百年の紫光


     ◆


 フェリーペ工房は五つ鐘……夜入りになる時間帯で入り口を施錠する。錠前として施されているのは魔術式で、外から正規の手順で開けなかった場合にのみ、侵入者を撃退するために幻影……クリスタロボの魔境の特性を取り入れた環境幻覚を作り出す。しかし工房には夜通しで研究を行う魔術師たちも珍しくなく、そうした熱心な研究家の要望に応えて、内側から専用の術式を書き込んだ結晶のタグを持ち歩いている人間が扉を解錠した場合にのみトラップは発動しないような措置が施されている。

 名目上はロシュー家からの客人であるローランには、結晶タグは支給されていない。初めてここに泊まり込む際、ローランが気を遣ってタグの受領を断ったためだ。それでも工房内で問題が起こるのを避けたい魔術師たちは受領を薦めたが、ローランがウィスプを用いて扉を解錠してみせると、これ以上ローランにもの申す魔術士はいなかった。

 資料室の一角。床にメモをちらかしたまま、ローランは傍らで点るランタンを物憂げに眺めていた。右手でペンを持ったまま頬杖を突き、ただ光を写すだけとなった瞳が、ランタンの炎に合わせて揺らめいていた。


「……あの円環が、何かの記録装置であることは確かなんだ……」


 ボソボソと、思考が漏れ出す口をポカンと開けている。


「おそらく、本体であるロードレクが有していた記憶……それが肉体そのものに魔術を記すことで自身の情報の全てを記録させた……あの時、円環以外の肉は全部抜け殻だったんだ。アルに継承させるために……」


 誰に聞かせるまでもない、とりとめのない言葉を、ローランは続ける。

 それは机と椅子と、そこに座るローランにしか届かないような、小さな世界で起こる語り聞かせであった。


「アルがロードレクの記憶の一部を持っていたのはそのため。記憶を読み込ませる途中で、俺たちが彼女を取り出した……そのせいで、記憶が混濁していただから彼女は魔王をことを覚えていないし、円環というイレギュラーな物質も生まれた。

 ただ、あんな小さな円環の中に、どれだけの記憶が詰まっているんだ? 彼女が『アル』という個別の人格を形成している以上、記憶の大半を継承していないはず……だったら、円環に継承しなかった記憶が残っているはずなのに」


 ローランの瞳の炎が揺れる。ガラスで仕切られた円筒のすぐ足下には、彼が走り書きした『藍の円環』に関するメモがある。ローランは瞳をわずかに動かして、メモの一文を注視する。

 そこには、円環が発している光についての実験結果が記されていた。

 円環は、自ら周期的に発光している。周囲の魔素を取り込んで発光しているのは明白であるが、問題なのは『誰も発光のパターンを完全に理解できない』という点であった。

 同じ気候、同じ時間帯、同じ人間の、同じ立ち位置……全てを試してみても、観測する度に光はパターンを変えていき……度重なる実験の結果、このパターンには一定の法則性はあるものの、どのようにしてどんな発光が起こるのかを完全に特定することは叶わなかった。


「……イーガン曰く、彼は実験中同僚に声を掛けられ対象から意識を逸らした。……次の瞬間には、円環の発光は空のような薄い青から、鬱蒼とした森を想起させる暗い緑色へと変化していた。共通点として、実験に携わった全ての人間が、発光の切り替わる瞬間を目撃したことがない……」


 メモの内容を、ローランは復唱する。


「光……」すぅ、と。ふいに息を潜めた。

「アルの瞳の色も、気付いたら変わってるんだよな。……関係ない? いや、彼女自身瞳の発光を制御していないし、彼女の側からしたら自分がどういう瞳で見ているのかがわかっていない……わかるのは、傍でアルの目を見た人間だけ……」


 ここでようやくランタンから目を離したローランは、顔の前で手を合わせると、そのまま祈るように目を伏せた。


「彼女もこの円環にも……第三者がそれを観測した途端に、変化が生じる。……変化のきっかけが、誰かに見られることだって言うのか……?

 ……もし、もし仮に……円環の発光パターンの一つ一つがロードレクの記憶に対応しているのだとして……これがアルの複雑な感情と同じように、理論上膨大なパターンがあるとするなら……? あの円環には、ロードレクの生まれてから死ぬまでの記録が残っているのかも知れない……?」


 彼にとって希望の残る推論を、しかし呟いた本人は受け入れづらそうに眉を顰める。


「もしそうだとするなら……今こうして目を閉じている間に、目の前には無数の世界があるということになる。……そんなことが、本当にあるのか?」


 この世界に於いて、荒唐無稽と言える疑問をローランは静かに独白する。無言のまましばらく目の前の手を組んでは離して、また合わせて……やがてそれが飽きたように目を開いて天井を仰いだ。


「どちらにしても、これ以上は実物がないと検証しようがない、かぁ」


 暗がりに紛れた梁に吹きかけるように、ローランは深く溜息を吐く。


「信念、か……」


 首をもたげて、入り口へと顔を向ける。足下に広がる小さな魔素灯が、オレンジ色の光を放って仄かに廊下を照らしていた。

 しばらく無表情でそれを眺めた後、ローランは決心したように大きく伸びをして、椅子から立ち上がると、本棚に立て掛けていた結晶杖とローブを手に取った。


     ◆


 誕生祭を残り三日に控えた東通りは、どこか浮き足だった雰囲気を漂わせていた。

 もともとここには旅行者用の宿も多くそれに比例するように酒場を多い。列を成して並んでいた商人たちの大半はここで飲み明かして朝を迎えており、時折巡回の兵士を交えながら、通りを歩くローランは酔っ払った住人たちを肩を合わせながら石畳のその先を見据えていた。


「いや、いやいや。戻るにしたって、なぁ……。今さら、どの面下げて会いに行けば……目的は円環なわけだし、ちょっと部屋に忍び込んで……、だめだ、まるで泥棒みたいじゃないかそんなこと」


 結晶杖を肩に預けながら、ブツブツと呟くローランの足取りは重たい。通行人たちは彼の杖に一瞬目を向けるものの、さして気にした様子もなく通り過ぎていく。ついにその重さが限界を迎えたのか……、一度肩を落とすと、建物の一角に背中を押しつけてそこに立ち止まってしまった。

 現実逃避をするように、ローランは暗い顔を上げて通行人を眺める。街灯の光を受けた通行人たちは、みんな明け透けに笑い合っているのがわかる。決して良くない治安の中でも、彼らの笑顔に貴賤はなかった。


「……こうして見れば、平和のはずなのに」


 口に含ませたローランの呟きは、当然誰にも届かなかった。


「んぁ? お前、ローランじゃねぇか。何してんだ?」


 そんなローランに声を掛ける男がいた。


「あなた……えっと……」

「おい、まさか忘れたわけじゃねぇよなぁ? 誰がこのゴルドバに入れてやったか、覚えてるよな?」


 訝しげに首を傾けたローランに、目元をひくつかせながら、男は凄んで見せた。


「シッドさん……」

「おう、シッドさんだよ。ようやく思い出しやがったか」


 ったく、と悪態をつきながら、シッドはローランをまじまじと見やると、スッと眉が寄せてしかめ面を作った。


「どうした、そんなひでぇ顔してよ? それに、嬢ちゃんはどうした? 一緒じゃねぇのか?」

「あー、えっと……。彼女は、今宿に……俺、今一人で」


 しどろもどろになりながら、視線を左右に揺らしてローランは答える。

 シッドは煮え切らない態度に渋面を維持しながら、どこか同情するようにローランが背中を預けていた建物に目をやると「ははぁん……」と得心したように口角を持ち上げた。

 

「……ま、わかるぜ旦那」ローランを壁から剥がすと、シッドは逞しい腕を首に回して、わざとらしい口調でそう言った。

「あんなガキの世話してちゃあ、たまにはこういうのが恋しくなっちまうんだろうさ。うんうん、同じ男として、お前の気持ちはよーっくわかる。なぁにお嬢ちゃんもわかってくれるって!」

「は? な、何を言ってるんだい?」

「惚けんなって! ほら、俺もここで一杯やりたかったんだ、一緒に付き合ってやっからさっ!」

「い、いやちょっと待って! 本当に何を……!?」


 首に手を回されたまま、シッドに半ば引きずられるようにローランは建物の中へと入っていった。

 ローランが寄りかかっていたのは、中央に大きなホールが設立された酒場であった。ホールを取り囲むように席が用意されており、薄暗い雰囲気と相まって魔境とはまた違った世俗的な怪しさを醸し出していた。

 中央のホールでは、一人の女性が踊っていた。背中と肩が大きく開いた赤いドレスを身に纏いながら、低いヒールのシューズが小刻みにステップを踏み、激しく地面を打ち鳴らす。小さな楽団がすっぽり収まりそうな円形のホールは、しかし彼女一人だけが今その場を支配している。

 その凜とした孤高さに、ローランは目を奪われるもすぐに眉を顰めた。

 彼女の肩には、ショールを纏うように琥珀色の結晶を纏っている。結晶は彼女の肩に続き、背中から直接伸びているのが見て取れた。


「……バハロの舞踏」

「お? やっぱ知ってて来てんじゃねぇか」


 熱狂する観客の熱に浮かされるように、シッドはニヤリと笑ってカウンターの前の席に着く。会場には舞台の女性が踏み鳴らすタップの音に合わせて、乾いた木を叩き合わせたような民族的な高音がハイテンポに鳴り響き、彼女の肩の結晶は虹を描くように複雑な色彩を描いていた。

 大陸東部。帝国と他国の国境線上に位置するアルバレコ高地には、バハロと呼ばれる亜人が定住している。彼らは山脈に点在する琥珀の結晶が起こす山々の共鳴そのものを信仰の対象とし、それらと『対話』を行う手段としてとして独自の舞踏と音楽を発展させてきた。彼らの背中から肩にかけて伸びる魔力器官には、体内で共鳴した音を光に変換して輝く。その光を受け取ったものはバハロの舞踏から音を見いだす。

 この共感覚的な音楽文化が、バハロの特性であった。実際、この場にいる全ての人間が、喧噪とホールを踏み鳴らす音以外の……楽器を持たない彼女自身から奏でられる情熱的な音響を見いだしていることだろう。

 ローランはシッドに習いカウンターに腰を落ち着けながら、脇目を振って踊り子の女性を見やる。

 その表情は屹然としていて、現在進行形のダンスに集中しているのが見て取れる。逆に言うならば、ローランにはそれしか読み取れず、ただ胸元にあった紫に輝くブローチに目を留めていた。


「いいだろう? ここの一番人気のアイドルなんだぜ、彼女」

「ええ、バハロの踊りをこうしてまじまじと見るのは初めてです」

「何があった知らねぇけど、今夜くらいは飲み明かそうぜ」


 なみなみ注がれたジョッキを掲げて、シッドは快活そうに笑うと、ローランもそれに釣られて愛想笑いを返した。


「今度また結晶樹の森に行くことになったんだ。お前らがここにいつまで滞在するかはわかんねぇけど、そん時にはまた護衛を頼むぜ」

「……そうですね。生誕祭が終わった後に、一旦森に帰るのも悪くないかも知れません。……商会のほうでも、何か準備はしているんですか?」

「おう、なんせ勇者様の誕生を祝うお祭りだからな。東通りの連中を巻き込んで大盛り上がりしてやるつもりだよ」

「……勇者は、今の世界をどう思ってるんでしょうね?」

「どーなんだろうなな。数年前までは生誕祭には出席して、演説なんかもやってたんだけど、最近は顔を見せねぇし……」

「…………」

「おいおい、そんな辛気くせぇ話は無しにしようぜ。俺らが楽しくやんなきゃ、勇者様だって元気にならねぇだろう?」


 シッドがホールを指さすと、バハロの踊りは最高潮を迎えているのは激しくなっていった。周りの観客たちをそれに合わせて声を上げていく。後ろで控えていた楽団も、彼女の踊りに合わせて思い思いに即興で楽器を奏でていた。


「……お前さんが今、何に悩んでのか知らねぇし、面倒ごとの匂いはプンプンするからこっちから踏み込む気はねぇけどよ」ホールの熱狂ぶりを微笑ましく見守りながら、シッドはワインを煽る。

「嬢ちゃんとは、仲直りした方がいいんじゃねぇか。お前ら、二人一緒じゃねぇとこっちが落ち着かねぇんだよ」

「気付いていたんですね、喧嘩していること」

「誰だって気付くっての。商人の目利きをなめんなよ?」


 シッドはホールから目を離して、ローランを真っ直ぐ見やる。


「一目見りゃあ、そいつが信用に足るかどうかなんて一発でわかる。お前らがのっぴきならねぇ事情であの森からここまで来たことは、なんとなくわかる」


 それならよ、とジョッキが突き出され、ローランは困惑する。


「そんな事情で繋がってんなら、二人一緒じゃねぇとさ。お前ら、兄妹みたいにしてんのがお似合いなんだよ」

「兄妹……?」

「おう、俺にはそう見えるね」


 シッドにそう言われ、ローランは視線を逸らして思案を始めた。

 それと同時、ホールでは喝采と拍手が沸き起こっていた。


「お集まりの皆様、ありがとうございます」


 辿々しい様子で、円の中心で賞賛を浴びる女性は声を上げてはにかむ。観客は返事と言わんばかりに再び湧き上がった。


「生誕祭を三日後に控えた今日ですが、街の装飾もどんどん完成されてきて、綺麗になっているを感じます」

「そうだそうだ!」

「東通りの職人たちが気合い入れて作ってんだぜ! 当たりめぇだろうが!」


 観客の黄色い野次に、女性は微笑む。彼女は内省するように目を伏せて、胸に両手を当てながら言葉を続けた。


「私は亜人ですが、こうして皆様と楽しい時間を過ごせているのも、勇者フレイと魔王ロードレクの、尽力と犠牲があってこそだと思っています。

 そんな二十年の節目に、この場所で踊れたことは、私にとって最高の思い出となるでしょう」


 ローランの片眉が、怪訝そうに跳ねた。

 ローランと同じような考えを浮かばせた観客の何人かは、不安そうな表情で彼女を見上げている。


「おいおい……」

「まさか、引退しちまうのか……!?」


 一人の観衆が火種となり、動揺が波紋のように広がる。


「いいえ」


 波紋を堰き止めたのは、バハロの一声だった。


「我々は、舞踏と音楽がなければ生きていくことはできません。私は、この命が続く限り、山々の啓示に……今は、皆様の声援に応え続けることが、バハロの矜恃だと信じています」


 花開くように、胸元の手を開く。

 そこには、紫の結晶を施したブローチが、音もなく輝きを発している。


「ですから……私は、生き続けます。ここにいる皆様の魂と共に。

 ――百年後の世界を築く、その礎として、歌われ続けることで」


 紫光が、ホール中を満たす。

 ローランは半ば反射的に、光とシッドの間に割って入る。

 彼の瞳が、光に飲まれたバハロの姿を写す。

 そこには、晴れやかな笑顔を向ける、一人の女性がいた。

 爆音と衝撃が、瓦礫と共に東通りに轟いた。


     ◆


 瓦礫の中で、ローランは目を覚ました。仰向けのまま目を開いた先には、虫食いのような穴から覗いた星明かりが彼を迎えていた。

 呆然としまま、小さく首を動かして様子を確かめ……そこでこれまでの事を思い出したのか、覆い被さった砂埃を払って飛び起きた。

 酒場は、先ほどまでの熱狂ぶりを忘れてしまったかのように静まりかえっていた。瓦礫に潰された人々が辺りに転がり、赤色の絨毯を伸ばしている。壁には無残にも大穴が空き、この荒涼した風景を風が空しく彩る。この爆発のなかで、柱がなんとか生き残っていることが、この光景において一番の幸いであったといえるかも知れなかった。

 直近の記憶を確かめるように、その凄惨な現場をローランは眺める。一つ確かめることに、その息は上がっていく。


「なんで……」


 ローランの視界を正面に固めたまま、誰に聞かせるわけでもなく尋ねる。

 彼の目の前には、枯れ木のように放射上に伸びた、紫の結晶があった。結晶は地面と天井にすら根を張り、中心には鼓動のように淡い光を生み出している。天井が落ちなかったのは、この結晶によるものも大きかった。

 枯れ木の結晶は、滅亡した酒場の中心で……バハロの女性が踊りきったホールの中心で、シンボルのように鎮座していた。

 

「う……ぐあ……」


 足下の呻きにより、茫然自失としていたローランの意識が引っ張られると、彼は足下に目を向けた。

 そこには瓦礫によって裂傷を付けたシッドの姿があった。シッドは苦悶の表情を浮かべながら、胸を押さえていた。


「シッド、シッドさん!?」


 ローランは手足が瓦礫に挟まれていないかを確認しながら、シッドの状態を抱き起こす。幸いにも外傷はたいしたことは無いとローランは頷くも、それに反してシッドは呼吸を荒げて空気を求めていた。


「ロ……ラン……?」

「喋らないでください! 診療所……いや、軍の医療部に……!」

「胸が、苦しい……なん、だ、こりゃあ……」


 荒くか細い呼吸の合間合間で、シッドは呟く。ローランは額に汗を浮かべながら傍に転がる結晶杖を拾い上げて、彼の胸元に当てる。

 結晶杖をリブが展開し、淡い青白の輝きを発する。収束した光の球は一度動作を確かめるように中空で一回りすると、シッドの体内へと侵入する。シッドの体は仄かに発光すると、光は杖の結晶部へと集まっていく。

 ローランの目が、見開かれる。その中に、紫の光子が混じっていた。


「帝国軍です! 誰かいませんか!」


 その時、入り口だった方向から、張り上げた大声が響いた。切迫したその声に、ローランはハッとなって振り返ると、そこには詰め襟の軍服を身につけたウォルフの姿があった。


「ジェリドさん……!」

「ローラン様! 無事だったのですか!」


 ジェリドは外の何人かの兵士を率いて、廃墟となった酒場へと入ってくる。中心にそびえた結晶を、一人の兵士が憎々しげに睨み付けていた。

 そのまま、ローランはジェリドに誘導されて外へと出ると、そこには廃墟を円状に取り囲んだ野次馬の数々がいた。内部から伸びた紫結晶は壁や屋根を突き抜けていたらしく、その外観は、家屋と言うよりも退廃的なオブジェを想起させた。

 オブジェを眺めるローランの表情は、呆然とした中に、怒りを孕ませたように奥歯が噛みしめられていた。


「ローラン様……」濡れ羽根の髪を揺らして、恐る恐るジェリドは尋ねる。

「さきほど介抱した、あのお方」

「魔素中毒だ」目を伏せて、ローランは首を振った。

「濃縮した魔素に当てられてる。もしかしたら、後遺症が残るかも――」


 努めて冷静に分析しようとするローランを揺さぶるように、遠くから発せられる紫光が彼の言葉を遮る。光に遅れるように、爆音と割れんばかりの悲鳴が後から彼の耳に届いた


「まさか……」


 ローランはロシューの屋敷がある方向を見つめる。

 それに何かを察したジェリドは、申し訳なさそうに視線を落とした。


「ローラン様……」

「屋敷は、屋敷は無事なのかい!? カリグラ……アルは!?」

「いいえ、屋敷は今のところ問題ありません」


 それよりも、と続けたジェリドの言葉は、そこから先は禁忌であるように震えていた。


「アル様が……屋敷を出て、今外に出ておられるのです」


 ローランは、信じられないと言った顔で、ジェリドを睨めつけた。


「なんだって……」

「我々の警備の隙をついて……てっきり、ローラン様のところへ行かれたのかとここへ来たのですが……」

「なんで!」ローランは廃墟の壁にジェリドを叩きつけながら、軍服を胸ぐらに掴みかかった。

「なんで彼女を見てやれなかった!! こんな時に……!」

「申し訳、ございません……」


 ローランに目を合わせないように、ジェリドは目を伏せてただ謝罪する。湧き上がる苛立ちをなんとか消費しようと、ローランはそのまま喘ぐ。


「……ごめん。君を、責めるべきじゃない。……わかっている……」


 震えながら、胸ぐらからなんとか手を離すと、ローランは廃墟から踵を返して走り出した。


「俺のせいだ……」


 野次馬たちを掻け分けて、ローランは走る。グリモアを開き、リブを展開したままの結晶杖を粗雑に振るうと光の光条は瞬く間に狼の幻影を象り、陽炎のたなびかせてローランを置いて走り去る。その幻想的な光景を、爆発により混乱する通りで目を引くのも構わずに。

 爆発は、ローランの耳に届く限りで既に三度起こっていた。


「どこだ……いや、探せるのか。くそっ! なんで心当たりもないんだ!」


 広大な首都の一角で、ローランは自身に毒づく。

 可能な限りのロボ・ウィスプを投影しても、首都中を網羅することはできない。ましてや爆発によって混迷を極める野次馬・負傷者・救助へ向かう軍人や聖騎士……乱雑な人混みのなかで、一人の少女を見つけることは、洞窟で一人の少年を見つけることよりも困難を極めた。


「アル……どうして……」ローランの表情が、不安に歪む。

「なんでこうなる……! 俺は、何回間違えれば気が済むんだ……!

 考えろ、考えろローラン……。どうすればアルを見つけられる? 彼女の聖質は不安定で頼りにできない、心当たりもない、いったいどこにいるんだ……」


 上がる息を考慮せず、ローランは走りながら辺りを見渡す。彼の魔力光からアルの情報を読み取ったロボウィプスたちは、道に惑うようにローランの周囲を回遊している。


「くそっ、見つからない。……見つからない、本当に?」東通りから北側へと差し掛かる交差点で、ローランは立ち尽くす。

「認識が世界を作っているなら、俺が認識していないアルは、この世界にいないのも同然じゃないか」動転した意識のまま、ローランはとりとめない言葉を口にする。

「……そんなわけない、馬鹿を言うな。……なら、どこにいるって言うんだ……?」


 その呟きは、ふいに、天啓のように、


「今、誰がアルを見ている……?」


 ローランに、その禁忌を唱えさせた。

 

「……誰?」


 自分の言葉が、信じられないかのように、ローランは先の言葉を反復させる。切れ切れした呼吸は、その所作を忘れたように潜めた。

 ローランは、おもむろに天を仰いだ。


「……認識によって、世界が成り立つなら」


 そのまま結晶杖を握りしめると、再三リブを展開し始める。

 グリモアには、触れていなかった。


「その仮定が、もし成り立つというなら……。この世界の全てを認識して、俯瞰するものが、必ずいる」


 結晶杖の石突きを叩く。上空を見やるローランの瞳は、固定されたまま……、


 ……こちらと、視線を結ばせるその瞳が固定されたまま、離さなかった。

 今この瞬間、彼は、こちらを間違いなく認識していた。

 エル教の神として、無銘の神として……、

 我々に、干渉しようとしていた。


「……エル教が、無銘の神の視点があるというなら……」


 空いた左手が、こちらへと向かう。


「――その視界を、借りさせて貰う」


 カリ、と。

 ローランの指が、空を引っ掻いた。

 我々の『目』に、指を掛けていた。


     ◆


 以後の記録は、エル・バース次元の干渉により観測を中断したため存在しない。

 以降、エル・バース次元が我々に干渉してきた記録は発見されておらず、こちらからの観測・干渉は、現在禁止されている。

 以上を以て、エル・バース次元におけるイレギュラーの発生と防衛機構の観測記録とする。

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