ep15/了 一番に言いたかった言葉

「ミス・ヘミングウェイ! 怪我はないか!」


 自分をクッションにして落下の衝撃からココを守ったウィリアムは、全身の痛みは無視して真っ先に級友の安否を案じた。


 ココは返事をしない。

 返事はしなかったが、しかしちゃんと息はしているし見たところ大きな傷もない。

 どうやら恐怖のあまり気を失ってしまったらしい。


 安らかに気絶する級友を確認して、ウィリアムはようやくほっと息をついた。

 それから、そういえば身を挺して彼女を守るのはこれで二回目だな、と思った。


 安堵感と奇妙な符合のおかしさにウィリアムが笑った時、相棒がやってきた。


「ビアンカ、最高サンダーバードだ」

最高サンダーバードだぜ、相棒」


 ほとんど同時にそう言って、紳士とシンデレラは互いに親指を立てた。


 もちろん気分は百万ドルだ。

 彼女と出会ってから、もう何度こんな気持ちを味わっただろう。


 ウィリアムの気分を最高サンダーバードな百万ドルにしているものが、もう一つだけあった。

 絶え間なく続く混乱の綱渡りのさなか、ウィリアムは気づいたのだ。

 僕はゴブリンを見下してなんていない、と。


 僕がエルフに憧れるのは大好きな両親がエルフだからだ。

 その気持ちにはゴブリンはじめ他のいかなる種族も関係ない。

 僕の中にあるのはゴブリンを否定する気持ちではなく、父さんと母さんを愛する気持ちだ。


 そしてそれは、きっとビアンカも同じはずだ。

 彼女はエルフの血を憎んでいるのではなく、ただ大好きな両親ゴブリンの子でありたかったと感じているだけなのだ。


 ウィリアムにはそれがわかる。

 だって僕たちは誰にも負けないほど愛されて育った子供で、だから、僕らにはなにかを憎んだり見下したりする必要もその暇もないのだから。


「にゃあう」


 すぐそばで猫が鳴いた。見れば、サンチャゴが気絶するココの頬を舐めている。

 みんなが見守る中、吸血鬼の少女はようやく目を開けた。


「よかった、気がついた」

「よう眠れる森の美女スリーピング・ビューティー、お目覚めの気分はどうだい?」


 起き上がり状況を飲み込んだココは、慌ててフードを被り直して下を向く。


「でも、びっくりしたなぁ。まさかサンチャゴが君の猫だったなんて」

「ああ、こいつはある意味ワイバーン以上のサプライズだぜ」


 そういえば使い魔とか言ってたけど、もしかしてサンチャゴがそうなの?

 そう訊いたウィリアムの声は朗らかで、そこに『問い質す』という厳しさは皆無。

 ビアンカも同様で、二人とも事実が露見した今も少しもココを責めようとしていない。


「……どうして」


 口をついて出たココの言葉に、ゴブリン寮の二人が同時に「ん?」と反応する。


 ココの中には目の前の二人にぶつけたいいくつもの『どうして』が渦巻いている。


 どうしてあなたたちはわたしを気遣ってくれるの?

 どうして下敷きになってまで守ってくれたの?

 使い魔に覗き見させていたわたしを、どうして怒らないの?


 わたしみたいな嫌な子に、どうしてそんな風に笑いかけてくれるの?


「……あの、その……ど、どうして二人とも、逃げなかったの?」

「ん?」

「……だって、あなたたち二人だけだったら、逃げられたはずでしょ? なのに残ってみんなを助けようなんて、ワイバーン相手に戦おうなんて、普通考えない……」


 素直になれないココの言葉に、ウィリアムとビアンカは顔を見合わせて、今更のように「そうだよなぁ、確かに普通じゃない」とうんうんうなずき合う。


 その後で、ウィリアムが代表して答弁した。


「まぁ、ざっと一言でいうなら、『紳士として当然のことをしたまで』かな」


 あれ、そういえばこれを言うのも二度目だな、とウィリアム。

 紳士ってのはつくづく普通じゃないハードコアな生き方だぜ、とビアンカ。


 そしてまた、二人一緒にココに笑いかける。


 向けられたその笑顔が、ココの中のなにかを少しだけ浄化した。


「あ、あの」


 吸血鬼の少女は、意を決して言葉を放った。


「……わたし、あなたに入れたの」

「え? 僕に? なにを?」

「……学級委員長の選挙、わたし、あなたに投票した」


 勇気を出して口にした言葉は、だけどまだ本当に言いたかった言葉には届かない。

 この期に及んで素直になれない吸血鬼の自分に、少女は心の底から失望した。


 けれど。


「おいおいマジかよ! 本日最大のビッグ・サプライズがまだ残ってたのかよ!」

「え……?」

「あたしの探してたご機嫌な三人のうちの一人が、まさかお前だったなんてな!」


 サンダーバード! とビアンカは叫んだ。

 叫んで、いきなりココの肩を抱いた。


 親しい友達にそうするように。



 この瞬間、ココの中に残っていた呪いは、跡形もなく浄化された。



「ん? おいココ、どうした? ゴブリン流のスキンシップが嫌だったか?」


 ココは首を横に振る。

 嫌でなんかあるもんかと、声を発せないまま表明する。


 ココは泣いていた。

 どうして泣いているのか自分でもわからないまま、涙はあとからあとから止めどなく溢れだした。


 泣きながら、吸血鬼の少女は、もはや自分が呪われた存在でないことを知った。

 散々に振り回された宿痾しゅくあのような自尊心から、いまこそ開放されたのだと悟った。


「いまになって麻痺していた恐怖が戻ってきたのかな? 今日一番怖い思いをしたのは間違いなく彼女だろうからね。ちょっと待って、いまハンカチを……」

「そっか。ココ、もう大丈夫だ。お前のことはいつだってあたしらが助けるかんな」


 きっとこの涙が止まったら、言いたかった言葉はぜんぶ言えるようになっているはずだ。

 ありがとうも、ごめんねも、それから――。


「つかさ、猫だけじゃなくて今度はご主人様も遊びに来いよ。綺麗に掃除してんのに今まで客なんか一人も来ないんだぜ。ココが第一号になってくれよ」

「もちろんサンチャゴも連れてね。来てくれないとカツオブシが減らない」


 しかし皮肉なことに、一番に言いたかった言葉は、すでに出番を失ってしまっていた。



『友達になって欲しい』なんて台詞は、もはや口に出す必要すらないのだから。



(第二章・了)

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