観測外領域(3):シーンプレイヤーⅡ


     ◆


 あー、そっか。そうらよね、知らないよね。あぁーもう、あたしのお馬鹿……知ってたら、今さらこんなことで悩んれないじゃん。

 ちょっと! 詰め寄らないれよ! 話すから! もう! 急に元気にならないれよ!

 ……あたしらは帝国の敷いてる通信網を使って、各地のテロリスタ……王の葉に連絡を取り合ってるんらけろ、そもそもそれを考案したのはジルバなの。彼女は各地で抵抗するウォルフたちを引き込んれ、時間を掛けて慎重に作戦を行うことに重きを置いてるから、帝国間の定時連絡を受け持つあたしやアリシアは、ジルバとは何度か通信文を送って交流してるの。……通信文、知らない? セターニルに行ったなら、パンチプレートを挿して遠方に手紙を送る装置を見たれしょ? 結晶樹の森にらって、近隣の町からケーブルを引いて使えるようにしてるんらよ。里の入り口の……たしか、『コロラロ』の里らっけ? 魔力による通信関係の技術は、クリスタロボから着想を得てるし、受信機さえあればこの人形みたいに無線で手紙を送ることらってれきるんらよ、あそこって。

 ジルバは長い間、森にいながら外のウォルフたちのそうやって指示してたの。あんたの事も、度々話してた。あんたがいつか王の葉の頭領になるまれ、この席は保ち続けるってね。


 昼間に話した、サゼンとの会話を脳裏で反芻しながら、目の前のローランにかいつまんで話す。ローランは顎を引いて私の話に耳を傾けながら、驚愕と猜疑心の悪いところを抽出したような暗い面持ちを浮かべていた。


「それは、本当の話なのかい、アル?」


 思った通りの言葉が、私の耳を打った。一語一語をゆっくりと噛みしめながら尋ねるローランの心境は、如何ほどのものなんだろう。彼が今ここに居るのは、他でもないジルバの推薦があってこそだ。里内で唯一の元人間であり、里の中で孤立する危険があったローランを、彼女が信用すると宣言したからこそ彼は二十年間ウォルフの里で穏やかに暮らすことができていた。

 嘘つきのローランは、他人の厚意に甘くて、無意味に優しい。彼がジルバをどう思っているかなんて、明白だ。

 そんなことを考えながら喋る私の口調には、どこか棘があることを自覚していた。


「旅の仲間と、ジルバ。あなたはどっちを信じるんですか?」

「……そういうことを話してるんじゃないよ、アル」

「私は、はっきり言ってネヒン……あの女のことは大嫌いです。ですかそれは、彼女の言う正論が嫌らしいからです」

「ネヒンが、嘘を吐いている可能性は? 彼女の言うことを、真に受けすぎなんじゃないかい?」

「こんな回りくどい嘘を吐く意味がわかりません。彼女は、そんな愉快犯じみたことをするんですか?」


 ローランは首を振って否定する。私なんかより、ネヒンをよく知っているはずなのに、いまいち自信なさげなのは、彼が実は他人にさほど興味がないせいなのだろうか。

 魔王には執着するくせに。


「ネヒン、サゼン……どちらでもいいですけど、彼女はどこか達観しています……世界を、見下していると言っていいほど。そんな彼女が、一人の子供をからかうようなことしますか? それに彼女が言うことが嘘だとしたら、彼女がジルバの名を知っているのは何故ですか?」

「……」

「それを、確かめる必要があります」

「この状況を差し置いて?」


 努めて冷めた口調で、ローランが反論する。慣れないことをしている自覚がないのか、燃えさかる公園を見渡す動作がなんとなくぎこちない。それでも彼の主張は一理あった。

 爆発がいったん鳴り止んだものの、首都各地では目の前の紫結晶がまるで楔のように打ち込まれているに違いない。ボウ、と妖しく光を放つそれは、辺り一帯を消し炭にし、木々を薪に変貌させてもなお、依然肌に刺すような熱を放出し続けている。ローランの話した構造が正しければ、この結晶の柱は人間たちが暮らすこの区画で、魔素によって光と熱を放ち続けている。ただの人間が、高濃度の魔素を浴び続ければどうなるかは見たことはない。結果が分かりきっているからだ。

 こんなことになったのは、いったい誰のせいだ。どうして、なんの罪のない人間が、その身を焼き焦がして地に横たわって……、

 どうして自分が、ここにいるんだ。


「……本当に、ジルバが王の葉の頭領だというなら、私は聞かなければいけないことがあります」


 ジルバ。父のいない私にとって、彼女の優しさは、煩わしくも気持ちのいい暖かさがあった。

 この非道が、彼女に繋がっているなんて、私だって思いたくない。ローラン、お前だけがジルバの正体を知って、落胆していると思うな。

 言外に押し込めた情動を察していたのかどうか……ローランは、再三首を振って溜息を吐いた。


「……アル。今から言うことを、ちゃんとイメージして欲しい」


 唐突に、ローランはそう注意した。

 イメージ。ローランが真剣な口調でその言葉を使うのは、初めてじゃない。彼が私に魔術の理論を説く時……それを、私に使わせる場合……必ずといっていいほど、ローランはその言葉を先に置いておく。

 父から受け継いだ私の魔術は、世界の法則を感覚的に掴んで操作できる……というのが、ローランの見解で、私も間違いではないと思う。あるいはそう思っているからこそ、この利己的で理不尽な魔術が行使できるのか……どちらの事実が先なのかははかれない。肝要なのは、自分が見聞きした魔術の理論を、ちゃんと自分なりに噛み砕いて『イメージ』することができるかどうかだ。

 想像さえできれば、世界を自由に動かせる。逆に言えば、想像できなければ、離れた石ころ1つ動かすこともできない。


「今、君の目には何が見えている?

 俺と、結晶の柱……燃える木々に夜の闇と、星々……。

 それがもし、一度目を離した隙に、全部変わってしまう……なんてことはあり得ない。ここは現実で、夢のように不定型な世界ではないからね。

 ただ……目を閉じて、耳を塞いで……世界と自分を隔絶している間に、世界がどう変わっているかを観測できないなら、自分という一単位以外の世界は存在しないことになる」


 ローランの話す今回の理論は、どこか飛躍しているようにも思えた。

 ただ、ローランの眼差しは、まさにそれを体感しているような、確信に満ちた光を宿している。決して誇張ではない。ローラン・エル・ネクロマンテは、魔術士としては一流だ。

 その前提があったとしても、次の言葉に私は彼の精神状態を疑った。


「これを踏まえた上で、逆説的に言うなら……知覚の外には無数の世界がある。そこから……、無数にある実像の中から、俺たちは観測によって一つを絞り込む。

 それ故に、世界は認識で成り立つ」

「……はぁ?」


 馬鹿馬鹿しい。ああきっと、ローランはどこか頭を打ったんだろうと私は内心で断じた。


「あり得ません。その話を鵜呑みにするなら、今遠く離れたジルバは何人も存在するとでも言うんですか?」

「今、ここにいる俺たちにとってはそうだね」

「馬鹿馬鹿しい。とうとう現実逃避を始めたんですか?」

「ちゃんと聞いてくれ、アル。認識と言っても目で見ることだけがそうじゃない。

 匂いを感じること、気配を思い出すこと、そうすることで今、俺たちのなかでは個別のジルバが存在している。そんな個別の知覚を集めてパターンを表出しているのが、俺たちが今考えているジルバなんだ。

 でもそれは、ジルバ本人を決定づけることはできない、本人には本人の意識があるからね。ただ観測という観点においては、知覚できないものはいないものと一緒なんだ」


 私を知覚する無数のパターンが、私というものを作り上げる。それと、私の意識に、互換性はない。

 そんなの当たり前だ。私が魔王の娘として、魔王らしい矜恃を期待されている中で、私はそれを望まないのと同じように、誰かが期待する私と私自身の望みは全く同じになることなんて滅多にない。

 私はここで、思わず口元を押さえた。

 私は、魔王になることを望まない。それは、どうしてだっただろうか、思い出せなかった。

 欠落した記憶を探る前に、ローランは言葉を重ねた。


「今この瞬間に認識できない人間は存在しないのも同じだなんて暴論だ。そんなわけがない。それがまかり通るなら、誰もが全ての人間を知覚できる存在がいることになる。

 ――わかるかい、アル? この世界は俯瞰している誰かの視点で成り立っているんだ。

 エル教をなぞるなら、無銘の神と例えていい。あるいは、俺たちが本の世界の人物を眺め読み取るように、もっと普遍的な存在なのかもしれない」


 ここまで言い切って、ローランは手にした結晶杖を展開する。光条が湾曲し、円環を成してローランを取り囲む。


「それを曝くことができれば……こうすることもできる」


 意味深に呟くと、ローランは私を再び抱き寄せた。自身の胸板を、私に押しつける。

 真っ暗な視界と反比例して、私の頭が真白に染まる。頭の後ろからローブのはためく音が聞こえると、さらに視界の闇が深くなっていったように思えた。音が遮断されたのだ。

 闇。頬と額に感じる、ローランの体温と、自身だけの世界。

 さっきのローランの言葉を信じるなら、今外には無数の世界があるのだろうか。

 イメージ。ローランが言ったように、私は知覚の外にある世界をどうにか想像してみる。とは言っても、実際に脳裏に浮かぶのは、これまでの旅で見た景色とその印象だった。

 セターニル。岩壁に囲まれた、逞しく美しい町並み。

 山間の村、そして小さな浮雨湖。ジメジメした、陰気な村と、悲劇のシーマたち。

 ゴルドバ。公園。蛮勇を奮って爆弾となったあのシーマが、生きて家族の元へ帰る未来もあるのだろうか。

 これも全部、俯瞰して眺めている人間がいるとするなら、と私の意識が意識が上を向く。

 誰かと、目が合った。そんな気がした。


     ◆


 しばらくこうしていると、またローブがはためく音がする。

 ローランの体温が離れていくと、閉じた暗闇の端から滲むような感覚が差し込んでくる。周りがとても明るいようだ。それも、さっきとは違う輝き方をして、柔らかい。

 目を開けると最初に、結晶樹から伸びる枝の光が飛び込んだ。ガラスの彫像のような、透き通った多面体の表面を持つ樹木が、日中に蓄えた光を放出することで発する、太陽の匂いが鼻腔をくすぐる。

 忘れるはずもない、これは私が二十年間嗅ぎ続けた、故郷の匂いだ。だからこそ、ありえないと理性が叫んだ。

 クリスタロボ大森林。白夜森林。結晶樹の森。

 今、私が地に足を付けているのは、紛れもなく私の生まれ故郷の、ジルバの里だった。


「俺は見たことないけど……、演劇の舞台って、場面ごとに背景を変えるよう演出するそうだね。

 イメージとしては、観測者の視点をそのまま舞台として、こうして登場するように移動することができると思っていいかな」


 神妙な面持ちで、ローランは事も無げに言い放つ。彼自身もまた、およそ1ヶ月ぶりの景色を懐かしんでいるようだった。

 困惑したまま、私はこの森に戻るまでの経緯を思い出そうとした。首都でテロリスタの爆発騒ぎを経て、ジルバのことをローランに話すとローランは狂ったようなとんでもない魔術理論を真剣に語り出して、抱きしめられて……、どこかへ飛び立つときの風が素早く撫でる感触も、揺れもなく、目を開いたときにはここに居た。匂いも、温度も……目の前の景色を目の当たりにした瞬間に現実となったように訪れる。

 私は恐ろしくなって背筋を震わせた。気付いたときには、世界が変わっている。私が今認識している世界は、一秒前の世界と同じなんだろうかと。ここが本当に現実なのか、それすら怪しくなっていくようだった。


「ここは、本当に私の知るクリスタロボなんですか?」

「正確には違う。俺たちは、俺たちが今こうして見ている世界を、現実と認識するしかない。だから一ヶ月前のクリスタロボと、今のクリスタロボが同じだという保証はない。実際、時間の流れで変化はするしね。でもこれを形作るのは1人だけじゃなくて、みんなの視点からパターンを表出しているから、些細は違いは誤解とか、それこそ環境の変化とかで誤魔化せるんだ」


 わかるかい? とローランは視線で促してくる。自分がどれだけ荒唐無稽で、受け入れがたい真実を話しているかをわかっているようだった。それに対して、理解が追い付かない私は、とりあえず疑問に思ったことを彼に投げかけた。


「時間は、どうなっているんです? ここまで来るのに、まったく時間をかけていないと思えませんが」

「俯瞰している視点を軸に空間を跳躍しているから、時間の連続性はある程度無視してるんだろうけど……」

「? どうかしたんですか?」

「ああいや、その気になれば、過去に飛べるかも知れないな、って……」


 また何かを考えついたように、ローランは視線を落とす。想像しろと言いながら、彼もまた自分の魔術の全てを理解していないようで、また自分の世界に引き籠もった彼を無視して、私は里を見渡す。

 里全体が明るく白んでいるということは、時間的には夜で間違いない。全員が寝静まっているのか人は自分以外おらず、街を巡ってきた自分の目には、いささか寂しく映ってしまう。

 この転移を、ローランは舞台の場面変更に喩えていた。確かに演劇では、場面や時間の移り変わりを背景や人物の入退場で演出する。舞台上で広がる景色も、あの物語の中にとっては世界の一部でしかない。ただ外から見ている自分たちが見えていないだけなんだ。そう考えると、ローランのこの転移魔術のイメージが、なんとなく掴めてきた。

 振り返ると、後ろにはジルバの家があった。まるで、そう、私の驚愕を演出するように、その家は視界いっぱいに大きく映る。晶狼の習性を再現するためにツリーハウスを好むウォルフであるが、ジルバの相棒である巨大な晶狼リンデに合わせるためにジルバの家は広めのログハウスになっているのだが、普段から見ているよりも薄暗く、重く見える。

 魔王の娘である私は、ジルバを呼ぼうと扉の前に立って、右手を上げる。扉を隔てた向こう側に、ジルバはいる。サゼンが言うことが本当なら、これまで父の遺志を自分の都合のいいようにねじ曲げて解釈し、傍若無人な振る舞いをした輩の頭目がいる。

 魔王の娘は、それに怒るべきだ。父が望んだ平和を、よりにもよって父の名を利用して壊そうとする人間たち。許しておけるわけがない。

 しかし魔王の娘はジルバと過ごした日々のことを思い出す。彼女は元々魔王軍として戦い、勇者とも対峙したことがあるらしい。ロードレク城へ向かう道中で立ちはだかるも、食い止めることができずに生き恥を晒したと、もの悲しく語る日もあった。

 時には、私に父の影を見つつも、まるで娘か妹のように振る舞っていた彼女。

 そんな彼女に会って、何を糾弾すればいいんだろう?

 もしサゼンの話したことが事実だとして、私はどうすればいいんだろう。

 どうすれば、魔王の娘として正しくなれるんだろう。

 アル? と、心配そうにローランが声を掛けてくる。煩わしい。そう感じた拍子に、不思議と我に返る気分になった。それを待っていたかのように目の前の扉が勝手に開く。

 玄関には灰色の大狼が扉の持ち手を器用に加えていた。

 リンデは私たちの姿を見るや否や、耳をピクリと跳ねさせてすぐに踵を返す。しばらくすると、寝ぼけ眼を擦りながら、寝間着姿のジルバが現れた。


「まぁ! アル様! それにローランも!」


 寝室から頭を覗かせて私たちを見るや否や、素っ頓狂な声を上げて忙しなく手を動かすジルバ。明らかに動揺しているのは、だらしのない寝間着姿を見られたせいだろう。そうであって欲しかった。

 しばらくして落ち着いたジルバは、クセのついた濡羽の髪を手ぐしで梳かしながら「お恥ずかしいところをお見せました……」と肩を縮こまらせた。


「いつお戻りになられたんです? それに、そんな暗い顔して……」


 私たちをソファに案内しながら、ジルバはいつもの丁寧な調子で話しかけてくる。真夜中に尋ねてきた私たちも、少しも厭わない態度で。

 そこにはいつものジルバがいた。母のような、姉のような、素敵な人。


「まさか一ヶ月でお戻りになるとは思わなくて、何も準備ができていなくてすみません」

「いいえ、俺たちも急に押しかけてきてしまって」

「……何か、あったのですか? 外の世界で」


 ちょうど人一人分の間を空けて座るローランが、目の前のテーブルに視線を落として言い淀む。

 私とローランの間にあるぴりついた空気を感じ取ると、ジルバは背筋を真っ直ぐ伸ばしてこちらを凜と見据えた。

 いつものジルバだった。母のような、姉のような、素敵な人。


「ジルバ。……王の葉という組織を、知っていますか?」


 つい遠回しな言い方で、私は尋ねる。落ち着かない気分を顔の脇に伸びる自分の髪を弄ぶことで紛らせる。どこか期待しているのかも知れない。いつものように、わからないことになるときょとんとしながら首を傾げる彼女が見られるのだと。

 しかしそんな小細工は通用しなかった。おそらくは、もう察していたのだろう。ジルバは、観念したように鼻から息を吐いた。


「ええ、知っています。ウォルフを……いずれは亜人全てを治めるために用意した、アル様の席でございます」


 フラリ、と。陽炎のように目の前が歪んだ気がした。認識が世界を作るなら、私の世界はなんて脆いんだろう。


「今まで黙っていて、申し訳ありません」それでもジルバは、いつも調子で私を心配する。

 何か、寒気のようなものを感じた。私の見ていた現実が、どんどん私のものでなくなっていくような、疎外感。

 みんな、みんな嘘つきだ。ローランも、ジルバも、勇者も。拳に、力が込められていくのを感じる。


「なんで、王の葉なんかに……?」


 ローランの問いかけが聞こえる。それに対してジルバは「王の葉なんか、ですか……」と意味深に呟いた後、


「たしかに、そう思われても仕方ありません。ですが最初は王の葉も、テロリスタなどと呼ばれる集団ではなかったのですよ」

「最初は?」

「ええ、本来は戦争の後で無法者と化した亜人たちをまとめるための組織だったのです。戦争の終結で混乱する戦場に、人間たちのと禍根に決着を付けられない者たち。それらを、魔王ロードレクさまの遺志の下でまとめ、ゆっくりと世界の変革を見守ろうという目的で、組織したのです」


 遺志。故人の遺した思い、願い。これまで、何度も聞いて、何度も口にした言葉だ。


「王の葉は亜人族によってそれを取りまとめる代表を一人ずつ選出し、各々が担当する構成員たちを取りまとます。その中で今、首都で起こっていることは把握しております」

「……あの紫の結晶のこと、里長様は知っているんですか?」


 ローランが問いに、ジルバは目を剥きながらも頷いた。


「ハヌクリア、という結晶爆弾ですね。ラガルトラホを技術提供で作られたもので、爆発と共に毒性を付与した魔素を拡散させます。たとえ爆発から生き残ったとして、一帯を人間の住めない毒場とすることは容易でしょう」

「そんなことしたら……」

「はい。首都は、魔境となります」


 ローランは何かを思い出して渋面している。私もまた、燃えさかる公園を思い出していた。

 その暗い雰囲気を、ジルバ聡明にも悟ったように膝の上で指を組んだ。


「私は、ウォルフをまとめ上げる中で、通信文を通して知る外の現状に、憤りを覚えることはあります。ですが、初めは優しさと、祈りから始まったことなんです」

「……だから、人を傷つけていいと? 他でもない、私の父の名前を使って」


 その台詞は、半ば反射的に口走っていた。


「そうなってしまったこと、弁解の余地はございません」言いながら、ジルバは私に抱擁しようとするように腕を大きく広げた。

「私を罰するというなら、そうしてください」


 ジルバの目は、穏やかに、真っ直ぐと、私を見ている。受刑者の目をしている。殉教者の目をしている。その瞳の中に、呆然とする間抜けな私が映る。

 胸の中の疑念の波が、かぁと燃え上がった。


「――あなたを殺して、何が変わるっていうんですかっ!!」


 ふざけるな、ふざけるな。鬱屈した感情を、私は思い切り吐き出そうと口が開く。湧き上がる熱を、どうにか逃がしたいと、喉が乱暴に震える。


「今、首都でどれだけの人間が死んでると思っているんですか……! ジルバ、あなたの命だけで、それが償えると思っているんですか!? 命を軽んじるのもいい加減にしなさい!!」

「アル様……」

「死んで終わりだとでも言いたいんですか! 父が死んでも何も変わらなかったのに、あなた如きの死で、この現状を変えられるというんですか!?」


 当惑するローランの視線を感じる。湧き上がる怒りが堰を切って、収まりようがない。

 何故、あのシーマも、目の前のジルバも、不死のローランでさえも……。

 父も、そう簡単に命を差し出そうとするんだ。

 世界が認識でできているというなら、この世界が一つの舞台であるというなら、これまで失われた命は、そうあるべきだったというんだろうか。

 ジャケットの巻き込んで、拳を握り込む。そうして、今なおぽろぽろと零れる涙を、なんとか止めたかった。

 滲む視界の中で、柔らかな香りが近づいてくるのがわかる。すると、誰かが自分に頭に腕を回した。


「みんな、みんな……。どうして、死にたがるんですか……!

 父が、命を犠牲にして守りたかったのは、あなたたちの世界のはずなのに……!」


 父の守ろうとした世界。

 そう、私は確かに、それをローランに話して旅を始めたんだ。

 私は、最初から人間が憎かった。父を殺した、たった一人の肉親を……英雄を奪っていった人間たちが。それは今でも変わらない、そんなことは当たり前なんだ。

 胸に手を当てる。そこに収まっている、藍の円環に触れる。円環の固い感触が父に触れているようだった。

 セターニルの暗闇に指す光明のような町並みを思い出す。ゴルドバへ入る前の、活気に満ちた商人の列を思い出す。夕日に照らされた、鮮烈な首都の建築を思い出す。初めて森の外へ出たときの、山々の美しさを思い出す。今なら、父の遺志が明確に感じられる。

 父……ロードレクは人間を……人間や亜人たちが、この美しい世界を構成する一部だと信じていた。そのために、奪い奪われ合うような戦いを、どうしても止めたかった。

 世界はこんなに美しくて、逞しくて、そんな世界で生きとし生ける者たちの全てが愛おしくて……、それを守るために戦わざるを得なかった。共存を願ったのは、人間も亜人も、父にとっては愛おしいものだったからだ。

 自らを犠牲にしても、守る価値があったものだった。


「申し訳ありません、アル様……」静かな声が、頭上に響く。いつの間にか、私はジルバの腕の中で泣いていた。

「私は此度の旅で……アル様が亜人たちの現状を見て、その上で人間を許せないというのなら……、今すぐにでも頭領の座を退任し、この命をお渡ししようと考えていました」

「そんなものっ、いりません……!」

「ええ、私が間違っていました」


 ああ、きっと。見えてはいないけれども、ジルバは今柔らかく微笑んでいる。そうやって、いつも自分の非を認めるくせがあるのを、私は知っている。

 ジルバから離れて、涙を拭う。ようやく開けた視界の端で、気まずそうにローランは顔を逸らしていた。


「――ハヌクリアには、ラガルトラホの技術が使われています。もしかしたらそこに、無力化する手がかりが、あるかも知れません」

「……ローラン」

「わかってる」


 短く答えて、死霊術士は結晶杖を展開する。

 私は目を閉じて、展開される円環の中心にいるローランに、体を預けた。


「アル様」


 ジルバが、私を呼び止めた。


「お気を付けください。……変えるべきは、環境ではなく人の意識であることを、お忘れないよう」


 ローブで遮られる直前、予言者のような台詞を聞いた。

 誰かが、私を見ている気がする。

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