観測外領域(5):メタフィクションⅠ


     ◆


 なんだかいたたまれない気分になって、私は彼の向こう側の壁を観察した。

 アーチ模様の彫られた壁……緩く弧を描くそのモチーフは、間違いなく虹なのだろう。なぜならばそれが、敬うべき象形を持たない彼らにとって数少ない、視覚化された神なんだろうから。いや、これは訂正するべきだ。あれは神じゃない、あくまで神が閉じこもった岩戸でしかない。

 誰も、神の姿を見ることは叶わない。だとしたら、今この世界……この場を観測する者は、一体誰なんだろうか。それは全能的な者ではなく……ローランの言葉を借りるなら、本の世界を覗き見る程度の普遍的な存在なんだろうか。だとしたら、この結末は、本に描かれているとおりの展開になるのだろうか。

 それならば、この会議の……この場にいる全員を切りつけかねない、張り詰めた空間の行く末を、どうにか知ることはできないんだろうか。


「どういうことか、説明して貰いたいなぁ、ロシュー伯爵殿」


 私の現実逃避が、ここで終わる。隠しきれない怒りを孕ませて、私の隣に座るカリグラに、嫌みたらしくゆっくりと問いかけるのは、私が意識して見まいとしていた男だった。

 ゆったりとした教服に、首元にスカーフを巻き付けた、細顔の男性。外見上の年齢はローランよりは年上で、カリグラに比べて若い……30代ほどに見えるが、落ち着いた灰色に派手な青が差し入った髪が、彼の若さを際立てている。もしくは、常に怒気を放ち続けているような落ち着きのない雰囲気がそう思わせるのだろうが。

 プルト・エル・ミヌクス。

 彼との二度目の邂逅が決まったのは、私たちがラガルトラホから帰ってすぐのことだった。


     ◆


 頭の痺れる感覚が、思考の支配せんと忍び寄る。考えてみれば一晩中あちこちを移動して人と話しているというのを自覚しだしたのが、全ての元凶なのかも知れない。ローブがはためくのを感じると、目を開けることが億劫になるのを振り切って目の前の景色を認識しようとする。

 ロシューの屋敷。しっかりとした塀に囲まれた屋敷は、静まらない夜に歩調を合わせるように明かりをつけたままそこにあった。後ろを振り返って見ると、門の先に浮かぶ雲が、オレンジの光を照り返してその存在を露わにしている。耳を澄ませば、誰かの怒声と悲鳴のような叫びが飛び交っている。

 獄界を出て行った先には、あそこよりもはるかに、獄界らしい獄界が待っていた。ここは私にとっての地獄だと、ふいにネーロンの言葉を思い出す。あの腹黒い令嬢も、こんな状況を示唆していたわけではないだろうと、同情じみた感情を想起させる。


「アル、疲れてないかい?」


 目をしばたかせ、欠伸をしたことを気付かれ、ローランはこちらの顔をのぞき込んでくる。


「人のこと言えるんですか、そんな隈作っておいて」

「俺は、まぁ……一度死ねば、体の状態は戻せるからさ」


 あはは、といつものように愛想笑いをするローランに、私はいつも通り胸がチクリと痛む。弱々しく笑みを作られるそれは、非もないのにこちらの罪悪感を助長しているようで、不愉快な気分にさせられた。

 彼はどこか、死ぬのことを望んでいるような、そんな素振りを見せる。わざと挑発して攻撃されて、あるいは身を挺して誰かを守ろうとしているのは自己犠牲というよりも、どこか打算的に、自分が死ぬことを勘定に入れたような……ネヒンに感じた気味の悪さを、ローランにも感じた。

 不老不死に、人間性を求めるほうが間違っているのかも知れないが。


「……だから、やめてくださいって言ってるじゃないですか、その笑い方」


 いつ、何度も注意しても、彼がその笑いをやめたことはない。だから私も、言うだけ言って、眉が寄ることを自覚したまま屋敷へと入っていった。

 エントランス中央の階段の前では、外から戻ったであろう軍服姿のカリグラと、見慣れない女性が真剣な面持ちで話していた。女性は玄関から入った私たちに気付くと、こちらににっこりと微笑みかけた。


「これはこれは……挨拶が遅れて申し訳ありませんわ、アル様、ローラン様」

「い、いえ……こちらこそ下宿の身で挨拶ができずすみません、ロシュー夫人」

「ユリア、で構いませんわ。セターニルでは、娘がお世話になりました」


 娘と同じ艶のある栗毛を揺らして、落ち着いた物腰でユリアは一礼すると、隣のローランはドキマギしながら礼を返す。カリグラは「無事だったか」と私とローランを、掘りの深い鉄面皮で交互に見返すと、怪訝そうな表情で尋ねた。


「もう、大丈夫なのか」

「大丈夫に見えますか、もうヘトヘトで……」

「ローランを、許せるか」


 許す。何をだろうか。嘘を吐いたことを、だろう。

 私が答えに窮していると、「こーら」とユリアはカリグラを躾けるように頬をペチペチと叩いた。


「あんまりデリカシーのないこと言うんじゃありません。当人にしか解決できない問題を、他人が引っかき回すべきじゃないでしょう」

「む。しかし、ユリア……」

「しかしじゃない。まったく、社交界もこれくらい熱心に取り組んでくれればわたくしだってこんな苦労はしませんのに……」

「む……」


 カリグラは二の句を繋げずに、ただ唸るばかりだった。


「悪いけど、外の状況が落ち着いている今のうちに、聖騎士団と会議の場を設けないと……」

「今の状況、どうなっているんですか?」


 ユリアは頷くと、私たちに現在の首都について教えてくれる。

 ハヌクリアによって、首都全域に計十五カ所の自爆テロが行われた。西区で三ヶ所、東区で三ヶ所、北区で二ヶ所、南区で七ヶ所。中央区は亜人の立ち入りを禁止していたせいで特に被害はなかったという。当然と言っていいのか、テロの実行者はみんな亜人族で、その個人情報は多岐にわたる。亜人居住区に住む者だったり、東区の酒場で住み込みをしている踊り子だったり……その全員が、王の葉の関係者であることは現在も調査中である。

 爆発の地点は高濃度の魔素が蔓延しており、現在は魔術による簡易的な結界により封鎖して被害を抑えているものの、帝国軍の中には救助活動中に魔素中毒と思われる症状を訴えて倒れる人間をいたという。

 ユリアの事情をひとしきり聞いた後、ローランはこれまでの経緯について話す。最初は半信半疑で聞いていた二人だが、帝国とラガルトラホとの不可侵条約の話になり、ネヒンから預かったサゼンの左腕を見せるとユリアは目を剥いて驚いた。


「帝国が秘密裏に結んだ不可侵条約を、民間で知り得る方法はないわ。一体どうやって……?」

「あたしが教えたのよ、ユリア」


 頭上から、舌足らずな言葉が降ってくる。見上げると、そこには階段を降りてくる小さな影があった。


「こいつらの言う事は、あたしが保証する。なんてったって、わざわざあたしの研究室に来たくらいらからね」


 サゼンは小さな結晶尾を揺らしながら、私に近づくとおもむろに手を伸ばしてきた。


「ひらりうれ、ちょうらい。ネヒンから預かっているれしょ?」


 その視線が真っ直ぐスペアの左腕に向けられている。彼女が操る無線人形のサゼンであるが、ネヒンと本人の口ぶりから察するに、彼女らには独自の意識が働いているようだった。

 これを渡されたいきさつを思い出した私は、なんとなく意地の悪い気分になって、左腕を頭上に持ち上げてすっとぼけて見せる。


「は? なんですって? ちゃんとはっきり言わないとわかりませんよ?」

「ひ・だ・り・う・で! もう、こんなときに『ころも』みたいなことしないれよ!」

「あなたに言われたくありませんけど!?」


 そうしていると、脇からローランが咎めに来る……そう、思っていたが、ローランは顎を引いて思案しながらも、ユリアと何かを話しているようだった。


「まさか、テロリスタを支援する貴族がいるなんて」

「ええ。ですから、この件で帝国貴族たちの協力を仰ごうとするのは危険かも知れません」

「そうなると、聖騎士団が主導で行うしかないわね」

「魔境化した区画について、なにか対策は?」

「恐らくありません。特に聖騎士団は、そんなものあればすぐに南区で行うでしょうから……」


 その姿に、気恥ずかしさと白けた感情が襲うと、次の瞬間にはサゼンに左腕を渡していた。サゼンは相変わらず無表情で、口だけをへの字に曲げながら左腕を抱えてそっぽを向く。

 宗教区である南区には、この街の宗教的シンボルのミューハン大聖堂がある。聖騎士団の本拠地でもある南区が一番被害が大きいことを考えると、自然と王の葉たちが向ける憎しみの矛先がなんであるかは容易に納得できた。

 ふと、去り際のジルバの言葉を思い出した。

 変えるべきは、環境ではなく人の意識。彼らはこの首都を、魔境に変えることが目的ではないんだろうか。そうすれば、いずれ首都の人間は亜人として適応し、彼らは戦争の敗者の意識が刷り込まれる……そういう目論みなんだろうか。その考えには、どうにも腑に落ちない自分がいる。現在進行形で敗者の王の葉たちは、それでも人間たちに反抗している。ならば、立場が逆転したとしても変わらない、敗者になった人間たちが、どこまでも反抗を繰り返し、その都度魔王の遺した美しい大地を穢していく。そもそも、亜人同士で争いが起こらないことを、前提にしているような考えだ。

 それからユリアは休憩もそこそこに、護衛を伴って屋敷を出て行く。すぐにでも、対策会議を開くためだと。それを見送った後、ふらりと体が揺れ動くと、ローランに肩を支えられていた。

 そろそろ限界だった。この三日間、碌な食事も取らないままここまで奔走したことに自分でも驚きを隠せない。

 ローランは心配そうに眉尻を下げている。


「今日はもう休もう」

「仕方、ないですね……」


 部屋へ戻ると、私はベッドへ身を投げ出した。時間はもう深夜で、いつ王の葉たちがまた結晶爆弾による自決を図るかはわからない。それでも休息しなければならない。

 もどかしい不安が、胸中を埋める。私はうつ伏せのまま頭を横に捻ると、手のひらを見つめて自爆したシーマと公園を思い出す。

 あの、熱が這いずり回る異物感が、衝撃を伴って襲い来る感覚を、もう一度思い出して、それを下したイメージに繋げる。

 大丈夫だ。私は、あの爆発を受けても問題ない。痛いし、熱いし、たまらなく不快ではある。それでも、この感覚を以てすれば、おそらく魔素に汚染された地も浄化し元に戻すことができるかもしれない。でも他の人間たちは違う。痛ければ死ぬし、熱で死ぬし、不快感で思考を焼き切ってしまうかも知れない。ならば、私の感じるこの不安は、彼らにとっての何分の一でしかない。


「ローラン……」


 隣に向かいのベッドにいるであろう、ローランに話しかける。彼もまた、爆発の中心にいたか、そういえば定かではない。しかし不老不死の彼なら、私の気持ちをほんの少しだけでも共有できるだろう。

 カリグラは言っていた。ローランを、許しているかと。

 許してなどいない。彼は嘘つきだし、私はそれで裏切られた。信じていたのに。ただ、彼が魔王を信奉し、私を慮っていたことだけは真実だ。そこだけは尊重するべきだ。


「ローラン……?」


 返事がない。目の前の手のひらをどけて、部屋を見渡すと、向かいで寝転んでいるだろと思っていたローランはどこにもいなかった。

 部屋が、冷たい空気に満たされている。この三日間、ずっと感じたものだった。


「……なんなんですかっ、もう……」


 馬鹿、そんなんだから嘘つきだと言われるんだ。

 脳裏で死霊術士を責め立てながら、私は毛布を体に巻き付けた。

 ローブと体温ほどの温かさは、そこにはなかった。


     ◆


 翌朝早く、ローランに起こされた私は、サゼンとカリグラと一緒に南区へと赴いていた。


「休もうとか言っていたくせに、何してたんですか?」

「色々、ね……」


 苛立ちだけを募らせるローランの誤魔化しを聞き流して、私は中央区の皇居を右手に眺めながら馬車に揺られていた。

 ミューハン大聖堂の会議室にて、亜人部隊隊長・カリグラと聖騎士団を代表してプルトが、作戦の中心となって事件解決に当たるための作戦会議を実行する。

 その中で、事件への理解が最も深い人物として、私とローラン・サゼンの三人がこの作戦への協力をユリアから申し出を受けたのが始まりだった。


「帝国議会……そして皇帝陛下とご相談し、彼らをこの事件の協力者として作戦に参加する許可を貰った」


 教科書を読むような無感情な音声で、カリグラはプルトに言う。プルトは今にでも足を机に投げ出さんばかりに背もたれに寄りかかって、そんなカリグラを見下していた。

 聖騎士団が中心となって展開する作戦ではあるが、今この場に教団の関係者は彼しかいない。ユリアの配慮だとしたら、たいしたものだと感心する。


「ふざけるなよ。ネヒン、ローランならまだいい……なんで魔王の娘を味方に引き入れて仕事しなきゃなんねぇんだ?」

「私は、ハヌクリアの爆発を至近距離で受けました。その上で、私はその魔力を改変してこの通り無事でいられています」


 ローランが立ち上がると、懐から紫の結晶を取り出して、私の前に置いた。

 深く、暗い色をした紫。


「王の葉が使用しているハヌクリアを、サゼンと俺が再現したものだよ。必要なのは、伝達係数七十以上の中純度魔力結晶と加速器、そして連鎖反応を起こす魔術式……からくりと工房が揃えば、一晩でゼロから作ることもできる」


 プルトが、険しい表情で結晶を見つめているのを尻目に、私はようやく部屋からいなくなったローランの動向を理解する。あの後、私に内緒でサゼンの所へ行っていたのかと思うと、なんだかつまらない気分にさせられる。私だけが気を遣われたようで、要らないことに気を揉んだであろうローランを睨み付けると、いつものように困った笑みを浮かべた。

 私も、この馬鹿げた諍いを終わらせたいと思って、ここに居るはずなのに。


「はっきり言って現状、これを使わせないことはできない。あまりに簡単に量産できて、子供が持っていたとしても不思議じゃないし、場合によっては人間だって起動させることができる」


 私は目の前の結晶を握り込んで念じる。手のひらに、結晶の堅さが伝わってくる。昨夜の爆発を思い起こすと、手の中にあるそれが蠢く異形のような気さえしてくる。そんな嫌な想像を早々と振り切って集中する。接触する手の平から水を注入し、中の汚れを洗い流すようなイメージ。しばらくすると、指の隙間から黒い煙がプスプスと漏れ出した。

 手を開いて、プルトに見せつける。そこには術式を書き込む前の、無色透明な結晶があった。


「彼女は、ハヌクリアで汚染された魔境を、変質によって浄化させることができる」


 山間の村で、浮雨湖を凍らせたのと理屈は同じだった。完全に戻すとなると、土地への理解が足りないが、少なくとも魔素の濃度を無害化するまで落とすことは難しくない。今朝、ローランに話したことであるはずなのに、まるで織り込み済み彼のごとくローランは話を進めていた。


「それがなんだ? まさか、土地の浄化を条件にお前への聖罰を見送れというのか?」

「聖罰も何も」ローランは、珍しく露骨に呆れた様を見せながら続ける。

「アルは教団から罰を受けるようなことなんてしていない。前のだって、聖騎士の過失だって話じゃないか」

「その女がいるから、王の葉はここまでの暴挙に出たんだぞ!」


 座っていた椅子を跳ね飛ばさない勢いで、プルトは立ち上がる。八つ当たりの矛先になった机は、気持ちの良い音を鳴らした。


「テロを止める方法がないだと? そんなの簡単だろう!

 こいつの首を居住区の跳ね橋の前にでも晒しておけばいい! そうすれば、寄る辺を失った亜人たちはすぐに戦意を失うだろうさ!」


 よく見ると、聖痕の青色に侵食されている彼の右の虹彩が、私を真っ直ぐと射貫いている。冗談でも何でもなく、彼の言っていることは本気だった。

 ギリ、と隣で、結晶杖を握りしめる音が耳元で鳴った。


「ふざけているのは君のほうだな。いったいどれだけの亜人たちがアルのことを知っている? さらにその中で、アルを指導者と認める人間なんて数えるほどしかいないだろう。

 もう相手は魔王の遺志なんてどうだっていい。ただ自分たちの怨恨を晴らす大義名分以上の価値なんてない。個人的な恨みで、自分の品性を貶めるようなことを言うんじゃない」

「上等じゃないか! 生まれるべきじゃないこいつが、ちょっとは人の世の役に立つって事だろうが!」

「プルト……!」

「やめろ、二人とも」


 低く、カリグラは二人を制する。ローランは釈然としない面持ちでカリグラとプルトから顔を逸らして、プルトも舌打ちをしながら椅子に座り直す。

 その様子を傍から見ていたサゼンが、やれやれと肩を竦める。話題の渦中となっていた私はというと、何も言えず顔を伏せるだけだった。

 サゼン……ネヒンが、私に言うことのは、正論だ。だからこそ、理屈は納得できてしまうし反論もできない。それだから嫌いなのだが。

 だが、プルトが私に言うことは違う。明らかに、私に対し憎しみを込めた暴論を放つ。今まで、ここまで恨みを発露する人間を見たことはないし、私に向けられたことも当然無かった。

 父を奪われたことへの憎しみを肯定した私にとって、彼は一番同情できるかもしれない。でも、身の危険が、それを拒んでいる。ああ、きっと、私は彼に恐怖している。

 コロラドの里で、ローランが話していたことを思い出す。どこかで誰かが、そのどす黒い感情を胸中に収めて耐えなければならない。でもそれは、人間性を犠牲にする呪いなのだと。

 獣性をむき出しにする彼は、ある意味ここに集まった勇者一行の面々の中で、一番人間らしい人間なのかも知れない。


「ローランの言うとおり、王の葉は既に魔王の遺志から外れた行動にれている。後継者のアルが違うって言うんらから、それは間違いないよね?」


 頷く。少なくとも、ハヌクリアの使用して、首都を無理矢理魔境化することは、父も望んでいないだろう。


「だったら? 俺は聖騎士だぞ? 亜人たちの指導者の娘と、仲良くお手々繋いで、今までのこと全部忘れて協力しろっていうのか?」

「何も、聖騎士が亜人とおおっぴらに手を組めっていうんじゃないの。交換条件として、聖騎士には王の葉の支援をしている貴族たちの調査をやって欲しいの」


 そう言って、サゼンは書類の一式をプルトに渡す。そこには一人の貴族の名前が記されていた。


「アデル・フェリーペ。フェリーペ工房の前担当者なんらけろ、公式の記録は抹消されてて後を追えないの」

「こいつが怪しいって? わざわざこっちに持ってこなくてもいいだろ」

「もちろん協力するけろ、帝国軍らけじゃ『ひとれ』が足りないの」


 カリグラは閉口して、部外者であるはずのサゼンが、軍の窓口として聖騎士と話しているのは、なかなかに非現実的な光景だった。


「このことを、他の聖騎士団には?」

「それは駄目だ。アルの事を公にするわけにはいかない」

「つまり、俺の隊を使ってこの娘に協力しろと。他の連中に悟らせないように?」

「そいつがハヌクリアの実験に協賛していたのも確認済み。間違いなく手がかりになると思うんらよね」


 プルトは額を押さえて溜息を吐く。しばらく、そうやって苦悩するように考え事をすると、腰の後ろに付けられたポシェットに手を伸ばして、そこから手のひらサイズの分厚い本を取り出して、おもむろに開いた。

 まるでグリモアのようだと言ったら、私は二人に怒られるだろうか。そんな考えが頭に過ぎる中、プルトはページを片手で開いて、呟くように唱えた。


「……無銘の神は、丘に立つ者から世界を見る。神の目となる者は、正当なる後継者として、その行いを見られていることを知りなさい。

 悪しき行いには、その目を焼かれることを知りなさい」


 聞きなじみのないその文章は、恐らく経典の一文なのだろう。

 正当なる後継者。そこだけは、聞き覚えのある単語だ。それをどこで知ったのだろう。経典をどこかで読む機会があったのかもしれない。しかし、ローランの開発した転移魔術の理論と、経典に一致する点があるのは、どこか面白さを感じた。

 今、この世界を、神は見ているんだろうか。

 それでも何もしないのは、人々の命運など、それこそ舞台上で行われる絵空事でしかない、ということなんだろうか。

 プルトは経典の一文を読み終えると、それをしまって、天を仰ぐ。彼は恐らく、覚悟をしているのだろうか。ネヒンのように、目を焼かれる罰を受ける覚悟を。やがてプルトは、大量の便せんを机に並べた。

 それは全部で7枚あり、それぞれが一部一部焼け焦げ、破れて読めない部分もあったが、その全てが同じ文章であることは理解できた。


「テロを起こした亜人たちが、聖堂内に投げ入れたものだ」


 神妙な面持ちのプルトの表情を見やった後、便せんの一つを手に取る。

 それは脅迫状だった。そして私は、さっきの言葉を既視感を思い出した。


 我らは正当なる後継者なり。その事実を隠匿する、エル教団に対し、我々は聖罰を下さん。

 我々はここに、貴団の象徴であり、我らを謀り騙した勇者・フレイに対し、生誕祭の場にて我らに謝罪を要求する。

 さもなくば、貴団の指導者である司教・ミューハンとその名を持つ聖堂を、我ら百年続く禍根の礎とせん。


「お前たちの言い分、癪だが従ってやる。だがな、土地の浄化だけを対価とするのじゃ物足りない。こっちの問題にも付き合って貰う」


 プルトは、サゼンを、カリグラを、ローランを……、

 そして最後に、私を見据えた。


「勇者を……フレイを守って欲しい。それが、お前たちと手を組む条件だ」

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