローランとアルを見やる。


「あなた方が捕らえたこの四人のウォルフは、わたくしが責任を持って首都ゴルドバに護送します」

「ええ、よろしくお願いします」


 胸に手を当てて恭しく一礼したローランに対し、アルは無言のまま、憮然とした表情で荷台を眺めている。


「あの方々は」ネーロンもまた振り返り、アルに言う。

「我がロシューの家名に誓って、司教座と帝国議会の両方からなる公平な裁判を行うことを約束します」


 ですが。ネーロンは目を伏せる。


「彼らの犯した罪は決して軽いものではありません。幸いにも死者はいませんが、火事に逃げ遅れて怪我をした者も多くいると聞いております。相応の罰は、覚悟していただく必要はあるかと」

「わかっています。人間を傷つけたのですから、処罰は人間の法に委ねるべきです。ええ、わかっていますとも」


 わざとらしく声を上げながら、しかし地面に視線を下ろして、アルは言う。その様子にネーロンは寂しげに微笑んだ後、訝しげにネーロンとアルを交互に見ていたローランに向き直った。


「それと、ローランさん。あなたとアルさんには、ロシュー家から論功行賞をお渡ししたいと思いますので、首都へ到着したあかつきにはぜひ屋敷においでください」

「えっ……?」


 弾むような口調でなんとなしに言ったネーロンに、ローランは思わず声を上げる。


「何か、ご不満でしょうか?」

「ああいえ、別に……光栄ではあるんですけど……」


 眉尻を下げ、首を傾げたネーロンの問いに、ローランは手を振りながら否定する。しかしその煮え切らない態度に、ネーロンの首の角度はどんどん深くなっていく。


「なんと言いますか、どうして俺たちを評価していただけるのかわからなくて……。俺たちを釈放していただいた件もそうですし、何故一介の旅人でしかない俺たちにそこまで……?」


 当惑しながらも発せられたその問いに、


「はぁ」


 ネーロンは口をポカンと開けたまま、呆れた溜息をついた。思案するように目を逸らした後、彼女は黒い瞳を真っ直ぐとローランを見据えながら言い放った。


「わからないとお思いですか? カリグラ・ロシューの……義剣士カリグラの娘である、わたくしが」


 その言葉に、ローランはハッと目を見開いてネーロンを見つめた。


「義剣士って……、え、じゃあ、まさか……本当、に……?」

「本当に気付いていなかったのですね……」ネーロンは目を伏せて頭を振る。

「ええ、本当に。あなた方は父の聞いたとおりの出で立ちで……何一つ、お変わりない」


 再び開かれた瞳には、どこか哀れみを感じさせるように微かに揺れていた。


「わたくし、これでもあなた方を尊敬しているのですよ。亜人の未来を考える……そう、先輩のような方々だと。ですから本当は、こうしてお会いできることを光栄に思っています」


 その言葉にぎょっとさせたのは、横で話を聞いていたシッドであった。シッドはローランに顔を近づけて、耳打ちする。


「お前、いったい何したんだぁ……? お嬢様がここまで言うの初めて見たぞ?」

「シッドさん。首都の旅路まで、どうかお二方をよろしくお願いします。くれぐれも粗相のないように」


 ゆっくりと微笑むネーロンに、シッドは素早く背筋を伸ばして敬礼する。それに満足したようにうなずくと、御者席の隣に乗り込むんだ。


「アルさん」


 最後に、アルを見下ろしながら。


「昨夜お話ししたこと、忘れないでください。あなたにとってゴルドバは、もしかしたら地獄かもしれませんから」


 齢十四の少女が言い放ったそれは、まぎれもなく警告であった。


     ◆


 ネーロンの言葉の意図を捕捉するために、記録の時系列を遡って説明する。

 時間は昨夜。工房の寝室でプランチャが眠ったのを確認したアルは、欠伸をしながら工房から外へ出た。

 外はランタンの淡い光が暗がりの下層の中で蛍火のようにポツポツと点在していた。空を見上げてみると岩肌に遮られながらも隙間から覗く星空が、岩間に流れる小川のような風情をアルに与えていた。

 工房の前で空を泳ぐ川の眺めたあと、アルは顔を戻して辺りを散歩し始める。特に理由はないのだろうが、夜に闇が彼女の好奇心を揺さぶったのであろう。しばらく歩いていると、昇降機前の開けた場所に出る。昼下がりにと比べて通りには人はおらず、冷えた外気と相まって、寂れてしまったような雰囲気が彼女にわずかばかりの寂寥感をもたらす。

 端に置かれたベンチに目をやると、そこには一人の少女が座っていた。簡素なジャケットの上にポンチョを羽織り、顔の前に手を合わせて温めているようであった。


「あなたは……?」


 眉を顰めるアル。少女……ネーロンがアルの気付くと、彼女は花開いたような笑顔をアルに向け、短い栗毛の髪を揺らしながらこちらへ近づいてきた。


「こんばんはっ。こんなところで偶然ですね、アルさん」

「ええ……。そうですね、ネーロン伯子女」


 にこやかに話しかけるネーロンと相反して、アルは仏頂面で無感動に言葉を返す。並び立つと背丈の変わらない二人であるが、はっきりと対照的な二人はともすれば双子のようにも錯覚できる。


「何故、貴族のご息女がこんな僻地まで?」


 淡々と、アルはネーロンに尋ねると、ネーロンはそうなんですよと手を叩く。


「わたくし、町を散歩するのが大好きで……ついついこの下層まで足を伸ばして散策していたのですが……夕暮れにここへ来てみると、もう昇降機は動かないとのことで、ここで立ち往生してしまって……」


 事も無げに話すネーロンを、しかしアルは半目にした青の瞳を彼女へ向けた。


「もう少しまともな嘘を言ったらどうですか。貴族のあなたなら、帰ろうと思えば特例で昇降機を動かせることも可能でしょう」


 ネーロンの笑顔が、ピタリと凍り付く。しかしすぐにあははと愛想笑いを漏らした。


「すみません。冗談のつもりだったのですが、お気を悪くさせてしまいましたね」

「いいえ。身内にはもっと気遣いの下手くそな人間がいますから、お気になさらず」

「本当は、あなた方にお会いしたくてここへ来たんですよ。特に、あなたとお話がしたくて」


 真っ直ぐと、ネーロンはアルを見据える。アルはぎこちなく、飄々と肩を竦めた。


「お嬢様を楽しませる話題なんて、持ち合わせていませんが?」

「いえ、そちらもお気遣いなく。わたくしが、あなたにお話がしたかっただけですから」

「何を……?」

「ウォルフ……彼の予告状を記した、犯人についてです」


 アルの瞳が、ハッと見開かれる。横に引き結ばれたネーロンの口元が、緩やかに弧を描いた。


「ええ、やはりあの弔辞は、ウォルフのものでしたか」


 息を呑み、沈黙を貫くアルに、冷静にネーロンは言う。


「あなたのその仕草のおかげで、ようやく確信ができました。予告状を書いて不安を煽り、館内を動揺させた後でしばらく手は下さず……時間を置いて警備を解いたところを攻め込む、と」顎に手を当てて、うんうんと頷くネーロン。

「悠久の時の生きると謳われるウォルフらしい、とても我慢強い策ですね。彼らなら一ヶ月でも一年でも、機を窺っていることでしょう。もしかしたら、そのための潜伏の準備まで考えれば、もう何ヶ月も前から……」

「あなたは、何を知っているんですか……!」


 ネーロンの肩を掴んで、アルは問い詰める。ネーロンは思わず後ずさり、岩壁に背中を合わせた。


「『何を』……ですか」アルの放つ怒気にひるむことなく、冷静にネーロンはアルを見やった。

「あなた方の知らない二十年間を、ですよ。死霊術士ローラン、そして魔王の分け身たるあなたの」

「なんですって……?」

「魔王の死によって集結した亜人対人間の戦争……中立的な史実では『教圧解放戦争』、教団の教示では『亜人侵攻』と呼ばれている戦いから、二十年。その月日の中、未だに戦いを忘れられない者たちがいることを、あなた方は知らないでしょう?」

「それは……」


 アルは言い淀んで、ネーロンから手を離すと、その手に見つめた。


「すみません、あなた方を責めるつもりはありません。ですが、わたくしは知ってほしいのです。亜人の未来を真に考えたあなたたちに、帝国が抱える亜人の問題を」


 依然迷いなく、ネーロンはアルを見つめる。

 父親から譲り受けた深い黒色の瞳には、屹然とした信念が宿っていた。


「彼らは『王の葉』という組織を自称し、帝国各地で暗躍して事件を起こしています」

「王の……葉?」

「ウォルフには、そのような文化があるとお聞きしました。故人から成った結晶樹の葉には、その家系の安息を約束する護符になるとか」

「彼らの目的は? 一体何故、今になって……」

「目的は各地の亜人たちによってまちまちですが、共通していることが一つ」


 アルの前で、人差し指を立てる。

 そしてそのまま 静かに、重く、固く、ネーロンは言った。


「彼らは魔王が復活し、自分たちを解放するのだと、口々に謳っております」


 眉を顰めたままのアルは、やがてそうかと得心がいったように目を開き、しかしすぐさま顔をしかめた。

 

「森に聖騎士団が来たのは、そういう意図があって……」

「帝国内でも、この王の葉に対する態度を決めかねています。即時排除を目論む教団側と、あくまで帝国法の下での裁きを徹底し、亜人との関係を保ちたい帝国議会……」


 そして、とネーロンは自分の胸に手を当てる。

 怪訝そうなアルの前で、ネーロンは柔らかく微笑んだ。


「『亜人のことが大好きだから、彼らの言い分も理解できる』、わたくしロシュー派閥です」

「はぁっ?」


 アルは、張っていた肩を、詰まった息を吐き出しながら脱力する。顔を上げて何かを言おうとする前に、神妙な表情でネーロンは手で制した。


「わたくしは真面目です。あの首都の体制で、亜人たちが不満の声を上げるのも無理はありません。だからこそ、あなたやローランには、これから起こることを、目を背けず見届けて欲しいのです」


 トーンを落とした真剣な口調で話すネーロンに、アルは一時閉口する。しばらくそのまま目を伏せた後に、アルは尋ねた。


「いったい、何が起こると言うんですか?」


 その質問に、ネーロンは目を閉じて首を横に振る。


「彼らのしていることは、広義で言えば示威行動、とでもいえばいいのでしょうか」


 その表情には翳りを残していた。


「彼らは各地で自らの存在を喧伝しながら、しかし実体を隠匿して秘密裏に工作を行っています。『王の葉』という名前と恐怖……それらが持つメッセージを、人々の心に植え付けられるように」


 訝るアルがもう一度問い詰めようと口を開いた時、上層から悲鳴と共に上がる。


「帝国の有識者たちは、それを『テロ』と名付けました。彼らは今、恐怖を振りまいているのです」


 東の空には、オレンジの光が照らしているのを、アルたちは見た。


     ◆


 宿屋でもう一日だけ休むと告げたシッドと一旦別れ、アルとローランとプランチャは下層を訪れた。被害が全くなかったと言っていい下層は、昨日と変わらず岩壁の影に隠れながらの快活な雰囲気があった。

 しかしその中で、プランチャだけは昨日と違いローランの後ろに隠れながら通りを歩いている。アルたちと洞窟で休憩していた時では元気が残っていた彼であったが、下層に近づくにつれてそわそわと尻尾に振る動作が目立つようになっていった。

 ローランはローブを引っ張られながら、足をもたつかせたまま通りを歩く。時折プランチャの強ばった顔を気にしながら、隣で沈んだ表情のアルに話しかけた。


「下層は無事みたいで良かったね、アル」

「そうですね」

「あー、っと。知ってるかい、アル? 上層のみんなが、昨日すごい魔術士を見たって。なんでも火事の起こった家を一面オレンジ畑にしちゃうってさ、知らない?」

「そうですね」

「い、いやぁ、一時はどうなるかと思ったけど、被害は最小限で済んで本当に良かったと思うよ、うん。これもアルが上層で兵士たちを助けてくれたおかげ――」

「ローラン」

「なんだいアル?」

「私は大丈夫ですから、話題がないなら無理に話しかけないでください」


 遠くに視線を伸ばしながらバッサリと切り捨てられたローランは、その後はうなだれたままとローブを引かれ続けていた。

 工房まで着くと、そこにはグィエルの姿があった。炉の燃料になる石炭を詰めた箱を、両手で抱えているのを見たプランチャの尻尾がピンと跳ね上がった。


「じーちゃん! またそんな無理して……!」


 半ば反射的に飛び出したプランチャであるが、グィエルがこちらをギラリと見やると、金縛りにあったように体を膠着させる。そのままグィエルは無言のまま箱を置いてプランチャと向き直る。緊張と罪悪感で瞳を揺らすプランチャ、そして感情の読めない仏頂面のグィエルが向き合うその様を、アルとローランは遠巻きに見守っていた。


「あ、あの……じー、ちゃん」


 おずおずと、先に口火を切ったのはプランチャだった。


「その、えっと……。ご、ごめんなさい! じーちゃんにまた、迷惑かけて……ほんとうに……」


 上半身を丸めて、プランチャは深く頭を下げる。目の前のグィエルは鼻から息を吐きながら、口を固く結んでプランチャの姿をしっかりと捉えていた。


「怪我、してねぇか」


 ぽつりと、グィエルは呟く。しばらくこのまま、両者に沈黙が続いた後、


「顔を上げろ」


 顎を持ち上げながら、静かにグィエルは言う。プランチャはおどおどしながら、ゆっくりと頭を上げて、グィエルの顔色を伺おうとする。

 瞬間、グィエルの大きな拳が、プランチャの脳天に突き刺さった。


「んぅっ!」


 顎を閉じながら、籠もったうめき声を上げたプランチャは、その場で座り込んで頭を押さえる。グィエルはそんなプランチャを相も変わらずなしかめっ面で睨みながら、振り下ろした拳を横に振る。

 その光景に眉を顰めながら前に出ようとしたアルを、ローランは首を横に振って制する。

 落石から頭部を守るために発達したドリドの結晶角を本気で殴ったグィエルの拳には、血が滲んでいた。


「このっ、馬鹿野郎が……」


 呆れたようにグィエルはそう言って、プランチャの襟首を掴んで立ち上がらせる。わっと声を上げながら立ち上がったプランチャは、涙目ながらにグィエルを見た。


「勘違いするじゃねぇ。この町でいったい、どこのどいつが、おめぇのことを恨むってぇんだ、えぇ?」

「じーちゃん……でも……」

「でもじゃあねぇ! よく聞けぇ、プランチャぁ!」グィエルの怒号が、通りに響き渡る。真正面で受けたプランチャの体はビリビリと震えていた。


「今だろうと昔だろうと……、ワシの弟子はおめぇしかいねぇ」


 プランチャの目が、見開かれる。


「他の誰でもねぇ……、鍛冶工グィエルの一番弟子を名乗れるのは、今、ここにいるおめぇだけなんだよ、ドリドのプランチャ」


 グィエルの真っ直ぐな瞳が、揺れるプランチャの瞳に結ばれる。

 プランチャの頬に、涙が降りしきった。


「いいの? じーちゃん? オレ、オレ……」

「何度も言わすんじゃあねぇ、この馬鹿弟子が」グィエルは、泣きじゃくるプランチャの頭を乱暴に掻き乱すと、力強い笑みを浮かべた。

「さっさと準備しな。ワシだっていつまでも現役じゃあねぇんだ! サボってる暇はねぇぞ!」


 しゃくり上げながら、それでもグシグシと顔をこすって、不器用ながらにプランチャは涙を拭う。

 大きく深呼吸した後のプランチャは、満面の笑みをグィエルに向けた。


「うん! お願いします、じーちゃん!」

「師匠と呼べと言ってるだろうがぁ!」

「は、はい! すみません師匠!」


 騒がしく工房の中へ入っていく二人を、アルとローランは見つめる。


「良かったね。仲直りしてくれて」

「ええ、そうですね」


 二人の表情は、隙間の陽光に溶けたように緩んでいた。


「俺も正直、自信がない」


 ふいに、ローランは言う。怪訝そうにアルはローランを見やるのを気にせず、ローランは続ける。


「亜人のないがしろにする人間がいて、人間への怒りを燃やし続ける亜人もいて……。その中で、ロードレクの遺志を、正しく理解できる人間や亜人がどれだけいるのか……、俺には答えることはできない」

「ローラン……」

「でも……そんな中でも、ああして二つの種族がわかり合える瞬間が、きっとある……。こんなの、帝国全体で見たらほんの些細なことかもしれないけど、魔王ロードレクの見たかった奇跡が、確かにここにあるんだ」


 だからさ、とローランはアルの小さな肩に、軽く手を置いた。


「俺は、この奇跡を信じたい。綺麗事、かもしれないけど――」

「――私の父は、そんな綺麗事が好きだった」


 アルは頬をわずかに揺るませて、目を伏せる。

 隙間から零れる瞳には、影に隠れる下層の中で、星の光を灯していた。


「なら、もう迷いません。――たとえ地獄でも、こんな些細な奇跡くらいあるはずですから」

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