ep8.やっぱり、敵だ

 ニューヤンク州の秋は十一月まで続いて、十一月と共に終わる。

 九月の中旬からはじまるこの美しい季節は十一月に最盛期を迎えるが、しかし暦月カレンダーが十二月になった途端、スイッチを切り替えたかのように真っ逆さまに冬へと変わるのだ。

 神話の存在が決めたもうたそのスケジュールはいとも正確で、過去十年分の記録を参照すると平均からの誤差は前後五日以内にすべて収まっている。


 プラードの一年生が入学後初の遠足行事に出発するのは、そんな秋真っ盛りの十一月第三週である。

 行き先は州境にある国立自然公園。当日の朝までに当該エリアでの降雪が確認された場合は市内の博物館に行き先が変更になるのだけれど、過去にそういう事例があったのは二十五年も前のことだという。


 遠足を週明けに控えたこの日、一年A組の面々もホームルームで担任教師から注意と説明を受けていた。


「ああ、最後に。遠足の班分けは今回先生がします。後で発表するからよろしく」


 担任のミスター・ティーチがそう告げた途端、教室のあちこちから「えー!」と嘆きの声があがる。


「あのねえ、こういうのは『はい好きな人同士で固まって』ってやるとね、誰の仲間にも入れない子が出ちゃうのよ。そういうの、先生好きじゃないの」


 それだけ言って退出していく担任教師の背中を、今度は一斉にブーイングが追いかける。

 無理もない、みんなまさに『好きな人同士で固まって』班を組めると思っていたのだ。すでに仲良し同士で「一緒に組もうね」と話し合っていた者も少なくない。


 もちろん、ココの属するグループもそんなご多分に漏れてはいなかった。


「あのさあのさ、ティーチちゃんに直談判に行くってどうかな?」


 放課後、グループのリーダー格であるギャル系エルフが仲間たちに言った。


「決定権は先生側にあるって言ってもさ、意見するのは自由でしょ? だから『アタシらは一緒の班にしてください』って頼んじゃおうよ。そのほうがティーチちゃんだっていろいろ考える手間が省けて有り難いんじゃん?」


 リーダーの意見に、仲間たちが口々に賛成する。


「てことで、善は急げっしょ! 早速みんなで行こ行こ!」


 そう言って移動をはじめた集団に、ココも当たり前のように同行しようとした。


「あ、ヘミングウェイはいいから」


 そのココを、ギャルエルフが手で制止した。

 それまで親しみを込めて『ココ』と呼んでくれていたのに、『ヘミングウェイ』とファミリーネームで呼んで。


「……え?」

「だから、ついてこなくていいって言ってるんだけど?」


 冷たく突き放すというよりは、楽しんでいたぶるような湿った言い方だった。

 見れば、他の友達たちもニタニタと笑ってココを見ている。


「ウチらさ、あんたに飽きちゃったんだよね。あんたをよいしょするのにも、あと吸血鬼って言う珍しいペットにも」


 横からホビットが言った。

 リーダーとは別のエルフが「ペットって、言うねえ」とホビットの言い回しを評価して笑った。


「え、あ、で、でも……」


 何を言えばいいかわからなくて、何を言っているかわからないことをココは言う。

 そんなココのうろたえっぷりを、友達たちがクスクス笑って見ている。


「だってさー、しょうがないっしょ? 『吸血鬼と友達』ってカッコいいと思ってたけど、仲良くなってみたらアンタ案外フツーなんだもん」

「そうそう。それに卒業したらどのみち付き合いはジ・エンドじゃん? なら在学中に過去形にしちゃっても『高校時代に吸血鬼と友達でした!』って事実は変わんないし」

実績トロフィーゲットしたんでセーブデータは消ししちゃいまーす! ってことね」


 ホビットが言い、またも他の友達が――元友達が笑う。


 目が回っていた。心臓が早鐘を打っていた。呼吸が乱れて、口の中が乾いていた。


「ねぇねぇ、ヘミングウェイを外した枠にリンドバーグ引っ張っちゃわない?」

「お、いいじゃーん。『ドラゴニュートと友達』の実績も解除しちゃう?」


 もうココのことなんて見てもいない彼女たちの声を、ココは耳鳴りの向こうに聞いた。


 手が震えていた。足がガクガクしていた。触らなくてもわかるくらい汗が出ていた。さっき行ったばかりなのにおしっこに行きたくなっていた。


「……あ……や……そん……」


 吐きそうだった。泣きそうだった。泣きたくないのに泣きそうだった。


 泣きたくない。でも、涙が。

 誰か、助けて……。


「――へぇ。うちのクラスには、委員長以外にもケツの穴がいたのかよ」


 その時、かすんでよく見えなくなった視界の外で声がした。

 直接話したことはほとんどなくて、なのに最近、とても良く聞いている声。


「わりぃな、聞く気は無かったんだけど聞こえちまったわ。……てめぇら、それが友達ダチに向かってかける言葉なんかよ……!」

「……バ、バルボア……」


 元友達が、悲鳴にも似て怯えた声を出す。

 それほどまでに、状況への介入者の声は怒りに満ちていたのだ。


「――ビアンカ、喧嘩はダメだ。紳士としてそれは見過ごせない」


 そうこうするうちに、また一人登場人物が増えた。今度は男子生徒だった。

 聞き馴染んだ声の男子は、近くを通り過ぎざま、ココにだけ聞こえる声で囁いた。


 いまのうちに涙をぬぐいたまえ。大丈夫、いまなら誰も見ていない。


「喧嘩はよくないが……しかし、それ以外は僕もビアンカと同じ気持ちだ。紳士百箇条より第五十三条『義を見てせざるは紳士でない』。君たちのミス・ヘミングウェイへの暴言は、これもまた紳士として看過しかねる」

「ハートフィールド……ふ、ふーん、今度は紳士なゴブリンくんのおでましってわけ」


 元友達たちが少しだけ威勢を取り戻したようだった。

 後から現れた人物――ウィリアム・ハートフィールドが、最初に現れた人物――ビアンカ・バルボアの安全装置セーフティであるらしいことは、いまやクラスの誰もがなんとなく知っている。


「アンタたち、風紀係にでもなったつもり? それとも美味しくない仕事は全然やりたがらないクソ委員長の代理? とにかく、関係ない人は黙っててくれるかな?」

「いや、関係なくは――」

「ふざッけんな! 関係なくなんかねえよ!」


 紳士バカが言いかけ台詞を、不良のロープレ女が追い越して言った。


「あたしは今マジで頭にきてんだ! お前らのせいでさっきまでの楽しい遠足気分が台無しになっちまった! だからあたしは立派に問題の当事者だ!」


 大真面目に開陳されたこのトンデモ理論に、ココを含む全員がいっとき唖然となる。

 唯一、紳士バカのゴブリンだけが慣れた調子でやれやれと肩をすくめた。


「まぁ、ここでも僕はビアンカに同意だ。だって我々はクラスメイトじゃないか。『偶然の出会いも運命』という言葉もある、まったく無関係ということもないだろう?」

「はー、うざ。じゃあどうしろっていうんですかぁ?」

「友達に向かって言う台詞じゃないっていうけど、アタシらもう『元』だしぃ?」

「ヘミングウェイさんに謝れっていうなら、謝りますけどぉ?」


 ギャルエルフがココの目の前に顔を突き出し、ねっとりと、目一杯に悪意を練り込んだ声で「ごめんなさぁぁぁい」と言った。他の二人が笑い出す。


 さっきこっそり拭った涙が、またこみ上げてくる。


 どこかから、バチバチという音が聞こえた。

 誘蛾灯ライトニングトラップが羽虫を焼くような音が。


「……もういい、お前らが救いようのないクソ女ビッチ揃いだってのは、よっくわかった」


 ビアンカ・バルボアが、自制を効かせた声で……精一杯に自制しているのが明白な声で言って、ココの腕をバッと掴んだ。


「いらねえならこいつはあたしがもらう。もうお前らには絶ッ対、返さねえからな」


 最後にそう捨て台詞を吐いたバルボアに連れ出されて、ココはその場から離れた。



   ※



 手を離されたのは、教室を出て、さらに階段の踊り場まで移動した後でだった。


「……わりぃ。あれ以上話してたら、もう少しであいつらを必殺しちまいそうでさ」

「それで緊急離脱したわけだ。最悪な状況下ワースト・シチュエーションにおける最適ベターの選択、実にグレートだ」


 今回はロッカーも破壊してないしね。

 ハートフィールドが冗談めかしてそう言ったところで、張り詰めていた空気がようやく緩んだ気がした。


 バルボアは右手を振ってそこに走っている電気のようなものを追い払う。

 あれはいったいなんなんだろう?


「よう、お前も巻き込んじまって悪かったな。すまねぇ、ごめんしてくれ」


 手のビリビリを消したあとで、バルボアがそうココに謝ってきた。


 なんで謝るの? とココは思った。

 あんたはわたしを助けてくれたのに、なのに巻き込んだって、なに?

 巻き込んだのは、むしろわたしの方じゃないの?


 言わなきゃいけないことがあるのは、わたしの方なのに。


「……い、いい、だいじょぶ」

「そか、サンキューな」


 ありがとうが言えずに仏頂面で首を振ったココに、反対に相手の方がお礼を言う。


 どうして? なんであんたは、あんたたちは、こんなあたしに文句を言わないの?

 どうしてあたしなんかの為に、あんなに真剣に怒ってくれたの?


「さて、勢いで飛び出してきちゃったわけだけど、このあとはどうしようか? 一応聞くけどビアンカ、君、なにか考えプランはあるのかい?」


 ハートフィールドがそう問うと、バルボアは首を横に振って。


「なんにもない。でもとにかく、あたしはあいつらにこいつを返したくねえし、どっか目の届かないとこでこいつが除け者にされるのもまっぴらごめんだ」

「そうか。それじゃあ、取り得る選択肢は最初から一つしか無いね」


 ハートフィールドが言って、バルボアが、うん、と肯く。


 ほとんど最低限の言葉で意思を疎通させる二人の様子に、ココは、いいな、と思った。

 いいな、わたしも、こんな風にわかり合える友達が欲しいな。欲しかったな。


 だけど、わかってる。

 吸血鬼のわたしには、そんなの一生手に入らないって。


 やっぱり、この二人はわたしの敵だ。ココはそう思う。

 だって、こんなにも羨ましくて、こんなにもまぶしくて。

 こんな太陽みたいな存在と吸血鬼は、永久に相容れるわけがない。


「よし、そうと決まったらもたもたしてないで行動開始だ」


 ココが自分のみじめさを思って再び泣きそうになったとき、バルボアが言った。


「んじゃウィル、コウモリ女、気分切り替えて行こうぜ」


 そう二人に声をかけて、ビアンカ・バルボアはさっさと歩き出す。

 しかし直後、なにかに気づいたように、急に足を止めた。


「いけね。またやっちまった。わりぃわりぃ」


 エルフの不良少女は、最後尾についていた吸血鬼を振り返って言った。


 言い直した。


「さ、行こうぜ、ココ」

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