ep14.なんにもわかってねえぜ、ケツの穴の旦那

 そこそこの収容人数キャパシティが見込めそうな室内に、しかしテーブルは二人がけのものが一つ置かれているだけだった。

 必要数だけをいちいちセッティングしているのだろうが、嫌みなほどふかふかした絨毯には物を動かした形跡が残されていない。

 照明はシックな色合いの光を降り注がせており、壁には高そうな絵画が等間隔で並んでいる。北側の壁は前面が窓になっており、その前にあるのは、なんと室内用の枯山水だ。


 いかにも高級な室内の様子に、ビアンカは一秒ごとに『最悪デッドアス』と毒づきたい気分だった。

 こんなもん喜ぶのはブルジョワ顔した成金スワガーか自意識過剰の気取り屋スノッブだけだってんだよ。

 つか、このちっちぇえ音で流れてる音楽はオペラか? ざっけんな、ロックかジャズをかけやがれ。もちろん大音量でだ。


 一見するとすみずみまで磨き抜かれた室内で、無骨な監視カメラだけが異彩を放っていた。壁のカメラは時折首を振っては稼働中であることを主張している。

 やがてビアンカは、これは全部あたしの心を折る為の道具立てだと、そう理解した。

 お上品の押しつけもわざとらしい監視カメラも、この自分に置かれている立場を思い知らせて屈服させるための演出なのだと。


 そう気付いた途端、塞いだ顔をしてやっているのがしゃくさわりはじめた。


「おいこらレノックス、その肉こっちによこせ」


 向かいに座るディミトリにビアンカは言った。


「エルフ向けメニューだかなんだか知らねえが、肉料理が全然ねえじゃねえか」


 それまでしゅんとしていたビアンカの態度の変化に多少驚きながらも、ディミトリは大陸鵺クロコッタの各種部位盛り合わせを彼女に差し出した。


「……野菜も食べた方がいいんじゃないかな?」

「偉そうに指図するんじゃねえ草食野郎。こんな葉っぱくせえ葉っぱ食えるかよ」


 こちとらゴブリンだぞ、肉食わせろ。

 そう言いながらハオマの若芽のアムリタサラダを押しのけたビアンカに、ディミトリがやれやれとため息をつく。


「しかし……なるほど、ゴブリンか。ふふ、本当に教頭が調査した通りなんだな」

「あん?」

「君の……というか、君たちの事情は私も聞いているよ。ゴブリンに育てられたエルフであるバルボア君のお世話係を、エルフに育てられたゴブリンであるウィリアム君が務めることになった、と」


 我らが担任は最高のユーモアを発見していたんだな、とディミトリ。


「私は君たちに学ばせてもらったよ。世の中はユーモアの巨大な塊であるのだと、そしてユーモアとはそれすなわち皮肉なのだと。

 ……だって、なぁバルボア君。エスコート係という厄介な役目を引き受ける交換条件に、ウィリアム君には『名誉紳士』の評定に加算してもらえる。そういう話になっていたのだろう?」

「はっ、そこまで調べてたのかよ、大したもんだな」

「だがエスコート係は、いまや私だ」


 言って、ディミトリは意地の悪い含み笑いを浮かべた。


「君たちに事情があるように、こちらにも事情があってね。教頭は私にこそ二年後の『名誉紳士』になって欲しいと考えている。そのために、彼はティーチとウィリアム君の取引も利用するはずだ。『エスコート係には評定をジャックアップする約束が交わされている』と、本来はウィリアム君限定の条件を私にまで適用しようとするだろう」


 ディミトリが、今度は勝ち誇るように声を出して笑った。


「君はウィリアム君の命脈をつなぐ為に自分を差し出したわけだが、唯一のアドバンテージであったエスコート係まで私に奪われて、彼にまだ勝ち目があると思うかね?」


 君の! 犠牲は! まったく無価値だった!


 なにも言い返さないビアンカの様子に、ディミトリの笑いがさらに大きくなる。

 エルフの少年は笑い続けた。苦い敗北の後の、甘美な勝利を噛みしめて。


「――やっぱりお前はなんにもわかってねえぜ、ケツの穴の旦那」


 ビアンカが言葉を発したのは、ひとしきりディミトリを馬鹿笑いさせた後だった。


「大きく二つわかってねえんだが、まず一つ目だ」

「……なに?」

「お前がいま言った様なことはな、こっちもちゃあんとわかってんだよ。わかってて、その上であたしはあいつを信じたんだ。チャンスさえ残してやれば、あいつなら絶対に自力で夢を叶えるって」


 教頭先生キョートーセンセーのお膳立てがなきゃなんもできねえお前とは違ってな、とビアンカ。


「いまはまだ、ゴブリンだからって軽んじられてるかもしれねえ。けどな、そのうちみんなあいつがどういう奴かわかってくる。先生も生徒も、みんなだ。誰が一番の紳士なのか、そのうち学校中みんなが知るようになる」


 話しているうちにだんだんと声が大きくなる。口調に力がこもる。

 そのことを自覚していながら、彼女は自制も自重も、全然できない。


 そこにある気持ちを抑える必要なんて、全然ない。


「あたしはあいつを信じてる! 信じてるからこそ、あたしは安心してあいつから離れられたんだ! あいつにはエスコート係の取引だって最初から必要なかったんだ!  

 ウィリアム・ハートフィールドはな、お前なんかとは出来が違えんだよ!」


 相棒のことを話していると、なくしていた勇気がどんどん湧いてきた。沈んでいた気分が盛り上がってきた。

 離れていてもちゃんと繋がっていると、そう感じられた。


 こんなにもあいつはあたしの、とビアンカは思った。

 こんなにも、あたしはあいつの。


「……ありがとよ委員長、おかげでもうなんにも怖くねえ。

 だからサービスに、お前の『わかってねえ』のもう一つを教えてやるよ」


 そう言って、ビアンカはディミトリに向かって口角を吊り上げた。


「いいか草食野郎。お前が前任者みたいにあたしを飼い慣らせると思ってんなら、そいつは大きな間違いだ。あたしってビーストの首輪はもう外れちまってるんだよ。なにしろ迷惑かけたくねえエスコート係なんて、もういねえからな」


 作り物ではない、虚勢ではない、彼女本来の好戦的な笑顔でビアンカは言った。

 ダウンエッグの少女が発する凄味に、御曹司がはっきりと怯んだ様子を見せた。


「ここからは勝負といこうぜ、ケツの穴の旦那。お前の傍若無人とあたしの自由奔放、どっちの『やりたい放題ライブ・ザ・ライフ』が先に折れるか、心ゆくまで衝突クラッシュしてみようぜ?」


 よろしく頼むぜ、大将。

 残忍な肉食獣の笑みを覗かせたビアンカに、ディミトリは小さく悲鳴すらあげた。


 ――と。


「……う、なんだこれ……」


 その瞬間、強烈な吐き気がビアンカを襲った。


 酒なんて飲んでいないはずなのに、酔っ払ったように周囲がぐらついていた。

 目の前のディミトリが遠くなったり近くなったりした。

 あたかも不思議の国の童話のように、部屋のサイズが広くなったり小さくなったりした。


「ふ、ふふ、どうやら薬の効力が出始めたようだな。ああ、ナイスタイミング!」


 ディミトリが冷や汗を拭いながら言った。


「どうだろうか、君の為にこの私自ら調合した薬の効き目は。効能は空間把握能力の欠如と魔力の抑制だが……その様子だと、他にも副作用があるのかな?」


 再び勝ち誇った口調となってディミトリは言った。


「て、てめぇ……! 料理に一服盛りやがったな……!」

「そうだよ。さっきの肉料理にね。君からチャンスをくれたんで楽だったよ」

「信じらんねえ……! 高校生でデートドラッグなんて、歪みきってる……!」


 やっぱりてめぇは紳士の風上にもおかねえ最低野郎マザファッカだ!

 そう罵ったビアンカに、ディミトリは心底不思議そうな顔で、デートドラッグ? と返した。


「デートドラッグって……人聞きの悪いことを言わないでくれ。私は女性としての君には少しも興味がないし、君をどうこうしようというつもりももちろんない。……ゴブリンに育てられた汚い娘と不純異性交遊なんて、冗談でもやめてほしい」

「は、はぁ? んじゃ、なんで……」

「あのねバルボア君。私はね、私自身の能力によってエルフとして君を凌駕しなければいけなかったんだ。そうしなければ私は先に進めなかった。

 そして、いいかい? すこしずるいが、薬学これだって紛れもなく私の能力の一部だ」


 あははははは! 今夜このとき、この私がナンバーワンだ!


 そう言って哄笑するディミトリは、ある意味では性欲に支配されたティーンエイジャーよりもよほど歪んでいるようにビアンカには見えた。



 その時。



 部屋に一つだけの扉が音を立てて開かれて、誰かが室内に入ってきた。


「ビアンカ!」


 世界で一番聞きたかった声が彼女の名前を呼んだ。

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