記録3:過去と出会う

観測外領域(1):イリーガル


     ◆


 この世界を観測する人間らに、この光景は見えているのだろうか。

 わからない。何故ならボクは、この世界の均衡を保つためにボクの側から彼らにアプローチをかける手段を持たされていないから。ただ彼らの記録の焦点になるのは、ボクや『アレ』の行動記録……すなわち思考の果てに出力される最終的なアクションであるからして、過程は考察こそされ観測の範囲外となると推察できる。

 彼らはボクらの心に特別興味はないし、覗き見る手段もない。勝手に仮定するのがせいぜいで、彼らから生まれたボクらの心は、彼らのものであってボクらのものではない。

 だからこの夢が過去を写したとしても、それは彼らの観測の外の出来事だ。


 思い返してみれば、あそこはまるで嵐の只中だった。

 

 外見からは想像もつかないような大きさの広間を舞台に、荒れ狂う魔力の奔流によって生み出された黒々な衝撃が駆け巡る。衝撃はその一つ一つが鋼鉄をえぐり取るほどの凶暴性と攻撃性を持ち合わせ、その軌道は荒れ狂うかのように見えて、強かにボクたちの命を刈り取ろうとこちらへ襲いかかってくる。ボクと私の仲間たちはそれをなんとか回避する。この最終決戦において、私たちが見据えるべき目の前の怪物へと戦意を込めて、各々が前を見やる。


 魔王ロードレク。亜人解放軍の指導者にして、この次元の人間たちが『神』と呼び習わすものの敵。

 元はウォルフだった彼の肉体は、彼の願いへの執着と、彼の持つ千変万化の魔力によって変質を重ね、その体躯は人が四人重なってもなお足りず、四肢は毛深く爪や棘を生やし、肩からは節足を思わせる副腕を背負い……おおよそ人型と呼べるものを捨て去っている。

 目の前で黒嵐を生み出しボクたちを殺そうとするのは、際限のない彼の想像力が、ついには自らを規定することをやめてしまったが故に生まれた、正真正銘の人外であった。


 ボクと同じ。


 感触を再確認するように、手にした剣の柄を握り込みながら、ボクは足下を掬おうとする黒爪を跳躍で躱し、そのまま嵐の中心地へ……魔王の元へと飛び込む。頭1つ抜けた私の前線を、死霊術士のローランが魔力光で作った幻影が彩る。私の姿を模したウィプスたちによって黒爪は分散し、わずかにこちらへと向かうそれをいなしてロードレクへの道を開く。

 魔王が左手を上げると、床が盛り上がり岩石の槍を作り出して空中へと躍り出た私を貫こうとする。私がそれを迎撃せず、真っ直ぐロードレクを見据える。

 そんな岩槍は私に届くことなくバラバラと細切れになり、雨滴のように床を叩く。ボクの背後では、片刃の剣を振り抜き残心を残そうとするカリグラの姿はあっただろう。

 異形の魔王の姿が、眼前に広がる。ボクは剣に念じると、柄から飛び出した探針が拳を貫き、ボクの発するプログラムを読み取る。すると剣はぐにゃりと形状を軟化させて変形し、光り輝く突撃槍の形を取る。

 感覚器官の受容フレームを限界まで上げた世界で、ロードレクの顔に、ゆっくりと緊張が走るのが見て取れた。

 見開かれた虹の瞳は、翡翠の輝きを宿してボクの姿を映し出す。

 そこには、たてがみのように躍動する黄金の髪にとは裏腹に……、ただただ機械的に、無表情に任務をこなそうとする人外があった。


 光槍が、異形の胸へと飛び込む。切っ先が、刃が、肉を潜る感触を両腕で受け止める。

 広間に、慟哭じみた断末魔が響き渡り壁を揺らす。血の泡を吐きながら胸をかきむしり、ロードレクはもがく。


「約束だ、お前の死は無駄にしない」


 槍を引き抜き、数歩下がって魔王にそう言い放つ。


「お前が守ろうとしたものを、ボクはお前に代わって守ろう。……だが、お前が生きることは許されない」


 そう、この時、ボクは約束した。亜人と人と、その古くからの歴史を知りながら、お前を切り捨てることで歩んでいくことを、この剣と血の交わりによって誓ったのだ。

 なぜなら、ボクは『勇者』で、彼は『魔王』なのだから。

 ロードレクは床におびただしい量の血を零しながら、こちらを上目で睨み付ける。


 しかしその瞳には、安堵に似た何かを、ボクは感じ取った。

 いや、今にして思えばそれは私自身の傲慢な願いなのかもしれない。亜人たちの自由のために戦った彼の中では、私への敗北は絶望そのものだ。それをたった一つの口約束で、簡単に変わるはずがない。

 だが、しかし、それでも。ボクには彼の異形の口が、端から持ち上がったように見えたのだ。


 それがボクへの呪いになろうとは、知りもせずに。


「私を踏み越えていくか、愚かな勇者よ」


 異形が、天を仰ぐ。


「見ているぞ、円環の外れの、地獄でな」


 異形の四本の腕が、胸の前で交差する。

 そしてそのまま……天に祈りを捧げたまま、異形は仰向けに倒れ込み、動かなくなった。

 終わった。ボクの役目は、これで終わったのだ。そんな開放的な感情とは裏腹に疑念ではれないこの胸中を、どうしたものかと呆然としていたボクに、仲間たちが駆け寄ってくる。

 アリア。カリグラ。プルト。ローラン。ネヒン。この旅の協力者たち。みなこの星に住む原生種であるものの、防衛機構であるボクにも引けを取らないほどの特殊な才覚によって、ボクを援助してくれた者たち。

 そんな者たちに囲まれて反射的に笑みが零し、事切れた魔王へと歩み寄ろうとする。


「……待って」


 仲間の一人が、ボクを制した。足を止めて振り向くと、ローランが怪訝そうな表情で遺体を睨んでいる。


「魔力光が拡散しない。まだ彼の中に、魔力が残留している」

「それって……」

「生きてる、かもしれない」


 この一言に、仲間全員の空気が張り詰める。方々に武器を構え直し、今までの緩んだ雰囲気を吹き飛ばすように息を吐いていた。

 ふと、ボウ、と光が点った。

 光は、ロードレクの遺体の一部分を照らし、淡く怪しく揺れている。

 凝視するとその光は、遺体を腹部を泳いでいるようだった。

 そして……、


「中で……何かが、いる?」


 誰に聞かせるでもない呟きが、静寂に溶けていった。

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