観測外領域(10):死を恐るるなかれ
◆
あれは、私がウォルフの里の一つ……後にジルバが現れ、里長へと就任するそこに保護されてすぐのことだった。私を連れてきた男は、里の外れの鉄塔に括り付けられ、三日間飲まず食わずのまま放置されていた。私はその様子を見ても、特に何も感じていなかったのを覚えている。
彼は言った。自分は私の父を殺したんだと。
里の者は言った。魔王の娘である私は、仇を討つべきだと。
でも、当の私は何もわからなかった。父の名前も、自分の名前も。父はどういう顔をしていて、どういう人物だったのかも。それなのに周りの人間たちは彼を指さして罵倒する。
英雄を殺した怨敵。
亜人たち全ての敵。
ひいては私の仇敵。
鉄塔に背中を預けたその男を見下ろす。三日も野ざらしにされているせいでその体からは異臭を放ち、森の環境幻覚に当てられた表情は胡乱としている。この時はまだ不死術を施していない彼の体は時間が容赦なく蝕み、絶え間なく苦痛を与えていたことは想像に難くない。
それでもその眼差しだけは、しっかり私を捉えていた。
この男はいったい何を見ているんだろう。この幼い女子の姿をした私を、その心中でなんと喩えているんだろう。
私は誰。里の倉庫から持ち出した結晶杖とグリモアを胸の前に抱えて、確かにそう言った。
すると男の表情が、当たり前のことを聞かれたように、怪訝そうにするのがわかった。
君は……、それだけ言って、男は口を閉ざして頭を垂れる。考え込むようにうなだれると、鉄塔に括り付けられた彼の両腕がピンと伸びた。
あなたは、『まじゅつし』だそうですね。里の者から聞きました。『まじゅつし』は、なんでも知っていると。
影に隠れた口の端が、苦笑で持ち上がる気配を感じた。何でもは、言いすぎかな。掠れた声で、小さく呟くのが聞こえる。それが呆れられているように聞こえて、私の口先が尖り出す。
私は、あなたを恨めばいいんですか。里の人間たちは、あなたのことを敵と言っています。
男が微かに首を動かす。肯定だと捉えて、私は続けた。
恨む、というのはどうすればいいんですか。
殺せばいいと思う。短く男は答えた。
殺した後、どうすればいいんですか。
男は顔を上げて、私の顔をまじまじと見つめ始めた。
「アル。聞いてくれ、大事な話なんだ」
目が覚めるような錯覚を覚え、私はそっと目を開ける。今度はどっちが夢なんだろう。開けた視界がチカチカと色ズレを起こしているようだった。前にも似たようなことがある。
搬入路で、プルトが私を責め立てたときと、同じ。
お前は、生まれてくるべき存在じゃなかったんだと。
まるで中毒のように、体が呼吸を求めて喉を鳴らす。もう取り込むべき空気もないのにひたすら喘ぐせいで胸が痛み、抑えようと体を強ばらせながらキツく抱く。
「君は今すぐ帰るんだ。そしてイス・サイラムでのことをカリグラや、ユリア夫人……プルトにも伝えて欲しい。これは君にしかできない」
「おかしい、じゃないですか」
苦しくなる胸に息を荒げて、私は目の前の死霊術士を睨み付けた。
「だって、あなたはローランでしょう。勇者の旅で、私の父を殺したはずの……。あなたが、そう言ったじゃないですか」
「そうだ。でもこの時代で、魔王の力を受け継いだ亜人の一人が『魔王』になる。
……観測ではそうなるし、歴史がそう語っている。その起源が、この周回を元にしているのか、もっと根源的な事象があるのかは、今となっては知るよしもないけれども……この時代で、魔王の力を持った俺たちがここに来たのは、そういう運命の周回……ループの一環だったんだよ」
「あなたは、亜人じゃない」
「人間でもないよ。それにどちらかと言われれば、亜人側だと思う」
ローランはうずくまる私に視線を合わせるために、顔をのぞき込ませてくる。
髪の隙間から、小さく結晶化した耳が妖しく光を放っている。私の世話をすると言いだして、不死術をその身に施して、結晶樹の森にずっと居続けた結果……後天的に生えたものだ。
全部。全部このためだったというんだろうか。
「全部、このためにあったんじゃないかって思う。俺が不死になったのも、君に殺され続けたことも。
ほら、これまで何回も君に殺されたおかげで……なんというか、死に慣れてきたところはあるんだよ。どうすれば苦しくならないかとか、ほとんど心持ちみたいなもので、確証なんてないんだけれども」
心を透かしたような、穏やかな言葉だった。それが胸に染みこむと、私の気持ちを軽くする。楽になるわけじゃない、胸を貫き、ぽっかりと穿孔させる、痛みを伴う言葉だった。
「死ぬんですよ。どちらかが」
「君は死なない」
「あなたはどうなんですか。相手は不死殺しじゃないですか、それなら――」
「うん。だから全部、そういうことだったんだよ」
ローランの瞳が穏やかに揺れている。それは自らの秘密を明かして、命を譲ろうとしたジルバによく似ていた。
受刑者の目で、殉教者の目をしていた。
「っ、なら!」私は力の限りで立ち上がって叫んだ。その目が遠くを見ているようで、それを繋ぎ止めるように。
「私と二人で、勇者を殺してしまえばいい! 私とあなたが魔王の能力を継承して、力を合わせればできるはずです!」
「それはできないよ。さっきも言っただろう、アル。同一の存在は同じ時間軸に一人しか存在できないんだ。俺が魔王になれば、君の起こす時間軸への干渉は全て消えてなくなる」
「そんな簡単に言わないでください! 全部試したんですか! まだやり残していることだって――!」
「ないよ。全部試した。それでも……何十回でも何百回でも、魔王は死ぬんだ」
断定的なローランの言葉が冷たい刃になって心に突き刺ささり、私の呼吸を止めようとする。
きっと何度も試したんだろう。転移魔術によって過去に飛べることを知ったときから……夜な夜な部屋を出ていって、疲労する体を自害することで回復させて。
怯むな。震える唇と肩を、なんとか鼓舞して、私は反論する。怯めば、彼はどこか遠くへ行って消えてしまうんだから。
私のせいで。
「それなら私が死ぬべきでしょう! 元の魔王は私です、あなたなんて事故でなったようなものじゃないですか! そんなあなたが犠牲になるなんて自惚れないでください!」
「観測者の視点では、過程なんて重要じゃない。今ここにいる俺と君は、彼らにとって同じラベルを張られた存在なんだよ。なら、俺がなるべきだ」
「どうして!」
「言ったじゃないか、俺のほうが死に慣れているってさ」
ははは、といつもの調子で、ローランは笑う。
いつもの下手くそな道化笑いが、いつにも増して滑稽に聞こえた。
「ふざけないでください! 私がやっているようなおままごととは違うんです!」
「はは、それ、君が言うかい?」
「ヘラヘラしないで! いつもいつも、そうやって都合が悪くなると笑い出すの、不愉快なんですよ!」
苛立ちのあまり、つい口を滑らせすぎるとローランは困った笑みのまま視線を地面へと追いやった。
「……そうだね、ごめん。いつも、君を苛つかせてばかりで」
違う。そんなことが聞きたいんじゃない。
自分が間違っていた。俺は死にたくないから、君が死ぬべきだ。
死ね。
死んでしまえ。
お前さえいなければ、もっと世界は平和だったはずなのに。
いっそそう言って、私を置いて元の時代に帰って欲しかった。そんなことを言えるような男じゃないのは、わかっているはずなのに。
「アル。覚えてるかい、君が鉄塔に縛られていた俺を助けてくれたことがあったよね。
あの時、君は言ったよね。自分は誰で、恨むってなんなのか、殺した後どうすればいいかって。
俺はその前までさ、てっきり君は魔王の子供かなにかだと思っていた。魔王と同じ力があって、俺たちのことも知ってるものだとばかり。
でもそれを聞いたとき、違うってはっきりわかったんだ。君は魔王から生まれたけど、君は君で、魔王でも何でもない女の子だって」
ここまで言い切って、ローランは星空が覗く木々の隙間に手を翳した。
「あの時、仇として俺を殺せば、君は生きる目的を失う。……いいや、違うな。君は他人に言われるがままに、『魔王の娘』として振る舞って、いつか『魔王』になって同じように死んでいく。そんなの、おかしいじゃないか」
「こっちの台詞ですよっ……あなたは、ただ私のための不死になって、私のために死ぬっていうんですか」
「違うよ」
きっぱりと、ローランは私に言った。翳した右手が、青白の光を透かして輝いていた。
「君のためじゃない。俺はただ、君に魔王になって欲しくない。君が魔王になるのが、たまらなく嫌なだけなんだ」
「どうしてそこまでするんですか? 私は、あなたに何もしていないじゃないですか」
いつも、私はローランに教えられてばかりだ。
魔王のこと、魔術のこと、外の世界のこと。全部、引きこもりのウォルフに代わって教えてくれたことだ。わざわざ外の行商人と慣れない交渉をして、本を取り寄せたりしていたのも彼だ。
そんな彼に、今もなお苛立ちと理不尽をぶつけることしかできない。こんな私を、どうしてローランは気に掛けるんだろう。
「あなたは好きなのは、魔王ロードレクでしょう? 私がそうじゃない、ただの子供だって言うなら、私に気を遣う必要なんてないじゃないですか!」
言っててどうしてか、胸の奥がズキズキと痛む。相対しているはずなのに、星空を眺める彼の瞳から疎外感を覚える。
そうだ、私がただの子供なら、彼がこんな所で死に直面してなんかいない。私に関わって、馬鹿を見て、私のせいで死ぬ。そんな理不尽な人生なんてたまったものじゃない。
私が死ぬべきだ。どう考えたって。
しかしローランは、寂しく笑うと私に語りかけた。
「ずっと、独りだったんだ。教団の弾圧から逃れるために、俺たち死霊術士は魔術士の会合から追放されて、行き着いた村では化け物扱いされて……。
でもね、俺の両親は死霊術士であることを誇りに思っていたんだ。そんな両親を、俺は尊敬していた。だからどんなに厳しくても耐えられた……たとえ両親が、俺を自分たちの代替品のようにしか思ってなかったとしても、ね」
でもね。右手を下ろして、ローランはこちらを見やった。
「両親が死んで、死霊術だけが残されたとき、自分がわからなくなったんだ。両親のために学んだ死霊術で、両親のための結晶杖で、両親のためのグリモア……俺のものなんて何もなかった。
俺の死霊術には、目的がなかったんだ。いたずらに知識だけを増やしても、俺はこの死霊術で何をすればわからない。魔術士って人種が、往々にしてそういうものだってことにまだ気付いてなかったし、生まれてきた以上全ての行動に意味があるって思っていたから。
フレイの誘いに乗ったのはね、そんな自分を彼らが必要としていたからなんだ。亜人の指導者にて不死と言われているロードレクの秘密を解明することで、少しでも自分の役割を……自分が、この世界に死霊術士として生まれてきた意味を知りたかった。アリアに言わせるなら、それも運命だったんだろうけど。
そうやって、俺は役割を全うした。先祖が遺して、けれど禁忌として解体したはずの不死術を完成させることによって、フレイはそこから不死を殺す術を学習した」
「それじゃあ、フレイがロードレクを殺せるのは……?」
「自分の解明した術で不死になったのに、それで殺されるなんてね……まさか、思いもよらなかったよ」自嘲気味に、ローランは呟いた。
「それが終わったら、やっぱり俺は何者でもなくなった。最初から、言われたとおりにこなしたことに、実感なんてなかった。
こんなもののために、俺は一人の英雄の命を奪ったことを後悔した。
そんな時に、君が生まれたんだ」
「私が……?」
「君があの時、俺に質問されてようやくわかったんだ。人は自分の意思で、何者かにならなきゃいけないんだって。
ローランは、死霊術士のローランは初めて、己の意思で、その子を孤独から救いたいと思ったんだ」
ああそうだ。あの時、私は孤独だった。あの時の私は魔王でもなく、魔王の娘でもなく、ただ役割を求める人形だった。
だから、生まれた意味を、博識だという彼に教えて貰いたかっただけなんだ。
それが呪いになって、彼を不死にした。
彼が魔王になるように仕向けたのは、私だ。これからどんどん人が死ぬのも、世界の救った勇者たちが苦しむことになるもの。
全部、私のせいじゃないか。それがどうして、のうのうと生きて帰らなくちゃいけないんだ。
「そんなの、理不尽じゃないですか……」
「うん。ひどい理不尽だよ。これも観測者が、俺たちを認識した結果なんだろうって思うと、空しくなってくる」
「怖くないんですか。今度は本当に死ぬんですよ?」
「君は、自分が同じ立場になったら、怖くないのかい?」
「そんなの……」
ローランの質問に私は、とっさに返せそうとして、しかし黙ってしまう。
もし、自分が代われるならそうする。だって、元は私がしでかしたことなんだから、自分は責任を取らなきゃいけない。本当は死にたくなんてない。でもそうしなければいけないなら、私は魔王という役回りを全うする覚悟はある。
ローランも同じなんだ。自分のせいで、魔王が死んで、その周回に私が巻き込まれていると思っている。
一緒だ、私と。それなら私に、彼を論破することはできない。
しばらく私が考え込む様を眺めていたローランは、おもむろに懐から、小さな指輪のようなものを取り出した。
私は発作的に胸に手を当てて、円環の感触を確かめる。
確かにここにある藍の円環は、同時にローランの親指の先と人差し指の腹にも挟まれていた。
ローランは、過去のイス・サイラムからコーラルの原書を持ち出していた。それを応用すれば、過去の私から藍の円環を盗み出して所持することも可能だ。
「ごめん。君が寝ている間に、盗ませて貰った」
「ローラン?」
「ここにある情報を全部読み込まなきゃ、魔王になることはできないからね。……ああ、そっか。多分、これに俺の意識が押しつぶされて、このループが完成するんだね」
「待って……」
情けないほどの細い声が、喉から鳴る。
駄目だ。説得している時間も、余裕もない。私は腕を突き出して集中する。その円環を手放させようと、その腕を粉砕させようと大気を震わせようとする。
途端、視界が真っ黒に染まった。
何が起こったのか、動揺している間に、トン、と前から誰かに押されると、湿った地面が腰に触れた。
「うん、上手くいった」
満足そうに呟いた声が、遠くから聞こえる。視界を奪われたことにようやく気付いた私は、地面の感触だけを頼りに立ち上がろうとする。
しかし、今度は土を握る感触が消えて、前後の感覚が完璧になくなる。
「やだ……」
自分が立っているのか、倒れているのかすらわからない浮遊感の中で、自分の声だけが聞こえる。聴覚がまだ残っている。自分が前のめりに倒れているはずだと信じて、私は這うようにローランの声のした方へと進もうとした。
やだ、いやだ。
「待って、ローラン……!」
まだ私は、何も知らない。あなたが私と出会う、二十年以上の人生を知らない。
「行かないで、お願い……。ねぇローラン!」
謝らないといけないことがたくさんある。酷いことをたくさん言ったし、それで思い詰めさせるようなことだっていっぱいあった。
「いやです! こんなお別れなんて! 絶対に呪ってやります! 生きて帰ってきたって絶対に許しませんから!
だから、だから……!」
遠いところで、土を踏む音が聞こえる。音はこちらに近づいているようで、耳元へと音階のようにテンポよく届く。
それが間近に迫ったときに、ツンとした薬品の匂いが、脳裏を吹き溜まる。
「アル」
優しげな声が、耳元を打った。
「君は、自分のことを魔王の娘だって思っている。でも、それは俺の吐いた嘘なんだ。だから今、あの時の言葉を訂正するよ」
「いや、ローラン……」
「君は、何者でもない。『アル』という名前には、実は何もこもってないんだ。だから君は、君の感じるままに生きて欲しい。たとえいろんな人間たちや、世界の運命と呼ばれるものが、君を何度定義づけようとも、君は君だ」
「ローラン……!」
「そして覚えていて欲しい。世界は観測で成り立つ、これはもう変えようのない事実だ。それでも、俺たちの意識と、観測者の捉える俺たちの意識に、互換性はない」
「ッ嫌い! 大っ嫌い! 生きてくれないあなたなんて大っ嫌いです!
あなたは! 数えるのも忘れるほど、私と生きていくんです! これから先、ずっと、ずっと! 結晶樹に囲まれた空ばかりを見つめて、子供も作れなくても、ずっと一緒にいるんです!
それができないあなたなんて……大嫌いです!」
ぐちゃぐちゃになった頭から、とりとめもない言葉が吐き出される。自分でも何を言ってるのかわからなかった。
そんなわめきの中で、小さく微笑んだような吐息が聞こえた。
「アル・エル・アル。それが君の名前で、君を縛るものなんて何もない。だから、自分の心のままに生きてくれ。
――今までありがとう。俺は、そんな君が大好きだ」
薬品の匂いが消える。
土を踏む音も、泣き叫ぶ声を、遮断される。
誰かが、こちらを見ている気がする。
そんなものにお構いなしに、私は感覚のない腕を必死に伸ばしていた。
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