観測外領域(12):アル・エル・アル


      ◆


 砂漠に紛れる陽炎のような、白んだ街並み。というのが、外から正式に入ったイス・サイラムの印象だった。砂が吹きすさぶ中、液体金属を薄く張り巡らせた半円球状のゆりかごに収められた白亜の建物群。そこを行き交う人々は私を含めた全員、ベールで顔を隠しながら粛々と頭を下げ合う。そこは誰もが粛々としていて、町を囲む城壁と相まって、ここはラガルトラホのような閉塞感があった。あそこと違うのは、人との生活に漂白感がなく、代わりに厳格な規律がもたらす整頓された圧迫感に満たされている。

 各国に主教として君臨し、人民の心を掌握していると言っても過言でもないエル教団の中核となる場所としてはどうにも秘境じみていて、なんとも存在感がなかった。

 もしくは、見えていないもの補完するために人は想像を働かせ……それが神秘になるんだとしたら、この場所は、むしろ秘匿されて然るべきなんだろう。


「面白い考えね」


 教団本部のエブラヒーム……そこに用意されたアリアの居室にて一人で納得していると、それを見透かしたように向かいのアリアは鼻を小さく鳴らした。口調が非常に単調な、まるで用意された台詞を読んだだけの声に、私は頭にかかるベールを不機嫌そうに揺らした。

 ベール越しに、微笑むアリアの瞳をじっと見つめる。感情をおくびも出さない薄氷の瞳は、今の私の姿を映し出す。

 たてがみのような流麗で雄々しい金の髪に中性的な顔立ち……記憶に見た勇者の姿をしているのは、今の私は『勇者フレイ』の仕事として、今ここに赴いているためだ。


「神秘が曝かれるほどに、この砂漠の街は明るみに出る。やがて全ての神秘が曝かれるころには、この街はいったいどうなってしまうのかしら」

「私に聞かずとも、お得意の天眼とやらでとっくにご存知では?」

「さぁ、どうかしらね」


 クスクスと惚けた振りをするアリア。


「首都の混乱は、ようやく収束の兆しが見えてきた?」

「わかってるくせに……」

「『勇者フレイ』には、報告の義務があるでしょう? そのために来たんじゃないのかしら?」


 腹立たしくなりながらも、私はソファに座り直してアリアに報告をする。といっても、世間話の延長線でしかない。


「ええ。聖誕祭と並行して行われた地下水路の一斉検挙から二ヶ月……ようやく、ゴルドバに潜伏していたとされる王の葉の構成員を全て逮捕することができました。これから増えることはあると思いますが、ひとまず首都にテロリスタの拠点となる場所は、彼らの自爆によって汚染された区域もろとも、浄化されたと言っていいでしょう」

「お疲れ様。大変だったでしょう」

「それと同じく、王の葉を支援することで反亜人思想を助長させようとした司教座と貴族を摘発したことは、もう報告済みでしたね?」

「聞き及んでいるわ。水面下で、教団に対するあらぬ噂が流れていなければ、彼らもボロを出すことはなかった……教団としては、獅子身中の虫を駆除できたことを喜ぶべきね」


 話ながら、薬指にはめられた円環を、そっとなぞる。心の裏側を覗かれているような、不愉快な寒気を我慢して、私は言葉を続けた。


「教団内部に不穏因子がいることを認識した上で、私はあなたに報告することがあります」

「あら、いったい何かしら」

「フレイ・エル・ヴァレンティーアは、エル教団を脱退します」


 弧を描くアリアの唇が、さらに曲線を強めていった。


「それは、本当にあの人の意思?」

「今の私は『勇者フレイ』としてここにいます。それが答えになりませんか」

「そうね、そうだったわね。ごめんなさい」

「どうせわかっているんでしょうけど、私も仕事なので言わせて貰います。今回、一部の司教座が王の葉に関与していた件を受けて、私は教団に対して全幅の信頼を置くわけにはいかないと判断し、今回の脱退に踏み切りました。居室は引き払い、今後はロシュー家当主カリグラ・ロシューの支援の下で、民間の幇助組織を設立する予定です」

「幇助組織?」

「公平な立場から、亜人対人間の異種族間問題を仲裁・解決するための組織です。皇帝から直々に国内活動の認可を受けて、すでに多くの工房・商会から提携契約を結んでいます。名前は――」

「ユニオン・ヴァレンティーア」


 勇者の組合。その安直な名付けが気に入ったらしく、アリアは満足げに頷いて見せた。教団を上層の人間である彼女にとって、この報告が気持ちのいいものではないはずなのに。


「いい名前ね」

「この二ヶ月、勇者を支持する民意が強まってる一方で、教団自体の不信感は強まっています。今回の脱退とユニオンの成立によって、今後はおおっぴらに反亜人活動を行うことはできないでしょう。

 あなたたちはこれから、失った勇者の影にビクビク怯えながら、自分の信じる教義が誤りだということに気付かない愚衆と共に、エル教が崩壊するその時まで生きていくんです」

「それは誰の言葉かしら」

「すみません、私の言葉です、つい口走ってしまいました」

「いいのよ、別に。わかっていたことだから」


 故意に発した嫌みにも、誠意を感じない棒読みの謝罪にも、アリアは表情を崩さない。本当に彼女は、人間のフリをする人形のようだった。


「そうなると、勇者フレイとしてあなたに会うのも、これで最後になるわね」

「そうですね。フレイも寂しがるでしょう」

「同感だわ。とても、残念」

「……本当にそう思ってますか?」


 気になって問いかけてみると、案の定アリアは張り付けた笑顔をこちらに見せながら、軸を回すように頭を振った。


「全部わかっていたことですもの。あなたたちが夜な夜な、イス・サイラムに来ることも。その末にローランは魔王の力を継承し、過去のクリスタロボに行くことも。そして周回する運命の歯車を担い、どちらかがその任を負うかも」


 そして、とアリアは私の右手……その薬指にはめられた、藍の円環を指さした。


「そこに、ローランがいることも。全て知り、わかりきった結末の前で、私のどのような感情も無意味でしょう?」


 全ての予感、結末を見通す天眼。高次元人が直接、この世界の人間たちと交流したいという望みから付けられた補助機能。それがどうして、彼女に発現したかはわからない。もしかしたら彼女は元々私たちより高次の人間で、その記憶を忘れてしまっているだけなのかもしれない。今わかることは、彼女はその眼によって、この世界を茶番と断じることでしか自身を保つことができなくなってしまったということだけだ。

 ローランの出会い、質問した鉄塔での出来事を思い出す。あの時の私も、ローランがいなければこうなっていたかもしれない。世界を見通せなくとも、居場所のない孤独感が私の心を殺していたのかもしれない。そう考えると、不気味に映った彼女の笑顔に、今は共感さえ覚えてしまえた。

 無責任な奴だと最初に評したこの女の印象は変わらない。けれど、実のところ彼女は世界を守った六人の英雄の中で、一番哀れな人間ではないだろうか。

 色鮮やかな世界を、彼女は一生、色褪せた視界で見ることしかできないんだから。


「私が今、何を考えているかわかりますか?」

「ええ。とっても、失礼なことを考えているわね」


 苦言を呈する彼女の表情は、しかし変わらない。そこにもう一つ、私は問いかけた。


「それなら、私が今、何を感じているかわかりますか?」


 この時初めて、アリアは驚いた様子を見せた。そのまま答えに窮するように眉を寄せる様が似合わなすぎて、思わず吹き出しそうになるのを必死で堪えた。


「やっぱり」


 満足した。これを知るために、わざわざこんな僻地まで来たかいがあったというものだ。


「あなたは、私が何を考えているかはわかっても、何を感じているかまではわからないんですね」


 いいや、少し違う。そう思って、私は訂正する。


「わかっていても、共感することはできない。観測者の意識が生む認識と、私の感じることと、同期ができない……それが、観測者の限界なんです」

「それが何? 何を感じようと、運命は……この世界を俯瞰する者の目からは、逃れられないのよ?」

「そうでしょうね」


 それでも……、ソファから立ち上がり、最低限の礼儀としてアリアに一礼をする。アリアもまた、不服そうな感情を滲ませながら立ち上がり、無言のまま礼を返した。


「私は、ここにいます。ここで生きていると、声高に叫ぶことができる。運命が私たちを縛ろうと、感じる心を侵すことはできない。……もう少し、素直に生きてもいいんじゃないんですか? 聖女様」


 踵を返して、私は外の扉に手を掛ける。このまま最後の別れを済ませようとすると、後ろから問いかけが追いかけてきた。


「あなたは、誰ですか? あなたは今、誰としてここにいるんですか?」


 誰。かつて、結晶樹の森で、晶狼に問いかけられたことを思い出して、私は半身だけ体を向けた。

 お前は誰だ。今となっては、こんなに簡単な質問はない。


「私はアル」真っ直ぐとアリアを見据えて、はっきりと言い放つ。

「アル・エル・アル。ただのアルですよ、アリア」


 勇者の顔で、私はそう笑って、部屋を出ていった。

 タイルの一つ一つに教団の紋章が施された豪華な床を叩きながら、視界の端でベールやスカーフで顔を隠した教団員を捉える。私を見た教団員たちは、畏敬半分、疑念が四分の一、そこから奇異がさらに四分の一、残りが侮蔑も含めた様々な感情の坩堝といった眼差しを向けて、それでも表面上は頭を下げて会釈をしてくれる。勇者が教団を脱退するという話はまだ公式に発表されていないが、噂程度なら末端まで届いているらしい。私を見る奇妙な視線はそのせいだろうが、伝承と実績が残す影響力というものは思いのほか強いらしく、表立って私を批判しようとする人間はいなかった。

 勇者の名前だけで平伏する様に少し辟易した気分になっていると、ふいに頭から声が響いた。


 ――アル。お疲れ様。


 優しく、聞き慣れた声音が、私を夢心地にさせるのを面白がるように、それは続く。


 ――アリアのこと、清々したって思ってないかい? 駄目だよ、アル。教団と最低限の関係性を保っておくために、彼女の中立的な立場と知名度は必要なんだから。

「……うるさい」


 思わず零れた愚痴に、傍で同僚と談笑していたらしい教団員の体がビクリと跳ねた。しまった。私は「ご、ごめんなさい。何でもありませんから……」と申し訳なく謝って、早足で立ち去る。プルトがいたら、どやされるだけじゃ済まないだろう。しばらく廊下を走った後、誰もいないことを確認したところで、指にはめた藍の円環に恨み節をぶつけた。


「あなたが急に話しかけるから……!」

 ――あはは。ごめん、アル。


 その声は、藍の円環から発せられているわけではない。しかし彼の意識は、この円環の中に格納されている。

 もう一度注意深く周囲を警戒した後、右手を伸ばして円環の中の彼を強く意識する。

 彼を現実へと表出するための暗号を、詠唱する。


「レコルダ・ローラン。『死を忘るるなかれ』」


 空間に虹の光条が走る。円環から引き上げられた彼の情報を、私の体を触媒にして出力する。しばらくすると、光条が束になって彼を形作っていく。

 目の前には、緑のローブを羽織る、いつものローランが現れた。

 ローランはきょとんとした顔で、手にした結晶杖を怪訝そうに振って私に言う。


「? 別に、呼び出して欲しかったわけじゃないんだけど、どうかしたかい?」

「黙っててください」


 にべにもない態度で返して、もう一度私はイメージを始める。全身を紐解き、分解するイメージで、勇者を象った表層を剥がしていくと、自身をいつもの姿形と服装へと戻した。

 ローランは律儀に黙りながらも、目を見開いて驚愕している。勇者としてイス・サイラムにいて、そのおかげで聖騎士に追いかけられずに済んでいるというのに、どうして変身を解いたのだろうと疑問に思っているに違いない。そんなことはお構いなしに、私は彼の手を引いてエブラヒームを出て行く。

 途中、何人もの聖騎士にすれ違うが、誰も気にせずに通り過ぎていく。各人の持つ魔力光を、聖痕という防護壁を突破して改竄していくことで、私とローランの二人を認知できないようにしていることに気付いたローランは、きっと恐々しているだろう。ただの人間に比べて魔術に耐性を持っている聖騎士団に用いる術でないと言っていたのは、もう随分前の話だった。かくいう私は、バレるかもしれない緊張感の中で、どうしようもなく心がくすぐったくなって……それも限界になっていくと、笑い出してしまう。

 イブラヒームの前の泉で立ち止まり、ローランに振り返る。緊張からか少し息は上がっているようだったが、彼もまた私に釣られているのか笑顔で泉に目を向けている。

 長方形にはっきりと区切られた堀の中心に、噴水が聳え立つそこは、いつかのシーマの監視塔を思い起こさせる。吸い上げた水が先端から吹き出されると、外の砂嵐から漏れ出す日光と反射して、七色の光を発している。そこは人を押し込め、秘匿する場所にある唯一の日溜まりのようで、人間らしい温かみの感じる場所だった。それが確信であるように、泉の周りに設置された公園やベンチで、人々が穏やかに過ごしている。

 その中で、誰からもの認識されない、世界から切り離されたような孤独感と背徳感が、この胸を支配する。

 私は、この世界で唯一縋れるものに……縋り、寄り添いたい者の手を、強く握りしめる。


「……もしかして、アル。これを見せたかったのかい?」

「そんなわけないじゃないですか、偶然です。ただの気まぐれですよ」


 どうしようもない意地の悪さを見せると、ローランはじっとこちらを見つめる。見惚れている、というよりは何かを観察しているようだった。そうしてしばらく、ローランは苦笑を漏らすと、再び日溜まりのような泉に目を向け直した。


「なんですか」

「ねぇ、アル。……君って、嘘を吐くと瞳が暗く紫がかるの、知らないんだね」

「なっ――!」


 急激に、顔が熱くなるのを感じる。今までしていた悪戯っぽい仕草がバレていると知ると、どうしようもない羞恥心に襲われた。


「み、見ないでください! というか、そんなことわかっていても話さないでくださいあなたは本当にもうデリカシーがないんですから……」

「ごめん、ごめんってば……」


 早口で捲し立てると、いつものように困った笑みでローランは謝ってくる。その癖が胸を騒ぎ立てると、それを落ち着かせるために私も泉を眺める。


「……ローラン。ローラン・エル・ネクロマンテ」

「なんだい、アル?」

「たしか、イス・サイラムから帰った後、アルバレコに行く予定がありましたよね」

「うん。近辺の集落が、王の葉に占領されているって……」

「それが終わったら、また結晶樹の森に戻って、ジルバをユニオンに勧誘するんでしたよね」

「うん。シッドが馬車を出してくれるって。快復したてで、無理しなくていいって言ったはずなのに……」

「……まだ各地には、王の葉の抵抗が強い地域があります。それが終わらない限り、私の旅は終わらないんでしょうね」

「……うん。そうかもしれない」

「ローラン」

「なんだい?」

「……ずっと、一緒に、旅に出てくれますか? 私はもっと、もっともっと……この世界の美しい景色を、優しい人の営みを、見てみたいんです」

「もちろん。俺なんかでよければ、だけど……」

「…………」

「? 何か、変なこと言ったかい?」

「なんでもありません」


 どこまでも自分を卑下にする死霊術士に怒りにも似た感情で言葉を返すと、私は泉に架かる虹に向かって、手を翳す。

 赤い虹は、神へと扉と言われていたけれど、今はその姿を現すことはないし、恐らくこれからもないんだろう。

 これから世界は神を手放し、神を殺し、神をなくす。

 そんな世界で、私は私として、これからも旅を続けていく。

 私はアル。

 アル・エル・アル。魔王でも、勇者でもない。ただのアルだ。

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アルは此処に在りて~魔王少女の異世界巡礼記録~ 葛猫サユ @kazuraneko_sayu

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