再会Ⅰ


     ◆


 記録によれば、アンダリュス帝国を統べる現皇帝アラド・ラフマ・アミールは大陸暦七二二年にこのエル・バースにて生を受け、王女のすすめでエル教団の聖地であるエル・サイラムの大聖堂でエル教の教えを説かれながら幼少期を過ごし、成人した瞬間に脱獄するように聖地を飛び出したという。

 それから七五四年に即位するまで、各地を放蕩し様々な文化・思想を取り入れた彼は、即位後は各地に司教座を配置するとそれまでの雇われの傭兵団を吸収して国軍として武力を強化に勤しむ。史実上は内乱である『教圧解放戦争』を教団の戦力である勇者一行の手により鎮圧させたかと思えば、その後は彼が各地を巡って見知った文化を首都ゴルドバへと還元し、その結果ゴルドバは様々な文化・思想がひしめき合う混沌の坩堝となっていた。

 エル教から伝承に準えた『丘に立つ者』の称号を拝領しながらも、各魔境由来の資源を取り入れ研究するための魔術研究機関の設立する彼を、人々は『全てを飲み込まんとする、波濤の帝王』と畏れ敬った。


 帝国首都・ゴルドバ。またの名を『嵐花らんかの都』。


 荒れ狂う波のような皇帝の膝元であるここは、その気まぐれな清濁を映した伝承と文化の都市で、その風土は地区ごとに異なっており……四季折々の如き華やかな町並みの水面下では、各派閥の諍いが絶えない都市でもある。

 ロシュー伯爵邸はそんなゴルドバの北区にある軍事区画と、行政区画である中央を橋渡しするように置かれていた。帝国軍の宿舎と隣合った広大な敷地を荘厳な門扉で囲んだそこは、この都の潔い鬱蒼さを如実に表している。

 門前で馬車を停め、アルとローランの二人が下りるのを確認したシッドは、ローランに呼びかけた。


「なんかあったら、東区のロドリーゴ商会を訪ねてくれ。シッド・ロドリーゴの紹介だって言えば、取りなしてくれるからよ」

「あれ? シッドさんは来ないのかい?」

「ああ、夜までに後ろの荷物を納品しねぇといけねぇからな」


 御者席に顔を向けてローランが尋ねると、シッドは親指で後ろを指しながら皮肉げに口の端を持ち上げた。


「それに、俺がいちゃあ話せる話題もないだろう?」

「それは……」


 言い淀むローランに、「あーいいっていいって」を手を振ってみせる。


「のっぴきならねぇ事情があるなんざ、最初からわかってんだよ。こう見えても人を見る目はあるからな」シッドはフードを被り、門を見上げるアルに視線を移す。

「お前たちから、お嬢様と伯爵様によろしく言っておいてくれ。ここまでの駄賃代わりに、そのくれぇはいいだろ?」


 最後におどけたような台詞を残して、シッドの馬車は走り去っていった。

 夕日に紛れるその姿を見送った後に、ローランはアルに向き直る。


「ここに、あなたの仲間の一人がいるんですね?」

「まだにわかには信じられないけどねぇ。あのカリグラが貴族の一人だなんて」

「どういう人なんです? その、カリグラという剣士は」

「うーん、一言で言うと……馬鹿、かなぁ。あぁそれと、デリカシーもないし、人の話も聞かないけど察しはよかったなぁ……」

「……お似合いですよ、あなたにはもったいないご友人かと」

「どういう意味だい? ねぇ、アル?」


 問い詰めようとするローランを無視して、アルは門扉の隣に取り付けられた呼び鈴を背を伸ばして鳴らす。

 夕暮れの間近に迫る門の影から、硬質な鈴の音が響いてしばらく……、門先から黒服に身を包んだ一人の男性が姿を現した。

 彼は自らをジェリドと名乗り、アルたちに向かって恭しく一礼した。


「ローラン様、そしてアル様ですね。ネーロンお嬢様よりお話は伺っております。ようこそおいでくださいました」


 ジェリドの耳には、氷結したように青白い結晶が張り付いていた。

 横開きした門をくぐり抜けたアルはその耳を凝視していると、驚かれましたか? とジェリドは耳元を指さした。


「我らがロシュー伯爵様は、こと亜人の雇用には一際関心のあるお方でして……、ご自身も軍の亜人専用部隊の隊長を務めていらっしゃるんですよ」

「というと、あなたも?」

「ええ、今は帝国軍の所属であり、この都市では二等級の権限があります」


 にこやかに語る男性の話に耳を傾けながら、アルは広大な屋敷の庭を見渡す。

 庭は軍の訓練施設を兼ねているという男性の解説の通り、土をむき出しにした広場には訓練用の木刀に盾が置かれており、兵士と思われる亜人たちが走り込みや模擬戦闘などの各々の訓練に勤しんでいる。もうすぐ夜となるにもかかわらず、彼らの顔が精力的で活力に満ちている光景を眺めて、ローランは得も言えない顔を作った。


「貴族の庭を訓練場にするって。らしいといえば、それまでなんだけど」


 しかし三階建ての屋敷の大広間は、外と打って変わって貴族らしい景観があった。赤い絨毯の敷かれた床や、手入れの行き届いた艶のある観葉植物、虹を模したアーチ状の文様が掘られた壁が、外の無骨な印象とのギャップを覚えさせる。使用人と思われる黒服の亜人たちが、男女問わず一列に並び、中へ入った二人を迎え入れた様を見て、ローランは言った。


「……慣れないなぁ、こういうの」

「貧乏性なのでは?」

「そういうアルはどうなんだい?」


 フード越しに顔を引きつらせながら菫色の目をするアルは、その質問に答えず奥の階段を上るジェリドの後に続く。

 時々すれ違う使用人たちに軽く会釈をしながら、アルたちはジェリドに案内された応接間へ入る。そこは玄関の大広間と同じような凝った装飾の施された部屋だった。大きな窓にはベランダがあり、そこから正門前の様子が確認できる。

 そこから、訓練する帝国軍人を観察する一人の男がいた。

 歳は四十~五十代ほどの初老の男で、前髪を丁寧に後ろへと撫でつけられた白髪と凜と伸びた背筋は、確かに貴族然とした気品を感じられる。しかし、帝国軍の軍服にである灰色の詰め襟のジャケットとズボンに悠然と着こなし、腰に下げた細身の長剣に手を掛けている様相は、貴族よりは武人のそれを思わせる佇まいであり、その後ろ姿にローランは息を呑んだ。


「カリグラ様。ご友人をお連れしました」


 カリグラと呼ばれた武人は、ゆっくりとアルたちに顔を向ける。その表情は鉄面皮と呼べるほどに固く、唇は一文字を描いている。しかし、視線がアルからローランに向けられると、その黒の瞳がわずかに見開かれた。


「……ローラン」


 カリグラは低く呟く。ローランは一度気まずそうに余所へ視線を追いやると、片手で頭を押さえながら近づいた。


「やぁ、久しぶり。元気だったかい? カリグ――」


 気さくな調子のローランは言葉は、しかし最後まで続かなかった。

 カリグラは勢いよくローランに向かって踏み込むと、先ほどまで長剣に掛けていた右手を、ローランの顔に向かって思い切り振り抜いたのだ。

 強烈な拳が、ローランの顔へと突き刺さり、彼は絨毯の敷かれた床を転がって壁へと激突する。棚に飾られた刀剣が音を立てて揺れた。


「ローラン。お前、あれほど言っておきながら、禁忌に手を染めたのか」


 静かに、厳かささえ感じる低い口調で、カリグラは倒れたローランを見下す。その表情に機微は感じられないものの、その周囲には明らかな怒気を振りまいていた。

 何も言わないローランにカリグラが一歩近づこうとしたその時、大気が高音を上げて震え始める。


「やめろっ! いいんだアル!」


 床に肘と膝をついて、顔を伏せたままローランは怒鳴った。アルは真白な右腕を晒して、カリグラに向けていた。

 その瞳は、烈火を宿していた。


「そこまでされて、何がいいって言うんですか」


 がなるように言い放って、アルはカリグラを射殺さんばかりに睨み付ける。その様子に動じないまま、カリグラは横目でアルを見やった。


「魔王の分け身……お前もまた、何一つ変わらないとはな」

「あなた、馬鹿だと聞きましたけど、ここまでとは思いませんでしたよ」

「だからっ、いいんだって、アル……」


 ローランは杖を突きながらふらふらと立ち上がって、いててと顔を押さえている。


「こういう奴なんだよ、カリグラは。無愛想なくせに直情的で……、真っ直ぐなやつ。なんも変わってなくて、安心したよ」


 そう言ってローランは微笑むと、カリグラに歩み寄って左手を差し出した。カリグラは、その手に目もくれず、真っ直ぐにローランの瞳を見つめている。

 しばらく沈黙のままそうしている間に、何かを得心したであろうカリグラは差し出された左手と握手を交わした。


「……お前には、そう言われたくはなかったな」

「会えて嬉しいよ、カリグラ」

「ああ、俺もだ、親友」


 アルは、腕を下ろしながら、憮然とした表情でそれを眺めていた。


     ◆


「父が、本当に申し訳ございませんでした」


 応接間のソファーに腰掛けながら、ネーロンはカリグラの隣で身を縮こまらせながら叩頭した。相対するローランはガーゼの張られた頬を撫でながら愛想笑いで返し、その隣で座るアルは肘掛けに頬杖を突いて、申し訳なさそうに謝罪するネーロンを見下していた。


「何故、お前が謝る。ネーロン」

「何故お父様は、お客様を殴り飛ばしたのにそんな平然としてるのですか!?」

「あ、あのぉネーロンさん……俺は大丈夫ですから、ね? そんな怒らなくても……」

「いいえ、ローラン。私たちは不当な暴力を受けたのですから、謝罪するのは当然でしょう?」

「君は殴られてないよねぇアル!?」


 相変わらずの鉄面皮のまま釈然としない雰囲気でネーロンに問いかけるカリグラ、そんな二人を顎を上げて見下すアルに頭を抱えるローラン。


「と、とにかく! 父の非行に関しましては、このあとでわたくしから言っておきますので、それでご容赦していただけませんか?」


 顔を紅潮させてローランを見つめるネーロンにほくそ笑むアルを、ローランはアールっと咎める。


「駄目だよそんな態度。ネーロンさんが君に何かしたわけでもないのに……」

「あなたは知らないでしょうけど、彼女はとんでもない性悪女ですよ。セターニルがあのタイミングで襲われたのだって、彼女が仕組んだことなんですから」

「ええ、あれは私も失言でした。反省しています」


 頬に手を当ててとほほの悲嘆するネーロンは非難がましくアルは睨むものの、それ以上は何も言わなかった。


「……ゴルドバへ入る前に検問がありましたけど、あれも王の葉の影響なんでしょうか」


 気を取り直して、差し出された紅茶に顔を映しながらアルはネーロンに聞くと、ネーロンは頷いた。


「と言っても、生誕祭前後のゴルドバはいつもこんな感じです。準備期間で浮き足立っているのもそうですが、この時期は対立している各勢力が、お互いの利権や思想によって衝突することも多いのです」


 ですが、とネーロンは窓の外を見つめる。赤らんだ空の光が、ネーロンの顔を照らす。


「今回に限れば王の葉の活動が活発化するのに伴って、教団側の理不尽な亜人への弾圧があるのも事実で……城門前の検問も、その一環でしょう」

「勇者……フレイは、このことを容認しているんですか?」

「それはわかりません。というのも、教団とその聖騎士団が政治的に関わる派閥は、実は勇者のそれとは違うんです」

「違う?」アルのオウム返しの問いに、はいとネーロンは肯定する。

「現在の教団では、生ける伝承である勇者フレイを宗教的な指導者とするフレイ派と、あくまで帝国内の宗教的地盤を固めた現司祭のミューハンを指導者とするミューハン派に別れているんです。元々の信仰の形態は同じですから、表だって対立しているわけではないんですけど、ただ……」


 ここで視線を落として言い淀んだネーロンにただ? とアルは続きを促すと、ネーロンはローランとカリグラを交互に見つめながら、慎重に言葉を選んで話し出した。


「アルさんのお話しした、結晶樹の森での出来事……現在の聖騎士団の指揮系統を鑑みて、おそらくは司祭側の指示だということは容易に考えられます。しかしそれに対して、勇者側の行動が確認できない以上、それが司教側の独断なのかはたまた……」


 ローランの眉が怪訝そうに寄り始めると、ネーロンは申し訳なさそうに肩を狭めた。


「すみません。父と、ローランさんの前でこのようなことを言いたくないのですが……」

「いいよ、正直に話してくれてありがとう」

「勇者が動かないのであれば」ローランの感謝の言葉を、半ば遮るようにアルは尋ねる。

「『亜人大好き』と自称した、あなた方ロシュー派閥に対抗策はあるんですか?」

「罰すべきものがいるのなら、それを切ればよい」


 アルの問いに答えたのは、今まで目を閉じて押し黙っていたカリグラであった。


「俺が指揮する亜人部隊には、都市犯罪に巻き込まれて謂れなき罪で投獄された者たちもいる。我々が動かない道理はない」

「そうです。母の尽力によって父の部隊も、治安維持という名目で帝国議会への一定の理解を得られています。しかし、教団に目を付けられてしまっている以上は動きづらい状態なのは依然変わらないのです」

「母?」


 ローランはカリグラを見やる。カリグラは表情を崩すことなく、傍らに立て掛けた長剣の鞘を握った。


「俺には、切り伏せられぬ道理を理解できない。そういった政は、専ら妻に任せている」

「カリグラ……そればかりは格好つかないよ」


 む……とカリグラは唸り、ええお恥ずかしい限りですと隣で座る栗毛の少女は顔を覆った。


「その上で、お二方にはわたくしたちに代わって王の葉の調査をお願いしたいのです」

「……なるほど。論功行賞と建前を並べて、屋敷へ招待したのはそれが目的ですか?」

「もちろん。先の件での報酬はこの場でお支払いします」


 ネーロンは扉の傍で立っていたジェリドに呼びかけるとアルとローランの前に、銀貨の詰め込まれた袋が二つと手のひらに収まりそうな小箱が置かれた。


「まず報酬として、お二方に銀貨二百枚……これで当面首都の暮らしには困らないでしょう。さらに滞在中はこの屋敷を下宿先として、好きに利用していただいて構いません」

「滞在中はジェリドを護衛に付けよう。お前たちの正体を隠すのと、軍の権限を間接的に利用できるよう手配できる」


 すらすらと流れていく要件に、ローランはポカンと口を開けていると、アルは眉を顰めて質問した。


「もし、私たちがこの件を断るようなら?」

「何もしません」きっぱり断言して、ネーロンは、ローランとアルを交互に真っ直ぐ見つめた。

「しかしあなた方の旅の目的が何であれ、現在首都での亜人たちの立場は最悪です……それを見過ごすような方々ではないと、わたくしは信じています」


 アルとローランは、互いに視線を合わせ……観念したかのように交互に頷いた。


「仕方ないですね」

「協力させていただきます。……どこまでできるか、わかりませんが」


 ネーロンの表情は、花開いた。そこから柔らかく微笑み、隣のカリグラを視線を向けると、カリグラはローランを静かに見つめている。

 渋々といった雰囲気のアルは、ふと銀貨の袋の隣で触れられていない小箱を指さした。


「もう一方のこれはなんですか?」

「それはお前のものだ、アル」


 カリグラはそう言って、小箱の上部を開けてアルに見せる。

 小箱には、指輪のような小さな円環が収まっていた。

 深い藍色のそれは結晶のようで、窓からの陽光を反射しなお煌めくように表面が角度を付けて削られており、自ら光源を持っているかのように……それでいて、見る角度によって虹のようにわずかに色を変えていた。


「不思議な輝きをする指輪だけど……なんだいこれ?」


 隣のローランがそう尋ねる。ネーロンは後ろで待機していたジェリドに目配せすると、小型のルーペを持ってこさせてローランに渡した。


「見てみてください。きっと驚きますよ」


 訝しむローランはアルに断りを入れてその円環を手に取る。ローランの手のひらに置かれたそれは、外の光を遮られたせいか小箱に置かれた時よりも輝きを失い、沈んだ色を見せる。それに気付かないまま、ルーペを通した片眼でローランは円環の内側をのぞき込んだ。

 ローランの片眼の瞳孔が揺れ動いたのを、アルは見た。


「なんだ、これ……?」


 ネーロンの言うとおり目を見開いて驚愕するローラン。アルはローランからルーペを渡されると、同じように円環をのぞき込み……そして、同じように驚愕の表情を浮かべた。

 ルーペ越しに見た円環の表面には、超微細な文字や数式がびっしりと書き連なっていた。それはアルの手のひらの中で脈動するように、ほんのわずかにぼやけた光を放っている。光点の場所は一定の周期で変化しているのか発光のパターンが変わるごとに、光の色すらも虹のように変化しているのが観察できた。

 この物質に関して、我々でも解明できていることは少ない。


「すごいよ、こんなの本当に見たことない。……そこに書いてあるのは、魔術式じゃないか」


 声を震わせながら、ローランは言った。ルーペをテーブルに置いたアルもまた、放心気味に手のひらの円環を見つめていた。


「二十年前、俺たちは魔王を討伐した」


 そんなアルを視線の先に据えて、ふいにカリグラは淡々と語り出した。


「しかしすぐ、その腹からお前が生まれるのを俺たちは見た。……それは、お前のへそとロードレクを繋いでいた鎖状の円環が結晶化したものを、俺が偶然回収していたものだ」


 話を聞いているうちに、アルの小さな手が自身の下腹部へと伸び、指先の窪みを撫でた。


「へその緒の一部ってことかい?」

「さぁ、な。研究機関の魔術士が言うには、そこに刻まれている魔術は特定の魔力光にしか反応しないと言われているし、誰一人としてそこに刻まれた術式を起動できた人間はいない」


 台詞を引用したかのような抑揚のない声のカリグラは、しかしと顔を伏せて自身の手のひらを見つめた。


「俺には魔術の道理は理解できぬが……少なくともこれは、魔王から生まれたお前に返すべきものだと確信した」

「そう、ですか」


 アルはただ遠い目で円環を見つめ……そのまま目を閉じて、懐へとしまった。


「アル、と名乗っているようだな」

「ええ。……あなたたちに殺された父から生まれた、私の名前です」


 寡黙に、カリグラは長剣の鞘の握りしめた。


「恨んでくれて、構わない」黒い瞳が、真っ直ぐアルの藍の瞳に結ばれる。それを見つめるネーロンは、張り詰めた表情をしていた。

「これから先、いくらでも仕合を受けよう。お前の気の済むまで。しかし、殺されるわけにはいかない。俺には妻も、娘もいる」

「……勝手なことを言いますね。ああ、本当にあなたは、ローランとはお似合いの友人のようです」


 鼻から息を吐いて、肩の力を抜いたアルは、やれやれと首を振った。


「必要ありませんよ。もう、先約がいますから」


     ◆


 その日の夜、ローランは屋敷の中庭繋がる通路から、月を見上げていた。

 カリグラ……というよりはネーロンやジェリドから配られたゆったりとした寝間着に身を包んで、アーチ状の柱の一つに肩を寄りかからせながら、漠然と空を衝く光を眺めていた。


「久しぶり、だったなぁ……」


 手持ち無沙汰に、ローランは胸元に手をやる。ガーゼを剥がした頬には、既に痣はなくなっていた。

 月に視線を外して三階の部屋の一角へと目をやる。亜人部隊の宿舎も兼ねているという部屋は、たしかに簡素ではあるものの使用人たちの手入れの行き届いた部屋であり、軍人としては破格の待遇なのではとアルと話していたローランであったが、すぐさまジェリドによって客人へのもてなしであると訂正されていた。


「ここにいたか、ローラン」


 呼ばれて、ローランは柱から離れて振り向くと、そこには同じ寝間着姿のカリグラがいた。ローランとは違い、緩やかな寝間着の雰囲気にそぐわない長剣がベルトと一緒に腰に巻かれていた。


「久しぶりに、な」


 変化の少ない表情で、カリグラは両手を挙げる。その手にはワイングラスとボトルが握られていた。

 ローランは苦笑してグラスを受け取り、再び柱に背を預けた。


「他のみんなは、どうしているんだい?」

「アリアはエル・サイラム、ネヒンはラガルトラホへ……、各々の故郷へと帰った。プルトは護士を解任された後も聖騎士団に残り、今も首都で活動してる。フレイは……言わずもがなだ」

「そっかぁ。できれば二人にも会いたかったけど……まぁ、仕方ないか」

「……こうして話すのは、二十年ぶりか」

「そっか。もうそんなに経つんだねぇ……。どおりで、君がこんなに老けるわけだよ」


 月を見上げながら、ローランはグラスのワインをあおると、からかうような笑みを見せた。


「……お前も、変わったな」

「いやぁ、俺はだって、この通り二十年前のままじゃないか。君ほどじゃ――」

「昔より、卑屈に笑うようになった」


 ローランの言葉が、詰まる。しばらくすると、あははと乾いた笑いを漏らしたあとに、溜息を吐いた。


「まいったなぁ、君のほうが変わってないように見えるよ」

「何を恥じる」カリグラもまた月を見上げた。

「人は変わる。プルトもアリアも変わった、恐らくネヒンもフレイも。ならばお前が変わらぬ道理はないだろう」


 そう言って、ボトルを掴んでグラスへとワインを注ぐ。


「お前は以前に言ったな。歴代の死霊術士が、不死術の理論に辿り着いてなお、それを世間に公表せず、ただ一度の使用を以て永劫に封印したのかと」


 グラスになみなみに注いだワインを、カリグラは掲げる。赤い液体が、月の光を受けて淡く光り輝いた。


「人間が辿り着いていいものではない。死霊術士の本当の使命は、この技法を呪いとし、代々戒めとして尊ぶことだと」

「……うん、まったくその通りだ。今でもその気持ちは変わってない」

「何故、それを自らに施した。俺たちと別れた後、あの魔王の分け身と暮らしたお前に、何があったというのだ」


 グラスの中身を一気に飲み干すと、カリグラはローランを真っ直ぐと見つめた。


「……馬鹿だ、って思ったんだよ。自分が」

「お前は、頭はいいはずだろう」

「そういう意味じゃなくってね。ああもう相変わらずだなぁ」惚けた返しに、ローランは思わず笑みがこぼれた。

「カリグラ。『人外』ってどういうことだと思う?」


 質問の意図が読めず押し黙ったカリグラを余所に、再びローランは月を見上げた。


「俺はね、人が最低限持つ理から外れた者のことを言うんだと思っている。耳が尖っていても、尻尾が生えていても、そんなものがなくても……それらは生物が環境に適応して、その理を全うするために生まれた結果であって……結局は同じ、わかり合えるはずの人間なんだ」


 でも……と、空いた左手を、ローランは胸に……つい先ほど、アルによって刺し貫かれたばかりの所へ押し当て、目を閉じる。

 

「アルは、孤独なんだよ。それもただの孤独じゃない。肉親と呼べる同胞を、奪われた上での孤独なんだ。……馬鹿な俺はさ、それを寄り添うために、同じような人外になることしかできなかった」


 ただ、それだけのことなんだよ、カリグラ。

 そんな呟きが、月明かりへと溶けていった。

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