ep13.ヒーローになるとき、それはいま

 放たれた火の玉は小さくて殺傷能力も低いものだったが、錯乱した野生動物を退散させるにはそれで十分だった。

 顔面に火球の直撃を受けたコヨーテは悲鳴を上げて跳ね回り、来た道を一目散に逃げ去っていった。


 そのようにして危機は去って、しかし、誰もすぐには状況を飲み込めない。


「――ブ、ブラボー!」


 たっぷり数秒の間の後で、最初に声を発したのはウィリアムだった。繰り返しブラボーと叫びながら、ゴブリンの少年は腕も千切れよとばかりに全力で手を叩く。


信っじられないアッメイジング! この現代において、まさか魔法に危機を救われるなんて! しかもあんなにも差し迫った状況で、君の呪文詠唱には少しも乱れがなかった! いやそれどころか、以前の授業の時よりも精度も速度も向上していた!」


 まるで神話の魔導師のようじゃないか!

 興奮した口ぶりで彼は級友を賞賛した。


「本当に、すごかった。お姉さん、心臓止まるかと思った」


 ゴブリンの少年に続いて、セントールのパークレンジャーが言葉を発した。


「それより、まずはお礼を言わなければいけないわよね。あなたがいなかったら怪我人が出ていたかもしれない。レンジャーとしてお姉さん、それだけは耐えられなかった」


 帽子を脱いで、ミズ・ロデオは深々と頭を下げた。

 そして、以上の二人に続く、三人目は。


「よう、やるじゃねえか委員長」


 エルフの不良少女が言った。素直に感心して、素直に相手を褒めて。


「お姉さんの言う通り、おかげで誰も怪我ぁしなくて済んだぜ。サンキューな、あんたのことは虫が好かねえけど、今日のあんたは立派なヒーローだ」


 本心から言っているのが明白な口調で言って、最後にビアンカはこう付け加えた。


「しっかし、魔法ってのは使えりゃ使えたで役に立つもんなんだな」


 この瞬間、ディミトリ・レノックスの自尊心は絶頂エクスタシーに達した。


 銃、手榴弾、スタンガンに火炎放射器……魔法よりも手軽で威力の高い武器や兵器が山ほどある現代において、実戦で魔法が使われる機会などまず皆無といってよい。

 魔法を効果的に運用して戦果を得たエルフは軍隊においてすら希少で、エルフ至上主義者の社会ではそれだけで一目置かれる存在なのである。


 その希有にして名誉ある一人に、今日、ディミトリは我が名を連ねたのだ。

 しかも、底辺の分際でこの私を凌駕していい気になっていた女に決定的な瞬間を見せつけ、やたらと反抗的だった彼女にこの自分が英雄であると認めさせた。

 そして、エルフの癖にエルフの名誉である魔法を軽んじていた背信者に、魔法の優位性を認めさせた。


「ふ、ふふ、では、ではバルボア君、認めるな?」

「は? いや、なにをだよ?」

「エルフとして、君よりも私の方が優っているということをだ」

「? おう、そうなんじゃねえか? あんたはあたしが知る限り一番にエルフだよ」


 直後にビアンカが口にした「だいたいあたしはゴブリンだっての」という呟きを、ディミトリはもう聞いていない。

 ビアンカ・バルボアという少女の中でしばしば『エルフ』が『ケツの穴』の同義語として扱われることも、彼は知らない。


 聞かぬまま、知らぬまま、ディミトリは心の中で勝利の雄叫びをあげた。


 計画は想定以上の首尾を収め、犠牲と忍耐のすべてが報われた。

 クソどもに愛想良く振る舞わなければならない屈辱に耐え、特別に作らせたフェロモン入りの香で野獣を呼び寄せ、そうしてディミトリは勝利者となったのだ。


 称号レースの一応の競争相手であるゴブリンも半獣の女レンジャーも、それにあの生意気な底辺エルフも、今日の彼を賞賛しない者は一人もいない。

 この活躍はじきにすべての級友と教師たちの知るところとなる。そうすればさらなる名声と輝かしき展望が待っているはずだ。

 どうでもいいがたぶん教頭も満足するだろう。


 万能感が総身を満たしていた。

 勝利の実感が麻薬のように脳を痺れさせていた。


 だから、彼の活躍に感謝も賞賛も述べていない者が一人いたことには、気づかなかった。


「だけど、なんだか腑に落ちないのよね」

「なにがですか?」


 下等種族ゴブリン半獣セントールがなにか話している、と勝利者たるディミトリは思った。


「コヨーテって、ほんとはとっても臆病な動物なの。だから普通は最初のホイッスルで逃げてくれるはずなんだけど、今回は仲間を撃たれてもまだ向かってくる子までいた。……そのせいで、やむを得なかったとはいえむごいことをしてしまった」


 話しながら、二人の視線が射殺されたコヨーテの死骸に向かう。

 コヨーテか、と同じように死骸を眺めながらディミトリは思う。


 私が作らせ焚いたのは魔獣をおびき寄せる香なのに、どうしてつまらないコヨーテなどが。


「お姉さんの目には、あのコヨーテたちはなんだかひどく錯乱しているように……というか、いっそ恐慌状態に陥っていたようにすら見えた」

「その印象はとてもわかります。なにかに怯えていたような……怯えるといえば、コヨーテが現れる前にも鳥たちが一斉に飛び立ちましたよね」

「そう、それだよウィリアム君。あれ、まるっきり危険を察知した時の反応だった」


 コヨーテ、コヨーテかぁ、とディミトリは思う。

 コヨーテなんかではなく、せめてチュパカブラかジャッカロープ……いや、なんならグリフォンでも。

 そう、そんな大物を撃退したとなれば、私にはもっと、もっと巨大な名声が。


「もしくは、なにか危険な気配、危険な存在を察知したみたいな――」


 その時、お姉さんの声にかぶせるようにして、頭上から咆哮が降ってきた。

 咆哮の主は三度高く吠えたけた後で、山頂から急降下して姿を現した。


 もはや飛び立つ鳥も恐怖する獣も残ってはいないらしい。

 不自然なほどの静けさの中で、それは巨体に似合わぬ身軽さで石舞台の上に降り立った。


「……おいおいおい、こいつぁ、特大のガッデムだ……」

「……こ、これ、ワ、ワ、ワイ……」

「……ワイバーン、だね……」


 エンパイアワイバーン。個体数は少ないものの合衆国本土メインランドの山岳地帯に広く分布する、我が国で『ワイバーン』と言えば一般にこの種を指すほどポピュラーな翼竜。

 サロンでくつろぐ重役VIPのように、空の王者は石舞台で香煙を堪能している。


「……み、みんなたち、逃げ、逃げましょう……」


 最高危険度の野生動物を前にして、優秀なパークレンジャーも声が震えている。


「……背中は見せないでゆっくり後ずさって、だけど、目も合わせないで……」


 幸いなことに、ワイバーンは煙を浴びることに夢中で四人にはまったく興味を示していない。

 逃げるには絶好の、そしておそらくは唯一のチャンスだ。


「……絶対に、絶対に刺激しないで」


 お姉さんが再度全員に注意を促した、そのとき――呪文詠唱ははじまった。


 全員が、信じられない顔で声のする方に目を向けた。

 そこには取り憑かれたような笑みを浮かべて呪文を唱える、ディミトリがいた。


「ディ、ディミトリ! 親愛なる友よオールドスポート! ダメ、ストップ、ストップ!」


 だがウィリアムの制止もむなしく、火の玉が翼竜目掛けて疾走した。


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