ep14.引き金は僕が引く!

 横っ面に火球をぶつけられたワイバーンは、ゆったりとした動作で頭部を持ち上げて周囲を見渡した。

 その様子はある種の優雅さすら感じさせて落ち着いていた。


 ワイバーンは静かな瞳でしばし一同を見つめ――それから、いきなり咆えた。

 いかにも、怒りの咆哮であった。


 翼が大きく広げられる。

 一度、二度、三度の重い羽ばたきが空気を叩く。


 そして巨体が浮かび上がる。


「……クソッタレめサノバビッチ!」


 宙に浮いたワイバーンは高い位置から人類たちを見下ろし。


「散れ散れ散れ!」

「みんなたち散って! バラバラに逃げて!」


 ビアンカとお姉さんが同時に叫んだその直後、空の王者は風を唸らせて四人を強襲する。

 恐ろしい急降下突撃だったが、全員、なんとかこの襲撃を切り抜けた。


「とにかく車まで逃げて! 各自自分が逃げることを最優先で考えて!」


 引きつった声でお姉さんが指示を飛ばす。

 が、しかし。その場を動かない者が、二人いた。


 一人はココ。

 最初の襲撃はどうにか回避することができたが、それが彼女の限界だった。

 吸血鬼の少女は完全に足をすくませて、走り逃げた先でへたり込んでいる。


 そして、もう一人は。


「!? よすんだディミトリ、やめたまえ!」


 ディミトリは再び呪文を詠唱していた。

 本日三回目の呪文、火の玉の呪文。


 宙を駆けた火球は再びワイバーンに直撃し――そして、再びいたずらに刺激する。

 ワイバーンが、今度は二足歩行でディミトリに向かって来る。


 ディミトリは、しかし逃げようともしない。

 ワイバーンを見据えて、彼は四度目の呪文詠唱に入る。


「アホかおめえは!」


 危険生物が迫っているのに詠唱をやめようとしないディミトリの襟首をひっつかんで、ビアンカが強引に彼を動かす。


「そんなもん意味ねえんだよ! ドラゴンのお仲間に火の玉ぶつけたってアヒルに水掛けるようなもんだろうが! んなことビデオゲームやらねえあたしでも知ってんぞ!」


 くそ、魔法なんかやっぱろくでもねえ!


 そう吐き捨てたビアンカの言葉が、ディミトリの耳から入って心臓を冷たくした。

 どうしてだ? どうしてこうなってしまった?


 一つの成功が万能感を呼び、その万能感が判断を曇らせた。

 今日の私は神話の魔導師のように力と運気を漲らせていると彼は根拠もなく過信していて、だからワイバーンが降り立った時も、神が自分にチャンスをつかわしたのだと本気で喜んだ。

 野生動物は火を恐れるものという思い込みが得意とする火の魔法の評価を過大にしてもいた。


 だが実際はこの通り、さらなる名声を掴むどころか醜態をさらして、班員とレンジャーを危険にさらしている。

 十分前には英雄ヒーローだったのに、今では一転して大戦犯トラブルメーカー


 ビデオゲームだと?

 私の知識は、オタクナードどものオモチャ以下だというのか?


「……ちょ、おい! なに止まってんだよ! いいからケツまくって逃げんだよ!」


 失意に足を止めたディミトリの腕を、ビアンカが必死になって引っ張る。


 その時、ホイッスルが吹き鳴らされ、銃声が響いた。


「ミズ・ロデオ……! お姉さん……!」


 パークレンジャーはホイッスルを吹きながら走り回り、走り回りながら銃を構える。

 あたかもカービン銃で武装した分離戦争シビル・ウォー時代の騎兵のように。


 銃弾は固い竜鱗にむなしく弾かれたが、レンジャーの狙いは最初からワイバーンの注意を自分に引きつけることにあった。


 連射の利かないボルトアクション・ライフルを大急ぎで再装填して、再度構える。

 そのお姉さんに、ワイバーンが低空飛行からの体当たりをかました。


 ハットが飛ぶ。ライフルが投げ出される。

 セントールのパークレンジャーは吹っ飛ばされて、落下する。


 そしてそのまま、気を失って動かなくなる。


 状況は刻一刻と悪化する。

 悪化の一途を辿る。


「クソ! おいウィル!」

「ダメだ! 逃げられない! 逃げるわけにはいかない!」

「ああ知ってるよ! 『紳士は友達を見捨てない』んだろ!」


 ビアンカの呼びかけにウィリアムが応じ、それに対してビアンカが応じ返す。


「でもだったら、もうこれしかねえよな!」


 言って、ビアンカは腰を落として拳を握りしめる。

 地元仕込みの空手の構えジパニーズ・ファイティングポーズ


 まさしく、もうこうなっては、全員が無事脱出するにはあの敵を倒すしかない。


「来いよ空飛ぶトカゲ野郎ファッキン・ゲッコー! 恐竜の太古に送り返してやるぜ!」


 一方で、ウィリアムもまた懸命に視線と思考を走らせている。

 相棒に任せきるのではなくどうにか自分にもできることがないかと、死に物狂いで戦うすべを探している。


 そして、投げ出されたライフルが視界に入った瞬間、考えるよりも先に走り出した。


 飛びつくようにして拾い上げたのはセントール仕様のボルトアクション・ライフル。

 ミズ・ロデオがその武器をどう扱っていたか、ゴブリンの少年は必死に記憶を探る。


 すると奇妙なことに、はじめて触ったはずのそれの使い方が、なぜだかすんなりと理解できた。

 きっとこうすればいいのだという、確信めいた実感を伴って。


『そいつはな、たぶんゴブリンの種族的特徴だ』


 数日前の相棒の言葉が、不意に脳裏に蘇った。




   ※




 海の幻想生物であるクジラと対を成す大地の幻想生物、ドラゴン。

 その眷属であるワイバーンは、クジラの眷属であるイルカと同様に高い知性と知能を有している。


 ビアンカの拳をゴブリンパンチの紫電が覆いはじめると、これまで一方的な蹂躙者であったワイバーンが、はじめて恐れのようなものを見せた。

 ただ事でない魔力の高まりとその結果として用意されている危険を察知して、翼竜はいったん空へと逃げる。


「てんめぇ、ざっけんなよ! 勝負しやがれこの卑怯者ヒキョーモン!」

「――ビアンカ!」


 空に向かって悪態をつくビアンカの元に、ライフルを抱えたウィリアムが駆け寄る。


 ゴブリンの少年は迷いのない手つきで遊底ボルトを操作する。

 空薬莢からやっきょうが排出されて次弾が装填される。

 最後にハンドルを下げてセーフティを解除する。


 後は引き金を引くだけとなったそれを相棒に差し出して、ウィリアムは言った。


「ビアンカ、君が照準ねらいをつけるんだ! 引き金は僕が引く!」


 あまりにも突拍子のないこの申し出に、ビアンカが唖然とした表情になる。


「ちょっと待て、あんた、いったいなにを――」

「すまない、言葉が足りなかった! 狙うのはワイバーンの逆鱗げきりんだ! ヤツの喉元、首の下あたりに他とは色の違う鱗があるだろう、あれを狙ってくれ!」

「そうじゃなくて!」


 しびれを切らして叫ぶビアンカ。

 そんな相棒にウィリアムは説明する。


「君は前にバスケの授業で奇跡的なロングシュートを決めたよね? それに君が日常的に行う物や道具のパスは必ず僕の手に収まる。投げたゴミはゴミ箱を外さない」

「はぁ? それがいまなんの関係が――」

「いいかい、それはエルフの種族的特徴だ」


 ビアンカが言葉を失って凍り付く。

 ウィリアムは説明を続けた。


「昔話に登場するエルフは魔法だけでなく弓も得意としているけど、実はあれには理由がある。今ではずいぶん衰えてしまったらしいけど、いにしえの時代、エルフは絶対的な空間把握能力を持っていたんだ。現代でもアーチェリーやクレー射撃の競技でしばしば傑出したエルフ選手が登場するのはそのためだ。

 つまり魔力の他にもう一つ、君は現代に生きるエルフがほとんど失ってしまったエルフの特質をその身に宿している」


 ウィリアムのこの告知に、ビアンカが失語して口をパクパクさせる。

 無理もない。自分の中のエルフを否定したがっている彼女が、他の誰よりもエルフとしての才に恵まれているなんて。

 皮肉と言えば、こんなにも皮肉な話もない。


 だけど。


「見ろ! 僕は自分の中のゴブリンを受け入れたぞ! だからビアンカ、今度は君が君の中のエルフを受け入れる番だ!」


 ゴブリンの才能で読み解いた銃を示しながら、ウィリアムは言った。


 危惧すべき事情が一つだけあった。

 現代では完全に克服されているが、神話の時代のエルフは鉄と火薬に対してアレルギーじみた拒否反応を示したという。

 万が一ビアンカにその特性までもが備わっていたとしたら、銃撃は失敗に終わる可能性が高い。


 だから。


「もう一度言う、引き金は僕が引く! 君は狙いだけをつけろ!」

「ああもう! わかったよ!」


 自棄ヤケのように叫んで、ビアンカはウィリアムごと抱え込むようにして銃を構える。

 紳士とシンデレラは密着して、ただ一丁のライフルを二人で担った。


 そのとき、あるいは何事かを悟ったのか、滞空していたワイバーンが急降下する。


「……え? あ、きゃ……きゃあああああああああああ!」


 ワイバーンは後ろ肢でココを掴むと、哀れな吸血鬼を連れてまた空へと戻った。


「あの野郎……! おいウィル、どうすんだよ!」

「どうもしない! とにかく逆鱗を狙え! それ以外考えるな!」

「でも、もしもココに当たっちまったら……!」


 そう不安を口走るビアンカに、ウィリアムは断固たる口調で言った。


「僕は君を信じてる! だからその僕を君は信じろ! 責任引き金は僕が引き受ける!」


 ゴブリンの少年のこの言葉に、エルフの少女はそれ以上なにも言わなかった。


 翼竜は空を旋回する。吸血鬼の悲鳴が谷山に響き渡る。

 自分の心臓が破裂寸前まで脈打つ音を聞きながら、ゴブリンとエルフは息を詰めて射撃の瞬間を待つ。


 二人分の緊張が銃身に張り詰める。

 二人分の集中が銃弾に流れ込む。


 そしてその瞬間は、唐突に訪れる。


「……サンチャゴ!」


 捕らえられたココが名前を叫ぶと、吸血鬼のマントから真っ黒な子猫が這い出す。

 這い出して、よじ登って、使い魔は主人を掴んでいる翼竜の足に噛みついた。


 強靱な空の王者にとってはきっと、子猫の噛みつきなどは蚊に刺されたほどにも感じなかっただろう。

 しかしそれでもその一瞬、ワイバーンは、確かに動きを止めたのだ。



「――今だッハーチ! 撃てッファイア!」



 ウィリアムは引き金を引いた。ビアンカの合図から、コンマ一秒のズレもなく。

 銃弾が疾走する。緊張が飽和する。一秒が十秒にも百秒にも引き延ばされる。


 そして――ワイバーンが地に落ちる。空中でヘミングウェイを放り出して。


 直後、ウィリアムとビアンカはまったく同時に走り出している。

 お互いに一言として示し合わせたわけでもなく、それぞれ別々の方向に向かって。


 ウィリアムが走った先はヘミングウェイの落下地点だった。

 悲鳴を上げながら落ちてくる同級生の下に、紳士は間一髪で身体を滑り込ませる。


 一方、ビアンカが走った先は、ワイバーンの落下地点だった。

 逆鱗を撃たれて錯乱状態に陥っているワイバーンに、真っ直ぐ走り寄って。


「必ッ、殺ァァァァツ!」


 ――ゴブリンパンチ。


 叫んだ技名は強敵に告げる最後のさよならビッグ・アディオスだった。

 フルパワーの必殺パンチを叩き込まれたワイバーンが、音を立てて地面に沈んだ。


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