ゴルドバ来訪


     ◆


 ガヤガヤとした雑多な喧噪が、アルの目を覚まさせた。狼の耳を模した装飾の施されたジャケットにショートパンツ……クリスタロボ大森林に住むウォルフたちの儀礼服を、外出用に調整したものに身を包んだ彼女は、フードの隙間からこぼれ落ちる銀髪の一房を揺らしながら、胡乱な表情で半目を開く。


「大丈夫かい、アル? 少しうなされていたみたいだけど」


 アルの目の前で、眉尻を下げて彼女の顔を間近でのぞき込むローラン。アルは自身の心配をする彼の顔を、小さな口を開いて漠然と見つめていると、次の瞬間にはハッと目を見開いて突き飛ばした。


「ちょっ……、あだっ!?」


 完全に不意を突かれた男は後方へとよろめき、積載されていた結晶薪が入った木箱に頭をぶつけて悶絶する。その間にアルはジャケットの布を胸の前にかき集めるようにしてその小さな体を抱いていた。

 その瞳には、起き抜けの藍色と打って変わって、火花のように白んだ赤色を灯している。


「な、ななっ……いきなりなんですかローランっ!? びっくりするじゃないですかっ!?」

「それは全部こっちの台詞だって、アル……」


 いてて……、と呟いて、ローランは後頭部をさする。人の良さそうな温和な表情が、今は若干の涙目になっていた。


「変にうなされてるなと思って心配していたら、まったく……。まぁ、元気そうならいいけどさぁ……」

「……うなされてる? 私が?」

「そうだよ」ローランは頷いて、木箱に腰を落ち着かせる。

「何か悪い夢でも見ていたのかい?」


 その問いに、アルは顎を引いて思案している。顔のすぐ傍の小窓からは、真昼の陽光が二人の空間を照らしている。

 アルたちがいるのは、二頭立て馬車に牽引された荷台の中だった。木製の側壁と梁の上に幌をかぶせたもので、梁には小さなランタンが小さく揺れている。ローランが後頭部を打ち付けた木箱は、それ以外にも積み込まれており、アルはその一つに座ったままうたた寝をしていた。


「……いえ、思い出せませんね」しばらく考え込んでいたアルは、そう言って首を横に振る。

「ですが、悪い夢かと言われたら……どうにも奇妙な感じです」

「どういうことだい?」

「なんて、言いますか……ありもしない記憶を、掘り返したような、実感がない、けど、どこか、確信めいて、いるような……、それでも、どこか他人事のような……」


 アルは視線を左右へ彷徨わせながら、自身の感覚を掴むようにポツポツと続けた。


「ただ……、そんな私は夢の中で、勇者を見た気がします。見たことないはずの、勇者・フレイの姿を……それも、父が晩年を過ごしたとされる、クリスタロボの城砦で」

「……なるほど、興味深いね」


 頬杖を突いた手で口元を押さえ、ローランは視線を落とす。


「興味深い、とは?」

「本来、生命の環を巡った聖質というのは、血縁関係には左右されないという説があるんだけど」ローランはアルに視線を戻して、そう解説を始めた。

「魔王の記憶が、君の中に流れているのだとして……、もしそれが本当なら、その説への反証になりそうだね」

「それは魔王の……父の記憶が、私に受け継がれているということなんですか?」

「そこまではわからないよ。もしかしたら他の人たちの喧伝から、君がイメージする魔王や勇者の姿を、夢に見ただけかもしれないしね」


 ローランは肩を竦めて苦笑すると、アルは煮え切らない表情でローランを睨む。その時、御者側から幌越しにくぐもった声がアルたちに届いた。


「意外だなぁ、ローラン。お前が生命の環なんて話を持ち出すなんて……、俺ぁ魔術士ってのはエル教の教えなんて信じてないもんだと思っていたんだが」


 このエル・バース大陸において、死んだ人間の魂は魔力光となって周囲に拡散する。魔力光は大気中ではそれを維持することはできず、やがて純粋なエネルギーである魔素と、物質を構成する上方である聖質に別れる。魔素は空気中を漂うとされているが、一方で情報である聖質は虹の扉を通って生命の環へと導かれる。生命の環を一巡した聖質は、内包する情報の一つ一つを無銘の神によって分類され、再び現世へと放たれる。

 これがエル教団の経典にある死生観……『生命の環』についての記述であった。


「……シッドさん。それはちょっと、難しい問題なんですよね」


 エル教という言葉に目を細めたアルに対して、慎重に言葉を選びながら、ローランはシッドと呼ばれた御者に対してそう答えた。


「どういうこった?」

「例えば、この世界は魔力によって構成されています。そして魔力を構成しているのは魔素と聖質であると……。ならば、この魔素と聖質は、一体どのようにして生まれたのか……この世界にあまねく事象の根源とはいったいなんなのか……」ここで一旦区切り、一呼吸置いてローランは続ける。

「これは『神に銘を与えよ』という魔術士の命題の一つなんですが、これに答えを出せた魔術士はいません。……もしいるなら、エル教の地位は存続できないでしょうから、恐らく今も」

「そりゃあ、神様の正体を曝こうとするのは、エル教でも重罪だからな。神曝罪しんばくざいっつったかな」

「ですが事実として、魔術士であっても解明できない神秘というのは、今現在でもたしかに存在しているんです。先ほどの生命の環なんかは、エル教の説法でしか表現できない概念なので、論文にも使用する魔術士は多いんですよ」


 ローランの話を聞いたシッドは「はぁーなるほどなぁ」と感心した様子を見せた。


「人にも寄りますけど、魔術士自体はエル教に対立するものじゃないと、俺は思ってますよ。ただ神の証明ができない以上、魔術を扱う上ではいないものとして扱うしかないんです」

「でも実際、魔術士が唱える世界の法則と、エル教が教える世界の法則と、一致しねぇときがあるじゃねぇか。その時はどうするんだ?」

「これはこれ、それはそれ、ですよ。魔術士だって、エル教を否定したくて研究をしてるわけじゃないんですから」

「教団は、そう思っていませんよ」


 ローランを睨めつけながら、そう口を挟んだのはアルであった。


「あなた、自分たちの一族の研究がエル教に否定されたせいで世俗を追われたこと、忘れているんじゃないんですか?」


 冷ややかな薄氷の瞳を受けて、ローランはあははと苦笑すると、アルはさらに眉を顰める。


「それも、『これはこれ、それはそれ』だよ」

「……納得できませんね」


 そうアルは突っぱねて、小窓を見やる。外は依然として賑わった様子を見せていた。


「そういえば、もう首都には着いたんですか? なにやら騒がしいようで、す、が……?」


 小窓から見える景色に、アルは首を傾げる。そのままフードを被り直すと、呼び止めようとするローランを無視して馬車の後方から降り、馬の鼻先が差す方角を見た。

 アルたちがいるのは草原地帯に伸びた、荷馬車が横に三台並んでも問題ないほどの広さを誇る街道であった。浅く掘られた道に敷石が丁寧に詰められており、陽光を受けた瑞々しい草木の原に、石畳の線を描いている。街道の先には、巨大な城壁が聳え立ち、遠く離れたアルを睥睨している。しかし、アルが唖然とした光景は、そこではなかった。

 アルの視界には、灰線の縁をなぞるように、荷馬車の列が長蛇を作っていた。行列は城壁の麓まで伸びているようだった。


「……なんですか、これ」


 牛歩の馬車に歩調を合わせて、アルは御者席に座るシッドに尋ねる。シッドは逞しく鍛えられ、日焼けした両腕を頭に回した。


「この時期になるとな、こうやって地方の商人たちが市のためにみんな首都に向かうんだ。ほら、あれ見てみろよ」


 シッドが指さした方角では、アルと同じように自分たちの荷馬車を降りて併行しながら、他の商人と歓談する者たちの姿があった。中には自分たちの毛織物や酒などを見せ合って、なにやら交渉している様子まである。アルを追いかけて同じく外へ出たローランもまた、この光景にはあらゆる意味で息を呑んでいた。


「すごい。首都に来るのもかなり久しぶりだったけど、今はこんなに大きくなってるんだねぇ」

「お前ら、本当になんも知らねぇんだなぁ……」城壁に目をやり感嘆するローランに、シッドは感慨深いような声音で呆れる。

「その様子じゃあ、数日後にやる生誕祭のことも知らねぇな?」

「生誕祭? 皇帝のですか?」


 キョトンとした面持ちで返したアルに、シッドがやれやれと首を振る。


「勇者だよ。勇者……フレイ・エル・ヴァレンティーアのな。巷じゃあ皇帝の生誕祭と合わせて、『アンダリュスの二大生誕祭』なんて言われてる超名物なんだぜ?」


 目を見開いて驚愕するアルとローランに「いや本当に知らねぇのかよ……」とシッドはもはや恐々とした様子で二人を見やっていた。


「まぁそんなわけだからよ、首都はもう見ての通り目の鼻の先なわけだが、着くのは夕方になりそうだ」

「そうですか……」

「お前らとの旅も、そこまでだな。最初はどうなるかと思ったが、なんとかなって良かったぜ」


 感慨深そうに、シッドは遠くの城壁を眺める。

 すると、前方を進む荷馬車の列のどよめきが、色を変え始めていた。

 先ほどまでは首都への期待や好奇心、祭りへの高揚感などで高まっていた雰囲気が、当惑によって濁っていくようであった。アルとローランは怪訝そうな顔を見合わせ、こちら伝播していく動揺を待っていた。

 シッドは前に歩く商人の一人に呼びかけ、事情を聞き出そうとした。


「一体何があったんだ?」

「よくわかんねぇが……、聖騎士団の連中が、城門前の関所で検問やっているらしい」


 二人の間に、緊張が走る。そんな二人に怪訝そうな表情を浮かべながら、シッドは商人に向かって話していた。


「はぁ? 半年前の皇帝生誕祭の時にはなかったのになんで……?」

「ほら最近、首都も物騒になってるって話だろう? だから生誕祭や準備期間で短期滞在する商人や護衛にも、臨時の等級民制を設けるんだって教団から議会に申請したんだと」

「まさかその審査を関所でやってんのか!? どうりで今回は列がなげぇわけだな」

「あんた、気をつけろよ? 三等級民以下が一人でもいたら、生誕祭中は入京できないらしいからな」


 最後にそう言って馬車へ戻った商人を尻目に、シッドは頭を抱えた。


「……等級民制とは、なんでしょうか?」


 隣で神妙な面持ちをしたアルは問う。その菫色の瞳には不穏さが宿っていた。


「……首都には一定の基準で市民を区分してんだよ。王宮勤めの芸術家や商人・医者なんかは一級、軍属や学校の生徒は二級って具合にな。本来は首都に定住してる市民にしか当てはまんないから気にしてなかったんだが……」


 チラリと、シッドは横目にアルとローランを見た。


「さっき、審査って言ってましたけど、俺たちみたいな護衛は入れないんですか?」

「いや、実は結構簡単な方法で二等級民にはなれるんだが……」


 そう言いながらも、シッドは気まずそうに二人を交互に見やっていると、アルの片眉が跳ねた。


「なんです。言いたいことがあるならはっきり言ってください」


 苛立った口調のアルに観念したのか、重く溜息を吐いたシッドは言った。


「……エル教団の信徒であることだ。お前ら、魔術士だろ?」


 二人は、信じられないといった顔で、シッドを見ていた。


「嘘でしょ……?」

「今から私たちに、無銘の神の信者になれと……?」


 ローランは困惑し、アルにいたっては拳を振るわせて怒りを露わにしていた。


「そうだ。ローラン、あなたがウィスプを放って、先行して関所の騎士たちの視界を奪ってくるんです。今ならまだ間に合いますよ」


 苦しげなアルは提案する。しかし、ローランのもまた渋い表情で「無理だよ」と否定した。


「聖騎士たちに施される聖痕には魔術への耐性がある。侵入させたウィスプが上手く機能する保証はないし、ぶっつけ本番でやるのはとてもじゃないけど危険だ。それに人間が俺しかない状況ならともかく、ここで聖騎士たちの視界を奪えば、間違いなく混乱する。俺以外にも、商人たちが視界から消えてしまうからね」

「ですが……!」

「事を大きくすることはできない。君のためでもあるんだよ、アル……」


 歯噛みしながら答えるローランを睨み付けつつも、アルはこれ以上何も言えずに腹立たしげに顔を逸らした。

 そんな状況を横で眺めていたシッドは、


「……しょうがねぇな」


 と、ひとりごちる。二人は、怪訝そうに眉を寄せた。


     ◆


 城壁の周りには堀とそれを対岸へ渡すための跳ね橋があった。今は跳ね橋は下げられ、城門も開かれているが、その手前には、鉄製の支柱になめし革を縛り付けて天井を作った簡易的な関所が設えていた。簡易的といっても、そこは何十人という聖騎士たちを収容するために広く作られているため、その規模はかなり大きい。

 革の天井がもたらす日陰の元で、腰に虹と翼の紋章を着けた聖騎士団が、荷馬車の列を捌いていた。

 彼らの仕事は至って単純で、まず商人であるなら交易許可証の提示を求める。首都を拠点とする商会は、支援者となる帝国貴族から必ず許可証が発行されるため大体の人間たちはものの数秒で関所を通過できる。聖騎士たちにとって問題なのは首都の外から商いに来た者たち……地方の商人や、首都の商人らを含めた者たちが雇っている護衛たちであった。地方商人は言わずもがなであるが、護衛たちも首都に籍を置かない傭兵らである可能性があり、それら全員には一度等級民制度の審査を行わなければならない。

 本来は教団や議会へ提出する書類を書いて貰う必要があるのだが、この長蛇の列を前にして現場の聖騎士たちも悠長にはしていられず、上申の結果簡単な質疑応答によって審査を行うことになったのが三日前である。

 アルたちを乗せた二頭立て馬車は、関所の前で一度立ち止まる。シッドは御者席から交易許可証を取り出して、聖騎士に渡す。受け取った聖騎士はそこにかかれた貴族のサインに一度顔を歪ませるものの、それが偽造でないことを確認してシッドへ返した。


「では、入京の前に荷物を確認させていただきます」


 その言葉に、シッドは露骨に嫌悪感を表した。


「おいおい、信用されてねぇってか!? こちとら伯爵様の認可を受けて仕事してるってぇのによぉ」

「申し訳ありませんが、規則ですので」


 機械的に淡々と返された答えに、またも露骨に舌打ちをするシッド。

 聖騎士たちが馬車の後方から幌を開くと、そこにはアルとローランが木箱の上で休憩していた。アルは奥歯を噛み、なんとか無表情を保ちながら聖騎士を見つめる。

 森で出会った聖騎士たちとは違い、首都の聖騎士たちは金属の鎧を纏っていた。エル教団の聖騎士は、教義に倣って口元をスカーフで隠しているものや、フルフェイスのヘルメットを被っているものもいた。


「……あなた方は?」

「ああ、失礼。俺たちは、この荷馬車の護衛を担当している傭兵です」


 スカーフ越しに聖騎士は二人に問い掛けると、ローランは立ち上がって聖騎士の前に立つ。


「たいへん恐縮ですが、首都民でない方はこちらで我々の質問に答えていただきます」

「……だってさ」


 ローランはアルを促すと、アルは押し黙ったまま荷馬車を出て関所の前に立つ。テーブルに座った聖騎士は、慣れない手つきで羽根ペンと紙を用意すると二人に対して質問をする。


「名前は?」

「ローラン。こちらはアル」

「首都へ滞在する予定は?」

「あります」

「滞在の目的は?」

「生誕祭を見に来たんですよ、せっかくですから」

「傭兵とのことですが、現在の住所は?」

「あーっと……」

「セターニル下層の食堂で下宿しています。主人の名前はコラソン」

「そう、それ」


 短く淡々と続けられる質問に、アルが時々助け船を出しつつローランは答える。

 そして、


「では最後に……あなた方は、エル教団の信徒でしょうか?」


 どこか予感めいた声音で、聖騎士は尋ねる。視線の先にはローランの結晶杖に留まっていた。


「……いいえ、残念ながら」

「右に同じく」


 その答えを聞いて、やはりかと言わんばかりに聖騎士は溜息を吐いた。


「審査の結果、あなた方は首都内で三等級相当の市民権があると判断します。しかし現在、首都で頻発する犯罪抑止のため、三等級民以下の入京は認められていません。申し訳ありませんが、ここからはそちらの商人のみ通行を許可させていただきます」


 聖騎士のその言葉は、どこまでも事務的であった。ローランは「そうですか……」と呟きながら、アルのフードの裾を摘まんでそっと被らせる。こめかみに浮かびかけた青筋が、影に隠れた。

 そこに、シッドは声を上げた。


「おい、ふざけんじゃねぇぞ。この人らを置いてけってか、ああ?」


 御者席を降りたシッドが顎を持ち上げ聖騎士に詰め寄る。煩わしそうに、聖騎士は眉間に皺を寄せた。


「ええ、その通りです」

「てめぇら、この方たちが誰だがわかって言ってんのか!?」


 声を荒げたシッドに、関所の聖騎士たちの視線が注目する。アルは反射的に右腕を上げようとするが、ローランの左手に制された。


「このお方は、ロシュー伯爵様の大事なお客人なんだよ! 俺ぁこの人たちをネーロン伯子女様へ送り届けるために首都まで来たっていうのに、それを置いてくことなんざできるわけねだろうが!」

「……」


 冷ややかな視線を送る聖騎士に対しシッドは「なんだその顔は?」と喧嘩腰で立ち向かう。


「疑ってんなら今すぐロシュー伯に連絡を取ってみろよ! 伯爵のご友人であるローラン・エル・ネクロマンテがお見えになってるってなぁ!」


 下手すれば横暴ともとれるほど凜然としたシッドの口調に、関所内がざわつき始める。


「確認といっても……」

「できるわけないだろ、こんな忙しいときに……」

「いいから追い出してしまえ、どうせハッタリに決まっている……」

「馬鹿、もし本当だったらどうするつもりだよ」


 賛否両論の関所内に、しかしその横では荷馬車の行列が待ち構えている。

 そんな行列に、シッドは体を向けて両腕を広げた。


「先日セターニルで起きた領主館の火事を知ってるか? 延焼した町から人々を救い出し、犯人逮捕に貢献したのも彼! 燃えさかる火の手を、あっという間にオレンジ畑へと変えたバレシアの魔術士……それこそがこのお方さ!」


 身振り手振りを交えながら、最後にシッドは手先にローランを指し示す。


「……手を出してください、ローラン」

「は?」

「いいから早くっ」


 アルの言われるがまま、空いた左手に虚空へと差し出すローラン。するとローブの裾から樹木が伸び始め、彼の手元にオレンジが実り始める。一瞬ぎょっとした表情をするローランであったが、アルに脇腹を肘で殴られると、深呼吸の後に引きつった笑顔で胸を張った。

 列待ちの商人たちは歓声が上がり、聖騎士たちは目を剥いた。


「町を救った英雄に対し、ネーロン伯子女は彼を称えて論功行賞を与えようとこの首都へと招待した! それを! この教団の騎士たちは! 犯罪の温床となると断じて排斥しようとしている! こんなことが許されるかぁ!?」


 シッドが大声で呼びかける。関所の聖騎士に、ではなく、商人に対して。シッドの熱量に乗せられ、声高にローランを称え騎士たちを批判する商人に対して「静かにしろっ!!」と聖騎士の一人が怒号を飛ばす。そのままにテーブルを飛び越した聖騎士は、シッドの胸ぐらに掴みかかって、勢いのままに彼を荷馬車の木壁に叩きつける。


「いい加減にしろ! どんな理由があれ、三等級民を首都に入れるわけにはいかない! ましてや魔境伯の客人だと……? ふざけるんじゃない!」


 ローランは息を呑み、結晶杖を強く握りしめる。その左手は、腰に吊されたグリモアに伸びていた。

 荷馬車に背中を打ち付けられながらも、シッドは怯むことなく聖騎士と視線を交わらせた。


「いいか? 俺はどうなっても構わねぇが……、てめぇらが学のねぇ馬鹿の集まりだとしても、貴族のご友人に礼節を欠いた責任……てめぇらに払えんのかよ?」


 シッドへの暴行に、一瞬はたじろいだ商人たちではあったものの、あくまでその姿勢を崩さないシッドに再び熱狂する。


「勇者さまの腰巾着が調子乗ってんじゃねーぞぉ!」

「そうだそうだぁ!」

「いいから早く通しやがれノロマどもがぁ! 酒が腐っちまうだろうがぁ!」


 口々に聖騎士団を非難する商人に対し、聖騎士団たちも腰に携えた長剣を手に掛け始める。城門前の雰囲気は一触即発で、いつ何かの拍子で暴動が起こるかの瀬戸際であった。

 そんな中、シッドを睨み続けていた聖騎士は、この狂乱を見渡して深く息を吐いた。


「……通れ」


 シッドの口の端が、ニヤリと持ち上がった。


「シッド・ロドリーゴ。ローラン・エル・ネクロマンテ。アル。三名の通行を許可する。さっさと行けっ!」


     ◆


 東門を抜けてすぐの市場を通り抜けると、ゴルドバ市街区が顔を出した。

 通りは馬車専用の車道を歩行者専用の歩道に段差状に区切られており、橋にはよろい戸を開けた露店が建ち並び、どこまでも続く石造り住居の奥には特徴的な六角形の尖塔が夕日に照らされている。


「いやぁー、うまくいって良かったなローラン! お嬢ちゃん!」


 荷台前面の幌を開け放ち、そこから顔を出したアルとローランは、風になびかれながらシッドの快活な笑い声を聞いた。


「しかしローランよぉ、お前あんな手品できるんなら最初からやれってんだよ! ハッタリかますのだってタダじゃねんだぞ、こいつ!」


 首に腕を回しされたローランは、目の端でアルを捉えながら愛想笑いを返す。


「でも、どうしてあの聖騎士は、俺たちを通してくれたんでしょう?」

「んなの簡単よ! あいつらだって暴動は起こしたくはねぇだろう? あそこにいる商人一人一人が首都の利益になるし……、何より勇者の生誕祭に泥塗るような真似、一介の騎士ができるわけねぇしな」

「それじゃあ、商人たちを焚きつけたのも……?」


 ローランの質問には答えず、シッドは機嫌良く笑う。


「すみません、結局、俺たちの事情に巻き込ませてしまって……」


 腕から解放されたローランがそう言うと、「辛気くせぇこと言うなよ」とシッドは返した。


「なんだかんだで色々あったがよぉ……、俺ぁお前らのこと、気に入ってんだ。だから、最後くらい気持ちのいい別れ方にしてぇじゃねぇか」

「シッドさん……」

「ま! 最後まで得体のしれない奴って印象のままだったけどな!……たまにはいいさ、お前らみたいなのと旅をするのもな」


 シッドはニヒルに頬を持ち上げて、ローランに言う。

 アルはそんなシッドを気にもせず、目の前の景色の逃すまいと目を見開いていた。


「ここが……」


 おう、とシッドは頷く。


「ようこそ、嬢ちゃん、ローラン。我らが皇帝のお膝元にして、伝承と文化……嵐と花の都……ゴルドバへ」


 馬車の指さす向こうには、巨大な宮殿が夕日を浴びて輝いていた。

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