幕間
proxy match
またも夜、またもあのVIPルーム。
国立公園への遠足から一週間が過ぎたその夜、
テーブルには今夜も美食の皿が供されていて、しかし、二人ともほとんど食事には手をつけていない。
前回にはなかった重苦しい空気が密談の場には満ちている。
「ああ、ええ……ごほん! レ、レノックス君、安心したまえ! すでに手は回してある! 魔獣誘引剤のことで君が追求されることは、絶対にない!」
咳払いを一つして、グリーンバーグ教頭が努めて明るく言った。
自分を勇気づける教頭の言葉に、ディミトリは曖昧かつ気のない返事を返す。
そして湯気の立つカップを手に取り、一口も啜らないまままた置いた。
教育者的な笑顔はそのままに、教頭は心の中で毒づく。
ボンボンのクソガキが! と。
普段この自分を相手取ってさえ対等に振る舞って忌憚のない御曹司の、年相応に不安定な態度。
彼の乱れた情緒の理由はまるっきり図りかねたまま、グリーンバーグ教頭はこの状態のディミトリを完全に持て余していた。
利用価値さえなければいっそ投げ出してやるのに、とグリーンバーグ教頭は思う。だがもちろん、この少年と彼のゴージャスな実家には学校としても個人としても巨大な価値がある。
それに、彼にはやってもらわねばならない仕事もある。
リチャード・ハートフィールド。かつてこの私から称号と愛する人を掠め取った憎きあの男の息子に、万が一にも栄誉を掴ませない為の
「ワイバーンを呼び寄せたのが君だという証拠はすでにこの世のどこにもないんだ。いいかね、君は偶然遭遇してしまったワイバーンを退散させるために、良かれと思って火の玉を放ったのだ。功名心ではなく、仲間を危機から救わねばという一心でな。結果的に多少判断に誤りがあったとて、その心は誰にも否定できない。違うかね?」
「……」
「問題ない、目撃者はパークレンジャーを含めてもたった四人しかいないのだ。ワイバーンを倒した名誉はハートフィールドの息子に取られてしまったが(クソ! 親子揃って横取り屋め!)、しかしその程度の点差、君ならすぐにひっくり返せ――」
「ハートフィールド? ……ふん、下等なゴブリンなど、私の眼中にはありませんよ」
そんなヤツどうでもいいとばかりに、ディミトリはその名を吐き捨てた。
しかし次の名は、一転して燃えたぎるような憎悪を込めて口にされた。
「私が許せないのは、ゴブリンではなくあの女……! ビアンカ・バルボア……!」
あの女! あの女! あの女!
そう繰り返しながら、ディミトリは目の前のテーブルに何度も両手を打ち付けた。
スープが飛び、前菜を乗せた皿が落ちる。
年相応どころか人が変わったように小児的な行動に、グリーンバーグ教頭は恐怖すら覚えた。
乱心の一場面の後で、ディミトリは問わず語りに語りはじめた。
「どこの馬の骨とも知れない底辺のクズエルフが、この私よりもエルフとして上だと? 魔力だけでなく、いにしえのエルフの才能まで備えているだと?
……許せない、許せない、許せない」
呪詛するように繰り返される呟きを聞きながら、グリーンバーグ教頭は脳内で情報を整理する。
ビアンカ・バルボア、理事長が貧困地区から拾い上げたエルフの娘だ。
慈善事業の一環だとかなんとか言っていたが、実のところ詳細には不明な点が多い。学校のイメージ戦略に活用するつもりとかいう説明にも、どこかとってつけたような印象がある。
そのバルボア嬢にレノックス少年が妙に執心していることは、彼に頼まれて遠足の班分けに口出しをした教頭にはわかっている。
娘がティーチのクラスに預けられていることも、あのハートフィールドの息子が彼女のお世話係を仰せつかっていることも。
――教頭の脳裏に悪魔的な閃きが去来したのは、その瞬間だった。
「なぁ、レノックス君。長い人生、打ち破れない壁にぶつかることはままある。どのような努力も犠牲も報われないことがな。
そういうとき、大人は一度立ち止まってみるんだ。立ち止まって、逆転の発想を探してみるのだよ」
「……逆転の発想、ですか?」
「たとえば、こういうのはどうだろう? どうしても勝てない目の上のたんこぶならば、無理して勝とうとするのではなく、まるごと君の側に取り込んでしまうんだ」
お為ごかしの理解者顔の裏で、ロレンス・グリーンバーグはほくそ笑んでいる。
これは代理戦争だぞハートフィールド、と彼は思う。かつて貴様が私からすべてを奪ったように、今度は私の代理人が貴様の息子から奪い去る番だ。
名誉紳士の称号も、それに、大切なパートナーも。
「ワイバーンを倒した直接の功労者は確か、バルボア嬢だったな。そのヒロインの隣に立つ……そんな脚光を浴びるポジションは、ゴブリンにはもったいないよな?」
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