ep8.百万ドルみたいな気分

 以上が木曜日にはじまり金曜日に終わった事件のあらましである。


 もちろん、これですべてが変わるわけではない。

 数週間かけて築き上げたトラブルメーカーとしての実績は帳消しにならないし、わだかまりは不発弾のようにそこら中に散らばっている。

 ビアンカにとってもディミトリは引き続き最低野郎 マザファッカだろうし、彼女自身まだまだ欠点をいくつも抱えたままだ。


 しかし、いつかの変化の為の布石は今日、確かに打たれたのだ。


 ウィリアムにはそれで十分だった。

 いや、十分すぎた。


「……なんだよ? あからさまにニヤニヤしやがって」


 休み時間の中庭で、隣に立つビアンカが抗議するようなジト目で言った。

 やべ、と顔に手をやるウィリアム。どうも僕は考えが表情に出やすいタイプみたいだ。


 だけど、どうしようもない。

 どうしてこんなに嬉しいのか、どうしてこんなに誇らしいのか、僕にだって全然わからないんだから。


「なぁウィル。そういや、あんたにも謝らなきゃだよな」


 言うべき言葉が見つからないウィリアムに、ビアンカの方から言葉を発した。


「知らなかったとはいえ、あたしは今まであんたの親と、それにたぶん、あんたのことまで悪く言っちまってたんだもん」


 ウィリアムはなにも言わない。相槌すら打たずに相手の言葉の先を待つ。

 今この瞬間においてはたった一言の相槌でさえも無粋だと、彼の中のありとあらゆる紳士的な因子が声を合わせて叫んでいた。


「だからさ、エルフをエルフだってだけの理由で嫌うのは、もうやめだ。もちろん気に入らない奴はいるけど、でも…………とにかく、それでもだ」


 まとまらなかった言葉を雑に放り投げた、そのあとで。


「だからさ、ウィル、ごめん。……あと、あ、ありがとな!」


 そう言ったと同時に、ビアンカはもたれかかっていた壁から背を離して歩き出す。

 それからこちらを振り返りもせずに「い、いいか! これでこの話は終わりだかんな!」と告げて、そのまま早足で歩き去ってしまった。


 エスコート係は付き従うエスコート対象が離れていくのを見送りながら、飲みかけのジュースを必要以上にゆっくりと飲み干し、それからようやく自分も歩き出した。


 なぜかはわからないけれど、まるで百万ドルみたいな気分だった。



   ※



 そのあとの一日を、二人はまったくいつも通りに過ごした。

 いつもと同じように授業を受け、いつもと同じように食堂でランチをとり、いつもと同じように寮に帰った。

 朝の一件についてはあれ以降一度も話題にしなかった。

『この話はこれで終わり!』とビアンカは宣言していて、だからウィリアムも紳士としてその要望に従った。



 特別な会話が交わされたのは、一日の終わりにだった。



「ウィル、起きてっか?」


 夜、お互いが自分の個人スペースに引っ込んだあとで、スペースを区切るパーティション(これはウィリアムの強固な主張により導入された)越しにビアンカが話しかけてきたのだ。


「あんたってさ、エルフん家の子なんだよな」

「そうだよ。養子だけどね」

「うん。昨日その話を聞いた時は、とんでもなく驚いたよ。この何年かで一番にビビった」

「確かにちょっと特殊な家庭環境だけど、そんなに驚くことかな?」

「驚くさ、ビビるさ。……くく、あのタヌキエルフめ、やってくれやがったな」

「……? タヌキエルフって、なにそれ?」


 そう問い返すウィリアム。しかしビアンカはそれには答えずに。


「なぁウィル、ティーチの旦那があたしらを引き合わせたのには、深い深い意味があったらしい。あんたとあたしの出会いは、思ってた以上に奇跡ミラクルだったみたいだ」


 こんなのって、マジで最高サンダーバードだぜ。

 ビアンカはそう言ってくつくつと笑った。


 それからその笑い声は、速やかに、シームレスに寝息へと移行した。

 今のはどういう意味なのかと、ウィリアムにそう問い詰める暇すら与えずに。


「……やれやれ」


 ベッドの上に仰向けになって、ウィリアムはため息をついた。

 まったくやれやれだ、眠りしなにまたしても謎を増やされてしまった。


 しかしまぁいいか、と彼は思う。

 きっとそう遠くない未来に今度は彼女の物語を聞かせてもらえるはずと、なぜだかウィリアムにはそんな予感があった。


 そして、その時こそ積み重ねられた謎の数々は明らかになるのだ。

 だから今夜は、ただ今日の日の感動を反芻しながら眠ってしまおう。


 ……と、そこで不意に、それまで見落としていた事実に、いきなり思い当たった。


「……ビアンカを怒らせたディミトリの発言って、そういえば、僕に対する侮辱だったような」


 ということはつまり、ビアンカは、この僕の為に怒ってくれていたということ?

 今回に限ってあんなに怒り狂っていたのは、自分じゃなくて僕がディスられたから?

 なのに僕は、彼女のその友情に対して、一言として感謝を伝えていないのでは?


「……なんてこったいオー・マイ・グッネス


 あまりにも非紳士的な不明であった。

 ウィリアムは慌ててビアンカに話しかけようとして……そこで、パーティションの向こうの安らかな寝息に気づいて、すんでのところで声を飲み込んだ。


「とにかく、明日起きたら真っ先にありがとうを伝えよう。伝えなくては……」


 そんなことを考えながらウィリアムは目を瞑り、やがて眠りへと沈んでいった。



   ※



 さて、翌朝。

 七時半にウィリアムが目覚めたとき、ビアンカの姿はすでにどこにもなかった。

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